四章 2
今回の章はADVゲームでいう「日常パート」なるものもありまして、本格的に切りどころが難しいです。中途半端極まりない部分でぶった切ることもありますが、ご了承ください。
元々この話はゲームシナリオとして考えていました。一章から序章まではサウンドノベル形式で、そしてこの四章からはよく見るギャルゲーのようなADVゲームのようにする予定だったため、本当に会話文が多いです。「……これ小説って名乗っていいの?」とは思われる方もいるかもしれませんが、まぁ開き直って読んでいただければ(身勝手な願望)。
近いうちにキャラクター相関図、みたいなものを作った方がいい気がしてならない。
屋上から教室までの道程を、俺はまるでどこぞの蛇さながらの動きで進んでいく。
「こちら俺。大佐、指示をくれ」
携帯を耳に当ててそれっぽいことを言ってみる。当然、答える者はなし。誰にも電話をかけていないのだから、応答があったら怪奇現象だ。
「虚しいよなぁ、一人でやっても」
とはいえ、隠れないで堂々と歩いていたら我がクラスの包囲網に捕まることは確定だし、かといってただ黙々とスニーキングミッションは嫌だ。
「まぁ、そんなことも言ってらんないか。もう授業も始まるし」
ただでさえ追い掛け回されて昼飯抜きだってのに。これ以上無駄な動きして体力減らすのも馬鹿らしいし。
「さっさと戻る――――ってうおっ!?」
突然手に持っていた携帯が鳴りだし、俺は思わず声を上げた。
「び、びびったぁ」
誰だよもう……って、優?
「……まぁ、罠ってことはないか」
基本的に中立の人間だからな。あのパーメンは。
「もしもし?」
『……直樹か?』
「うおっ」
優にしては珍しい消沈した声色が耳元に響き、驚いてしまう。
「ど、どうした? ついに孝志が発狂してパンツ一丁で校内走り回ったか?」
『それはもう去年の話だよ』
……一年って、早いよね。
『そうじゃなくて。直樹、今すぐ戻ってきて』
「は?……いいけど、罠ってことはないよな?」
『ああ、それはないから安心して……みんなそれどころじゃないから』
「はぁ……」
色々と要領を得ないが、まぁ行ってみればわかることだろう。蛇を模倣するのも止め、急ぎ足で教室に戻る。
「……な、なんだ?」
教室に入るとクラスメイト全員が机に俯き震えているという、なんとも不可思議な状況が出来上がっていた。その中に青い顔して椅子に座っている優を見つけ、俺は駆け寄る。
「お、おい優、なんだこの状況? 今からここに超巨大サイクロンでも上陸すんのか?」
「ああ、サイクロン、ね……過ぎてったんだよ……」
「いや、なんの説明にもなってないですけど……」
ここまで沈む優も珍しいな。いつもなんだかんだで苦笑いで切り抜けていくのに。
「まぁ……今にわかるよ」
「はぁ……」
あまり要領を得ない説明に困っていると、教室の扉を開けて明日佳が入ってきた……途端。
『っ!?』
教室にいる人間全員が、ガクガクと肩どころか、全身を震わせ始める。不気味というか、ちょっとした怪奇現象だった。
「え? えっ? 何? 何でみんな、そんな小刻みに震えてんの?」
いやまぁ、原因つーか、元凶は誰だかわかるんだけどね。その元凶まで近付き、小声で話しかける。
(おい、ちょっと)
こいつら、さっきから冷や汗かきまくりでただでさえ脱水症状気味なのに、この場で明日佳と会話なんかしたら……全校集会で悲しい報告を聞きかねん。
(……何よ)
(廊下出なさい)
明日佳を連れて教室を出る。次の授業の担当の先生はまだ教室には向かってきていないのか、廊下に人の姿はなかった。
「で、だ。何がどうなったらあんな生け贄に無理矢理選ばれた生娘みたいな状態にクラス総出でなるんだ?」
「……イマイチね、その例え」
「うるさいな。いい例えが思い浮かばなかったの。で、何した?」
「何したって別に、ちょっとお願いしただけよ」
「お願い?」
「ええ。あまり私たちのことかぎ回らないでね。でないと」
「……でないと?」
笑顔にしては、少々あくど過ぎる笑みを浮かべて。
「○○した○○を一人ずつ○○して、○○を○○に○○した挙げ句、そのまま○○して○○するからって」
「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
名詞動詞を全て伏字にしないといけないことを言ってくれました。
*
「恐い! 恐すぎるよ明日佳ちゃん!」
「わかった。わかったから落ち着け」
孝志が大声で喚き出すのを、俺はようやく落ち着いてきた精神で宥める。
「あれはほんと、すごかったね……怒った沙紀なんかとは比べものにならないぐらい」
体育の授業中、俺たちいつもの三人組はグラウンドの片隅に集まって、先程の恐怖体験について語り合っていた。
「いやもうほんと洒落にならないって。ここだけの話、ちびったもん、俺……」
「………………」
「………………」
「引くなよ! 気持ちはわかるだろ!?」
「いやまぁ、わかるけどさ……」
それとこれとは話が別というか。
「次っ、君河!!」
「はい」
体操服姿の明日佳が名前を呼ばれ、立ち上がる。女子の競技は走り高飛び。いつもの冷めた表情のまま、明日佳は足を上げ、加速していく。その速度を殺さず、明日佳の肢体は高く飛び上がる。
「……すごいね」
優が感嘆の声を上げる。クラスの女子の中でぶっちぎりの飛距離を出した明日佳は、冷めた表情でグラウンドの隅へと歩いていく。終わった者から休憩して構わないと言われてるから、その明日佳の行動を咎める奴はいない。そもそも、さっきの明日佳の発言に怯え、誰も明日佳の傍に近寄ろうとはしなかった。
「顔良し、スタイル良し、成績良し、運動神経良し……性格は……」
「悪い奴じゃないんだけどな……」
尋常じゃない恐怖を内包してるけど。
「明日佳ちゃんもすごいけど、おまえも十分すげぇよ。何をどうしたらあの子と恋仲になれるんだ?」
「ああ……まぁ、なんだ」
そうか、端から見たら俺はあの明日佳と付き合えてる男ってことになるんだよな……俺だって立場が違えば勘ぐりたくもなるか。
「昔からの知り合いなんだ。それで再会して。で、ほら、幼き頃に交した約束みたいな感じで……」
「今時珍しい、というか。本当にあるものなんだね」
「まぁ、ああ見えて一途なのよ。彼女」
……今言ってることを知られたら俺、殺されるな。間違いなく。
「……なぁ直樹」
孝志の目が、ジッと俺を見ている。
「あ? なんだよ」
「昔って、マジ?」
傷を、見られた気がした。
「……ああ、マジだよ。いつだったかな。たしかおまえと知り合う前だよ」
「ふーん、そっか。ならオレは知らないか。いやぁ、惜しいことしたな。もしオレがその場にいたら間違いなく明日佳ちゃんはおまえの毒牙にかかることはなかったろうに」
「孝志のその自信は、いったいどこから来るんだろうね」
「ならおまえは朝から飛び延髄蹴りを首に食らうのも秘孔を突かれるのも後頭部踏み付けられ額をコンクリートに打ち付けられるのも耐えられると?」
「すいませんでした……」
「……一連の行動から恋愛感情が全く見当たらないんだけど。あるとしても歪んでない?」
「その歪みさえ受け止めることが俺のジャスティス」
「なんだか今日一日で直樹のイメージが激変したよ。普通からドΜ、みたいな感じで……」
「すっげぇ不本意だけど、否定できないわ」
なんだか明日佳が来てから俺の立場の落下速度はすさまじいことに。
「まぁけど、そうだよな……」
あの日、屋上で告げた宣言。
『だから関わる。拒否権はないからな。勝手に関わって、おまえを今いる場所から引きずりだしてやる』
明日佳は「北風と太陽」の旅人とは違う。風が吹けば吹くほど、頑なになるのは同じ。だからといって、太陽のようにただじーっとしていることに効果はないだろう。もしそんなことをしていれば明日佳はこれ幸いとズンズン先へ進んでしまう。
……まずは、仲間作りだ。
「あー、二人に提案があるんだ」
「なんだよ。秘蔵の孝志コレクションはコンプリートを目指してるからあげられねぇぞ」
「おまえの創刊から集め続けてるエロ本を所望なんざしてねぇよ。じゃなくてだな……えーっと、驚かないでほしいんだけど」
「今日だけで散々驚いたし、今更何言われたって驚かないよ」
「あ、そう? じゃ遠慮なく言うけど」
*
「そんなこんなで、新入部員の君河明日佳さんです」
校舎から離れた位置にある部室棟。その棟の中、教室の半分ほどの広さを持つの一室の机に手を置きながら、俺は明日佳を孝志と優にそう紹介した。が、ほとんど反応がない。孝志も優も椅子に座ったままピクリともせずにいた。
「あれ? 反応薄い。なら言い方を変えて。テレビの前の良い子たちー? 直樹お兄さんだよー? 今日はみんなに新しいお友達を連れてきたんだ! ほらーこっちおいでー!」
「………………」
訝しげというか、気味の悪いものを見るような目で俺を見る明日佳を手招きで呼ぶが、一切反応してくれない。気にせず進行していく。
「この無愛想でドSな女の子は君河明日佳ちゃんって言うんだ。みんな! 仲良くしようねっ! へぅ!?」
ウインクまでして完璧な紹介だったが、その俺なりの最高の笑顔は腹部への膝蹴りでかき消されました。
「……ウザイ」
「鳩尾に綺麗に入ったな。羨ましい」
「いや孝志、その反応はおかしい」
悶絶してる俺に対しての心配が一つもない。だいぶ俺の扱いにも慣れてきなさったメンバーで頼もしい限りです。
「おまえらの反応が薄いからだろー!? 俺なりに頑張ったのにさ!!」
「それよりもまず、事情を説明してくれないかしら」
「なんの説明もせずにここまで連れて来たんだ……」
「いやだって、素直に説明したら来なかったでしょ?」
「現に今、帰りたくてしょうがないわ」
「まぁ帰っても姉さんがいるから。まだこっちの方がマシだと思うけど」
「……いや、どっちもどっちね」
「あ、そうですか……」
あの暴虐武人の体現と同レベル扱いか……そんなおかしなことしてないと思うんだけど。
「……自覚なさそうね」
「あったらとっくに治ってるんじゃないかな……」
「……この学校に来てからあなたぐらいしかまともな人を見ていないのだけど」
「きっと他にもたくさんいるんだよ。濃い人が多いから目立たないだけで」
常識人同士馬が合うのか、明日佳と優の親愛度がメキメキと上昇している気がする。
「ヘイヘイ優くん? なんだかピンク色のオーラ出しちゃってるけど、沙紀ちゃんに見られたらどう思われるかな~」
「べ、別に僕はそんなつもりは」
「そして何故かすでにいらっしゃる沙紀ちゃん」
「優……」
「な、なんで沙紀がここに!?」
目に涙を浮かべて部屋のロッカーから出てきた沙紀ちゃんを見て、優があからさまに狼狽する様がとても見ていて楽しいですね。
「こんなこともあろうかと、呼んでおいてみました」
「何その用意周到っぷり!?」
「い、いいんだよ? 優だって男の人だもん。美人な人を見かけたら声をかけるのは男の性だってお父さんも言ってたし……」
「あの人そんなキャラだったのか……」
「なんだかオレと気が合いそうだな」
孝志と気が合う人間が、この町に孝志の兄である孝文さん以外にもいていいのだろうか。
