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Recall  作者: ツナ缶
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四章 3

サクサクいくためにサクサク更新。

今回は前半部分と後半部分で明らかにテンションが違いますが、そろそろ物語が動き出します。前半、こいつら高校生にもなって何やってんだよ……ってことやってますが。

でもやりたいですよね。女の子と水鉄砲で撃ちあうの。やりたいですよね。ええ、うん。ほんと。泣きたい。


「サービスシーンを見たことあるか?」

「…………は?」

 体育の授業中、ソフトボールの打席をいつもの二人と一緒にベンチで待っていたら、唐突に孝志が真面目な表情でアホなことを言い出した。俺と優二人揃って、可哀想なものを見る目をしてしまう。

「だからっ、サービスシーンだよ! サービスシーン!」

 こいつの思考回路がおかしいことは周知の事実だが、今日のはいつにも増してひどい。脈絡も何もない。話が理解できない側代表として、優が孝志に質問してくれる。

「サービスシーンって……えっと、何?」

「よくあるだろ。入浴シーンとかドアを開けたら着替え中だったりとか。特に直樹! おまえなんか一緒に暮らしてるんだからサービスシーンの一つや二つあるだろっ!」

「いや、漫画やアニメならまだしも。そんな偶然ありえないからな。第一気を付けるし」

 というか、もしそんな事態になったら。俺はもう生きてはいないだろう。

「夢がない!! おまえら夢がないよ!!」

「おい優、次おまえだぞ。行ってかっ飛ばしてこい」

「これ……放っておいていいの?」

「いつものことだろ」

「それもそうか」

 バットを手に打席へ向かう優。運動も抜群なパーメンならチームに良く貢献できるだろう。

「なぁ、ほんとにないのか?」

「ないって。あんなのはフィクションだけ。実際にあるわけないだろ」

 トイレに入るときは必ずノックするし、風呂場や脱衣所も確認する。命がかかってるってのはもちろんだけど、そんなの、男女間の問題だけじゃなく誰もが気をつけるだろう。

「ああ~~ダメだ。おまえには向上心が足りない」

「おまえが足り過ぎなだけだ」

 そしてベクトルを間違えてる。

 バットがボールに当たる快音を鳴らした優が一塁へと駆ける。落ちた場所はセンター後方。余裕のツーベースヒットだった。

「あそこまで何でもできると、苦労も少ないんだろうな」

「さぁ、どうだかな」

 実際、優はすごい。何でも人並みにこなせる才能に、それに慢心せず努力できる強さを持っている。それでも、親父さんが亡くなった時は落ち込み。母親の心が壊れてしまった時には何度もウチに泊まりにくるほど辟易してたこともある。

 決して、完璧ではない。

「苦労しない人間なんていないだろ。皆、何かしら抱えてるんじゃないか」

 上には上の。下には下の苦しみや悩みがある。どっちがより辛いか、それは本人にしかわからないし、他の誰にも伝えられない。優劣も何もない。苦しみや、悩みってのは、そういうものだ。

「……おまえが言うと説得力あるな」

「そうか?」

 あまり自分ではそういった部分は見せず、楽観的な人間に思われてると考えてたけど。

 優の次の打者はボテボテのセカンドゴロに倒れ、俺や孝志に順番が回る前に攻守交替。俺たちは自分の分のグローブを持ち、各々の守備位置に着く前に孝志に声をかける。

「しっかり守れよ? 昼飯代かかってんだから」

「え? マジ?」

「ああ、買ったチームに孝志が」

「おまえ痛くも痒くもねー!! つうか理不尽だなおいっ!!」

 上には上の。下には下の苦しみや悩みがある。どっちがより辛いか、それは本人にしかわからないし、他の誰にも伝えられない。

「……それでも、わかりたいって思うんだよ」

 力になりたい、助けたい。そのために彼女の辛さを、苦しみを知りたいと。彼女が好きだからって理由が半分、その他諸々がもう半分と、下心だけで構成された感情だけども。

 それでも、心からそう思っている。

 ちなみに、財政難の危機に直面した孝志のヤケクソ気味の気迫に押され、我がチームは見事優利を収めた。

「……計画通り」


*


「さて、やってきました楽しい楽しい部活動ですが」

 部室内のホワイトボードを背にして、机に手を置きながら声を出す。

「やることがありません」

「楽しくねぇ!!」

 孝志が言うのもごもっともで、部活動二日目にして早速やることがないのは、正直俺も驚いてる。

「やることがないも何も、まともに活動したことがないじゃないか……」

「確かに。俺、孝志、優の三人しかいない時の第二天文部はロクに活動してない。ずっとダベってたり、ボードゲームしてました」

 すっかり各定位置ができた部室内。新入部員であり部長でもある明日佳が額に手を当ててため息を吐く。

「どうしてこんな部活に……」

「しかも、部長だしな!」

「………………」

「トドメを刺しやがった……」

「とにかくだ」

 うな垂れる明日佳は置いておき、手を叩いて注目を集める。

「人数も増えた。それなのに今まで通りの活動じゃ物足りない。だがやることもない。そこでこんなものを作ってみました」

 そう言って俺はカバンからあるものを取出し、机に置いた。

「……何これ、箱?」

「そう、箱」

 片手に納まる程小さくて、派手な装飾も色合いもない普通の箱。箱の上部には手のひらがすっぽり納まる穴がある。

「この中にそれぞれやりたいことや遊び方を紙に書いて入れる。それで、中から引いたものを本日の活動にしようと、そういうわけだ」

「直樹にしてはまともな提案……いや、部活動なのにやることがないなんて状況がすでにまともじゃないか……」

「優もごちゃごちゃ言わないで、ほら書いて入れる」

 手のひらサイズの紙を配る。ちなみこの紙は、今日配られたPTA通信を人数分に切り分けたものだ。一応目を通したから、本来の役目は果たしただろう。

「えっと、何を書いてもいいんですか?」

「良い質問だ沙紀ちゃん。それだと暴走してとんでもないこと書く奴もいるから、そうだな……今回はゲーム名にしよう」

「ゲーム名って、鬼ごっことかかくれんぼ、とかですか?」

「そうそう、そんな感じに」

「こんな部活の、部長……」

「天文部からどんどん遠ざかってる……」

 部活動のあり方について、若干沈んでる二名がいるがまぁそれはさておき、各々やりたいことを人数分に切り分けられたPTA(略)に書き込んでいく。

「じゃあ書いたら入れてってー」

 沙紀ちゃん、明日佳、優と次々紙を箱に入れていく。

「孝志はストップ」

「なんで!?」

「いや、おまえには検問置いといた方がいいかと」

「そんなことしなくたって大丈夫だよ! なぁ!?」

「……同意できるわけないだろ」

「いいからさっさと見せなさい」

「えっと、すいませんとりあえず無理です」

「だから沙紀ちゃんはオレに対してだけ妙に辛辣だよね!? オレ何かした!?」

 変態は変態でも、自覚のある変態だったらまだこいつにも救いがあったんだがな。

「いいからいいから、早く見せろって」

「あっ、ちょ」

 孝志の手から紙切れを取り上げ、みんなに見えるように広げた。

『王様ゲーム』

「……予想通りだな、おい」

「ほんと孝志って、いらない期待は裏切らないよね」

「えっと、王様ゲームって何ですか?」

 まぁ、沙紀ちゃんみたいな子には馴染みのないゲームか。いや俺だってやったことないけど、ルールぐらいは知っている。

「くじ引きで王様を決めて、その王様が好きなことを命令するっていう、まぁパーティゲームの一つだよ」

「……思ったよりも普通のゲームだね。何がいけないの?」

「いけないというか……孝志が王様になった場合を想定すればわかると思うよ」

「…………ああ、なるほど」

「納得されてるぞ、おまえ」

「予想はしてたさ」

 何故か不適に微笑む孝志。様になってるわけはなく、ただただ不気味だが。

「だが君たち、考えてくれたまえ!!」

 椅子から立ち上がり、手を振りかざしながら語り出す孝志。

「まるで王様ゲームがいかがわしいと言うような口振りだが、実際はそんなことはない! 君たち自身が王様を手繰り寄せ、見るからに微笑ましい命令をすればいいではないか!!」

「……で、おまえが王様になったらいかがわしい命令をする気満々なわけか」

「そんなことありませんとも!!」

「そこまで力一杯断言されると逆に疑わしいからね」

「そんなことないですよ!!」

 学習しない奴だった。

「だいたいさ」

 俺は優と沙紀ちゃん、そして俺自身と明日佳を交互に指差し。

「このメンツで王様ゲームなんてやっても、反感買ったり虚しくなるだけじゃね?」

「…………あ」

 椅子に座り直し、机にうつ伏せになった。メンバーの大半が既にカップル(虚構も含む)であるという事実に打ち拉がれているんだろう。

「さて、それじゃ気を取り直して……」

 一連の流れをなかったことにして、俺は箱に手を突っ込み。

「本日の活動はコレだあぁーーー!!」

 掴んだ紙切れを勢い良く取出し、書かれてる内容を見て。

「………………」

 絶句した。

「……ど、どうしたの?」

「なんて書いてあるんですか?」

「……サバイバルゲーム」

「は?」

「だから、サバイバルゲーム。水鉄砲で」

「えっと……」

 優も沙紀ちゃんも、本日最大級のぶっ飛んだゲーム内容に驚きを隠せないでいる。

「それじゃ、これ書いたの……」

「……私だけど」

 そっと手を上げる明日佳と、手に持った紙に書いてある内容を交互に見る。とてもじゃないが、この二つに関連性があると思えない。

「えっと、何故にサバイバルゲーム……?」

「それ以外のゲーム、やったことないから」

(孤児院で?)

 口パクで聞くと、明日佳は首肯した……いや、だからさ。唯一の遊戯がサバイバルゲームって孤児院、どうなの? ソルジャー養成所の間違いじゃないか?

