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コレが私のダイヤグラム。On Time‼  作者: ちとせ鶫
第1章 基礎工事

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第2話 火曜日の悪夢

ゴミの日は覚えられない。

けれど首都圏の朝ラッシュは、一秒単位で制御できる。

生活能力と運行管理能力が極端に噛み合わない女・時刻結衣と、そんな姉を淡々と支える弟。

今回は“交渉”と“生活”の両面から、彼女のダイヤグラムが動き出します。

「姉ちゃん……それ、今日じゃないよ」


 玄関の前に、ゴミ袋が三つ並んでいた。


 燃えるゴミ、資源ゴミ、プラスチック。

 私は三つとも両手に抱えて、マンションの廊下に出ようとしていた。

 外はまだ薄暗い。

 六時四十分。

 朝のゴミ収集は八時までだから、余裕がある。


 台所から標の声が飛んでくる。


「燃えるゴミは月曜と木曜。今日は火曜日だよ」

「......あ」

「資源ゴミは第二と第四の土曜。プラも違う日」

「......」

「全部間違えてる」


 三つの袋を玄関に戻す。

 私は何も言わない。

 言える立場にない。

 首都圏鉄道SRの東京指令センターでは、

 私のダイヤ管理の精度は秒単位で信頼されている。

 列車の到着時刻、接続余白、乗り継ぎの許容幅——

 これらを一度も間違えたことはない。


 それなのに。


 この街で暮らし始めて三年になる燃えるゴミの曜日を、

 私はいまだに覚えられない。


 標が台所から顔を出した。何も言わない。

 言わなくていいことを、もう知っている。ただ少しだけ、

 疲れたような顔をした。それが言葉よりも重かった。


「......週に何回あるんだ」


「週によって違うからわからなくなるんだと思うよ。

 カレンダーに書いといたら?」


「書いてある」


「どこに」


「......時刻表の裏」


 標が目を閉じた。


≪地上の私は、曜日すら学習できない、ただの役立たずだ。——けれど。≫


     * * *


 東京指令センターのドアをくぐった瞬間、スイッチが入る。


 今日は西崎が先に来ていた。

 モニターを眺めながら、何か引っかかるものがあるような顔をしている。


「おはようございます。今日、朝から相中が......」

「わかってる」


 ヘッドセットをつけながら、六面モニターを一舐めする。

 相模中央鉄道の直通枠の数字が、昨日の夕方から膨らみ始めていた。


 相中が、超過申請を出してきている。


 毎朝のラッシュ時間帯に相中からSRへ乗り入れる列車の本数は、

 両社間の協定で上限が定められている。

 それを相中は、来月ダイヤから三本増やしたいと言ってきていた。

 非公式ルートで、昨日の定時後に。


「......大沼さんから連絡が来てますよ、昨夜。折り返しをって」

「見たわ」


 見た上で、今朝まで折り返していない。

 数字を整理するのに一晩かけた。

 相中の申請には、三つの問題がある。

 朝ラッシュの山が崩れること。

 乗り換えホームの滞留が許容を超えること。

 そして——これが最も厄介なのだが——相中の言い分には、

 一見筋が通っているように見える根拠が添えられていること。


 電話が鳴った。


「——相中の大沼です。昨日の件、ご検討いただけましたか」

「しました」

「結論は」

「お断りします」


 沈黙が一拍置かれた。

 大沼がすぐに切らないのは、交渉の余地を探しているからだ。

 私はそれを知っている。


「......理由を伺えますか」

「三点あります」


 私は手元のメモを見ずに話した。

 数字はすべて、頭の中に入っている。


「一点目。現状の朝ラッシュにおける、

 SR品川方面ホームの一分あたり滞留人数は平均四百十二名です。

 相中が三本増やすと、乗換導線が交差する時間帯が現在の十八分から、

 二十六分に延びる。これは安全基準の上限まで残り四分という水準です」


「それは試算ベースであって——」


「二点目。相中が添付した昨年同期のデータは、改正前のダイヤに基づいています。

 今年三月のダイヤ改正後、当該時間帯のSR利用者は七・二パーセント、

 増えています。試算の前提が、すでに古い」


 沈黙が、長くなった。


「......三点目は」


「相中の申請は来月からとなっていますが、

 来月第三週に横浜方面の変電所メンテナンスが予定されています。

 その期間、SRの下り容量は通常比八十五パーセントに落ちます。

 この時期に直通本数を増やすと、詰まったときに逃げる余白がない」


 長い沈黙だった。


 モニターの中で列車が動く。

 どこかの駅で六秒の遅れが出た。

 私は横目でそれを確認しながら、自然に吸収されるかどうかを計算する。

 吸収できる。