「いや、違うんだ沙紀。君河さんとはそういう関係じゃなくて」
「いいの。優がそう選んだのなら、あたしは……っ」
両目一杯の涙を瞬きで跳ねさせ、沙紀ちゃんは部屋を出ていこうとする。
「沙紀っ!」
その沙紀ちゃんの腕を、駆け出した優の手が掴んだ。
「違うんだよ、本当に誤解なんだ」
「優……?」
「………………」
……え、何この空気。
「僕が一生傍にいてほしいのは沙紀、一生愛しているのも沙紀だけだ。そう言っただろう?」
「うん……」
「………………」
明日佳もこれまでにないぐらい冷めた目をしている。いやこれは、最早生気がないと言っても過言ではない。
「まったく、沙紀は慌てんぼうだな。ま、そういうところが、ほんとに愛らしいのだけれど」
「は、恥ずかしいよ。こんなところで」
「……はぁ……はぁ……」
孝志……興奮すんな。
「沙紀……」
「優……」
俺は頭を軽く掻き、窓から見える沈み行く夕日の光に目を細めながら。
「……何これ」
そう、呟いた。
「この町にはまともな人なんていないの……?」
「なんだかオレの中で嫉妬とこの先に待ち構えるエロスへの期待が責めぎ合ってるんだが」
「勝手に責めぎ合ってろ」
このままだとラブシーンの佳境に入り込みかねない二人の肩を叩き、こちら側に引き戻す。
「ごめんなさい……」
「すいませんでした……」
「いやいいって。もうそういう特徴なんだって思うから」
「むしろこのまま事に及んでいただいてもプゲラァッ!!」
いらんことを口走ろうとした孝志を裏拳で黙らせる。
「……気を付けるよ」
「ああ、そうしてくれ」
こいつは手を繋いで歩く男女の姿を見るだけで興奮できる奴だからな。ウブなんだかド変態なんだか。白目向いてる孝志を掃除用具が入っているロッカーに詰めておく。どうか下校時間までそのままの君でいて。
明日佳はいつのまにか部屋の隅に移動し、ずっと黙っていた。それに気づいた沙紀ちゃんが、少し緊張気味に明日佳へと近付いていく。
「あ、あの……」
「……何?」
冷たい反応にも見えるが、こうしてちゃんと応対する辺り、明日佳にも会話の意志があるということだ。慌てた様子で、沙紀ちゃんは口を開く。
「えっと、あたし、今年入学してきた水夏沙紀と言います。よ、よろしくお願いします」
「……君河明日佳よ。よろしく」
目を合わせないまま自己紹介を終えてしまう。正直、これだけでも明日佳にとってはかなりの進歩なのだろう。
「ごめんね沙紀ちゃん。こんな無愛想だけれど心のなかでは沙紀ちゃんみたいな可愛い娘を嘗め回したい欲望に駆られていてブフゥッ!!」
「そんなわけないでしょう」
「あの……明日佳さん……ツッコミしてくれるのはいいんだけど…言葉だけでいいんで……鳩尾に抉るような一撃はいらないかと……」
「……何か?」
「いえなんでもないですすいません俺が悪かったですから拳を解いてください」
愛の鞭にしては少々流血沙汰が多いかと思う今日この頃。
「………………」
男の腹部に容赦のないブローを叩き込む女性の姿なんて見慣れて無くても当たり前だ。沙紀ちゃんは呆けた様子で、俺たちのやり取りを見ていた。
「ああごめん。こういうコミュニケーションしか取れなくてね」
「だから相当歪んでるよね、それ」
「……か、かっこいい」
『…………は?』
俺も優も、それどころか明日佳ですら、呆けた顔をしてしまっていた。
「ああ、あのっ、君河先輩!」
「な、何?」
ズズイっと沙紀ちゃんは明日佳に近づくが、明日佳はそれに合わせて引いていく。
「お、お姉さまとお呼びしてもよろしいでしょうか!?」
『…………え?』
呆けた顔は未だ継続中。やばい。状況が全くわからない。額に手を当て、深く呼吸をした後、優が口を開く。
「えっと、沙紀? だよね?」
「え? そうだよ。何言ってるの?」
「いや……なんだか僕の知ってる沙紀が猛スピードで遠ざかったような気がして……」
このメンバーでは彼女が一番無害かと思ったけど……まだ判断するに早かったようです。
「というかなんでまた、お姉さま?」
俺がそう聞くと、見たことがないぐらいキラキラした笑顔で沙紀ちゃんが振り向いた。
「君河先輩みたいな人、憧れなんです! 美人で、スタイルよくて、性格も毅然としていてかっこよくて……」
美人でスタイルいいのは認めるけど、毅然というより固執しているだけだと思う……とはいえそんなこと、こんなキラキラした瞳に言えない。
「それで、どうでしょう。お姉さまとお呼びしてもよろしいですか!?」
「べ、別に構わないから、それ以上近づかないで――――」
「あ、ありがとうございます!」
歓喜に満ちた声色と共に、沙紀ちゃんは明日佳の手に触れた。
「―――触らないでっ!!」
触れて、しまった。
……あまりにも変わりきった空気に、誰一人言葉を発することができない。
「っ……」
しっかりしろ。事情を知っているのは俺だけだろ。動揺するな。
「ごめんね沙紀ちゃん。明日佳、ほんとに照れ屋なんだよ。たまーに度が過ぎるぐらいにね」
「……沙紀も急過ぎたんだよ。ごめんね、君河さん。ほら、沙紀も」
「あっ、うん……ごめんなさい、君河先輩……」
優も動揺しているはずだろう。それでも自然に振る舞い、場の空気を戻そうとしてくれる。
「いいっていいって。明日佳もいいだろ?」
「え、ええ……」
触れられた手を胸に抱き、なんとか返事をした。顔色は悪く、肩が細かく震えている。触れられることを嫌がったからには、何かしら反応があるものだと思ったけど、こんな、自制が出来なくなるほどだなんて。
「うわっ! 狭っ! 暗っ! 何ここ!?」
……ある意味、空気読んでくれたようで。このまま孝志に照準を当てて話をうやむやにしてしまおう。
「孝志……聞こえるか?」
話かけながら机や椅子やその他様々なものをロッカーの前に集め、積んでいく。
「その声は直樹か!? ここはどこなんだよ!?」
「悪い、全部は説明できない……落ち着いて聞いてくれ」
「な、なんだよ……」
「おまえが今いるのは、コールドスリープ装置の中なんだ」
「コ、コールドスリープだって!?」
騙してる俺も俺だけど。騙されてるこいつも悪いと思う。騙されてる方が悪いってのも、割と真理だよなぁ……普通信じねぇよ。
「なんで、だよ。どうして俺だけっ!」
「詳しいことを話している暇はないんだ」
だって考えてないし。
「とにかく、今世界は大変なことになっていている。そしておまえがその混乱から世界を救う救世主として選ばれた。そこだけを理解してくれ」
「あ、ああ……」
「これからこの装置を起動する。そうしたら、俺たちはもうお別れだ」
「そんな、急すぎるだろ……」
ほんとにね。俺もそう思う。
「もうしょうがないことなんだ。わかってくれ……」
「くそぅ……」
「ねぇ優、あの人もしかして泣いてる……?」
「ここまでうまく騙されてると、いっそ罪悪感は湧いて来ないね」
「……帰りたい」
即席のSFシナリオに入り込んでる孝志には、三人の声は聞こえなかったようだ。中からはくぐもった嗚咽が響いている。
「じゃあな、孝志。一人でも、頑張れるよな?」
「ああ……やるよ俺。絶対この世界を救ってみせるからなっ!」
熱い宣言をした後、ぐが~ぐご~と聞こえてくる寝息。
「……頑張れ、孝志。架空の世界の命運は君にかかっている」
救ったところで、現実に得るものは何もないけど。
「……ねぇ優、もしかしてこれが部活?」
「さすがにそれはないけど……」
どうやら俺の目論みは成功したそうだ。雰囲気は弛緩していて、明日佳も心なしかほっとしているようにも見える。
「そうだな。ちょうどいいし、この部活の説明でもしようか」
ロッカーの前から離れ、俺はみんなから見やすい位置へと移動する。
「ようこそ、第二天文部へ」
「第、二、ですか?」
「……天文部というのもピンと来ないけど」
「この学校は部活所属は義務だからさ、どうしてもどの部活も部員数が多くなってしまうんだ。そうなるとまぁ、人が増えるってことは軋轢もその分増えるし、同じ名目の部活でも人によってはやりたいことも違ったから結構トラブルが起きて」
緩く楽しく部活をしたい。頑張って努力を重ね厳しくとも結果を残したい。おそらく、どんな部活にでもそういった熱い志を持つ生徒と、ただ楽しみたい生徒の部活に対しての考え方の軋轢は生まれているだろう。部活に入ることが義務とされているこの学校では、特にそれが顕著に現われた。
「そこで学校側は措置として、部活を作る条件を簡易化したんだ」
「簡易化?」
沙紀ちゃんの疑問に、優が答える。
「うん。必要部員数は三人以上。それだけあれば部活として認められるんだ」
「……それだけ? 顧問とかいなくていいの?」
「部活の数が多いからね。先生たちだけじゃ足りないんだ」
「そんなわけでこの学校には、名ばかりの部活が大量に存在してるわけ。ここだって第二天文部、なんて名前だけど今まで一度も天体観測もしてない」
「どうして天文部なんですか? えっと、天文に興味は」
「うーん、星を見るのは決して嫌いじゃないんだけどね。天文部は基本的に活動時間は夜になっちゃうから……」
「何か問題があるんですか?」
「……部員に、『夜の校舎』ってだけで興奮できちゃう変態がいるので」
「ぐ~~ぐ~~おのれエイリアンめ~~~」
どうやら原案俺、執筆者孝志の超スペクタクルSF大作は戦闘シーンに入ったようです。
「ああ……なるほど」
物分りが良いのか、沙紀ちゃんが苦笑いしながら頷く。明日佳も深くため息を吐いている辺り、現状理解しているだろう。
「僕としては、特にやりたい部活もなければオススメするよ。普段ここで話してるだけだから無理に出なくてもいいし」
「それなら、もう帰ってもいいかしら」
無理に出なくてもいいという部分を聞きたかったのか、明日佳が優の言葉を聞いた瞬間、そう口にする。
「……入部の意志あり、と受け取っても構わないか?」
「どうぞご自由に」
そう言い残して明日佳が部屋を出て行く。協調性も何もあったものじゃないが、一応、入部の意志は見て取れたので良しとしよう。
「かっこいい……」
「……なんだか沙紀が遠くにいっちゃった気がするよ」
「さてそうと決まればこの既に書き込まれている入部届を提出しに行こうか!」
「用意良過ぎない!?」
「ん?……ああ、ちゃんと沙紀ちゃんの分も用意してるぞ?」
「尚更用意が良過ぎてちょっと気持ち悪いぐらいだよ……」
「くそぉ~オレは負けないぞ~。くらえ~みんなの想いを~、うおりゃ~」
「……すごい部活なんだね」
「否定する気も起きないほど、その通りだよ」
一組のカップルがため息を吐きながら呆れているが、おまえらもそのすごい部活を構成する要素の一つだという自覚はないのだろうか。
*
見るだけで某夢の国の某スプラッシュマウンテンばりに涎が溢れるぐらいの夕食群をペロリと平らげた後、俺は明日佳の部屋のドアの前に来た。二回ほどノックをしても、反応はない。
「明日佳ちゃ~ん。あっそびましょ~」
「嫌」
短い拒否の言葉程度で、心が折れる俺じゃありません。
「まぁまぁいいじゃん。部屋入れてよ」
「そもそも、何しに来たの?」
「夜ばい」