「……まぁ、とにかく。本日の部活動決定」

 ホワイトボートにでかでかとサバイバルゲームと書き込む。

「ここだけ見るとほんと何の部活だかわからないよ……」

「今更だって。さて、異論はないかな?」

「もうなんだっていいよ……」

「あたしがお姉さまの提案を拒否するわけないじゃないですか」

「うん、そうだね。沙紀ちゃんはいつも通り明日佳のことになると目がマジだね」

 未だに沈んでる孝志も了承済みと判断し、俺はホワイトボートに花丸を書いた。

「それじゃまず武器調達だ。駄菓子屋に売ってるような物でいいんだよな?」

「ええ」

「なら誰が買いに行くか決めるぞー。せーっの。出さなきゃ負けだよジャンケン――――」

「え? あ、ちょっ」

 絶望に打ちひしがれていた孝志を置き去りにする勢いで話を展開させたつもりだったが、小賢しくも意識が追いついたようだ。

「ポンッ!」

 ……が。

「……孝志、それ何?」

 滑り込んできた孝志が出してきたのは親指と人差し指だけ上げた、わかりやすく言えば銃の形。

「……いや、パーグーチョキを全て含んでるというか」

「通るわけないだろ、そんなバランスブレイカー」

「……実はこれ、地方によってはチョキなんだぜ?」

「ならおまえ負けな。俺らグーだし」

「ノオオオォォ!!」


*


「ただいま……」

「ああおかえり……って、なんでそんな憔悴してるのさ」

「……駄菓子屋のおばちゃんに『大きくなったねぇ』とベタなこと言われて過ぎた日々に思いを馳せて、小学生にたかられ追い掛けられ……しかも大量の水鉄砲を買うところクラスの奴らに見られた……」

「……まぁ、なんだ。お疲れ」

 適当に労い、人数分の水鉄砲が入ってるビニール袋を受け取る。

「それじゃ道具も揃ったところでルールの確認」

 孝志が買い物に行っている間に、ホワイトボードに書き出しておいたルールを皆で確認する。

「範囲は校舎内全域、だが水に濡れては困るものがある場所では原則として非戦闘区域になる。武器は各自持つ水鉄砲一つ。水の補給は自由。頭、胸以外の被弾は無視して続行。と、こんなところかな」

「それと何か物を使い水を防ぐことは禁止。腕で庇うのも」

「あーそうそう、それも追加」

 基本的なルールは明日佳がいた孤児院のものを使っている。そして他の部活などに迷惑がかからないようにいくつかの追加ルールを加えた。

「それと個人戦ではなくチーム戦で行う……個人だと明日佳の一人勝ちにしかならないだろうし」

「それはいいが……人数合わなくないか?」

 俺と明日佳、優に沙紀ちゃん、孝志の五人しかいない以上、確かにチーム分けをすると人数比が対等ではなくなる。

「ああ、だからちゃんと手は打ってあるよ」

「お邪魔しま~す」

 間延びした声で部室の扉を開いたのは、我らが第二天文部顧問、春子先生だった。浅黄色のワンピースに白いカーディガンを羽織った春子先生は、頬に手を当てながら困惑気味に口を開く。

「えっと、サバイバルゲームをやるから来てくれって連絡受けたのだけど……ほんと?」

「ええ。マジです」

「……いいのかなぁ」

 まぁ立場上、そう簡単にし容認してはいけないとは思うけど。

「大丈夫ですよ。他の人には絶対迷惑かけないようにしますし」

「うーん、それはもちろんなんだけど……うん、そうね。久々に頑張っちゃお」

「まぁぶっちゃけ先生には期待してないので、怪我しないように気を付けてください」

「ぶぅ、わたしだって少しはやれるんだからね」

 とは言われても、普段の先生を見る限りとてもそうは思えない。一瞬で蜂の巣になってしまうんだろうな、と誰もが思っていた。

「………………」

 明日佳だけが、顔を引き締め、何かを警戒するような目つきをしていた。


*


「そっちの準備はいいか?」

 校内での携帯電話の使用は、放課後なら許されている。俺は廊下の隅に腰を下ろし、携帯電話を耳に当てていた。

『ああ、いつでもいいよ』

 通話相手の優はそう自信ありげに告げる。

「それじゃ、開始だ」

 この学校の校舎は横に真っすぐ長い四階建てになっている。俺たちは三人づつのチームに別れて校舎一階の両端にいた。チーム分けは俺、明日佳、沙紀ちゃん。優、孝志、春子先生と、運動神経が抜群に良い明日佳と優がうまく別れる形となった。

「作戦通りに」

 制服が汚れることを配慮して腰は下ろさずにいた二人が頷いたのを確認し、俺は窓から外に出る。上履きのままだがこの際気にせず、低くなり校舎に沿うように進む。作戦は、俺を完全に鉄砲玉、つまり玉砕覚悟で敵陣へ突っ込ませる。その際討ち取る目標は向こうのブレインである優。身体能力に大きな差があるとはいえ、玉砕覚悟なら相討ちまで持っていけるはずだ。その間に明日佳と沙紀ちゃんが時間差で奇襲という形になる。本来、優と対峙するのは沙紀ちゃんにやってもらいたかったが。

『優を撃ちたくないし、お姉さまと離れたくありませんお願いします、本当にお願いします』

『うん、いいよ。そんなにグイグイ来られると断れない』

 ということがあり、俺がこうして相手側に気付かれないよう接近しているわけだ。まぁ実際、水鉄砲を構える沙紀ちゃんは春子先生以上に様になってなかったし、それなら明日佳と一緒に行動してくれた方が安心でもある。

「ん? 雨か?」

 水滴が近くの葉っぱに辺り音を立てる。だが、空を見ずとも強い日差しが射す今、頭上に雨雲などないことは理解できて。

「――んなわけねぇ!!」

 全力で横に跳ね、そのまま転がるように木の下に身を隠す。その次の瞬間、さっきまで俺がいた位置にピシャリと音を立てて水滴が落ちてきた。

「あんの野郎……」

 上を見上げると、孝志の厭らしい笑顔が葉っぱの間から見えた。始まってすぐさま孝志は三階へ駆け上がり、上から外に出ている俺を狙い撃ちしてきたのだ。当たらなかったのは一階から三階までの距離があり、水が風に流されたからだろう。そういった偶然がなければ、今ので俺は討ち取られていた。

(気付かれてたか……!)

 優のことだ。俺の行動を予測して孝志を動かした。そうしなければ孝志は敵陣に何も考えず突っ込み、速攻で顔面撃ち抜かれて終わっていたはずだ。

(ならっ―――!)

「明日佳っ! 馬鹿は三階!!」

「ちっ」

 孝志が顔を苦々しく歪め、窓から姿を消す。そもそも不意打ちを外した孝志にはもう退路しか残されていなかった。場所を知られたスナイパーはもう攻撃に移れない。言うまでもないことだが、孝志は頭が悪い。やることなすこと裏目に出て痛い目をみることが日々の大半だ。だが、それは孝志自身が自分で考えたことの末。まともな思考回路を持つ指示があれば、孝志は優秀な駒になる。

 俺は植木に隠れ、一切身動きを取らず待ち続ける。そして案の定、孝志は俺たち側のスタート地点近くの階段を駆け下りてきた。

「明日佳っ、沙紀ちゃん! 二人とも今だ!」

 植木に身を隠したまま、俺はそう叫ぶ。姿は見えず、俺の声だけは聞こえた孝志は周囲を慌てて見渡すが、明日佳と沙紀ちゃんの姿は見えない。その混乱に乗じて、俺はすぐに植木から姿を出して孝志の横顔を狙い撃ち、

「ずおっ!?」

 見事こめかみに命中した。

「いやー、こうも予想通りだと逆に恐くなるな」

「え、あれ? 沙紀ちゃんと明日佳ちゃんは?」

「ここにはいねぇよ」

 既に二人は敵陣へと足を進めている。

「だって、おまえ、馬鹿は三階って……」

「残念。ありゃハッタリだ。というか自分が馬鹿と呼ばれてるって自覚してるのな……」

 俺は二人には「作戦通り」としか言ってない。それはつまり、「途中俺が何を言っても作戦通りに行動する」という意味になる。

「で、ついでにもう一つハッタリ」

 後ろに振り向き、人が一人隠れるぐらい余裕のある植木の傍に銃口を向け、言い放つ。

「出てこいよ、優」

「……気付いてたんだ」

「うおわぉっ!!」

「……なんで直樹が驚いてるのさ」

「いや……まさか本当にいるとは思わなかったので……」

「本当にハッタリだったんだ!?」

「……は、はっ! そんなわけないだろ気付いてたって! 俺にかかればそのくらい造作もないって!」

「いやぁもう無理だと思うよ。目泳ぎまくってるよ」

 ああそうだとも、内心驚いたさ。一瞬息止まったもん。気を取り直し、ゲームに意識を向ける。

「それより、いいのか? 春子先生を一人にして。明日佳と沙紀ちゃんが向かってるぞ?」

「ああ、問題ないよ」

 言葉に含まれた自信に反して、優は苦笑いを浮かべていた。

「うん、大丈夫だろうね。僕も自分の目を疑ったけど」

「……何の話だ?」

「別に」

 銃口が向けられる。一瞬で走る緊張感に体が硬直する。

「今、ここで僕に倒される直樹には関係ない話だよ」

「………………」

 さて、これは困ったことになった。不意打ちで勝てるかどうかだってのに。面と向かって勝負になるのか?

「さぁな、どうなるかはわからないぜ?」

 不安を表に出さず、顔には笑みを浮かべておく。互いに向き合う銃口。なんでもいい。何か音さえ上がればそれが開幕の合図になる。


「へ~くしょい!!」


 孝志のくしゃみを合図に、互いに横に動きながらトリガーを引く。

(さ、様にならねぇ……!)

 気を取り直すかのように撃ち合う。距離を詰めようと向かってくる優に対し、牽制の射撃を何発か続けざまに打ち続ける。照準すら合わせてないめちゃくちゃな弾道でも、当たりさえすれば勝ちなのだ。短期決戦を仕掛けようとする優を足止め出来ればいい。幸いにも水流はしっかりと優に向けて放たれ、それを警戒した優の接近を止められた。とにかく今は、距離を置くしかない。正攻法は間違いなく負ける。腰程の高さで連なる植木を飛び越え、身を隠した。青々と茂った葉っぱが水を妨げてくれるだろうと、ようやく一息吐ける状況に辿り着き、安堵の息が漏れる。が、悠長に構えていられる時間はない。とはいえ、真っ正面から撃ち合ったところでまず地力の差がある。武器はお互い同じ物なのだから差も埋めようがない。

 だったら頭を使うまで!