 追わなくていい。


「......変電所の話は、どこで」

「先週、SRの施設部門から共有がありました。

 大沼さんのところにはまだ回っていませんか」


 また沈黙。今度は別の種類の沈黙だった。

 情報の非対称に気づいた人間の、少しだけ決まり悪い沈黙。


「......検討し直します」

「お待ちしています。ただ、変電所メンテナンス明けの再来月第一週であれば、

 二本の増便なら受け入れられます。

 ホームの滞留を一分単位で確認しながら段階的に運用する条件で」

「二本、ですか」

「はい。三本は来年の春改正まで待っていただきたい。

 その頃には品川ホームの拡張工事が完了します。

 スペックが変われば試算も変わります」


 電話口の向こうで、大沼が息を吐く音がした。

 怒った音ではなかった。何かを飲み込んだ音だった。


「......わかりました。再来月、二本で。条件は追って文書で」

「お願いします」


 通話が切れた。


 西崎がモニターから顔を上げた。

 さっきから、私の会話をずっと聞いていた。


「時刻さん......変電所の話、最初から知ってたんですか」

「一週間前から」

「......大沼さんが申請を出してくるのを、待ってたってことですか」

「待ってたわけじゃない。来るとしたらこの時期だろうとは思っていた」


 西崎が小さく「こわい」と呟いた。

 私はそれが聞こえたが、答えなかった。


 こわくない。

 ただ、動く前に手を読む。

 それだけのことだ。


     * * *


 昼過ぎに、もう一本電話が来た。今度は別の声だった。


「——大沼です。さっきの話とは別件で」

「はい」

「変電所の件、うちの部門にはまだ正式連絡が来ていなかった。

 ......情報共有を、ありがとうございました」


 短い、ひどく短い礼だった。

 しかし大沼から「ありがとう」を聞いたのは、私はこれが初めてだった。


「お互い様です」

「......そうですね」


 また切れた。


 西崎が「あ、なんか今回やわらかくなかったですか、大沼さん」と言った。

 私は答えなかった。

 やわらかいとは思わなかった。

 ただ、大沼という人間の輪郭が、少しだけくっきりしたような気がした。


 感情で来て、論理で受け入れる。そういう人間だ。

 悪くない。


 モニターの中で、列車が時刻通りに走り続けていた。


 西崎「時刻さん、すごいですよ。相中をここまで転がして——」


「転がしてない」

「でも——」

「正しい情報を、正しい順番で並べただけよ」


 西崎がまた小声で何かを言ったが、今度は聞こえなかった。


「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」


     * * *


 帰宅すると、玄関の横にゴミ袋が、整然と並んでいた。


 黄色い付箋が貼ってある。


―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―

燃えるゴミ → 月・木

資源ゴミ  → 第2・第4土曜

プラ    → 水曜


カレンダーは時刻表の裏じゃなくて冷蔵庫に貼ったよ

―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―—―


 標の字だった。几帳面な、丸い字だった。


 私は少し立ち止まって、その付箋を見た。

 冷蔵庫に目をやると、確かに月間カレンダーが貼ってあって、

 各日付にゴミの種別が書き込んであった。

 私が三年間できなかったことを、弟が一枚の紙で解決していた。


「......ありがとう」


 台所から「えっ」と声が上がった。珍しいほど素直な驚き方だった。


「どうしたの、急に」

「礼を言っただけだ」

「......姉ちゃんから礼を言われると逆に心配になるんだけど」


 私はソファに座り、時刻表を引き寄せた。

 標がしばらく台所で何かをしている音がして、

 やがて湯気の立ったものが隣に置かれた。


 見ると、味噌汁だった。


「今日、仕事どうだった?」


 私はページを繰りながら答えた。


「相中を一本、止めた」

「......何の話?」

「列車の話」


 標が「あっそう」と言って自分の分の味噌汁を持ってきた。

 私たちはしばらく、何も言わずにいた。

 外の線路を、最終電車が走り抜けた。


 始発まで、あと六時間五十一分。


     * * *


次話 第3話「傘の帰還」

大沼との会話は、「敵対」ではなく「同じ線路を使う者同士の読み合い」として書いています。

そして最後、冷蔵庫に貼られたゴミカレンダーは、この物語でいちばん優しい運行整理かもしれません。

次回「傘の帰還」では、結衣が“なくしたと思っていたもの”が戻ってきます。

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