瞬間。ドアが開いたと思ったら、俺の体は宙に浮き、頭から垂直に着地する前に側頭部を横から蹴られ空中で一回転。しっかりと足から着地。
「…………うぇ」
したところで、総ダメージが半端じゃないから結局倒れるわけだが。
「そういう冗談は好きじゃない」
「そうだね……俺もどっちかと言うと下ネタは苦手だよ……」
あー、頭クラクラする。元々打たれ強い俺でも人体急所打ち抜かれるとやばいって。
「もう一度聞くけど、なんの用?」
「ちょっと話がしたいな~と」
「………………」
明日佳の姿が部屋へ引っ込むが、ドアは開いたまま。了承の意として受け取り俺も部屋に入った。家具も小物類も比較的あっさりしたもので、男の部屋と言われれば納得してしまいそうな程殺風景。だが香るものは確かに女の子特有の、甘いというか何というか。とにかく男からは決して匂うことのない薫り。
「あまりジロジロ見ないで」
「あ、ああごめん」
「……これ」
明日佳から手渡された座布団を敷き、そこに座る。
「………………」
そして明日佳もわざわざ、もう一つ座布団を敷いて、そこに座った。場所は、ベットと対角線のもっとも離れた位置。
「……もしかして警戒してる?」
「当たり前でしょ」
まぁ、確かに。今日は姉さんは夜勤でいないからこの広い屋敷で二人きりという状況。警戒するのもわからんでもない。
「いや、さっきのは冗談だから。そもそも全力だしても明日佳を組み伏せられる気がしない」
「それもそうね」
座布団をしまいベットに堂々と腰掛ける明日佳。
「………………」
……いや、悔しくなんかないですよ? 下唇噛むことに特に意味はありませんとも……体、鍛えようかな。
「で、話って」
「ああ、そうだそうだ。ほら、握手をしよう」
本来の要件を思い出した。ズイッと、右手を差し伸べる。
「……は?」
「握手だよ、握手。シェイクハンド」
「それはわかるけど、なぜ?」
「意識して触れることならできるかな~って」
「……嫌」
「これならどう?」
事前に持ってきていた厚手の手袋を右手に付けて、また差し伸べる。
「……なんとか」
明日佳の手のひらを握る。感触なんてない。触れているという感覚はあまりにも希薄だ。
「これが限界?」
「ええ」
手袋越しの握手が終わる。よくよく考えれば、俺がいらんことをして明日佳にズタボロにされる時って服の上からが多い。顔面とかの時は靴で触れていることばっかだ……よく生きてるよな、俺。
「それで、いったいなんなの」
「……単刀直入に聞くけどさ」
「何?」
「誰も信じられないけれど、誰かと触れたいって思うことはあるか?」
「……そんなの」
「経験論だけど、信じられないイコール嫌い、じゃないんだと思う」
嫌いではなく、恐いの場合の方がずっと多い。
「だから、俺は明日佳に誰かに、誰でもいいから触れられるように、誰かを信じられるようになってもらいたい。その誰かが俺だったら、いいなぁとかそんな下心込みなんだけど……」
人を恐がって、関わりを絶ち続ける。たぶんそれは、一番スマートで生き易い生き方かもしれない。けれどその先に、明日佳がきっと望んでいるであろう幸せは待っていない。
「あなたは……」
「ん?」
「あなたはなぜ、そんなに私を気に掛けるの?」
「前にも言っただろ? 俺は明日佳が好きだから―――」
「それだけじゃないでしょう」
「……どうしてそう思った?」
「あなたが私にベラベラと偉そうに語った時、あなたは自分で言っていたじゃない。これが、俺の贖罪だ、って」
「……たしかに、色々言ったかもな」
待ちに待った絶好のチャンスだったからこそ、言わなくてもいいことをベラベラと言ってしまったのかもしれない。
「贖罪。それが、理由でしょう」
「……まぁ、そうだな」
目の前の女の子の力になりたい。そういう感情は、確かにある。嘘じゃない。けれど、それよりも深く、重く胸に巣食ってる感情がある。
「話しなさい」
「……全部か?」
「いいえ、話せる範囲で構わないわ」
「それは予防線のつもり?」
自分の話をする際にも通ずるための。
「……そう思ってもらっても、構わない」
……まぁ、そうだよな。信頼してもらいたいなら、ある程度心の内を曝さないと。さすがに全部語ってしまったら、俺の居場所はなくなってしまうが。
「昔、ひどいことを言ったんだ」
「ひどいこと……?」
「ああ」
自分勝手な考えだった。あまりにも自分勝手で、それが正解だと思い込んで。それを押し付けた。
「今ならそれが間違いだったと……いや、間違いじゃないかもしれないけど、少なくともあの場での正解では決してなかったとわかる」
正解ではなかったからこそ、今も尚、こうして胸に後悔として残っている。
「だから俺はその間違った正解に捕われている人たちを救う。それが、俺が見殺しにしてしまった人への贖罪だ」
遠い記憶。けれど、一番近くに、すぐ手の届く場所に置いておかなければならない、俺の罪だ。
「……それが理由?」
「……ごめん、これ以上は話せない」
「そう……」
全部ではないにせよ、俺は理由を話した。そうして納得してくれたのか、明日佳の表情から険しさは薄れていた。
「あなたは、どうするべきだと思う?」
「どう、って?」
「私は、人を信じられるようになるべき?」
「俺に聞くなよ。自分で、決めなきゃいけないことだろ?」
「……そうね」
静かな呼吸の音しかしない二人の間。答えは、すぐに出た。
「信じ、たいよ」
「……そうか」
良い人たちだったんだな。おまえの周りにいた人たちは、人を信じたいと思わせるほどに。
「……よしっ」
勢いをつけて立ち上がる。当人の意志が、何よりも必要な要素だ。今正に、俺はそれを見つけることができた。
「そうと決まれば作戦会議だ! まずは友達作りだよな!? 目指せっ、町内全員友達!!」
「……嫌、無理」
「早速無理とか言うなよもぉ~」
振り上げた拳がヘナヘナと下がってしまうじゃないか。
「そんな規模が大きくなくてもいい。そもそも、友達なんていらないわ」
「そうは言ってもな。まず信頼できる相手を作らなきゃいけない。信頼できる相手、それ即ち友達!」
「別に友達じゃなくてもいいでしょう」
「おっと友達を舐めちゃいけませんよ。ある時は囮に、またある時は非常用の捨て駒にと大活躍!」
「……あなた、本当に人を信用させる気あるの?」
*
「遅い。早く準備しなさい」
「はーい!」
玄関で待っているであろう明日佳に返事をしながら、俺は鞄に授業で使う教材を詰めていく。
付き合っているのだから登下校は一緒の方が自然。という俺の意見に嫌々ながらも賛同してくれた明日佳を待たせるわけにはいかない。俺は馬鹿みたいに広い屋敷を全力で駆け抜け。
「とりゃ!!」
二階から玄関に向かって手摺りに跨ぎ、跳んだ。着地時はもちろん、両手を高く斜めに上げる。
「十点九点九点十点九点十点! きゃっほーい! 新記録~」
「先に行くわよ」
「……はい」
どうやら明日佳さんは低血圧らしく、朝は普段の冷血さからかけ離れた無気力感をその肢体から滲み出させている。てなもんで。朝はツッコミが薄く、俺が今みたいに盛大なボケをかましても華麗にスルーしなさる。まぁだからといって何しても無視するというわけではなく、絶対零度の目のまま俺を叩き伏せるのだが。
え? 俺? もちろんすでに人体急所五ヶ所ほど強打されてますよ、当たり前じゃないですか。
「さて明日佳さん」
「何」
「登校ですよ」
「だから何」
「はい」
スカッと爽やか! なんてキャッチフレーズをつけても過言ではない笑顔を浮かべて、俺は手を差し出した。
「………………」
その手をガン無視しなさるもんだから俺は馬鹿みたいに笑顔ふりまいて馬鹿みたいに何もないところに手を差し出し馬鹿みたいに置いてけぼりってコラ。
「ちょっとちょっと明日佳さん?」
一連の馬鹿スタイルのまま早歩きで明日佳に追いつく。
「嫌よ」
「まぁ、気持ちはわかるけどさ。とにかく慣れていかないことには変わりないだろうし」
「………………」
明日佳は立ち止まると、鞄から昨日の厚手の手袋を取出し。
「…………よし」
「『よし』じゃねぇ」
昨日とまったく変わんないじゃないか。
「無理、ありえない」
「昨日の固く決めた意志はどこへ行ってしまったの!?」
最初から諦めてしまっては、目標を遂げることなど夢のまた夢だってことわかってますかねこの人。
「撤回するわけじゃないけど。その、手をつなぐのは……難しすぎる」
「……確かに、最初にしてはレベルが高かったかもしれん」
さて、ならどうしたものか。一般的に「触れる」という行為は簡単にできるもんじゃない。手に触れる。頭に触れる。頬に触れる。体に触れる。その一連の行為には信頼がなくてはならない。触れるということはつまり、近づくということだ。だから、本来触れることは意識していないとできない。咄嗟の人助けとか、そういうことを何も考えずに体が動いたりとかの場合は話が別だが。
「だから、昨日言った手前、撤回するようで悪いけど……」
「うーむ」
まいったな、打開策がちっとも思い浮かばない。
「なぁ、触れようとする時ってどんな感じなの?」
「どんな感じって」
「なんつーか、触れる時の心の動きっつーか。感覚? まぁそんな感じの」
「……警鐘が、鳴ってる」
「警鐘?」
「触れようとすると、心が騒つく。これ以上はダメだって頭に直接警告してくるような」
「ふむ」
警鐘。警告として人々の注意を促すもの。つまり明日佳の中では「そのまま触れたらやべーよ?」とご親切に教えてくださる何かがあるわけだ。
「相反かぁ。まいったな……完全にケースが違う」
「……ケース?」
「いや、なんでもない」
しっかし、どうしたものかね。明日佳本人にどうしてそうなったか、その経緯を聞くのは無理っぽい。聞いても教えてくれないだろう。かといってとにかく触れまくって慣れようだなんて強攻策は明日佳の状態を見るかぎり逆効果そうだし。
「やっぱり、信頼してもらうしかないか」
「……そんな簡単にできるものじゃないわ」
「ま、なんとかなるって」
*
「さて、というわけなので協力してはもらえないだろうか」
「いや、何がというわけかも聞いてないんだけど」
早々に教室に到着していた優と孝志を廊下に連れ出し、協力を要請してみました。
「ふむ、つまり明日佳ちゃんのイメージを払拭したいから手伝ってほしい、と」
「その通り」
「なんで話わかってんの!?」
「いや、目を見れば」
「すごいね……」
「まぁそんなわけでだ。協力してもらえないか?」
「それは構わないけどよ……」
「うん……君河さんがそれを望んでるとは思えないんだけど」
「いやいや、それがまた家では寂しがり屋の天使ちゃんでね。学校での姿も仮の姿で、本当は小さな羽虫にでも『キャッ』なんて悲鳴を上げる絶滅危惧種の女の子――――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
廊下にいてもわかるほど、教室内の圧力が増した、気がする。
「うおっ、山科さんが急に泡吹いて倒れた!?」
「ちょ、ちょっと……なんだか寒くなってきた気がするんだけど……」
「と、鳥肌が……」
……お、俺のせい?