「今だ沙紀ちゃん!!」

 叫びながら優に銃口を――

「無駄だよ」

 ――向ける前に向けられていた。

「くっ」

 咄嗟に首を曲げ、すでに向かってきた水を避けられた。もちろんただの一発で済むわけがない。二筋三筋と水が線となり襲い掛かる。

「少しは動揺しろよっ」

「だって沙紀は、ゲームでも僕を撃てるとは思えないからね」

「ごもっともだよこのバカップル!!」

 多少予想はしていたが、下手な小細工は優には通用にしない。逆手に取られて利用されるぐらいだ。だが、このまま小細工を続けなければ、押し切られて負けるだけ。

(どうする……)

 水鉄砲と実銃の違いは大きい。まず弾が違う。実弾は真っすぐに、直線の動きしかしない。それはつまり、発射角度さえわかれば避けられるということだ。もちろん、言うほど簡単なことではないが。

 だが、水鉄砲は違う。弾は水。つまり流動する形のないものだ。言うなれば曲線の動きをする弾道を予測することは難しい。銃口を動かせば、トリガーを引き切る間は柔軟に動き回る、さながら鞭のような弾道を避けるには大きく動かなければならない。

(鞭、か……)

 一つ、方法を思いつく。

(できるか? 優や明日佳はともかく、俺に……)

 けど、これ以外良い方法が思い浮かばない。これが俺にできる最善の方法だとしか思えない。

「やるしかない、か……」

 覚悟を決める。どうせこのままじゃジリ貧だ。だったらここで、起死回生ってやつを見せてやる。


*


 右、左、上、下。

 あまりにも見当違いの方向へ放物線を描く弾道に、優は疑問を懐く。

(おかしい)

 先程から直樹は、姿を現しては照準もロクに合わせず発砲し、隠れるという弾を無駄にしていると言っても過言ではない行動を繰り返している。

(水だって無限じゃない。このままだと弾切れになる……そうやって油断させてる? 実はあの位置で水源、補給所を確保してる? いや、そんなわけがない。あの場所はただ植木が並んであるだけだ。なら、この行動の意味はなんだ?)

 水鉄砲は圧力を利用して水を噴射させている。当然、中の水の量が減れば減るだけ威力は落ちる。残弾を減らすメリットなどないのだ。

(それなのに、こんなデタラメな……いや、違う。デタラメなんかじゃない!)

 今までの弾道を思い出す。驚異的な記憶力を持つ優には簡単なことだ。

(右、上、左、下、左、左、上、左、左、右、上……いや左、上、左、左、右、左)

 思い返すと明らかに偏った弾道であったことに気づいた優は、自分の位置を確認する。直樹を中心とした直線上、優と孝志をその両端に置いた形。優が今立つ位置は、直樹よりもずっと校舎から離れていた。

(狙いは孝志の銃かっ!)

 倒れた者の銃を使うことは禁止されていない。先に打ち倒された孝志の銃は地面に放られている。それを、直樹は狙っていたのだ。そして校舎の中に入れば水源の確保も外にいるよりはずっと簡単だ。

(気付かれずに誘導させ、その上弾切れを見せ掛け油断を誘う。さすがだよ直樹。やっぱりおまえはすごい。けどっ!)

 タネの割れたマジックは只の技巧に成り果てる。ならば、崩すことなど容易い。植木に隠れて孝志の銃を取りに校舎に戻るタイミングを計ってるであろう直樹に、優が瞬時に肉薄する。

(取った!)

 それは、決して油断ではなく、また慢心でもない。純然たる優利への確信。それだけだった。

「―――――え?」

 だから、優はすぐに反応できない。植木から飛び出した直樹が校舎へと向かわず、逆に優の元へと跳び出してきたことに。

「くっ」

 反射に近い動作でトリガーを引く、それでも弾道は確かに直樹を捕らえた。

「うおぉ!」

 だが、直樹はそれを転ぶように前のめりに避けた。

 ――――否。それは回避ではなく。

 ただ一撃への動作に過ぎない。


*


 俺の横髪から水が垂れる。数秒の沈黙の後、優が深くため息を吐いた。

「やられたよ」

 両手を上げた優の胸元は、確かに濡れていた。それをしっかりと見て、ようやく体から緊張が抜ける。

「……はぁぁ」

 思わず仰向けになる。制服が汚れるがそんなこと気にする余裕もない。

「な、何がどうなったんだ?」

 勝敗が決したことを確認して、孝志が校舎から出てきた。もう誰もが内履きであることを忘れてるが、まぁもう今さらだろう。

「あー……それはだな」

「僕が説明してもいい?」

「頼む、俺はちょっと休む」

 頭も体も使い過ぎた。手足に力が入るようになるまで時間がいる。

「まず直樹は僕を孝志と自分を挟んだ直線になるよう誘導した。それはわかってた?」

「いや」

「……だろうね。僕はそこで騙されたんだ」

「騙された?」

「うん。直樹は最初から孝志の銃を狙ってなかったんだ。直線に並べたのは僕を騙す罠だった。まさか弾切れに近い状態で挑むとは思えなかったからね。僕は好機と勘違いした。けれど、直樹がもう弾切れ間近なのは変わらない。だから僕も油断したんだ」

「油断?」

「うん。水鉄砲は圧力を利用して水を発射させるから、中の水が少なければその分威力は下がるんだ。飛距離も減るし、避けるのも容易くなっていく」

「へ~」

「……なんだか孝志に説明するの疲れるな。本気で何もかも理解してなさそうだし」

 うん。だから説明を放棄して優に任せました。

「つまり、直樹は僕に二重の罠を仕掛けたんだ。一つは全く実行する気がないのに、孝志の銃を取るため僕を誘導すること。しかもそれが弾切れのフリにもなっている。そして最後、直樹は水鉄砲ならではの切り札を最後に使ってきた」

「切り札?」

 ……孝志、おまえさっきから質問してばっかりだな。

「遠心力だよ。最後、直樹が僕を撃った時のことを覚えてる?」

「確かコケそうになって、なりふり構わず腕を振って撃ったらたまたま当たったような……」

「あれは遠心力を利用して弾に威力を乗せたんだ。銃の噴射口に水を溜めて撃つ。その方法なら残り少ない水量でも十分な速度になる。転びそうになったのは勢いを乗せるのと、僕の攻撃をかわすのを兼ねていたんだ」

「はぁ~……すげぇな直樹」

「実際綱渡りだったよ。細かい小細工をいくつか繋げただけで」

 そう、本当に綱渡りだった。俺が仕掛けた罠は全部、優が気付いて初めて効果のあるものばかりだ。優自身の頭の回転の早さがなければ成功しない。

「いや、でも完敗だ。完敗」

 制服が汚れることも構わず、優もゴロンと寝転がった。負けたというのに、その表情は晴れやかだ。

「早く君河さんの所へ行きなよ。なんだったら僕のも持ってく?」

 下投げで飛んできた水鉄砲を受け取り、俺は立ち上がった。

「至れり尽くせりだな。けど別にいらねぇよ。残りは春子先生だけだ。いや、もしかしたらもう終わってるかもな」

「いや、それはないな」

「なんでだよ。沙紀ちゃんだけならともかく、明日佳がいるんだぞ。春子先生なんかとっくに蜂の巣になってたっておかしくない」

「……蜂の巣の春子先生って、濡れまくりじゃねえか! エッロエロだなへぶしっ!」

「あ、今ので全部なくなった」

 いつものごとく孝志がトチ狂ったので、容赦なく顔面を撃ち抜いてやった。鼻に入ったようで程良く苦しんでおります。

「いいから、早く行った方がいい」

「……わかった」

 理由はわからないが、優の目は冗談を言ってるようには見えない。そもそもあまり冗談を言う奴でもないんだ。なら、この忠告は素直に受けておいた方が良い。

「じゃあな。中々楽しかった」

「ああ、僕もだ」

 互いに不適な笑みを浮かべ、俺は優と孝志の銃を懐に入れて走り出す。

「……なぁ」

「何?」

「オレたち、天文部だよな?」

「……言うなよ」

 ……聞こえてきた会話の内容に、特に言及はしないでおこう。


*


「何、これ」

 茫然と呟く沙紀の言葉は、水音と上履きが床を擦る音にかき消される。

 それは、まるで舞踏のよう。それでいて、児戯のようでもある。ワルツは時に優雅に、しなやかに。時に激しく、荒々しく。

 明日佳と、春子は。互いにパートナーなど気にしない、無遠慮な足取りでリズムを刻む。

「……まったく衰えてませんね、『冷笑(れいしょう)の狩人(かりうど)』」

「前から思ってたけど、その二つ名可愛くないよ。狩人じゃなくてもっと可愛いのがいい。ウサギとか」

「見た目だけならそうですけどね」

 そう言葉を交わしながらも、銃口はブレない。互いを捕らえ、凶弾を交わす。水流は弧を描き、線を描き、相手への攻撃としては余りにも優雅な程に。

「明日佳ちゃんだって。『静焉(せいえん)の黒獅子(くろじし)』の名通りだよ」

「否定はしません」

 明日佳が獰猛に喉笛に食らい付く獅子ならば、春子は悠然と構える狩人だ。攻め手は必ず明日佳から。縦横に動き回りながら銃弾を浴びせる。もちろん一つ一つが的確な狙い。

 だが、狩人には当たらない。

「相変わらず、明日佳ちゃんは素直だよね。どこに撃つか、どう動くか。見てればわかっちゃうよ」

「……簡単に言わないでください」

 先程直樹がしたように、ただ狙いを定めた曲線ではなく、『鞭』の攻撃も加えている。それさえも春子は予測し身をくねらせ、跳び、躱す。その上隙を見ては的確な狙いで明日佳を襲う。

 どちらが優勢か。その光景をただ黙って見ることしかできない沙紀でさえ、理解できる。

「そろそろ、かな」

「くっ……」

 明日佳の放った水流は失速して春子に届かない。もう弾切れが近いのだ。加えるべき圧力が足らなければ銃弾の役割を果たせない。だが、水を補充する隙など狩人は許さない。後退した瞬間、水流は明日佳の頭、胸どちらでも容易く撃ち抜くだろう。とはいえ、このままでは状況は好転しない。ズルズルと敗北へと進むだけだ。


「受け取れえぇぇぇ!!」


 だから迷わず、明日香はその声に反応した。


*


「えー、え、えぇー……」

 何これー! 何これー!? なんか春子先生が縦横無尽かつ俊敏に動き回ってるし明日佳が押されてるし沙紀ちゃんはビデオ回してるしで何これー!?

