0034暗殺者たちと孤高の王
「チャベス、ハイドロはこの館にはいないんだな?」
チャベスはうやうやしく頭を下げた。
「はい。散々あちこちへお声掛けしましたので間違いございません」
「グランザル、あんたが殺したのか?」
老人は首を振った。一応否定しているが、目は笑っていた。
「さあて。そう思いたければ思えばよかろう。競争相手が一人減って楽になったじゃろう? まあ、ちょっと遠出して帰りが遅くなっているだけかも知れんが……」
ラフィークは気味の悪い笑い方をした。元々気持ち悪いだけに、より一層不快だ。
「くくく、そうですねぇ。別にハイドロ氏に恨みはありませんが、かといって仲良しこよしでもなかったですからねぇ。せいせいしたという感じですねぇ」
オレはハイドロがいなくなったことに、なんだか心にぽっかり穴が開いたような感覚を覚えた。この生活に耐えかね、逃げ出したのだろうか。まあそれもありだろう。グランザルがその気になれば、個々にそれぞれの時間を過ごしている暗殺者たちを、一人ずつ強襲して殺すことも出来る。その恐怖に押し潰されたとして、誰が彼を非難できようか。
一方ベルサリオはハイドロのことなどどうでもよく、目先の大勝負に心奪われ――てはいなかった。食事の運び方も、酒の飲み方も、グランザルへの話しかけも、全く従来と変わらなかった。これならベルサリオが仕掛けるつもりでいるなど、誰にも予想できないだろう。
「今夜は寝かさないわよ、グランザルさん」
「お手柔らかに頼むわい」
エスロビが純朴な顔を傾ける。
「ラフィーク様、『今夜は寝かさない』とはどういう意味でしょうか?」
ラフィークは苦笑した。
「エスロビ、エスロビ。世の中には知るべきこと、知らぬべきこと、知るには早過ぎることの三つがあるのですねぇ。今のは最後のものです。さあさあ、たんとお食べ」
何にせよ、老人が美女の決意に気付いている様子はない。彼女のこの泰然自若ぶり――徹底的なくそ度胸こそが、彼女を暗殺者『妖美』たらしめているのだ。
オレは酒を飲まなかった。ガドニスもラフィークもだ。これは暗殺するかどうか、その意志を隠すためのものだ。それまで酒を飲んでばかりいた奴が、急にやめたりすれば、グランザルはどう思うか。きっと今日こそは自分を殺害にくるかもしれない――そう睨むはずだ。そう疑わせて煙に巻く意味で、暗殺者たちはあたかも示し合わせたかのように、酒を同時にやめたのだ。
オレは隣の席で館の主と歓談するベルサリオに、上手くやれよ、と心の中で呟いた。財宝を先に持っていかれることに対し、焦ったりする気持ちはなかった。実際自分には海賊の宝などどうでもいいのだ。ただ、ズールに会えさえすれば……
食事を終え、それぞれが自室に引き上げた。いよいよ今夜、ベルサリオがグランザルを殺す。その事実に、オレは我にもなく緊張した。ベッドに横になってもなかなか寝付けない。何か聞こえるかも、と思い、ドアを半開きにしておこうかと考えたが、今日に限って違う行動を取るのはベルサリオにとって迷惑だ。やはり閉じたままにしておこう。
縦に細い窓の外から雨音が聞こえる。ここに来てから初めての雨だった。ズールはどうしているだろうか。ハイドロはどこへ消えたのだろうか。あれこれ考えるうち、うとうとと睡魔に襲われた。
それからどれくらいの時間が過ぎただろう。
眠っていたオレは、ぱっと目が覚めた。
「きゃあああっ!」
聴く者の肝を潰すような、そんな絹を裂く悲鳴。それは間違いなくベルサリオのものだった。オレは跳ね起きて、ろうそくを手に扉の外に出る。5号室――もともとダルゲゾンが使っていた部屋――が、現在のグランザルの寝室となっている。そこの扉が開き、中の光が漏れていた。広間を横切り早足で近づいてみる。
その入り口から血塗れで這いずって出てきたのは――素裸のベルサリオ!
オレはその背後に、まるで悪鬼のように剣を逆手に掲げて、ベルサリオにとどめを刺さんとする全裸の老人を見た。グランザルだ。ベルサリオがこちらに気付き、血反吐を吐きながら助けを求めてくる。
「クラ……ネア……。いや……私、死にたく……ない……!」
その背中へ無慈悲な長剣が突き立てられた。噴水のように血潮が吹き上がり、ベルサリオが激痛に顔を歪める。オレは見ていられなくて、思わず顔を背けた。
恐る恐る視線を戻す。彼女は糸の切れた操り人形のように、床に長くなって、もう動くことはなかった。ぼやけた半目を虚空に向けるばかりだ。
「ベルサリオっ!」
オレは駆け寄って、衣服に血が染み込むのも構わず彼女を抱きかかえた。その体は重く、もはや何の意思の力も感じない。グランザルが剣を引き抜き、刀身にこびりついた血を振り払う。
「クラネア、そやつはわしを殺そうとしてきたので、やむなく反撃して殺害した。これがそやつにつけられた傷じゃ」
オレは涙でぼやけた視界で、老人の肩を見た。肉が抉り取られたような深い傷跡が見える。彼は出血し続けるそこを軽く叩いた。
「鉤爪付きの指輪でわしの首を狙ってきおった。背後から、しかも情事の直後だっただけに、さすがのわしも反応が遅れたわい。しかし体は鍛えておくものじゃ。反射的に上がった肩の筋肉が盾となって、致命傷を避けることが出来た」
『妖美』の渾身の戦術は、やはり何枚も上手の老人には通用しなかったのか。
「後は簡単じゃ。わしの首を紐で絞めてきたベルサリオに肘打ちを見舞って倒すと、わしの武器である長剣――壁に立てかけていた――をこやつの腹に貫き通したのじゃ。臓腑を垂らし、血まみれになったベルサリオは、扉のかんぬきを外して外へ逃げようとした。そこでわしはとどめの一撃を食らわして、比較的楽に死なせてやった――というわけじゃよ」
オレは悔し泣きし、嗚咽をなかなか止められなかった。ベルサリオ……。死んだら、死んだら終わりじゃないか。何もかも……
「上手くやれと、あれほど……」
グランザルはベルサリオの脱ぎ捨てた衣服で返り血を拭っている。
「ほう、お主ら2人で立てた作戦じゃったのか?」
オレはかぶりを振った。
「いや、こいつ一人で考えたんだ。オレは昼前に話を聞いただけだ」
老人は冷笑した。
「そうか。……悔しいか、クラネア。悔しければ、いつでもわしに挑戦してこい。返り討ちにして、来世でこやつと会わせてやるぞよ」
「……考えておく」
グランザルは裸のまま部屋を出た。衣服を着ようとして生じる隙を、オレに狙われることを避けたらしい。
「チャベスを呼びに行く。しばらく別れを惜しんでおれ」」
彼が去った後、オレはベルサリオのまぶたをそっと閉じさせた。安らかな寝顔になる。
「あの世では子宝に恵まれるといいな、ベルサリオ……」
オレはむせび泣いた。他人の死のために涙を流すなど、いつ以来だっただろうか。
こちらの物音に気付いたようで、他の暗殺者たちが続々と部屋を出てやって来た。といっても、ガドニスとラフィークの2人だけだが。『飛燕』が口元を押さえる。