「……とりあえず、前言撤回。普通、普通です。家でもどこでも。あれが自然体。ゴキブリでも何でも平気で握り潰せる」
「それはすげぇな……」
「……うん、追求はしないよ。これ以上の犠牲者は出したくない」
理解が早くて助かる。そして人の命が助かる。
「それで、協力してくれるか?」
「もちろん。理由はわからないし聞かないでおくけど、必要なことなんでしょ?」
「同じく。何ができるかはわかんねぇがな」
「あぁ~助かる……」
事情なんて説明したら速攻でただの肉塊に成り果てるからな。(比喩ではない)
「なぁ、それはいいんだけどさ。オレ昨日気が付いたらロッカーの中にいたんだけどさ、なんで?」
「それじゃ詳しい話は後で、もう授業も始まるし」
「そうだね。戻ろうか」
「いや、聞いてよ。それに変わった夢を見ててさ。オレが救世主だとかなんとかって……」
『気のせいじゃない?』
「……そうか、気のせいか」
俺と優の揃えた返答に、孝志は納得してしまった。この納得してしまえるのが、日比谷孝志という存在なのである。
*
「それじゃあこの問題を、君河」
「はい」
数学の授業中。教師に名前を呼ばれた明日佳が席を立ち、黒板まで歩いていく。そして明日佳の手によって淀みなく、正確な数式が黒板に描かれた。
「できました」
「うむ、正解だ」
「……早ぇ」
本人は否定するが、明日佳はとてつもなく頭がいい。模試とかでも全国一桁代にノミネートされてもいいぐらいだ。もしかしたら、もうされてるかもしれない。部屋の本棚にもいくつかの参考書が並んでいる辺り、普段からしっかりと勉学に励んでいるのだろう。
「これを利用しない手はない……」
思わず極悪人ズラ。おっといかんいかん。涎が垂れてはせっかくのピュアフェイスが台無しだ。
「気持ち悪い……」
席に戻ってきた明日佳の呟きには、気づかないフリをしてます。
授業終了後の休み時間。俺はノートを片手に明日佳の席に突貫する。
「明日佳ちゃーん」
「……何?」
「そんな警戒しないでよぅ。さっきの授業でわからないとこがあったからさー」
『君河明日佳に友達を作ろう、第一話。明日佳先生から勉強教わって仲良くなっちゃえ♪』の始まり始まりー。
まぁ要は。俺が明日佳に勉強を教えてもらい。理解していく様を周囲に見せ、俺も私もとどんどん生徒を増やしていき、気付いたら和気靄々の良い雰囲気となっている。そんな作戦だ。
「……どこがわからないの」
「えっと、ここなんだけど」
しかも都合よく、数学は俺の不得意科目だ。勉強を教えてもらい、明日佳には友達ができる。一石二鳥の素晴らしい作戦だ。俺はプランナーの才能があるかもしれない。
「はい、これ公式」
「……え?」
「これに当てはめていけば解けるから」
「え、いや……その……できれば、教えてもらいたいなー、と」
「だから、教えたじゃない。公式」
「いや、そういうことじゃなくて。公式を知るだけなら、教科書を見ればわかるわけで。大事なのは解き方というか、効率の良い計算方法とか。そういうのを教えてもらえたらなー、と」
「……そんなの、ただひたすら計算して脳を鍛えるしかないわよ」
「……え?」
「ほら、いいから解きなさい。似たような問題をいくつか用意してあげるから、それをひたすら解いていけば数式の解き方なんて頭に入るわよ」
「そ、そんな体に叩き込む系な方法しかない? もっとこう、お手軽感覚な……できればこの休み時間中に終わるような」
「……何、私のやり方に文句でもあるの?」
一瞬にして目つきが鋭くなった明日佳の背後に、何かが燃え上がった。
「火柱っ!?」
明日佳の背後に見えちゃいけない光源があるような……。
「勉強なんてどれも反復よ。それで理解できないなら、あなたの理解力が足りないのよ」
「いや、あの、とりあえず、火力弱めてほしい所存なのですが……」
「黙りなさい」
幻覚(だよね?)の火柱が大型のキャンプファイアーの如く燃え盛り出す。
「燃え散れるレベル!?」
あ、あれ? いつのまにかみんないないよ? 俺とこの火柱しか教室に存在しないっていやいやちょっと待っ―――――
「理解するまで無理矢理基礎から叩き込むわ。休み時間は少ないのだから文句を言わないで。そもそもあなたから言いだしたことでしょう?」
―――ああ。俺はなんて思い違いをしていたのか。君河明日佳に友達を作ろう、第一話。明日佳先生から勉強教わって仲良くなっちゃえ……とか、アホか。刑務所内の規律を無理矢理頭に捻入れるように教育するような人が先生なんて名乗れるわけがないだろう。
「どうしたの止まってないでキビキビ手を動かしなさい。とにかく書いて脳に直接叩き込むのが一番の近道なのよ」
「いや、あの、その、えっ、あ、いやぁぁぁぁ!!」
*
「結局、何がしたかったの?」
「聞かないで……」
もう思い出したくない。休み時間じゃ終わり切らなかったから家でもやるとかそんな血も涙もない現実を直視したくない。食堂の机にへたり込んでる俺を、孝志と優がご愁傷様と口で言い、平然と各々昼飯を食べ出した。
「おまえらひでーよー、なんで助けてくれないんだよー……」
「いやあの火力は無理だって。実際教室の温度上がってたぞあれ……」
「ほら、せっかく昼休みは解放してもらえたんだからさ、食べないともったいないって」
「それはわかるんだが……」
なんで今日に限って、カルビ丼なんて重いものしか残ってないんだ。ざる蕎麦とかあっさりしたものが食べたかったよ……。
「そういや明日佳ちゃんはどこ行ったんだ?」
「あいつは弁当作って来てるの。今頃屋上にでもいるんじゃないか」
「あれ、直樹の分は作ってもらってないんだ」
「今朝明日佳の部屋にタキシードでワイングラス片手に押しかけたらブチギレられて、俺の分の弁当顔面に押しつけられた」
「……朝から何してるの」
「もちろんその場で弁当は全部食べたよ?」
「だからなんだっていうのさ」
せっかく作ってくれた料理を無駄にはできないからな。詰め直して持ってくる、という発想に至ったのは全て食べ終わってからだった。
「しっかしよぉ。なーんか普通に同棲生活謳歌してるよなー。あー羨ましい羨ましい」
「ふふん、いいだろういいだろう。定期的に急所を殴打されることを除けば夢のような生活さ」
「直樹が普通に暮らしていれば痛い思いせずに済むと思うんだけど……」
「ま、確かにそうなんだけどさ。なんかこう、構いたくなるというか、からかいたくなるんだよ」
俺の中の芸人気質が黙ってらんないというか。とにかくつまんなそうにしてると笑顔にしたくなるよね。だって、あの明日佳が笑ったらどれだけ綺麗になるというんだ。それだけでも体を酷使する価値はあるさ……一向に笑顔の気配など感じませんがね。
「ねぇ、友達作りって言ってたけど。僕達だけじゃダメなの?」
「ダメってことじゃないんだ。そうじゃなくて、もっとたくさんの人と知り合って欲しいわけ」
自分が信じたいと思う人達をよく知ってもらいたい。それが、俺が明日佳の友達を作ろうとした理由。信じるっていうことは相手のことをよく知った上で初めてできることだ。初対面の人を信じろ。なんて言われても無理な話なわけで。
「まぁ詳しいことは話せないけどさ。協力してくれると助かる」
「……なぁ、直樹」
「な、なんだよ……」
孝志が急に深刻そうな声色を使ってくるから、返事が吃ってしまう。
「友達って、フレンドだよな? 頭にセック―――――」
瞬間。孝志は丼に頭を突っ込んだと思うと何かが横からその丼を弾き、つられてギュルンッと孝志の首が旋回。
「あなた達はいつもこんな低級な話をしてるの?」
「………………」
「………………」
軽く……一生の思い出になれるほどの映像でした。俺と優の箸を動かす手が、少なくともこの時間は動くと思えない。揃って、箸を机に置いた。
「か、かっこいい……」
今の成人指定の映像を見て悦に入る危険人物、じゃなかった、沙紀ちゃんも弁当箱を片手に歩いてきた。
「二人とも、どうして食堂に?」
「一人で食べようと思ってたんだけど……」
「ほらお姉さま。ここならしっかり椅子に座れて、みんなもいて楽しいじゃないですか」
「落ち着きはしないけどね……」
心配してたのだが、どうやら昨日のことを沙紀ちゃんは気にしてないらしい。満面の笑みで百合の花を振りまいてる。
「僕の知ってる沙紀がドンドン遠ざかっていく……」
「まぁまぁ。ほらあれだ、女の子は恋をすると変わるんだよ」
「僕との恋で変わってないじゃないか……」
珍しく沈んでいる優はもう置いといて。百合の園を形成しつつある二人に視線を戻す。
「ほら、もうここで食べちゃいましょうよ。もう時間ありませんよ?」
「わかったわよ……もう」
こうして見ると、まるで二人は仲の良い姉妹のようだ。明日佳も苦笑を浮かべながらも迷惑には思ってなさそうだし……やっぱり、知ってほしいよな。こんなにも良い子がいるってことを。
そのためにもどうしたものか。俺は疲れ切った体に重たいカルビ丼を流し込みながら、そんなことを考えていた。
*
「ふあぁ~~あ」
あまりにも天気がいいのと、もう腕がペンを持つのを拒否するもんだから授業を自主休講し、俺は屋上で寝転がりながら空を眺めていた。心なしか気分も悪い。おそらく無理矢理詰め込んだカルビ丼のせいだろう。
「こういう時は、あれだ。良かったことを思い出そう」
病は気から。良かったことを思い出して気分良くなれば自ずと体も好調になるさ。まずは……そうだな。明日佳のメイド服姿を思い出そうか。
「いやぁ……あれは良いものでした。保存フォルダっつーか、パソコンを明日佳に持ってかれたのが悔やまれる」
まぁ保険のためにいくつも関係なさそうなフォルダ名を作り、そこに保存したり。計十二枚のCDに保存してたりとバックアップは完璧だし。そもそも姉さんも持ってるだろうし。あとで外付けHDDにも入れておこう。フラッシュメモリにも入れとかないと。
「あとは……さっきの光景なんかいいよな」
沙紀ちゃんから無邪気に「お姉さま」と呼ばれ頬笑む明日佳を思い出す。綺麗な微笑だった。満面の笑みには及ばないけど、確かな笑顔。我が子の我儘に手を焼きながらも優しく頬笑む母親のような母性。
―――――その言葉の響きから流れるように血塗れのまま頬笑む母さんの姿が―――――
「はいストッ~プ」
頭を少し上げ、振り下ろすように地面へと叩きつける。視界が一瞬暗転しかけるほどの衝撃が、後頭部から全身を突き抜けた。
「うおぉ……!」
コンクリートに後頭部強打はやりすぎた……。
「目、チカチカする……」
血とか出てないよな――――ってまたその赤色から連想されてしまいそうで。
「はぁ、やめやめ。素直に授業出よ……」
どうも一人でいる限りこの無限ループからは抜け出せなさそうだ。俺はまだズキズキと痛む後頭部を擦りながら、教室に戻ることにした。立ち上がり、校舎へと戻る。
……母さんが死んだ時のことは今でもよく思い出せる。まぁ、思い出した瞬間フラッシュバックとかなんとかで直ぐ様廃人コースまっしぐらなため、その前に何をしてでも思考を中断させなければならない。
姉さん曰く。
『人間はね、動物なのよ。だから自分がしたくないこと、しちゃダメなことを考えたら直ぐ様自分を痛め付けなさい。そうすれば本能は痛みから逃れようとするためにダメなことを考えなくなる。ようは躾けと一緒よ』
とのことだ。だから俺は、母さんの……あの姿を思い出す前に、ああやって自分を痛め付けて教育してるわけ……まぁ、さすがに後頭部はやりすぎたけど。最近は思い出すようなことがなかったから油断していた。こりゃまた痛くて苦しい教育の日々が始まるのか……いや、よく考えればすでに痛くて苦しい思いしてるよな。最近どれだけ明日佳にボッコボコにされているのかパッと思い出すだけでわんさか出てくるわ。とにかく、笑って過ごすようにしよう。そうでないと、今の俺を望んだ人に悪い。
通り掛かったトイレに入り、鏡に向かってにっこりスマイル……よし、今日も俺はハンサム。いいじゃん、思うだけなら勝手だろ?