 目の前で繰り広げられる光景を信じられない。っていうかCGですか? なんか二人ともアクション映画みたいな動きしてるし。まず春子先生が春子先生じゃない。誰だあんた。

「えー……げんじ……いや、でも……現実…………かなぁ」

 なんだか途端にフィクションの世界に迷い込んだかのような……いや、確かにこれなら優の言ってたことも納得できるけど。

「うぉっ、バク転して避けた!? ええええ壁走り!? そのまま空中一回転したー!!――――でもパンツは見えないってなんだよ!!」

 妙なところで憤慨しつつも、現状の把握に努める。

「あーそういや春子先生も孤児院出身なんだから、サバゲー経験あってもおかしくないか……いや、そういう問題でもないような」

 しっかし、まさかあの明日佳が押されるとは……でも、なんだろう。見てればわかる。春子先生の方が上手だ。身体能力なら明日佳の方が断然上のようだけど。経験、場数が違うというか、春子先生の方が慣れているように見える。明らかに押されていて、このままだと明日佳が負けるって俺でも理解できる。

 それでも、なんだか。

「くっ」

「ほらほら頑張ってー」

「――――馬鹿にしないでください!」

 楽しそうに見えるんだ。笑ってなんかないし、言動だって明らかに怒ってる。それでも、楽しそうに見えるんだ。

「このまま終わらせるのは、もったいないよな……」

 だから、俺は。

「受け取れえぇぇぇ!!」

 孝志と優の二丁の銃を、明日佳へ向けて放り投げた。

「っ!」

 それに気づいた明日佳は、今まで使っていた銃を春子先生に向けて水平に投げる。もちろん、当てるつもりのない牽制の投擲。

「わっ」

 たとえ当たったとしてもそれで敗北にはならない。けど反射的に避けてしまう。その隙を、明日佳は逃さない。両腕を上げ、下ろせば。


 すでに双銃の引き金に指をかけている。


「わっ、わわっ」

 明日佳の容赦ない攻撃を寸でのところで躱しながら後退し、春子先生は空き教室へ入っていった。

「ほぼ作戦通りだな」

「……生きてたのね」

「なぁに、俺が本気を出しゃこんなもんですよ」

「チッ」

「舌打ちした!?」

 一応、窮地から救ったのに……いや、明日佳らしいけどさ。

「で、どう? 俺が加わって勝てる?」

「一人でも勝てる」

「言うと思った」

 ロクに話もせずに攻撃に転ずる。空き教室に同時に飛び込み、すぐさまトリガーを連続で引く。横殴りの雨のように襲い掛かる水流を春子先生は難なく掻い潜り、教室を飛び出した。

「……なんなんだあの人」

「ボサッとしない。追うわよ」

 好戦的な明日佳の後に続き、俺も教室を出る。廊下には春子先生が銃を構えたまま、薄っすらと笑みを浮かべて立っていた。

「どう? わたしも結構やるでしょ?」

「ええ、まぁ……というか、どうしてあなたたち、こんな極端にレベル高いんですか」

「わたしたちが育ったところでは、この遊びが普通だったからね」

「……遊びってレベルじゃないでしょう」

「お喋りしてる暇はないわよ」

「いやだから明日佳もどうしてそんなノッてるの!? 目つきが完全に戦士のそれだよ!?」

 孤児院という名のソルジャー養成施設って冗談のつもりで言ってたけど、これはあながち間違ってないんじゃ……。

「……明日佳ちゃん、楽しい?」

 微笑んだ春子先生が、明日佳にそう問いかける。

「…………」

 その問いに、明日佳は答えなかった。答えようと、口を開こうとはしていたのに。言葉が、答えが、出てこなかった。それでも、春子先生は満足したかのように、深く頷いて。

「それじゃあ、始めるね」

 その笑顔のまま、トリガーを引いてくる。飛び出た水流は俺と明日佳を分断するかのように、ちょうど間に入り込んだ。俺たちも反撃を開始する。廊下や空き教室の机を遮蔽物として利用し、時には窓から外へと飛び出し、春子先生は巧みに俺たちの猛攻を掻い潜る。もちろん反撃は忘れていない、が、明日佳を撃とうとすれば俺がいる。俺を撃とうとすれば明日佳がいる。両方攻撃の姿勢でありながら、それが結果的に防御にもなっている。俺が加わることで春子先生に行動の制限がかかるようになった。

「うーん、やっぱり二対一は卑怯だよー」

「卑怯もなにも、それでも良い勝負しといて何を言ってるんですか」

 実際俺が加わることで初めて戦況は均衡になった。会話しながらも引き金を引き、水流を交し合う。

「直樹くんは捻くれてるから……難しい」

「捻くれてなんかないですよ。超素直です」

 驚くべきことに、春子先生は銃口の角度や向きで弾道を予測していたようだ。確かに明日佳は身体能力をフルに活用した……悪く言えば猪突猛進な戦い方だから尚のこと読みやすいらしい。

 なら、それを逆手に取った戦いをしていく。

「そりゃ!」

 腕を振る袈裟切りの動き、けど、トリガーには指をかけるだけで、引きはしない。

「――っ!」

 弾道を予測する故に更に効果を発揮するフェイント。それを織り交ぜた攻撃を繰り返す。そうしてできた隙に食らいつくように明日佳が距離を詰めていく。

「さぁ先生、そろそろ弾切れじゃないですか?」

 満タンの状態に回復した明日佳とは違い、春子先生は一つの銃を使い続けている。いくら使用回数を抑えたピンポイントな射撃とはいえ、水は切れるはずだ。

「二人とも、良いコンビだよね」

「そりゃ恋人同士ですからうおっ! 俺を撃つなよ!」

「そうは見えないけど……まぁ、うん。それなら」

 春子先生の目から、柔和そうな雰囲気が消え去る。


「もう少し本気を出すよ」


「――え?」

 一瞬。春子先生が何をしたのかわからなかった。遅れて感じる、手に持っていた物の消失感……春子先生の投げた銃が俺の銃を弾いた?

「ボサっとしないで!!」

「くっ!」

 咄嗟に手を伸ばすが、既に春子先生は二つの銃の落下地点へ移動していた。俺の銃を掴み、明日佳からの銃弾の雨を掻い潜り再度距離を取る。

「どうだっ! えっへん!」

「……だから何者なんだよ、あんたら」

 今日だけで春子先生のイメージが百八十度変わった気がする。

「形勢逆転、だよね?」

「………………」

 ああ……明日佳の視線が痛い。けどさ、あれは仕方ないと思うんだよ。春子先生の手には満杯ではないにしろ、まだまだ残弾は多く残っている。明日佳も二丁持ってはいるが、残弾も少ない。どうする。さっきみたいに遠心力を利用した攻撃をするか?……いや、もう一度やってできる気がしない。さっきだってほとんど偶然だった。それに相手は優より数段上。分が悪すぎる。

「……明日佳」

「なに?」

「一瞬……にもなるかわからないけど、隙を作る方法がある。成功する確率、ないに等しいけど」

「……いいわ。それで行く」

「よし、なら続けっ」

 真っすぐ、ただ真っすぐに突進する。

「っ!」

 当然春子先生はそれを許容するわけがない。極めて冷静に照準を合わせる。

 だが、それは丸腰の俺にではなく。それ以上の驚異、明日佳に向けて。曲線は狂いなく明日佳へ向かう。それを俺は。

「わぷっ」

 顔で、受けた。

「えっ――――」

 ルールでは、腕や物で防ぐことを禁止しているだけで。顔で防ぐことは禁止していない!

「っ!」

 隙と呼べるか、それすらもわからない程短い瞬間。それでも明日佳は逃さず、引き金を引く。

 そして――――




・君河明日佳


(……というか、何をしているんだ私は)

 遊びと言われて、これしか思い浮かばなかった。孤児院で無理矢理やらされていたゲーム。

 楽しいなどと、思ったことは一度もない。ただ、負けることは嫌いで、早く勝てばそれだけ早く終わる。だから特訓した。

 早く解放されたかったから。

(それなのに……どうして私は今、こうしているのだろう)

 自分に問うても、答えは返らない。

(楽しかった、のだろうか)

 嫌々しているものだと思っていたはずなのに。今の私は、このゲームを楽しんでいるのだろうか。

 ……楽しいから、知ってるだけの、無難な遊びを選ばずに、このゲームの名を書いたのだろうか。

(わからない……けど)

 不覚にも、笑いそうになっている自分がいるのに、今更気づいて。

 ああ、私は、楽しんでいるんだな、と。ようやく、認めることができた気がした。




・涼森直樹


「……惜しかったね」

 水の滴る音は両方からした。明日佳の顔から、そして春子先生の髪の先から滴る音が。

 最後の瞬間、春子先生は俺と同じことをした。回避の動作と攻撃が合わさった、鞭の攻撃……こうも見事に負けると、いっそ清々しい。優もこんな気持ちだったのかもしれない。結果は負けでも、心にある充足感は心地よいものだった。

「……負けました」

 そう言って顔を拭う明日佳の表情にも、悔しさなんて微塵も見えない。

「さて、残るは沙紀ちゃんだけだね」

「う……」

 ずっと廊下の隅で蹲り、隠れていた沙紀ちゃんに春子先生が向き直る。とても可愛らしい笑顔ではあるが、その笑顔のまま繰り出された人間場慣れした動きの数々をしっかり見ていた沙紀ちゃんにとっては、そんな可愛らしさなど微塵も関係ないだろう。水鉄砲を向けられているだけなのに、ガクガクと震えている。

「大丈夫よ。ちょっと濡れるだけだから――」

 廊下の材質の特徴として、濡れていると良く滑る、といったものがある。

「………………」

「………………」

「………………」

 コケた。

 最後の最後で、濡れた廊下に足を滑らせて。

 コケた。

「えっと…………」

「………………」

「…………えい」

 沙紀ちゃんの持つ水鉄砲から放たれた水は、春子先生の頭に当たって。

 こうして、第二天文部によるチーム対抗サバイバルゲームは、非常にマヌケな形で幕を閉じた。


*


「うぅ~~、先生なのに~」

「先生だろうが負けは負けです。キビキビ拭いてください」

 さすがにあちこちビショ濡れにしたまま帰るわけにもいかないので、負けたチームの罰ゲーム。後始末を実行中です。

「向こうは終わったよ。あとはここだけ?」

 バケツと雑巾を持った優と孝志が戻ってきた。

「ああ。って、ずいぶん早いな」

「勝敗関係なく後始末はするつもりだったからね。やっておいたんだよ」

「それはまた、殊勝な心がけだな」

「だって。沙紀が辛い思いをしてるのを、僕が黙って見ていられるはずがないだろ?」

「優……」

「沙紀……」

「……直樹、銃貸せ。こいつらの熱冷ましてやる」

「気持ちはわかるが落ち着け。もう片付けた」

「いいなぁ……智くん中々ああいうこと言ってくれないんだもん」

「……まぁ、あんな台詞を言う智明さんを想像出来ませんね」

 もう全部後始末はラブフィールド形成してる二人に任せちゃいたいな……ダメかなぁ……。

 結局、いつまでたっても帰ってこない二人を期待しててもしょうがないので、全員で後始末をし、部室に集まった。

「ふぅ~疲れたぁ~」

 だらーん、と効果音が鳴ってもおかしくない程机に突っぷす。そんなだらしない様子を咎める人もいない。みんな同じくらい疲れていた。

「久々に本気出したから……疲れた……」

 春子先生は俺よりだらしない。そのままよだれ垂らして寝そうだ。

「最初はどうなるかと思ったけど、面白かったね」

 優の言葉に、明日佳以外の面々が心から頷く。

「面白いと思う前に終わったからなー、悔しさだけが残ってるというか」

「またやればいいだろ。な? 明日佳」

「そうね」

 ……なんだか、妙に明日佳が素直だ。よく見れば微笑んでいるような……。

「楽しかったか?」

「……ええ」

 一度、諦めたような、仕方ないなと言うような、そんなため息を吐いて。

「楽しかったわ」

 これまで見たことがないくらいの、心からの笑みを、明日佳は浮かべた。

『…………………………………………』

「な、何? どうしたの」


『可愛ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』


 部室内で、かつてない程の大絶叫が響き渡った。

「え?」

「うおぉぉ!! これが萌えか!? 萌えってやつなのか!!」

「わー! わー! 今の明日佳ちゃんすっごい可愛かった! わー! わー!」

「今のは……うん、すごかった……まだ心臓ドキドキしてる……」

「…………はふぅ」

 崩れ落ちる沙紀ちゃんを支えている優が言った通り、俺も心臓がドキドキしてる。いや、そりゃ笑ったら可愛いとは思ってたけどさ! 普段口元をニヤリと上げて悪役のように笑うだけだからギャップがすごい。織田信長がホトトギスの鳴き声を「まだかな、まだかなー」とか言いながらじっと待ってるぐらいギャップだ。ああああ思考がまとまらなすぎて例えもよくわからんものに!