「大丈夫だよ、母さん。俺はちゃんと、幸せだよ」
そう呟き、俺は誇らしげな笑顔のまま教室へと足を向けた。そして「遅刻しといて笑顔で入ってくるとはふざけてるのか」と先生に怒られた。
時と場所を考えないとねっ。
*
「はいやってきました本日の部活動の時間です」
部室内にテーブルと椅子を並べ、俺と孝志はその椅子に座っている。テーブルには二台のマイクと二人の名前が書いてあるネームプレートを置いてある。どこからどう見ても、アナウンサー席だ。
「司会は私、電話をしている時はついつい辺りを旋回してしまうことでお馴染みの涼森直樹です」
「こんにちは、解説の日比谷孝志です」
「さぁ始まりました今世紀のビックイベント。この第二天文部第二回目の部活動にはリピーターの方々も待ち焦がれていたでしょう」
「そうですね。あふれ出る生唾と息子のスタンティングを押さえ込むのに必死でした」
「ここ下ネタは基本NGですので」
テーブルの下で孝志の足を踵で踏んづけておく。
「それではこの会場を煌びやかに彩る精鋭達の紹介に入ります。エントリーナンバー1! 刈谷優選手!」
「……え、何これ」
「冷静沈着頭脳明晰。司令塔としての才覚を惜しみなく発揮するブレイン役!」
「ええ彼は良いものを持ってますよ。少しはオレにも分けろってんだリア充爆発しろ」
「解説の私怨を華麗に流しつつ、エントリーナンバー2! 君河明日佳!」
「………………」
「極悪非道残虐の権化! 狙う急所は主に水月! 殺る度に恍惚の笑みを浮かべる超弩級のアタッカーです!」
「彼女も良いものを持ってますよー、あの一見スレンダーのように見えて秘めているポテンシャルは計り知れません。踏まれてぇ……」
「いい加減解説が気持ち悪くなってまいりました。我慢して次に参ります! エントリーナンバー3! 水夏沙紀!」
「ど、どうも……」
「麗しきかなその可愛らしさは世の青少年に夢を与えるか! 最近ちょっぴり唯我独尊! 百合もイケちゃう今年一番の期待株!」
「結婚しよう!!」
「黙って聞いてれば何を好き勝手言ってるんだおまえは……!」
「冗談だって! いやっちょ、まっ、そんなっ、だめぇ~~~~」
優に廊下へと連れて行かれた孝志のことは無視して、俺はアナウンサー席をどかして一心地つく。
「いやー、やっと突っ込んでくれた」
「何なのよ、あのくだらない寸劇は……」
「いやノリで始めたらいい感じに乗っちゃってね」
「……ノリで始めるにしては、随分手が込んでたよね」
白目になって気絶してる孝志の襟を掴んで引きずりながら、優が部室に入ってくる。
「……あの、大丈夫なんですか? 孝志さん、白目向いてるけど……」
「大丈夫大丈夫。あいつ寝る時もああだから」
「寝てる時白目って大丈夫なんですか!?」
「適当なことを言わないで。この子、なんでも信じちゃうんだから」
「いや、マジなんだけど……おまえだって授業中の寝顔見たろ?」
「……わざとやってるかと思ってた」
「まぁ、孝志は一定時間でHP回復のスキル持ってるから放置で」
「人間離れが多すぎるわね。この学校」
「その筆頭が何を……いえ、すいません。ほんとなんでもないです」
「あの、今日は何をするのですか?」
身を竦ませる俺を気遣ってか、沙紀ちゃんが話を変えてくれた。
「ああそれなんだけど。今日は部長を決めようと思うんだ」
「そんなの、去年からの引継ぎでそのまま直樹がやればいいじゃないか」
この第二天文部を作った創始者は俺であるため、当然去年の部長は俺だった。だから、そのまま俺が部長をやるってのは至極当然の話ではあるんだけど。
「いや~俺も最初はそれでいっかなと思ったんだけどさ。学校側からこんな通知が」
そう言って俺は鞄から今日渡されたプリントを机に置く。プリントに書いてある文面を、代表して優が読み始めてくれた。
「……以下の者を今年度の部活、または委員会での重要な役職に就くことを禁ずる…」
「涼森直樹、日比谷孝志って……」
「……日比谷孝志って、誰?」
「そこなの!?」
白目になって気絶していて静かだったのに、急に起き上がり叫び出した。そしてその口から飛んできた飛沫を、俺は身を捩って避ける。
「うおっ、急に起き上がって涎飛ばすんじゃねぇよ汚ねぇな」
「いや今のはオレ以外の誰かが突っ込んでくれてもいいとこだろ!?」
「いやまぁ、それも仕方ないかなって」
「僕としては、話掘り下げたくなかったし」
「大声でうるさい。黙るか消えて」
「ほんと、ごめんなさい……」
「一通りひどくない!? あと沙紀ちゃんのその謝罪って突っ込まなかったことじゃなくて『忘れていてごめんなさい』みたいなニュアンスを感じるんだけど!!」
「いいじゃん、落ち着けよ孝実」
「そうだよ、孝也」
「すみませんでした日比田さん……」
「悪かったわ。ええっと……樋口」
「みんな間違えてるし……ていうか樋口ってもはや誰!?」
「とまぁそんなわけで、俺と樋口はこの通り部長にはなれないわけだ」
「何事もなかったかのように樋口で通し始めた!?」
樋口……じゃなかった、孝志のうるさいツッコミはとりあえず無視しておいて、みんな俺が言った言葉について思案し出す。
「何をしたらこんな仰々しい事態になるのさ」
「そんなおかしなことはしてないよ。いけ好かない教師の椅子を接着剤で固定して机との距離を調整しようとした時にびっくりさせたり、このスライムを机の棚の取っ手に張りつけたりしただけだよ」
「普通に停学になってもおかしくないですよね……」
「そして何故自然にポケットからスライムを取り出してるの……」
ポケットにスライムを戻し、俺は腕を組んで唸る。
「主に実行犯は樋口で、俺は企画立案その他もろもろ全てをやっただけなんだけど……なんで俺も?」
「だけってレベルじゃないからだろ……」
「あの、いい加減樋口から解放してくれないとオレ今後正しく名前を呼ばれることがない気がして恐いんですけど……」
「ま、そんなわけで。俺とこいつ以外から誰か部長をやって欲しいわけですよ」
「代名詞の方がまだマシって思えちゃうのが悲しい……」
「それなら僕がやるよ。沙紀は一年生だし、君河さんだって転校してきたばっかなんだし」
「……いや、それじゃおもしろくないだろ?」
「…………この場でおもしろさを求める理由がまっったくわからない」
こいつはいったい何を言ってるんだ? という感情を一切隠そうとしない表情を浮かべる優に対し、俺は「わかってないな」としたり顔で返事をする。
「優が部長だなんてはまり役過ぎてインパクトが足りないんだよ。きっと話を聞いた先生方も、『あー、やっぱな』みたいな反応をするに違いない」
「別に、それはそれでいいような……」
苦笑いを浮かべてごもっともなことを言ってくれる沙紀ちゃん。だが、それを受け入れていては面白みのある展開というものは生まれないのだよ。
「甘い! 甘いよ沙紀ちゃん! そんなスウィーティでこの第二天文部のボケ担当が勤まるとでも!?」
「えっ!? あたしボケ担当だったんですか!?」
「それでそのまま部長も担当しちゃってね」
「あたし、ボケなんだ……ってえええ部長!?」
自分を指差し驚いている沙紀ちゃんを見て、優が本日一番の深いため息を吐いた。
「直樹……いきなり何を言いだしてるんだ」
「意表突いてると思うんだが」
「突き過ぎてて逆に冷静になるよ……」
「えっと、さすがに部長は……」
申し訳なさそうに辞退をしようとする沙紀ちゃんを見ると、むしろ俺の方が謝りたくなるが、ここはグッと堪えておき、そのまま明日佳を見る。俺と視線が合った明日佳は、俺の意図がわかったのか、額に手を当て軽くため息を吐いていた。
「……あなた、本当に性格悪いわね」
「はて、何のことやら」
両手を上げてあからさまに恍けたポーズを取る。その様をとても迫力のある目つきで睨みつけた後、明日佳は意を決したかのように拳を強く握り。
「……私がやるわ」
内心では緊張してるくせに、澄ました顔でそう言ってのけた。そして、それに驚く俺以外の三人。まさか、明日佳が自ら立候補するとは到底思っていなかったに違いない。俺も逆の立場ならそう思う。
「えっほんと~。じゃあこの書類に氏名年令住所と好きなマグロの部位を書いて~」
「どうして婚姻届が出てくるのよ……しかも片方すでに記入済みの」
「あだだっ痛い痛い! 肩甲骨をグリグリするのやめて!」
服の上からだと人に触れられる事実を活かした攻撃は、とても言外の恨みがこもっています。
「……どうして好きなマグロの部位が必要なのかな」
「沙紀、そこはどうでもいいよ。あの……本当にいいの?」
「いいわけないでしょ、結婚なんかしないわ」
骨を磨り潰すが如き痛みに耐え忍んだ俺を放り出し、明日佳が優に向き直りそう吐き捨てる。半ば涙目になってる俺を見て、優はただ苦笑いを浮かべるだけだった。うん、まぁ、自業自得だしね。
「いやそこじゃなくて、部長のことだよ」
「別に……こんな部活の部長なんて、たいしたことしなさそうだし」
実際、この学校において部長の仕事なんて然程ない。実績も何もない部活には部費も下りてないし、表立った仕事としては、年度末の報告書の作成ぐらいだろうか……それすら俺は作ったことないが。
「けど、お姉さまが部長をおやりになられるのでしたら安心です! 精一杯付いていきます!」
沙紀ちゃんが満面の笑みを浮かべて明日佳ににじり寄る。もちろん明日佳はその分距離を取って引いているが、沙紀ちゃんはそれにも気づかずニコニコしている。羨望という善意だけで構成されている沙紀ちゃんは、ある意味明日佳にとって一番の難敵ではなかろうか。
「程々にね……」
明日佳はため息を吐きながら、沙紀ちゃんを宥める。その一連の流れを見ていた優が、不意に怪訝そうな表情を浮かべる。
「あれ? 僕が部長だったら安心じゃなかったの? あれ? ねぇ沙紀?」
「なぁ……どういうことだ?」
妙な感じの修羅場を迎えてる三人を眺めていると、孝志が耳打ちしてきた。
「ん? 何が?」
「明日佳ちゃんがどうして、急に部長やりますだなんて宣言したんだってこと」
「ああ、そうだな……」
またしても良くわからないロマンスな展開を経て見つめ合う優と沙紀ちゃんを見て、明日佳はさっきよりも深くため息を吐いていた。その姿を見ながら、俺はこう答える。
「ただ、目の前で理不尽な目に会う人を見過ごせないんだろ。彼女は」
「……おまえ、やっぱ相当性格悪いよな」
「ふふん」
「そこで胸張れるのがすげぇよ」
自覚ある悪意より自覚ない悪意の方がずっと厄介だからこそ、ここは胸を張って肯定しておく。いつのまにやらロマンスを終えていた沙紀ちゃんが、俺の方に向き直り口を開く。
「そういえば、顧問って誰なんですか? あたしまだ挨拶してなくて」
「ああ、呼んであるから、もうそろそろ来ると思うよ」
「ご、ごめんね! 会議が長引いて遅れちゃった」
「……タイミングバッチリですよ、春子先生」
ちょうど俺が言い終わった瞬間に扉が開き、そこから現われたのは我らが第二天文部の顧問、御林春子先生だった。かなり慌てて来てくれたのか、栗色の綺麗な髪が多少乱れている。
「ちょうど先生の話をしていたところだったので」
「そ、そうなの? なら走ってよかった…」
温和で温厚。何事に対しても一生懸命な姿勢や、生徒をまるで弟か妹のように優しく接してくれる今時珍しいタイプの先生だ。そのため男女問わず人気がある。
「えっと、初めましての子もいるかな。この度第二天文部の顧問になりました御林春子です。よろしくね」
一切の邪気もない、すなわち無邪気な笑みを浮かべて自己紹介をしている先生の姿を見ると心が和む。つうか最近周りが殺伐し過ぎなだけなんだけど。
「……………」
ふと明日佳を見ると、彼女は俯いたまま一度も先生を見ようとしない……いや、自分を見せようとしない?
「ヘイどうしたんだいトゥモロースメル? うつむいてちゃせっかくのビューティーアンドキューティクル、略してビューティクルが台無しだよ?」
「うるさいわね……」
何かを諦めたようなため息を吐き、明日佳が顔を上げた。
「あっ」
明日佳の顔を見た春子先生が声を上げる。
「……お久しぶりです。春子さん」
だが、その驚きはすぐに鳴りを潜め、春子先生の顔には優しげな笑みが浮かぶ。何故か明日佳は、その笑みから視線を逸らした。
「……そうね。久しぶり、明日佳ちゃん」
「へ? 知り合い?」
意外な人物との共通点に俺たちは唖然とする。場の空気に人一倍鈍感な孝志だけがいつもと変わらない調子で二人を指差し質問をしていた。
「ええそうなの。わたしたち実は同じ孤―――」
「昔からの付き合い。それだけよ」
明らかに先生の言葉を遮るかのような、明日佳の鋭い声。その鋭さに、部室内の空気は一瞬停滞し、ピンとした緊張感が走る……事情がわかるのは、俺だけか。
「へーそうなんですか。いやーそれはすごい偶然ですね」
固まってしまった雰囲気を崩すため、わざと声を大きく、大げさに話す。
「え、ええそうね。ほんと、すごい偶然」
春子先生も空気を読んでくれたのか、両手を胸の前でポンと叩き、喜びを表現する。俺はこの柔和した空気を保つべく、早々に話題を変えることにする。
「あー、春子先生、部長なんだけど明日佳がやることになったから。はいこれ書類」
必要事項が全て記入されている用紙を春子先生に渡そうとすると、その書類に気づいた明日佳が訝しげに俺を睨む。
「私、まだ書いた覚えないけど」
「え? もちろん俺が書いてただけだよ」
「なぜ当然のように答えてるの……」
「こいつに関しては普通の考えでは通用しないよ……」
額に手を当てため息を吐きながら、優が明日佳に対して諦めを促す。今日だけでこの部室内には何度ため息が吐かれているのだろうか。その大半が誰のせいなのかは、あえて考えないでおくけど。
「えっと、もらっていいのかしら……?」
「……構いません。受け取ってください」
吹っ切れたかのように、明日佳はそう吐き捨てる。その様が意外だったのか、一瞬だけ春子先生は目を丸くして驚いた後、ニッコリと笑って俺が差し出す書類を受け取る。
「はい、受理しました。よろしくね、明日佳ちゃん」
こうして、第二天文部の新部長が誕生した。
・君河明日佳
「明日佳ちゃん」
部活が終わりこれから下校という時。予想通り、春子さんが私を呼び止めた。
「ちょっといいかな?」
ニッコリと笑う春子さんの誘いを、気は乗らないが、断ることは出来なかった。首を縦に振って返事を返す。
「なら、俺は先に帰ってるから」
私に向けられた言葉に、また同じように返事をする……って、何を私は自然に受け入れているんだ。
「ど、どうしたの? そんな、額を押さえて」
「……気にしないでください」
自己嫌悪に陥る思考を切り替えながら、私は椅子に座った。いつのまにか私しか座ることのない席。今更そんな風に彼らに受け入れられている事実にも気付き、私はまたため息を吐く。今日だけで何度目のため息だろうか。孤児院にいた頃もお婆ちゃんの相手をしてため息を吐くことばかりだったこともあり、もう今更数えるのすら億劫になっていたけど。まさかこの町に来てからも、同じような悩みを懐くことになろうとは。
「明日佳ちゃん、変わったわね」
「……自分ではよく、わからないです」
その言葉を否定することは簡単だった。自分だって、あまり変わったようには思えなかったし、まるで成長してない自分に嫌気が刺すことだってまだまだたくさんある……でも、少し前の私に、変わろうと思う意志なんてあっただろうか。人を信じたい、という願望はあった。けれどそれが、人を信じよう、という決意に変わったのは、いったいいつからだろう。
「……春子さんは変わりませんね」
「あら、そんなことないわよ。わたしだって変わったんだから」
「……どこが」
何でもないようなことで笑い、悲しみ。他人のために異常なまでに献身的になれる人間性。私が一番嫌う……違う、恐怖を覚える姿のまま。
「泣かなくなった」
子供みたいに、「ふふん」と鼻を鳴らして、自慢げに口にする。
「……それは、変わりましたね」
「変わったというより、強くなった。かな。智くんのおかげで、わたしは強くなった」
飛坂智明。孤児院での彼の姿を思い返して、どうしたって春子さんの言葉に違和感を感じてしまう。だって、彼は間違いなく、私側の人間だったはずなのに。
「智明さんは、今どうしてますか?」
「……幸せになってるよ」
私が求めた答えとは、少し方向性の違う答えが返ってきた。でも、気にしていたことは、その返答に全て込められていた。
幸せ。世の中に溢れていて陳腐にも聞こえる語感。望めば望むほど遠ざかる相反の象徴。私と似た智明さんには何よりも遠いはずの現象。
「……そうですか」
どうやらこんな私でも、親しかった人が幸せに暮らせていることは素直に喜べるようだ。
「一緒に暮らしてるの。ここからそう離れてない所だから、気が向いたらいつでも遊びに来てね」
「ええ、気が向いたら」
そう言っておきながら、私は気が向くことがないだろう。そう確信していながらも、口ではそう答えている。色々なものを真正面から見つめ、見定めていく勇気は、まだ私にはないように思えた。
・涼森直樹
「直樹、醤油とって」
「ほい」
食卓に並んだ料理を箸で摘みながら、姉さんに醤油注しを渡す。
「明日佳ちゃんおっぱい触らして」
「殴りますよ?」
「それじゃ俺には見せて――スプーンで頬を殴るのはやめてくださいごめんなさい」
今日の料理の大半が、心なしか鉄の味がするんだけど、きっと気のせいじゃない。
「食事中ぐらいふざけるのは止してください……」
「失礼な。あたしは単純にオカズを一品増やそうかと。もちろん下の方向で」
「食事中だと言ってますよね」
「いたた……どうして俺だけ手が出るんだよ」
言ってることの内容はどっちどっち、というか、明らかに姉さんの方がひどいのに。あれか、男女差別か。下ネタにすら男女差別は存在するのか。
「一応、雇い主だし」
「姉さん! 今すぐ俺にその権利を譲渡してくれ。大丈夫、悪いようにはしない!」
「嫌だよ。私がいざという時メイド服でこの町を練り歩かせるまでは絶対渡さない」
「それなら結構です! 頑張ってください!」
「ありえない話をしてないで早く食べてください」
「むぅ、作ってくれた料理はこんなに真心がこもってるのに、本人は冷たいわねぇ」
「当然の反応です」
明日佳が我が家に来た初日。こうして明日佳が作ってくれた料理を摘みながら起きたイザコザのことを考えると、明日佳も大分丸くなったもんだ。今では声を荒げずに静かに応対してるし、我が家独特の空気にも慣れてきたと思ってもいいかもしれない。
「それはそうと、あんたら明日毎年恒例の施設訪問だろ? どこに行くか決めてあるの?」
「ん? ああ、あれね」
うちの学校は地域ぐるみの活動を強く意識しており、毎年この時期になると周辺の施設、高齢者施設や幼稚園に保育園などにボランティア活動の一環として訪問し、手伝いをしている。
「俺はまぁ、去年と同じく人手が足りなさそうな所に行くとするよ」
どの施設を訪問するかは各人の自由なので、どうしても人気不人気の差は出来てしまう。例えば子供好きな奴は幼稚園や保育園に行くし、それ以外の奴らは高齢者施設に行く。この町の特色として、子供の数が多いというものがある。そのため必然的に保育園や幼稚園の町内に多く、どの施設でも慢性的な人手不足なため仕事内容が激務なのだ。となると、このボランティア活動にそこまで意欲的になれない生徒は比較的仕事量の少ない高齢者施設に向かうことになる。なので俺は、優や孝志を連れて人手不足の施設を回るという、なんともまぁボランティア精神に溢れる行いをしているわけだ。
「おまえは子供の扱いには慣れてるからな、適任だろうさ」
「慣れてるっつーか、舐められてるだな。あいつら所構わず飛び掛かってくるし……」
「気に入らない奴には飛び掛かりもしないさ。それだけ好かれているということだろう」
「え? いやまぁ、そう言われたら悪い気はしないけどさぁ……」
「まぁそれでも園児相手に格下、もしくは同列として見られてることは変わらないが」
「そろそろあいつらには大人の威厳ってやつをわからせないとなぁ……」
「子供相手に張り合おうとする時点で威厳なんかないわよ」
*
「で、明日佳っちはどこに行くの?」
「自然そうに質問してきてるけど何故あなたが私の部屋に何食わぬ顔でいるのよ、しかも座布団までしっかり敷いて」
明日佳の部屋も、空き部屋だった頃と比べてだいぶ生活感というものが出てきた。家具が置かれ、女の子らしい部屋、という雰囲気は皆無だが、人の住む部屋としては申し分ない。本棚には参考書や多少古めの文学小説が置かれているだけで、十代の少女としてはちょっと色気が足りない気もするが。
「まぁまぁいいじゃない。こういう日々の語らいも恋人たちの大事な逢瀬ってやつだよ」
「家の中でまで恋人ごっこを続ける気にならない」
「仕方ないな。それじゃタンスの中を一通り物色してから戻るとするか」
「そこから一歩でも動いたら蹴るから」
「あれ? それじゃあ俺動けないなぁ。一晩中一緒にいることになるよ? もう、明日佳ちゃんたら大胆♪」
「……この家広いから、サッカーぐらいならできるわね」
「脇目も振らず出ていきます」
蹴り転がしていく気だよ、この人……。
「ああとりあえず、質問は答えてよ。明日どうするんだ?」
「さぁね、その場の流れに任せるわ」
「……了解」
*
「ん? 君河は涼森たちと同じグループなんだろ? もうずっと前から聞いてる話なんだが」
「………………」
翌日。教室で先生からそう言われた明日佳の呆気に取られた顔を見て、本日の目標の半分を遂げたと言っても何ら過言ではない程の充実を感じていた。
「ごふぅっ」
サムズアップで待ち構える俺に体重の乗った良い正拳突きが突き刺さった辺りで、その充実感は霧散しましたがね。
「いつから?」
「な、何が? 俺と明日佳が相思相愛になるって決まってたのは前世からだけドゥッ!!」
同じ箇所を狙うのは……ちょっと……。
「今回はさすがに余裕ねぇな……」
「拳にも怒りの他にやりきれなさがこもってるね…」
「やっぱかっこいいなぁ……」
孝志、優、沙紀ちゃんが痛みに悶える俺を助けようともせず、ただ眺めていた。痛みに悶絶して背中を丸めている俺は、さぞや滑稽だろう。
「おまえら、各々の意見述べてねぇで止めろよ……朝飯全部出るぞ…」
「いやまぁ、いつものことだけどさ。自業自得だよね?」
「そうだけどさ……」
「なぁ、そろそろ痛みが快感に変わってこないか? おまえにも素質あると思うんだよ。ほら、ゾクッとこない? こう、お玉がヒューってなるっていうかさ」
「黙れ本物……」
「あの直樹さん、そのまま後二三発いいですか? 次は動画撮りたいので」
「沙紀ちゃん、君はいったいどこに行くんだい……?」
そしてその動画はどの層に需要があるんだ……。
「なんでまたいつものメンバーで……」
額に手を当ててため息を吐く明日佳の姿も、だいぶ見慣れてきた。
「それはノリで部活メンバーで登録を……って、痛い痛い! ペットボトルでも殴り続ければ人って死ねるんだよ!?」
「ま、まぁまぁ。楽しく行こうよ、ね?」
俺たちが向かうのは地域範囲ギリギリの幼稚園。子どもの数は多く仕事も多い。その上一番遠い場所だからそれはもう行きたがる人は少ない。だが、俺も優も孝志も、去年も行ったことのある幼稚園だ。子どもたちも俺たちの顔は覚えてくれているだろうし、初めて行く場所ではない分いくらか気持ちは楽だ。
部活のメンバーで連れ立って学校を出て、その幼稚園まで歩いて移動する。平日の昼間の町並みというのは学生にとってあまり馴染みのない空間だ。多少目移りしてしまうが、真っ直ぐ向かわなければ予定の時間に間に合わない。
「……正直、気が重いんだが」
歩いていると、急に孝志がそう呟く。理由を知らない明日佳と沙紀ちゃんはその言葉に不満と疑問を懐いたようだが、その言葉の真意を知っている優は苦笑しながら「仕方ないよ」と言った。
「そりゃ孝志は永遠と雑用だから、気が重くなるのもわかるけどさ」
「どうしてなの?」
沙紀ちゃんの疑問に、その隣を歩く優が答える。
「孝志は、まぁ理由はわかると思うんだけど、子供たちに嫌われてるんだ。だからあまり表に出ないで雑用をしてる」
「ほんとひっでぇ話だよな。オレはあまりある愛護精神の塊だってのによ」
「女の子限定のな」
情報が足りていないので付け足しておく。その情報を得た明日佳が、侮蔑を込めに込めた瞳で孝志を見る。
「…………ロリコン?」
ズザザザザザザザザザ、と皆が心情的に引く音が聞こえる。
「違う違う! かわいい子を探してるだけだ! 将来有望そうなら唾付けといたっていいだろ!?」
「え、えっと、それもどうかと……」
「子供って悪意とかそういったものに敏感だからね。まぁこれも自業自得というか……」
そもそも、将来有望といっておまえは何年待つつもりなんだ。具体性のない源氏物語が実を結ぶとは思えないぞ。
「……ちなみに、おまえのストライクゾーンって何才から?」
「…………七、かな」
ズザザザザザザザザザザザザザと、今度は物理的に引く音をしながら俺たちは一斉に駆け出した。
「ちょっ! 待てよっ! なんでみんな打ち合せしたみたいなタイミングで駆け出すんだ!?」
「うるせぇ来るな真性!! おまえなんか連れてけるか! ウサギ小屋にライオン引っ張ってくようなもんだ!」
「今回ばかりはさすがに僕もフォローできない! 身近に犯罪者がいると就職に響く!」
「七才って、大体あと一年じゃない……本格的な幼児偏愛者ね」
「いやいや女の子ってのはそのぐらいから輝く娘もいるんだって! 別にロリコンとかじゃなくて単純にストライクゾーンが広いだけで!! オレ何歳でもいけるから!!」
「いやぁぁ!! 来ないで! 来ないでぇぇ!!」
*
「あらあら遠い所からご苦労さま。そんな汗だくになってまで来てくれたのね」
「い、いえ。気にしないでください」
結局、俺たちは孝志から逃げるようにこの幼稚園まで来た。孝志をうまく撒くように回り道を繰り返した結果、普通に歩いた場合の距離の三倍近く多くなってしまった。なんとか予定の時間通りには来れたけど、その分ずっと走っていたわけだから無駄に疲れた。
「聞いていた人数より一人足りないようだけど、どうしたのかしら」
「えっと、タチの悪い病気にかかりまして、今家で療養中なんです」
「あらそうなの。お大事にね」
いえ、きっともう手遅れなんだと思います。保母さんの気遣いが、ちょっぴり心に痛いです。なんでこんないらぬ痛みを背負わなきゃいけなくなったんだ。
「それじゃ四人いるわけだから、二人に別れてもらえるかしら。本当なら人手が少ないから一人づつ担当してもらいたいのだけど、初めての人もいるみたいだしね」
特に話し合う必要もなく、俺と明日佳、優と沙紀ちゃんの二人組に別れ、俺たちは各教室へ向かう。そして教室の扉に手をかけ、開く前に明日佳に注意と、覚悟をしてもらうべく口を開く。
「いいか? 明日佳。入る前に心得てほしいものがある」
「……何」
「この扉の先は血肉に飢えたヤングアニマルの巣窟だ。少しでも弱みを見せたら……食われるぜ?」
「絶対そんなサバイバルな世界とは無縁だと思うのだけど」
「ふっ、まぁ見てるがいいさ」
負けない。例え負けることになったとしても、決して、意味のない敗北はしない。そういう、熱い覚悟を持って俺は扉を開く!