「落ち着けー。すぅ、はぁ。すぅ、はぁ」

「ねぇ、私何かおかしなこと言った? みんなの目付きが……なんだか血走ってるのだけど」

「い、いや! 別に可笑しなことなんて言ってないぞ! 可愛かったけど!」

「は?」

 思わずいらないことを……そういや漢字で書くと似てるなー。可笑しいと可愛いって。ってまだ混乱してますねこの脳みそ。

「ね、ねぇ明日佳ちゃん」

「な、なんですか?」

 春子先生が息を荒げながら明日佳に近付く。が、明日佳はその分顔を引きつかせながら距離を取る。まぁあれだけ血走った目で近づかれちゃ、対人恐怖症関係なく恐いだろう。

「もう一回! もう一回笑って!」

「笑ってって……誰が」

「明日佳ちゃんだよ! さっきの笑顔すっごく可愛かった!」

「私が、笑った?」

 明日佳のその疑問に、皆が頷いた。そして俺にも無言で、同じ疑問を向ける。本当に私は笑ったのか、と。

 だから俺は。

「そうだよ。おまえは、笑った」

 そう、答えた。

「私が……笑った……」

 呆然としながら、そう呟いた明日佳は。

「~~~~~~っっ!!」

 今更になって、顔を真っ赤にして恥ずかしがり出した。

『……か』


『可愛えええええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!』


「わ、私は笑ってなんかいません!」


『ムキになって否定してるのも可愛ええええぇぇぇぇぇ!!』


 そろそろうるさ過ぎて、他の部活動や先生方から苦情が来るかもしれませんが、そんなことどうでもよくなるぐらい可愛いんですよ。

「あぁ可愛いよ……明日佳ちゃん可愛いよ……」

「え? なにこの動悸? ラブゆえに? え? ラブがこの胸ではしゃぎ回るゆえに?」

「優……あと……お願い……ガク」

「ちょ、沙紀!? ビデオカメラ渡されてお願いってどういうこと!?」

「だからっ、私は笑ってなんかいません!!」


*


「笑ってなんかないから」

「まだ言うんかい」

 部活も終わり、まだ仕事のある春子先生を残して下校中。優たちと別れ、二人になってから初めて口を開いたかと思えば……。

「笑ってたよ、なんだったら沙紀ちゃんが撮った映像見せてもらえよ」

「それはもう消したから無理」

「ああ……だから沙紀ちゃんあんなボロ泣きしてたんだ……」

 ビデオカメラを抱き締めながら泣いてたから、何事かと思ったけど、そういうことか。

「……そんなに、自分が笑っていたことが信じられないか?」

「……ええ」

「そっか」

 笑うとは、実はすごく難しいことだと思う。人は楽しいことや嬉しいことがあるから笑うのではない。例えば、仕事が楽しいと言う人がいる。けど彼(彼女)は仕事中なのだから決して笑わず、ただ黙々と作業を続ける。街中で一人で歩いてる人がニッコニコ笑ってたら不気味に思われるというように。笑うってことは安心や信頼、そして周囲の許可があって初めて行えるものだ。

 今日、明日佳は確かに笑った。俺たちは最初から明日佳を受け入れ、笑うことの許可をしている。そしてついに今日、明日佳は安心と信頼を胸に、笑顔を浮かべた。

「みんなのこと、好きか?」

「……ええ、そうね。みんな、良い人よ」

「そっか。よかったな」

「……うん」

 素直な、本当に素直な女の子のように。はにかみながら、頷いた。その仕草や、表情が嬉しくて。内心舞い上がっていた俺は気付かなかったんだ。明日佳の携帯に届いた着信にも。

 そして。

 明日佳の表情が、まったく逆の感情に彩られたことに。ほら、人間なんてこんなものなんだ、と。

 そう、語っていることに。




・君河明日佳


 最初は、ただの話相手になれればいいと思ってた。その小さな体に溜め込まれた不安を、痛みを、苦しみを少しでも和らげてあげれればと。それがいつしか、この子の痛みは私が抱えたものよりも大きく、より悪質なものだと知った時。何かを、したいと思ったんだ。

「けど、何ができるの」

 部屋のベットの隅、子どものように蹲りながら呟く。まだ真新しい携帯の画面にはあの子から届いたメールの文面が映ってる。子どもらしくない。冷めていて、まるで事務報告のような熱のない文章。

 あの子の両親は離婚寸前の冷えきった夫婦らしい。口を開けば互いの欠点、悪癖を口汚く罵り合う。それでも別れもせず一緒に暮らしてるのは世間体を気にする故と。互いに育て上げる気のない息子を、押しつけ合うから。

 そんなふざけた、嫌悪感の固まりのような事実を、その本人から伝えられた。

「どうすればいいんだろう……」

 わからない……いや。それは、嘘だ。どうすればいいか。私は教わり、身を持って知ったではないか。

「人を、信じなければいい」

 ずっとそれが正解だと信じてた。今も、間違ってはないと思ってる。けど、どうしても。それをあの子に伝えることはできなかった。これまでの日々が、私を揺らして……。

 私は、弱くなったのだろうか。それとも、強くなったのだろうか。そもそも、何をもって強弱を定義するというんだ。

「わからない……」

 そう、わからないことだらけだ。私を迎え入れるこの家も、クラスも、部活も。そして何より、無償で私のために動く彼も。どうしてみんな、私なんかのを受け入れるのかわからない。嫌ではないのだ。むしろ、嬉しい。嬉しく、思ってる。けど、私は何も返せないのに……。

 唐突に鳴り出す、なんの変哲もない着信音。変える方法は知ってるが、私はこの機械的な音が気に入っている。画面を見ると、そこにはあの男の子の名前。メールの内容は、ただ一言。


 助けて。


 そう、書かれていた。




・涼森直樹


「あ~~腹きっつい……」

 今日はいつもより数倍も運動して疲れてたので食欲はモリモリ。調子にのって食べ過ぎてしまった。まぁ、明日佳がうまそうな料理を作るのが悪いよな。うんうん。ペース配分なんて考えてるヒマがあったら一口でも多く食べたくなる。姉さんがいないってのも理由の一つだ。俺たち二人が揃うとおかずの取り合いという一種の戦争になるからな。悠々と食べれる状況はすばらしい。

「……二人きりか」

 姉さんがいないということは、そういうことだ。この広い家で、年端のいかない男女が二人きり。普通ラブコメものだとここらで甘酸っぱいイベントの一つでも起きるんだろうけど……。

「……ないな、ないない」

 うら若き男女が一つ屋根の下だなんて夢のようなシチュエーション。

「だが彼女は対人恐怖症……」

 しかもジャッキー・○ェンも真っ青になりかねないアクションを平気でこなす。命の危険を掻い潜るには、時期尚早にも程がある。そもそもそういうのは同意の上でこそだよね。うんうん。無理やりとか、そういうのはダメ、絶対……同意なんて、いつになるかわかんないけど。

 内心ため息を吐こうとしたその瞬間、ものすごい音を立てて衝撃が部屋に響き渡る。

「なっ、なんだ!?」

 突然鳴り響く足音……か? とにかく部屋を出て音のする方へ向かうと。

「……何してんの?」

 玄関に明日佳がいた。何故か靴を履いてる。すでにドアノブに手をかけていて。

「出かけてくる」

「は?」

 それだけ言って明日佳は勢い良く飛び出した。

「はぁ!? ちょっ、はぁ!?」

 慌てて俺も靴を履き、家を飛び出す―――ってあああ鍵!

「待てって! ああ、くそっ」

 何か盗まれたらごめんなさい!!

「明日佳っ! 少しは説明してけ―――って早っ!?」

 明日佳はまるで黒い突風のように夜の町を駆け抜ける。俺も懸命に足を動かずが、追い付けないままドンドン距離が開いていく。

「っ、くっそ、はっや……」

 必死に足を回転させても一向に届かない。明日佳の体が左に傾く。そのまま勢いを殺さず左へ曲がった。

「――チャンス!!」

 俺は明日佳が曲がった方向へ、一直線の形になるよう、知らないお宅の塀をよじ登り。

「おじゃましまーす! おじゃましましたー!」

 庭を横切ってショートカット!

「追い付いた!!」

 全力で足を動かし、何とか明日佳に並走する。そこでようやく追いかけてくる俺の存在に気づいたのか、目つきを鋭く尖らせ俺を睨んでくる。

「っ、どうして付いて来るのよ!」

「いきなりおまえが飛び出すからだろ! せめて説明ぐらいしてけっ!」

「あなたには関係ないっ!」

「関係ないかはどうかは俺が決める! いいから説明しなさい!」

 走りながら怒鳴り合うから、当然息はそれだけ早く上がる。けど、足を止めたら俺は明日佳に追い付けない。

「……助けてって言われたのよっ」

「誰から!?」

「あの子よ!」

「あの子ってっ、幼稚園で一人でいた!?」

「そう!」

「それはわかったけどっ、助けてってどういうことだよ!?」

「わからないわよっ!!」

 こっちの方が訳わからんわっ! と叫ぶ前に、明日佳が続け様に叫ぶ。

「けど、助けてって言われたの! 助けてって言われたのよっ!!」

「落ち着け! 場所は!? その子が今どこにあるかわかってるのか!?」

「わからない!!」

「なら何で走ってんだよバカ!! いいから止まれ! 落ち着け!」

 次第に足の回転が遅くなり、少し余韻を残しつつ止まる。お互い膝に手を置き、荒々しく息を吐く。

「はぁ……や、闇雲に走って見つかるわけないだろ……」

「でも……じっとなんてしてられない」

「名前は? その子の名前」

「……角瀬、悠哉」

「わかった」

 携帯は……あった。一応ポケットの中に入れておいて良かった。途中で落としたりもせず、本当に良かった。電話をかける相手は、この町で中々の情報量を持つ場所で働いている肉親。

『ムシャムシャなんだ? 仕事中にムシャムシャ、電話してきてムシャムシャ』

「……ムシャムシャ聞こえまくってるからな。絶対なんか食ってるだろ」

『む、バレたか』

 何か食べてる、ということは休憩中なのだろう。だったら尚のこと都合が良い。

「そんなことはどうでもいいんだよ。今病院にいるんだろ? 角瀬悠哉って子のカルテはないか?」

『……この町に住んでる子か?』

「ああ」

『ならあるはずだ。少し待ってろ』

 突拍子もない内容なのに、俺の声色から察したのか、特に言及もない。

「……何をしてるの?」

「待ってろ、すぐわかる」

『あったぞ。おまえがこないだ行った幼稚園の園児で間違いないな?』

「ああ、その子だ」

『で、こんなものを出させてどうしようと―――』

「住所を教えてくれ」

『……あのな、病院に限ることじゃないが守秘義務というものがあってだな』

「知ってる。その上で頼んでるんだ」

『……唐突に院内放送の練習がしたくなってきたな。丁度手元にカルテがあるから、これを読み上げるか』

 ……もう少しマシなごまかしはないのか、とは思ったが口には出さないでおく。おそらく、かなり周囲に気を張りながら姉さんが教えてくれる情報を、必死に頭に叩き込む。……よし、わかる。行ったことがある場所だ。

『……何をするのかわからんが、気を付けろよ』

「もちろん」

『それと交換条件として明日佳の風呂上り姿を父さんの一眼レフで激写――』

 通話を切る。本当に状況をわかった上での発言なのか、我が肉親ながら判断に困る。

「住所、わかったの?」

「ああ、行くぞ。もう関わったからな。今更関係ないなんて言わないよな?」

「……わかってる」

「なら急ごう」

 その子の家は、ここからそう遠くない。


*


 遅すぎたのか。それとも、早すぎたのか。

「いい加減にしてよっ! あなたが全部悪いんじゃない!!」

「そっちこそいい加減にしろ!! 口を開けば養育費だ慰謝料だ! 金のことしか頭にないのか!!」

「仕方ないでしょ! 私一人に押しつけていくんだからお金ぐらい置いて行きなさいよ!!」

「押しつけるんじゃないだろ!? そもそもおまえが欲しいって言ったから産んだんだろうが!! だったら責任持って育てるのが当然だ!!」

「責任はあなたにもあるでしょう!? 私に子育て全部押しつけてっ! 自分は仕事仕事って!!」

「それは関係ないだろっ! ったく、だから言ったんだ! 子どもなんかいらないって!」

 一軒家の住宅の中から響く両親の罵声。糾弾。それを玄関の前にうずくまりながら聞く、子どもの姿。

 これは、なんの冗談だ。

「なん、だよ。これ……」

 怒鳴り声は止まない。聞けば聞くほど耳障りなそれは、俺や明日佳の耳に否応なく飛び込んでくる。頭が痛くなるほどの、ふざけた言葉の数々。

「だったらもっと強く反対すればよかったでしょ!?」

「できるかよ! おまえんとこの親もうちの親も期待してたしさ! 今更子どもなんていりませんだなんて言える空気じゃなかったろ!?」

 歪んでる。生まれてきた命を、生んだ本人たちが否定する。なんだ、なんなんだこれは。

「……お姉ちゃん」

 玄関の段差に腰を下ろし、俯いていた男の子、角瀬悠哉は明日佳に気づき、ゆっくりと顔を上げた。

「……大丈夫?」

 明日佳がそう聞くと、悠哉は……どうしてか、笑顔で首を縦に振る。

「うん」

 嘘だ。平気なわけがない。自分を産んだ本人たちからの否定を、こんな小さな子に耐えられるわけがない。いや、年なんか関係ない。誰にだって、辛すぎる。

「っ……」

 明日佳だってわかってる。だから黙って、その子を抱きしめた。抱き締めて、頭を、胸に抱きかかえたその瞬間、くぐもった嗚咽が聞こえ始める。悠哉の我慢が、崩壊したのだ。俺も明日佳も、何も言えない。頭の中は怒りや、悲しみで一杯で、口を開けば何を言ってしまうかわからなかった。

「……う、うっ…っ……」

 嗚咽を必死に抑えようとする悠哉の髪を明日佳は何度も、何度も撫でた。

「だったらあきらめて子育てに専念してよっ! あなたが仕事に行ってる間どれだけ私が苦労したか知ってる!?」

「また仕事のことを言うか! いい加減にしろよ! 俺だって頑張ったって何度も言ったろ!?」

「頑張ったって何が!? 仕事って言っておいてあの女のところに何度も通ったのが頑張ったってこと!?」

「またその話を……! 終わったことだろ!!」

「そうよね! 終わったことよね! じゃあこないだのあれは何!? また始まったってことじゃないの!?」

「っ! ああうるせぇな!! そうだよ! もうおまえなんかうんざりなんだよ!! だから新しくやり直すことにしたんだっ!!」

「なによそれ……! あなたが喜ぶと思ったからあんな痛い思いをして子どもを産んだのに……!」

「そんなこと頼んでねぇだろ! おまえが勝手に産んだんだ! 俺に責任を押しつけるな!」

「ちょっと待ってよ! それじゃ何? 私一人であの子を育てるの? 養育費も一切なく? そんなの嫌よ! そのやり直す家庭とやらで引き取ってよ!!」

 いったいどっちが、親なんだ? 子どもの髪を優しく撫で続ける明日佳か、扉の向こうで子どもを擦り付け合うあいつらか。

 どっちが、子どもの親として正しいんだ?

「そんなこと無理に決まってるだろ! 第一向こうでだって子どもが産まれんだ! 新しくやり直すってのはそういうことなんだよ!!」

「なっ……! それじゃ何? 私が痛くて痛くて死にそうな思いをしたこともなかったことにするわけ? 何よそれ! ふざけないでよ!」

 明日佳は俺に泣きじゃくる悠哉を預け、立ち上がる。


「そんなことになるならっ、初めから子どもなんて産むんじゃなかった!!」


 一瞬で頭に血が昇る。こいつ今なんて言った?

 今、なんて言った!?

「ふざけ――――」


 俺が叫び上げるよりも早く、扉の蝶番が弾け飛ぶ音が、近隣に響き渡った。


「……明日、香?」

「…………ふざけるな」

「な、なんだおまえは……!」

「ドア……こわ、れて……」

「ふざけるなっ!!」

 今まで口汚く罵り合っていた二人が、明日佳の叫びに怯え、揃って一歩引く。

「あなたたちは……あなたたちは今何と言った!? 産まなきゃよかった……? 何を、何を勝手なことを!!」

 明日佳の拳は、見てわかる程全力で、強く、爪が手のひらに食い込みかねないほど強く、握られていく。

「あなたたちが望んだんでしょう!? 何も考えず、ただ都合のいい未来だけを見て! 来るはずの苦痛や悲しみを無視しただけじゃないか!! 命は産み出すものじゃない、産み出されるものだ! 勝手に望んで、勝手に産んで、勝手に捨てて……あなたたちは何様なのよ!?」

 怒りに震え、拳を震わせ、唇を震わせ、心を、震わせ。

「親なんでしょう!? あなたたちは! いくら自分が望まなくても、子どもが産まれた時点であなたたちは親なんだ!! たとえどんな親でも……子どもは、あなたたちを信じるしかないのに……!」

 涙を流しながら、必死に、声を上げていた。

「どうしてっ、どうしてあなたたちは裏切るんだ!!」

 それはまるで、慟哭だった。声を張り上げて叫ぶ明日佳の姿は幼い女の子のようで。その震える肩を支えられないのが、ひどく、もどかしいぐらいに。声を上げて叫ぶ明日佳の姿は、悲しかった。

「な、なんなんだおまえたちは! 玄関を、壊して……犯罪だぞ! 警察呼ぶからな!」

「……別に、呼んだっていいですよ」

 泣き崩れそうになりそうな明日佳の傍に寄る。震える肩に触れることすらできない。俺は少し顔を近づけ、明日佳に声をかける。

「明日佳、帰ろう。人が集まってきた」

 震えながら俺の服の裾を掴む手を、引いてあげられたらどれだけいいだろう、俺には言葉で促すことしかできない。

「これ以上はきっと……無駄だ」

「おいっ待て!」

「うるさい、それ以上騒ぐと、殺すぞ」

 脅し、のつもりだっただろうか。自分でも、よくわからなかった。ともあれ相手を黙らせることはできた。一度息を深く吐き、冷静に口を開く。

「俺だってさ、キレてんだよ。あんたらをぶん殴りたいし、許されるなら……それ以上のことをしてしまいたい」

 どうして、あんたたちみたいな親が生き残り、子どもを心から愛しきれる、そういう親が死んでしまうケースが存在するのか。そのケースを知っている俺だからこそ、その理不尽を、不条理を、この場で正しくなる。

「けどさ、俺よりも強く怒ってる明日佳が、言葉だけで抑えてるんだ。俺が手をあげるわけにはいかない。第一、あの言葉で何も変わらないなら……殴ったって、どの道終わってるんだよ、あんたら」

 あの言葉を聞いて、何も胸に響くものがなければ、もう期待するだけ無駄だ。

「ああそうそう、ドアは弁償しますよ。涼森って苗字はここいらだとうちだけですからすぐわかります。それじゃ」

 明日佳を連れて家を出る。背後でまだ罵声がしたが、無視して歩く。

「………………」

 玄関の傍で、悠哉が立って俺を見ている。涙は流していない。ジッと、俺と明日佳を見ている。

「おまえは、どうしたい?」

「……ここにいたい」

「……そうか」

 あんな人でなしでも、この子にとっては、代わりのない親なんだ……ふざけてる。

「お姉ちゃん」

「……何?」

 明日佳は不器用に、まだ涙の跡がくっきりと浮かぶ顔で作った笑顔を浮かべる。目の前の男の子を安心させるために浮かべた、必死の作り笑顔。

「ありがとう」

 その笑顔が、たった一言で、崩れた。

「――っ」

「僕、がんばるよ」

「ぁ……ぅ、ごめん、ごめんね……」

 泣き崩れ、謝罪を繰り返す。何もできなくてごめんね。助けられなくてごめんね。何度も、何度も。ごめんねと繰り返す。

「お姉ちゃん……泣かないでよ……僕なら大丈夫だよ」

「ごめんね……ごめんね……ごめん、ね……」

「………………」

 おい。なんなんだ、これは。どうして明日佳が泣かなきゃいけないんだよ。

 顔を上げる。雲のない夜空にはたくさんの星々が見える。俺は溜まった涙が零れないよう、その輝きを眺め続けてた。

 どうすればいいかなんて、わからなかった。


*


「やってくれたな、ほんと……」

「ああ」

 夜勤明けの姉さんの姿にいつもの覇気はない。目にはクマができて、とてもじゃないが数時間前には白衣の天使として働いてたようには思えなかった。いつもはおいしそうな料理が並べられる食卓には、安売りしてあったのを大量に買い置きしてあった安っぽいカップラーメンの空容器しかない。