「うぉらおまえら! 今日という今日はおまえらの言いなりにはならねぇぞ―――って何ですでに飛び掛かってぎゃああああああ!!」
「……そうね、教訓になったわ」
・君河明日佳
「お兄ちゃん力ないー」
「は? 俺が力ないわけないだろ。ムキムキだっての。脱いだらすごいっての」
「じゃあもう一回ぶら下がるから。今度はちゃんと力入れてよね」
「今度も何も俺は最初から全力だっての。ウサギどころか亀相手にさえ全力を出す獅子だっての。ガキ二人腕にぶら下げるくらいわけないっての」
『せーのっ』
「って多いわぁー!!」
「……騒がしいわね」
合計八人の子どもたちに圧し掛かられながらも騒がしく遊ぶ彼の姿見て、呟く。子どもとはいえ、総重量は大したことになってそうだけど当の本人は笑顔を浮かべたまま、言葉だけは怒っているかのように喚いている。全身全霊で子どもたちと遊ぶ彼の姿は、ある意味年相応なのか、違うのか。判断に迷うところではある。
「ねぇお姉ちゃん」
「ん?」
いつのまにか傍に寄ってきていた女の子が、私の制服のスカートを摘む。円らな瞳は確かに私を捕らえていて、今更振り払うことも出来なそうだ。元気の良いタイプの子どもは全て彼の元に向かったらしく、大人しいタイプの子どもが数人、私の元へと集まってきていた。
「何がしたい?」
腰を曲げて視線を下げる。孤児院では毎日のようにやっていた姿勢。まさか、この町でも同じことをするなんて思わなかった。
「お姉ちゃんきれー」
子どもの一人、クリッとした目が特徴的な女の子が私の顔をジッと見て、そう呟いた。
「……ありがと」
容姿を誉められるのは、苦手だ。名字で呼ばれることと同じように、親との繋がりを再認識させられる。だからといって、この少女が悪いわけではない。まさか子どもたちの目の前であからさまにため息を吐くわけにはいかず、拙い作り笑いを浮かべておく。
「ねぇねぇ、このご本読んでっ」
私が笑ったことが嬉しいのか、少女は嬉々とした様子で私に一冊の本を差し出した。
「赤ずきん、か……」
有名な話だ。お婆さんの家までお使いを頼まれた赤ずきんはお婆さんを騙る狼に飲み込まれ、通り掛かった猟師に助けられる。というのは童話として書き替えられた話で、原話は猟師など出てこなく、赤ずきんは衣服を一枚一枚剥ぎ取られた後ゆっくりと食べられたわけだが……そんな事実を告げてもしょうがない、か。
「うん、いいよ」
「……お姉ちゃん、お顔もきれいだけど、声もきれい」
「声……?」
そんなこと初めて言われた。多少声色を変えて話すこともできなくはないが、私は基本的にぶっきらぼうに、例え目上の人間であろうとわざと粗暴に話す癖ができてしまっている。そうして当たりが強い人間を演じていた方が、関わろうと考える人は少なかったからだ。その声を、綺麗だと言われた。
「……そう、ありがと」
そんなことは初めてで、私はどう返事をすればいいのか一瞬わからなくなってしまった。私の声も、あの親から確かに受け継がれたものだ。多少生まれ育った環境によって差異はあるだろうが、元は変わらない。
「それじゃあ、読むからね」
それでも、この少女の気持ちは嬉しくて。こんな、人として壊れている私でも嬉しいと思えるぐらいに、無邪気な感情を持つ少女に向けて。
私は、ゆっくり伸ばした手のひらを―――――。
・涼森直樹
「あ~おまえら、はしゃぐのはいい。若い頃にしか出来ないしな。だがな、さすがに総勢十三名もの人数で人にぶら下がろうとかは若気の至りでは済まないだろう。下手したら俺は死にますよ?」
決して俺が非力とかそういうわけではなく、人には限界ってものがあるんですよ。
「みんなー、お姉ちゃんがご本読んでくれてるよー?」
「こらそこ!! その年で華麗なスルー技術発揮してんじゃねぇ!!」
俺の叫びも虚しく、一人また一人と立ち上がってどこかへと駆けて行く。子どもは好奇心の塊、というのはここに来る度に何度も実感するが、それはともかくまだ俺の話は終わっていない。
「ちっきしょ~……誰だっ、俺の説教を自然な客引きで邪魔する奴えええええぇぇぇぇぇ!?」
子どもたちが駆け寄る先の光景を見て、一瞬にして怒りやらやるせなさやらが飛び去ってしまうぐらいに驚く。
「あ、明日佳さん!?」
「何よ、今赤ずきんが狼に食べられる見せ場なんだから、邪魔しないで」
「いやそこ見せ場じゃないだろ」
赤頭巾の見せ場って、狼がお婆さんを騙るシーンとか、狩人が狼の腹を掻っ捌く辺りじゃないのか。
「じゃなくて……頭撫でて……触れてない?」
明日佳の手のひらは確かに女の子の頭に乗せている。現に撫でられてる女の子の表情は親に甘える子供のようににこやかだ。
「子供なら、平気なのよ」
「……それは、昔孤児院にいたことと関係ある?」
「さぁ、わからないわ」
人には触れられない。けれど子どもなら、触れられる。矛盾しているが、現に俺の目の前の明日佳はその状況下にある。なら、その理由とはなんだ。
「ねぇお姉ちゃん。続きまだー?」
「赤ずきんちゃんまだ食べられないのー?」
「なんでおまえらそんなシーンを待ち望んでんの? おかしくね?」
時折本当に、この幼稚園の園児は大丈夫なのか心配になる。
*
休憩中、俺と明日佳は保母さんからの差し入れの羊羹を摘みつつ、園内の庭で遊び回る園児たちを眺めていた。
「いやー、うまいですなぁ……」
「そうね」
「こうしてると縁側で孫を眺めるお爺ちゃんの気分だよ。のぉ婆さんや」
「誰が婆さんよ」
「痛い痛い痛いつまようじは羊羹に刺そうよ! 俺の額を猛打するものじゃない!」
「……相変わらず、仲良いのか悪いのか判断難しいよね」
額に穴が空いてないか確認していると、苦笑を浮かべながら優がやって来た。
「いてて、優お疲れ。どうだった?」
「楽しかったよ。みんな良い子だからね。言うこともちゃんと聞いてくれるし」
「さいですか……」
なんだろうね、この敗北感。別に勝負でもなんでもないのにね。
「……沙紀は一緒じゃないの?」
羊羹を飲み込んだ明日佳は、優が一人で戻ってきたことに疑問に思ったのかそう聞いた。
「ああ沙紀なら……ほら、あそこに」
優が指差した先には、子供たちに交ざって楽しそうに滑り台に上る沙紀ちゃん。
「……違和感ないなぁ」
見た目は確かに年ごろの女の子なのに、なんというか、雰囲気が幼く見える。その光景を見ていると、優の傍に男の子が一人駆け寄ってきた。
「ねぇねぇ、みんなも鬼ごっこやろうよ!」
「うん、いいよ。二人はどうする?」
「おっし、やるか」
「私は……いい、もう少し休んでる」
「そっか、気が向いたら来いよ?」
立ち上がり、一つ伸びをする。大量の子どもたちに圧し掛かられた時の疲れや痛みは大分引いた。子どもたちを相手にした鬼ごっこぐらいは問題なく出来るぐらい、体力は回復している。靴を履いて園庭に出ると、沙紀ちゃんも含めた大人数での鬼ごっこに発展していたそうだ。たくさんの園児が、これから始まる鬼ごっこに期待して目をキラキラさせている。
「さて、それじゃ鬼はどうしよう。僕か直樹から始めようか」
「優お兄ちゃんがいい」
「ふむ、なるほど。確かに俺が鬼だとすぐ終わっちゃうしな。その考えは間違ってないぞ」
『だって直樹お兄ちゃんだと捕まらないから鬼ごっこにならないし』
「………………」
そんなことを、総勢十人以上の子どもから声を合わせて言われる俺。舐められているというか、馬鹿にされてるとしか思えない。
「いや、ほらっ。ある意味で信頼されてるんだって」
「そ、そうですよ。楽しめればいいじゃないですか」
横で二人が何か言ってるが今の俺は一匹の修羅。もう目の前のガキ共に目上の者への対応の仕方を叩き込むことで頭一杯です。
「おまえら……! 全員とっ捕まえて『直樹兄さんマジパネェッス!』って言わせてやる!!」
「ムキになってちゃ年上の威厳もなにもないよ!?」
「というかなんでそんな台詞を……?」
・君河明日佳
「何をしてるんだか……」
彼がいる場所はいつも騒がしい。それはきっと、悪いことではない。その証拠に周囲の人たちは笑顔になっている。
……白状しよう。
私は、あちら側に行きたい。
「まだ、そんなこと思えるなんてね」
過去、傷ついて壊れた私の心は少しづつ、機能を取り戻してるのかもしれない。けれど、そんなのは今更だ。私によくしてくれた孤児院の皆。その彼らに対してさえ、私は拒絶してきたというのに。
「いや、まだ遅くない……の、かな」
あの、アスレチックを無理に潜ろうとして頭を打ち、悶絶してる彼の言う通り、私が人を信じられるようになったら、一度帰ろうか。
『……明日佳ちゃん、変わったわね』
昨日、春子さんが私に言った言葉が脳裏を過ぎる。私は、本当に変わったのだろうか。どう、変わったのだろうか。
「……あの子」
ふと子供たちが遊ぶ広場から視線をずらすと、男の子が一人きりで絵を描いていた。他の子は皆外で遊んでいるのに、あの子は一人。その姿が、あまりにも過去の私に似ていたから。
「みんなと遊ばないの?」
気付けば私は、その子に話し掛けていた。
・涼森直樹
「最近さぁ……いくらなんでも肉体的ダメージ多すぎると思うんだ……」
砂場に作られた落し穴に足を捕られ転倒、アスレチックを潜ろうとして頭を強打。その他諸々の擦過傷の数々。さすがに色々と限界なので優と鬼を交換してもらい、俺は休憩していた。
「まぁ、俺もムキになり過ぎたな。子供相手に大人気なかったけど、手加減されるのが嫌って奴もいるじゃん?」
いつもならここで優か明日佳から冷静なツッコミが入るのだが、二人とも近くにいないので物理的に無理。
「って、明日佳はどこいったんだ?」
優と沙紀ちゃんは相変わらず、自然な笑顔で鬼ごっこに興じてるし。
「……いた」
俺と同じように休憩してたはずの明日佳は教室で男の子と親しげに話していた。膝を曲げ、椅子に座っている男の子と同じ高さの視線で微笑んでる……やっぱ、笑うと可愛いんだよな。いつもの涼しげな表情は美しく見え、笑った顔は少女のように可憐。なんて反則なんだ、君河明日佳。
「少しは俺にもその顔向けてくれてもいいじゃんなぁ……」
……いやいや、だったらもうちょっとまともに関われよ。とセルフツッコミ。しかし、どうしてあの男の子は一人で教室にいたんだ?
「ヘイ、そこのかわいこちゃん」
「ん? なぁに?」
鬼ごっこの休憩中なのか、女の子が集まった集団に声をかけると、その中の一人が振り向いた。
「あ、おまえかわいこちゃんって呼ばれて振り向くとは。や~い自意識過剰~」
「…………はぁ」
「幼稚園児に呆れられた!?」
「で、何? あたし忙しいんだけど」
「しかも嫌々対応されてる……」
もう年上の威厳どころの話じゃなくなってきたな。
「どうしてみんなあの子と遊んでないんだ? 誘って一緒に遊べばいいのに」
「誘ったよ」
「けど断られたの」
気付けば鬼ごっこをしていたはずの全員が集まって来ていた。
「おまえら、鬼ごっこはどうしたんだ?」
『……………』
子どもたちが無言で指差したその先には。
「も、もうっ。優速いよっ!!」
「いくら沙紀でも手加減はできないよ。君は正々堂々じゃないと嫌なタイプなんだろう?」
「そうなんだけど…………ねぇ、そういう女の子って可愛くないかな?」
「そういうって?」
「勝負事にムキになったりとか、ハンデを受け入れなかったりとか。あまり、女の子らしくないよね……」
「……女の子らしくなんて、ならなくていいんだよ」
「え?――――きゃっ」
「おっと、足元はちゃんと見ておかないと」
「あ、ありがと……」
「……僕はね、女の子らしいから君が好きなんじゃない。君が沙紀だから好きなんだよ」
「優……」
「勝負事にムキになるのは勝ちたいと思える向上心があるから。ハンデを受け入れないのは相手と対等でいたいから。全部、立派なことだよ。君はそのままでいいんだ。そのままの君が、僕は好きなんだ」
「うん……」
「それにね。こうして、頬に手を当てるだけでこんなに真っ赤になって目を逸らしたりする沙紀はとっても可愛くて、女の子らしいと思うよ」
「あ、あぅ……」
「ふふっ……そういえば、鬼ごっこの途中だったね。それじゃあ僕が鬼だ」
「………………」
「沙紀? ほら逃げないと。すぐに捕まえちゃうよ?」
「離れたく、ないんだもん」
「それじゃあ鬼ごっこにならないよ」
「いいよ。だって、最初から私は優に捕まってるんだから」
「沙紀……」
「優……」
「………………」
……え、子どもの集まる幼稚園の庭で何してんのあの人たち。
「ああゆうのを、ラブラブって言うの?」
「……いやあれは、バカップルって言うんだ」
「どーゆう意味?」
「関わらない方がいいよって意味」
最近の優は頭のネジが弛み始めてるな。このままだと部活内の常識人は明日佳だけに……。
「ねぇねぇ、直樹お兄ちゃん」
「ん? なんだ?」
女の子が一人、明日佳と一緒にいる男の子を指差す。
「あの子ね、楠木くんっていうんだけど。今度角瀬くんになるかもしれないんだって」
「……おぅふ」
「ねぇどうして? どうして苗字が変わっちゃうの?」
あの子がどうしてこいつらとの遊びを断ったか、薄々だけど理解できた。
「あ~、それはだな……」
人の思考は千差万別。一人一人好きな食べ物が違うように、好みなんて人の数だけあるし、感情なんてその時々でいくらでも変貌する。どれだけ熱く、強い感情であろうと、冷める時は冷めてしまう。
愛したはずの人との離別を選択する人だって、いる。
「色々あるんだよ。大人にはさ」
その女の子の頭に手を置いて、少し乱暴に撫でる。
「おまえたちは今まで通り、友達でいてあげればそれでいい」
傷ついて、傷ついて。荒んだ心を癒すのは時間と、周りの人の温かさだけだ。
「……同類相憐れむ、か」
俺と同じことを、明日佳はやり始めたのかもしれない。
*
「みんなお疲れさま。本当に助かったわ」
園内から子どもの姿はなくなり、みんな親元へと帰って行った。園内の掃除を手伝った俺たちは、幼稚園の玄関で保母さんの労いの言葉を受けていた。
「いえ、こちらこそ。今日は良い経験が出来ました」
「後半ずっと二人手を取ってウフフアハハ言いながら旋回したのは、良い経験か……?」
「ほんと悪かったって……」
あの後、優たちは二人の世界から帰ってこないし、明日佳はあの男の子と話し込んでいたため、俺一人で全員を相手していたのだ。そりゃもう肉体ダメージは半端ないですよ。
「それじゃあ、今日は本当にありがとうね。お疲れさま」
保母さんの労いに笑顔で返答して、俺たちは帰路に着く。家の方向が違う優と沙紀ちゃんの二人と別れ、俺たちは一言もしゃべることなく家路を歩いていた。別に険悪なムードというわけでもなく。こう……なんというか。
「………………」
沈んでるのだ。表情に影を落とし、トボトボと覇気のない歩きをして後ろついてくる。落ち込む明日佳の姿など見たことないので、俺も何を言えばいいのかわからず歩く……大方あの男の子のことなんだろうけど。
「……あなたは、あの子を知ってた?」
「あの子って、おまえが話していた?」
コクンと頷く明日佳。動作まで単調になっている。
「そうだな……何度かのしかかられたよ。あの頃は、皆と一緒にいた」
丁度一年前。俺に率先して飛び掛かってきたのがあの子だと記憶してる。元気で、活発な、よく笑う男の子だった。だからこそ、今日の一人きりでいる姿はあまりにも昔とかけ離れていて。
「そう……」
「ま、何かあったら手伝うから。いつでも言ってくれ」
「何も言ってないんだけど」
「何かしたいって思ったんだろ?」
「……別に」
歩調を早めて明日佳が先を行く。
「素直じゃないよなぁ」
苦笑いでため息を吐き、俺も早足になって追いつこうとする。
*
例えるならば、起きたその瞬間から深い水の底にいました、といった感じなのだろうか。いや、寝てる間も人間呼吸してるから、目を覚ます前に死んでるわ。というツッコミはごもっともなんだけど。感覚としては、その、水の中で目を覚ますというのが一番近い。目を覚ましたその瞬間から、命の危機を感じるような。生命として当然の、切羽詰まった状態。それが、俺の毎朝の、起床時の精神状態だ。
とはいえ、言葉だけを聞くなら最悪に近い精神状態ではあるが、俺としては別に、そこまで最悪でもないというか。むしろ、目覚めが良いといった感覚ですらある。かかっていた布団を退け、俺はのそりと立ち上がる。体調は悪くないし、精神状態も良好。一日の始まりは良い笑顔から! 俺はニッコニコの笑顔を浮かべ、いつも通りガラリと大きく窓を開け。
「グッッモーニンエブリワン!!」
朝の到来を教えてくれる小鳥たちに元気に挨拶を―――――――
「…………………」
一言で言うなら、静寂。音もない静かな空間。町全体が。いや、町どころではなく。
「……あー、あーあー」
いつもなら朝の喧騒にかき消されるぐらいの声量でも、何の音もない空間では異様に響く。
「また来ちゃったか……」
静寂だけが続く無音の世界。鳥も猫も虫も人も。意志ある生命が何一つ存在しない。
「最近なかったからなぁ、油断してた」
この夢みたいな世界には今までも何度か来たことがある。朝起きたらだったり、夜寝る前だったり。授業中気付いたら、なんてこともあったな。
「ま、気にしても仕方ないか」
俺は早々に制服に着替え、部屋を出る。念のため明日佳の部屋や姉さんの部屋を覗くが、やっぱり誰もいない……いや、さすがにタンス漁ったりなんてしてないからね。
「いやぁ、ほんっと。誰もいないね」
外に出てみるとより浮き出る違和感に、ついつい独り言が多くなる。風もないってのはいったいどういう理屈なんだか。まぁこうしていても仕方ない。会うのは久々だが、早速呼んでみるとしよう。俺は体を逸らす程、息を大きく吸って。
「俺はここにいますよぉぉぉぉぉぉ!!」
よぉー……よぉー……よぉー……
誰もいない静寂の世界で反響していく俺の『よぉー』。
「毎回毎回、あなたはうるさいわね」
両耳を押さえながら女の子が一人、どこからともなく現れた。可愛らしい顔をあからさまに歪めて、俺を睨んでいる。
「やっほー久しぶり。元気にしてた? 相変わらずちっちゃいね。ちゃんと食べてる?」
「例え食べようが成長はしないの。私はそういう存在だと前にも言ったでしょう?」
この世界での知り合いの一人で、名前を教えてくれない意地悪な少女。髪は真っ黒で、足首辺りまで伸びて異様に長い。服装はゴスロリ、という種類だったか、とにかくお人形みたいな服装で、本人の様相もあってか本当に等身大のお人形のように見えてしまう。一言も喋らず、表情も変わらなければ生きている人間には見えない程に、彼女には現実感というものがなかった。
「いやいやわからないじゃないか。この世界だって食べ物はちゃんとあるんだし、養豚場の豚のごとく卑しく貪ってみればいいじゃん」
「……それは本当に薦めてるのかしら」
聞いた話で確証も何もないが、彼女はこの世界の主、みたいなものらしい。見た目は明らかに小学生程度にしか見えないのだが、彼女曰く。『少なくとも、あなたよりずっと年上よ』、とのことだ。
「けど、ほんと久しぶりだよね。もしかして君が呼んだの?」
「私があなたを呼ぶわけないでしょう。そもそも、ここは呼ばれたら来れるような場所じゃないわ」
「じゃあ、なんで俺は来れてるんだ?」
非現実な、あまりにもファンタジーが過ぎる世界。そんな場所に来れてしまう理由は、いったいどういったものなのか。
「……別に、理由なんてどうでもいいでしょう? あなたは何だかんだで、この世界を楽しんでるのだから」
「ああうん。駅の線路で全力スタンドバイミーごっこやってた。その前は普段は人がいるから難しい『白線だけを渡ってくゲーム』を」
「……予想以上に楽しんでるのね」
何故か頭を押さえている少女。いや、やりたくもなるって。
「これでもセーブしてるんだ。もし電気も通ってたら音響装置一式を揃えて一人野外コンサートやパチンコ屋の電飾をいじってドット絵作ったりするし」
少女の俺を蔑んでる視線が思っていたよりも強く心に痛いので、冗談はこの辺にしておこう。
「それより今日は君一人なの? 柊弥は?」
「……彼は出かけてるわ」
「ふーん。久々なんだし、会いたかったな」
柊弥ってのはこの世界でしか会わない奴で、たまに会えば二人で色々と好き勝手やったりと。中々気が合う面白い奴だ。見た目はなんだか女の子みたいなんだが、言動が時折オッサン臭く、そのギャップも見ていて面白い。
「あれ? そういや柊弥はどうなんだ? あいつだって俺と変わらないと思うけど」
「彼は私側の存在よ。元々この世界の住人だから、いることに不自然なんてないわ」
「はぁ、そうだったんだ…」
それなら向こうで会わなかったのは頷ける。てっきり俺と同じように、この世界に迷い込んでしまった人間だと思っていたけど。なるほど、探したところで存在してないのだから見つかるわけがない。
「……あまり彼とは会わないほうがいいわ」
「なんでよ。めちゃめちゃベストなフレンドなのに。そもそもなんでそんな忠告なんかするんだ?」
「……忠告、なのかしらね。自分でもよくわからないわ」
時折、この子はこうして自嘲めいた笑みを浮かべることがある。この世界のことを聞いてもあまり教えてはくれないが、特に自分のこととなると徹底して何も教えてくれない。見た目のこともあってか、こうした自嘲気味な笑みは彼女に似合わず、見る度に違和感が胸に巣食う。
「……ま、快諾は出来ないけど。覚えておく」
ふいに、視界が霞む。じわりじわりと外側から歪んでいく。目薬を目に注した時のように、映るものが全て朧げになるのだ。これが、この世界の終了のサイン。今回は随分と早い。
「それじゃね。また会えたら」
「……期待しないでおくわ」
つれない返事をして、彼女の姿は溶けるように消えた。視界は歪み、滲み、次第に像を失い、何も見えなくなる。
その暗闇は、自分が目を閉じているからなのだということをノックの音が教えてくれる。
「ん………」
目を開けるとそこは確かに自分の部屋。音は……ある。小鳥の囀り。車のエンジン音。風が凪ぐ音。通学路を歩く子供の声。未だ鳴る、ノックの音。
「開けるわよ」
扉を開けて姿を現したのは、案の定明日佳だった。制服の上にエプロンを着るジャスティススタイルで、料理の邪魔になるからか髪を一房にまとめている。実に可愛らしいが、それを褒めると割に合わない攻撃を食らうので、今日のところは止めておく。照れ隠しにしては、少々バイオレンスが過ぎると思います。
「……朝ご飯出来てるから、早く準備して」
「あーい」
雑な返事をして起き上がるのと同時に、ドアが閉められる。
「………………」
俺は黙って、自分の部屋を見渡す。何も、何も変わっていない。俺はあの世界で制服に着替え、部屋を出た。けど今の俺は寝巻のまま、自分の部屋から一歩も出ていない。俺が起きて町を歩き回った形跡なんてどこにもない。
「でも夢じゃ、ないんだよな……」
あの世界が俺の夢でしかないのなら、俺の記憶の範囲内で構成されてなければならない。例えば駅の線路。現実に俺は線路の上を歩いたことはない。自分で線路を歩く光景なんて見たこともない。だが、あの世界での線路は確かに現実のものと同じだった。(確認した時駅員に追い掛けられたのは良い思い出)俺の記憶にないような場所でも数々の変化があったが、それさえも反映されていた。
夢ではないなら、あの世界は何なのか。現実に存在しているのか。そして、現実に存在しているのなら、どうして俺はあの世界へと迷い込めるのか。
「……ま、考えてもわかんないね」
さて、さっさともう一度制服着て、朝ご飯食べるとしよう。
ちょこちょこ他の章のキャラも出て、にわかに活気づいてきましたね。(希望的観測)
このお話はすでにお分かりの通り、ファンタジー要素が根幹となってますが、それ以外のことはすべて現実でも起こりうる出来事、起こった出来事を参考にしたりなんだりしてます。