「電話口で散々ボロクソに言われ、その後夜勤フルアクセルだぞ……おまえは過労であたしを倒れさせたいのか……」

「悪かったってば」

「あまりにもしつこいもんだから、訴えるぞ! って言われて『おうやってみろやぁ!!』と言ってしまったし……」

「おいおい」

「いやもちろん冗談だ。本当は『ええどうぞどうぞやってみてくださいよこの低能さんっ』だ」

「口調丁寧なだけでさっきより喧嘩売ってる!?」

「まぁ実際、裁判起こされたところでどうとでもできるんだが」

「あんたは何者なんだ!?」

「ククク……」

「答えろよぉ!!」

「まぁほんとそんなことはどうでもいい。ドアの弁償代なんてどっから出すんだ?」

 ……明日佳の本気の蹴りで、あのドア、根元からボッキリと壊れていたよな。それどころか、ドア自体も凹んで、歪んでたし。修理というより、新しく買い付けた方が絶対に早い。というか、ああいうドアって幾らぐらいするものなんだ?

「それは……俺の貯金じゃ足りない?」

「足りないだろうな」

「うーん、ならあの国からの慰謝料、まだあるでしょ? あれから出そう」

「……あれは家族の有事の際に使うものだ」

「家族だろ。明日佳は」

 同じ家に住んでいる、だけじゃない。ずっと残してある多額のお金を切り崩してでも、助けようと思えるぐらいには、大事な家族だと、少なくとも俺は思っている。

「……ふぅ、おまえは時々ラブホテルの前で必死になる童貞を思わせる押しの強さを見せるな」

「嫌な例えだなオイ!」

 その具体例を今この場で用いる必要あった!?

「わかった、弁償の件の話はもういい。これだから童貞は……」

「なんでさっきから童貞を推すの!? やめてよっ、思春期のその部分は必要以上に繊細なんだからさ!」

「はいはい童貞乙」

「喧嘩売ってんのかこの女! ぶん殴るぞ!」

「ああいいよほら来いよさぁさぁ! ほら殴ってみろよぉ」

「ああもうあんたはガキかっ!!」

「……いつもの調子が出てきたじゃないか」

 ニヤリと笑う姉の姿を見て、急激に力が抜けて顔をテーブルに押し付ける。

「……はぁ、もっとやり方があるだろう」

「これがあたしのやり方だ。ただし多用すると職場が険悪になるがな」

「ほんと直せよ……」

「無理だ。それより、明日佳はどうだ?」

「ああ、まだ寝て……ないだろうな。部屋にこもってるよ」

「無理もない、か」

 まだ、明日佳は立ち直ってない。昨日からずっと部屋にこもっている。様子を見ようにも鍵が閉められていて、ノックしてもなんら反応はない。食事だけでもと、ドアの前に置いてはいるが、あまり手はつけられていなかった。

「とにかく、おまえは学校に行け」

「いや、今日は休むよ。明日佳のことも心配だし。俺だって一睡もしてないから、眠くてしょうがないし」

「いいから行きなさい。みんな心配してるだろう。ほとんどの人に昨晩のことは知れ渡ってるだろうし」

「田舎じゃないんだし、なんでそんな早く……」

「この町は平和だからな」

「……そゆことね」

 平和な町だからこそ、住人同士の争いは浮き彫りになるってことか。

「わかったよ。明日佳のこと頼んでいいかな」

「あたしは何もしないぞ。それに午後からまた仕事がある」

「傍に誰かいるだけで安心するだろ? あんま神経逆撫でしなきゃ大丈夫だよ」


*


「うっす」

「ああ、おはよ」

 廊下を歩いていると、真っ先に目が合った孝志と挨拶を交わす。教室に入ると視線が一気に集まったような気がした。俺の隣に明日佳がいないことに気付いて、みんなはすぐに目を逸らす……本当に知られてるんだな。

「おはよう、直樹……明日佳さんは?」

「今日は休みだ。聞いてるんだろ?」

「ああ……うん」

「どんな風に聞いた?」

「そうだな~、明日佳ちゃんがドアを壊して、直樹が『殺すぞゴラァ!!』って脅迫しただとか」

 俺はどこのチンピラになったんだ……いやまぁ。近いことは言ったかもしれないけどさ。

「……そんなの丸々信じてるわけじゃないよな」

「まさか、そんなわけないよ」

「あの家は元々評判悪くてな。全部を全部鵜呑みにしてる奴はいねぇよ」

「そうか……」

 俺はともかく。明日佳まで悪く思われるのは嫌だった。確かに明日佳のしたことは立派な犯罪だが、あの子を想っての行動が間違っていたとは思えない。正確には、思いたくない。

「で、本当はどういうことなの?」

「そう、だな……さっきのであながち間違ってはない。基本はな」

「……そう。けど、心配ないよ。僕らはちゃんとわかってる」

「……あんがと」

 この二人だって、驚いただろう。昨日俺たちは確かに笑い合えた瞬間があったのに。そんな、やっと訪れた何でもない、ただの部活だったのに。

 ……明日佳。おまえを、君河明日佳を待ってる人は確かにいるんだよ。

「だからさ、早く出てこいよ」

 明日佳がいる家の方角に向けて、俺はそう呟いた。


*


 当然、授業に集中なんかできなかった。睡眠不足、というのももちろんあるが、頭がボーっとして思考が安定せず、ついついふと気づけば明日佳や、悠哉のことを考えてしまう。幸いにも、授業中は一度も注意されることなく、放課後を迎えることができた。

「今日、部活はどうするの?」

「……やるよ」

「いいのかよ。明日佳ちゃん、家で一人なんだろ?」

「そうだけど。まだ時間が必要だろうから」

 事実、俺が帰ったところで何ができるのだろう。言葉をかけることしか、出来ない。それはもう、散々やったというのに。

「おい、電話鳴ってるぞ」

「あ、ああ」

 ポケットに入れていた携帯から着信音が鳴り出す。マナーモードにすらしてなかったとは、どれだけボーっとしていたんだ。授業中に鳴り出さずに良かった。と安堵しながら携帯の画面を見ると……そこには、病院とだけ書かれていた。

「……もしもし」

『直樹か?』

「そうだけど。また電話代かかるからって病院の電話使って……」

 基本的に自分の携帯ではなく、病院の電話を使って連絡してくる不良ナースめ。

『馬鹿者。仕事中かつ重要な要件だからだ。それより、帰って来い』

「は?」

『話がある。おまえにも、そして明日佳にも関係のある話だ』


*


 もし、「二度あることは三度ある」ということわざが確かなものなら。一度あることも二度あることになるんじゃないか。そう考えた人は、おそらくそれなりの数に昇るだろう。だからといって、それを望んでいたわけでは決してなかった。

「今、なんて言った?」

「……母親が、捕まったそうだ。傷害罪らしい」

 一度聞かされた情報。でも、二度目でも、うまく頭の中に入ってこない。

「……誰を」

「旦那を、だ。幸い軽傷らしい。夫婦喧嘩がエスカレートして包丁を取出し……らしい」

「……悠哉は、子どもはどうなるんだよ」

「母親はまず無理だろう。父親も、親権を放棄したそうだ」

 母親は捕まり、父親は、別の家庭へと逃げた。なら、その子どもが行き着く先なんて。

「あの子は、施設に入れられる」

「……明日佳はもう、知ってるのか?」

「ああ。ドア越しだが、話した」

「――くそっ」

 テーブルに拳を打ち付ける。感情の行き場がわからず、物に当たってしまう。

「憤るのはわかるが、物は壊さないでくれよ?」

「どうしてそんな冷静なんだよ!」

「……冷静じゃなければ何か変わるのか? もうあたしたちにできることなどないんだ。諦めなさい」

「できることはないって……!」

 そんな、諦めの言葉を聞かされて、納得なんてできない。

「俺たちはそうかもしれないけど、あんたは違うだろ!?」

「……あたしに何ができると? あの子を引き取って育てればいいのか?」

「そうすることも姉さんならできるじゃないか! そしたら明日佳だってまた悠哉のために何かできる、俺だって―――」

「なぁ、おまえは誰の願いを叶えようとしてるんだ?」

「そんなの決まってる。俺はあの子の――――」

「違う」

 強い否定の言葉に、続けようとした言葉が止まる。それでも最後まで吐き出そうとする前に、姉さんが口を開く。

「おまえは明日佳と、そして自分の願いだけを叶えようとしている」

 ……なんで、何も言えなくなってるんだよ、俺は。

「おまえは何を勘違いしてるんだ? あの子の願いは、望みは。あたしたちと一緒に暮らすことじゃない。自分の両親と、幸せに暮らすことだ」

「そんなの……もう、叶わないじゃないか」

「……そうだ。あの子の願いは誰も、叶えることはできない」

「………………」

 何も言えなかった。

 失った代わりのないものを求める行為。それはあまりにも愚かで、不様で。

 何より、悲しい。

「これでもまだ、あたしに何かできると言うのか? 無力じゃないと言えるのか?」

「それじゃ、俺たちはどうすればいいんだよ」

「……さぁ、な。自分で考えろ」

 そう吐き捨てて、姉さんは席を立った。

「……あたしだって、教えてもらいたいさ」

 部屋を出る間際に言ったその言葉にも、俺は何も返すことはできなかった。俺だって教えてもらいたいんだって、同調することすら、できなかった。


*



 部屋に戻った俺は電気も点けず、制服のままベットに横たわった。

「……どうすれば、よかったんだろうな」

 わからない。例え過去に戻れてあの子に対して何か別の行動をしても、意味はない。あの子の願いは両親と幸せに暮らすこと。人の気持ちを変えられなければ、ありえない未来。

「くそっ……」

 どれだけ憤りを感じても、変えられない未来。決定事項。運命。そう、割り切ってしまえればどれだけ楽か。何かできたはずだと。明日佳を泣かせない方法があったはずだと。何度も、何度も自問しては、答えは見つからずに終わる。

 ―――いや、方法ならあった。

「……違う。それは、違う」

 確かにその方法なら、うまくいけば誰も悲しまない。たとえ悲しむことになったとしても傷は小さくて済んだ。でも、失うものは、大きい。

 本当に何もかも失うことになるんだ。

 腕で目を覆い、黙って横たわっていると部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「……今は、放っておいてくれよ」

 その音を出したであろう人物、姉さんに言ったつもりだった。

「……そう、なら、いいわ」

 でも、聞こえてきた声は姉さんとは違う、昨日からずっと聞きたかった人物の声で。

「あ、明日佳!?」

「そうだけど……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 部屋は片付いてる……よな。見られて困るものもない……たぶん。

「さっきのは、その、なんでもないんだ。入ってくれ」

 部屋の扉が開く音が聞こえた。明日佳が入って来ている、のだろう。その姿は今の俺には見ることはできなかったが。

「……どうして電気を点けてないの」

「いや、初めては暗い方が明日佳も恥ずかしくないかなって」

 いつもならここで飛び蹴りやら回し蹴りが俺の顔面を狙うはず! すかさずガード!

「……って、あれ?」

 腕で顔をガードしていたのに、いつまで経っても蹴りが飛んで来ない。不思議に思いながら腕を下ろすと、暗闇に慣れてきた視界の中で、微笑む明日佳の姿が見えた。

「……あなたはそうやって、わざと私を怒らせようとして……そうやって、私をみんなの輪に入れようとしてくれてたのよね」

「……いやいや、そんなことないですよ。全ては俺の余りある性欲のため」

「いいのよ、わかってるから」

 そう言いながら、明日佳はベットに座った。俺が手を伸ばせば確かに届く距離に。

「……随分積極的だな。もうこれは同意と判断してもよろしいですかね」

「そんなこと、する気もないくせに」

「……まいったな」

 全部わかっていられてるみたいで、なんだか気恥ずかしい。

「聞いたん、だよな?」

「……うん」

「その……」

 言葉が出ない。下手な慰めなど口にしたところで意味はないことがわかっていて。

「……本当は、あの子を助けられた」

 立てた膝に顔をうずめて、明日佳が呟いた。

「たった、たった一言であの子の悲しみを拭い去ることができたのに……!」

「……それは、違う」

 言葉にしなくたってわかる。明日佳は過去の俺と、同じ答えに辿り着いてしまってる。

「その言葉は救いにはならない。違う悲しみを連れてくるだけだ」

 どちらの悲しみが、重く苦しいのか。それは人によって違うかもしれないけど。

「現におまえは、今も苦しんでるじゃないか」

 誰も信じなければいい。その言葉は確かに、傷を和らげられるかもしれない。けど、そんなものは一時的に過ぎない。別の傷を、どこかに作ってる。そして気づいたときには、何もかも失っている。

「……そう、ね。救いには、ならない」

 わかってた、と。苦笑いを浮かべ、自嘲気味に笑う。そんな笑顔を見たかったわけじゃ、ないのに。

「だったら、どうすればよかったのかな……?」

「明日佳……」

「何かしたいって思ったんだ……こんな私でも、何かできるって思ったんだ……」

 顔を膝に埋めて、それ以上、明日佳は何も言わなかった。泣くことさえ、しなかった。泣きたいはずなのに、泣くことさえ、できなかった。その心の痛みを、曝け出す場所が、なかった。

 ……昔。まだ俺が普通の子どもだった頃を思い出す。悪いことをして叱られた時。辛いこと、悲しいことがあった時。泣いてしまいたくなった時。それを、受け入れてくれる誰かがいた。

 抱き締めてくれる、誰かがいたんだ。

「……明日佳」

 だから今度は、俺が、その誰かになる番だ。

「……何を、してるの」

「……毛布お化け」

 布団の上にあった、厚手の毛布。今の時期には少し暑く、もう今年は使うことはないと思って片付けようと思っていた。それを今、俺は頭から被っている。

「は?」

「毛布お化けだ」

「意味がわからな―――」

「毛布お化けは、文字通りお化けだ」

 誰かを驚かすわけでもない、誰かを呪うわけでもない。

「だから毛布お化けは人じゃない」

 ただ毛布を被っているだけの、人畜無害な、お化けだ。

「人じゃないから、お化けだから、恐くない」

 毛布お化けが腕を広げる。確かに泣ける場所を、広げた。

「……バカ」

 その場所に、そっと彼女を招き入れる。毛布を被っているせいでロクに広げられない腕でも、精一杯、ギリギリまで広げて。そうして、明日佳は俺の腕の中に収まる。その体を毛布越しに強く、強く抱き締める。背中をゆっくり擦ってあげると、嗚咽に混じった、弱く、儚い声が聞こえてきた。

 それはまるで、小さな子どものような泣き声で。

「ぅ、ぅぅ、あぁ……!」

 今までの苦しかったこと、悲しかったことを全て吐き出すような、そんな、叫びだった。毛布越しに、明日佳の頭を撫でる。サラサラとした長い髪を優しく撫で続ける。けど、俺にはその黒髪の滑らかさも、柔らかさも伝わらない。目にすることすら叶わない。ただゴワゴワとした安物の毛布の感触しかない。一センチにも満たない、確かな隔たり。

 本当に、ただなんの障害もなく抱き締められたらどれだけいいだろう。母さんに優しく抱き締められたあの時の気持ちを、教えてあげられたらどれだけいいだろう。でも、それを拒む何かがあるから。俺はただ、毛布越しに明日佳を撫で続けた。ただ、背中を擦ってあげた。

 一センチにも満たない、確かな隔たりを越えて、少しでもこの優しさが伝わるように。

 ただ、抱き締めていた。




・秋宮柊弥


「ふぅ……」

 意識を集中する。自分が二本の足で立っている姿を強くイメージして、急がず、ゆっくりと自己を確定していく。重要なのは、自分のことを考えることだ。自分の過去、培ってきた記憶、思い出。それらを初めから思い返すように、自分を確定させていく。

 ……僕は、秋宮柊弥。ただ一つの望みを叶えるための、ある茶番の主人公。

「はぁ……」

 そうして、僕はこの世界に帰還した。

「こっちは相変わらず、か」

 誰もいない無音の世界。風の音も、小鳥のさえずりも、人の声も何もかも。

「おかえり」

「うわっ」

 驚き、振り返るとゴシック調の綺麗な、お人形のような女の子が腕を組んであからさまに不満げに顔を歪めていた。

「……なんで驚いてるのよ」

「いや、物音一つも立てずに背後に寄られちゃ……誰だってびっくりするよ」

「あらそう、ごめんなさいね」

 彼女はこの世界の唯一の住人。名前はどうやら存在しないらしく、僕は彼女を便宜上「君」と呼んでいる。

「また、一人終わらせてきたんでしょ?」

「なんだかその言い方だと、まるで僕が死神みたいに聞こえるよね」

 僕は本来ならもういない存在だ。本当の僕はとっくに死んでいる。ただ、「最初の」秋宮柊弥の犯した罪を償う、贖罪の塊が、僕だ。

「終わらせてきたよ。今回は『彼女がいるのに他の人を好きになってしまった』って人だったけど」

「……最低ね」

「うん、まぁ……僕もあの身勝手な振る舞いにはイライラしたけど……けど、僕の役目だからね」

 幸せに導く。それが、大切な人の死を繰り返す罰を乗り越えた先にあった、贖罪。

「何て言ったの?」

「あなたがそれで彼女たちを幸せにできると思うなら、迷う必要はないよって」

「……そしたら?」

「オッケー!! って元気にサムズアップした。その後様子を見に行ったら見事に二股してた」

「………………」

 ああ、うん、その目。その冷めた目。僕も元気に二股してる彼を見た時、そんな目をしていたと思うよ。

「ま、それが彼の幸せなんだろうね。二人の女を同時に幸せにしてるオレカッコイイー、みたいな」

「……そうね、幸せにも色々形があるから」

 そう。あり過ぎるのだ。幸せと一言で言っても人によってその意味はかけ離れてる。ある人はお金持ちになれば、ある人は愛する人と共にいれば、ある人は生きていれば。これまでの生活や経験の相違で、具体的な幸せの形は大きく変わる。それこそ、千差万別。全部の幸せを実現するのは、不可能に近い。現に、あの彼の幸せだって、問題が露見せずに関係が続くのであればそれは紛れもなく幸せだ。二人の女性がその状況を受け入れるのなら、それもまた、確かな幸せの形。

 決まった形も、答えもない。そういう幸せというものに、自分なりの言葉と意志で導いていく。

「いつまで、続ければいいのかな……」

「……さぁ、ね。私にもわからないけど、あなたが願いを叶えたいのなら、続けるしかないわ」

「……そうだね」

 やっと掴んだチャンスなんだ。ここで諦めるわけにはいかない。

 暖かい陽気。萌える草木。確かな温度。やわらかい感触。握り返してくる小さな手のひら。やわらかい唇。唖然とした表情。次第に潤む瞳。流れる涙と、咲き誇る花のような笑顔。雪の中、抱き締めあった体、寄せあった頬、消えそうな吐息、最後の笑顔。

 伝えられなかった、想い。

「大丈夫だよ。僕は、僕の願いを叶えてみせるから」

「……そうね、がんばりなさい。応援するわ」

「うん、ありが―――――」

 お礼の言葉が、詰まる。少女の背後。紙に水が滲むように、ジワリと現われた人影に気づいたからだ。

「…………」

 いつのまにか、僕たち以外誰もいないはずの世界に、男の子が一人立っていた。僕が驚いていると、ゆっくりと少女が振り返る。

「あら。ようやく姿を現す気になったのね」

「知り合いなの?」

 見覚えのある男の子。いや、僕にとって、じゃない。別の……そう、最初の秋宮柊弥にとって、見覚えのある、男の子は、僕たちのことを冷めた目で一瞥した後。まるで溶けるように、目の前から消えたいなくなった。

「知り合い、なのかしらね。付き合いは長いけれど。見たのはほんと、いつぶりぐらいかしら」

「どうして……」

 あの男の子を僕は知っている。過去の、「最初の」秋宮柊弥の記憶の中、最後に映るあの姿は。確かに、僕を殺した、あの男の子だった。

「良かったわね、柊弥」

「……何が?」

「あなたの贖罪も、どうやら終わりが近付いてきたみたい」

 そう言う彼女の表情は、どこか、寂しそうに見えて。

「そして、彼の贖罪が、始まるわ」

 どこか遠いところを見るように、哀しげに口にしていた。


ギャグ部分とシリアス部分の差が激しいと自分でも思います。

基本的にふざけた性格をしている人が多いので、これから更にどんどこシリアスになっていきますが、暗い、というわけではないので、気軽に読んでいただけると。

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