決意と試練のアステリズム2
魔獣の上にあらわれたのは少年…九歳から十二歳の間位だろうか。
美しい銀の短髪を蓄え、ぶかぶかなコートを引き摺っている。
所謂、萌え袖で戦闘には使い難いことこの上無いだろうに。
「生憎、俺は噛ませ犬じゃないんでね。俺は旅の盗賊だ、勇者なんかじゃないさ。事実ゴブリンにも負ける」
しかし、気を抜ける訳がない。
こっちには抜けかけているとはいえ『門』の効果か一時的に感覚が鋭敏になっていた。
そしてーー鋭敏になった感覚が眼前の少年を強者であると危険信号を出しているのだ。
「そんなへりくだる必要は無いさ。ねえ、復讐者の彼氏サン?」
「…唯を知ってるのか」
「知ってるし手伝ってもいるさぁ。だから君は飛んで火に入る夏の虫って訳さ」
「生憎だけど俺は今疲れてる」
「見れば分かるさ、そんな事」
「見逃せ」
「ヤダ」
仕方なく杖を構える。
目的はただ一つーー。
「『とんずら』による逃亡、さ?」
「!?」
「バレバレさぁ。せめてもう少し頭を働かせるべきさ。けど困った…時速270キロね…ちょっと早いかな。その程度でしかないけどカサカサするのは気持ち悪いしな…そうだ!」
それは純粋な恐怖。一歩退かねば死ぬという確信。
「四肢を捥いで失血させよう!ショック死も良いね」
両肩から血が噴き出す。
鋭利な刃物で切り裂かれたような…皮膚の上を氷がなぞるような感覚がした。
それだけで、俺の肩は勢い良く血を噴き出していた。
「クソッ」
「あはは、成る程成る程。こんな感じなのね。把握」
微風が頬を撫でる。
こんな閉じた空間に風が吹くなんてのは普通ならありえない。
「第三魔素!?」
「よく気付いたね。そうさ、第三魔素が司るのは風さ。石ころ一つでこんなに変わるんだ。驚きさ」
そういうと袖から見覚えのある形の石を取り出した。石は緑色に輝いている。
オルクィンジェの欠片だ。これは不味い事になった。自然とこめかみが引き攣る。
「あ、でも殺したら唯さんに怒られるし、丁度よく魔獣もいる。それじゃ、杭を壊すのが道理さ?」
魔獣の手足を地面に縫い付けていたキュレットが不可視の刃によって砕ける。
「おいおい、不味いぞこれ」
これは俺のエゴでしかないがーーこの魔獣は…倒したくない。
あんな事思い出してしまった手前、この魔獣を倒せば心に良くないものを残すだろう。
要するに自分の手を汚さずに誤魔化し誤魔化し切り抜けたい。
思考はクズのそれだがそれだけ追い詰められているのだ、詰られる謂れは無い。
「うーん、自己保身が見え、見え、隠れ。かっこ悪さが透けて見えるようさ」
「このさとりお化けめ」
打開策は無くは無い、いや…ある。
体力をさほど使わずにノーダメージで切り抜ける策が。
霊衣の収納を意識する。その中にあるのはーー。
「シキミで毒殺?下種な事を考えるものさ。どうやら性根まで腐ってるみたいだ。それとも…自爆を狙ってるのさ?」
収納されているのは八角によく似たシキミ。
ジャックペディア曰くシキミには毒性のアニサチンを含み、それを摂取すると中毒症状を引き起こして最悪死亡するらしい。
魔獣の口に入れば動きを鈍らせるくらいなら出来るはずだ。
そして、自爆。
このアイデアもバレているとは思わなかった。
この魔獣はこの地形に限りほぼ確実に自爆する。
思うにあのキュレットは拘束だけでなく、自爆防止のストッパーになっていたのだ。
魔獣が地面ごと口に入れながら突進してくる。
真っ赤な口腔とワームのような擂鉢状の歯が覗いた。
地面が、抉れる。
この戦闘、避ければ自動的に勝てる。
この世界が菌のレベルで再現されているのなら恐らくアレも再現されている筈だ。
加えて突進の度に大量の土が口の中に入っているの状況下でアレが体内に入らない訳が無い。
行けるはずだ。
「へえ、君エグイ事考えるものさ。でも果たして毒が回るまで走れるのかな」
「はぁ、はぁ。言ってろ。俺は攻撃なんてしない」
俺が考えていたのは結局毒殺の方法だった。
ボツリヌス菌。
ボツリヌス菌は土壌や海、湖、川などの泥砂中に分布している菌だ。一時期ニュースやテレビショーで話題になっていたから割りかし鮮明に覚えている。
ボツリヌス菌の芽胞は、低酸素状態に置かれると発芽・増殖が起こり、毒素が産生されーーその毒素は、生前の世界に於いて自然界の毒素の中では最強の致死性を誇る。
加えて乳児に対しては乳児ボツリヌス症を引き起こし、直接呼吸筋を麻痺させ死に至らせる。
魔獣にとっては圧倒的に場所が悪かったと言う他無い。
引きこもりの時にテレビで見て以来興味本位で毒物についてちょっとでも調べていたのが幸いした。
そのくせシキミは見逃したがそれはそれ。
「つまり君はこの魔獣の苦しみを関知しないと。そういうのさ?」
ジョイドの問い掛けに俺は答えない。いや、答えられない。
ここに来て悟ってしまったのだ。
『戦場に善悪の二元論は存在しない』と。
ただ生きる為には智謀と暴力を振るうしかないのだと。
ジョイドの言は酷く正しい。
けれど、非道であれ自己の生存には代え難いのだ。理屈上の正しさでしかないモノに心を揺るがされてたまるか。
俺は今、殺害を正当化したいのだ。
「その割には攻撃をしないさ?それをすれば君は楽になるのに、何故茨の道を選ぶ?」
「言ったろ。俺はエゴイストだからだ。その上こだわり屋でもある、未だに女の子はなるべく敵対したくないし戦闘するにしろ殺したくは無い。俺には超えたくない境界があるってことだ。境界を超える位なら俺は茨の道を征く」
「だから、毒殺するのさ?これを歪みと言わずして何というのやら」
「残念」
ジョイドの言い掛かりを俺は嘲笑う。
俺はジャックにサイコパス認定された男だ。
そんな男が歪んでいないなどとは見当違いも甚だしい。
何故ならーー。
「それが俺だ」
俺は息を切らしながら、今の出来る限りの笑顔でそうのたまった。
ジョイドはつまらなそうにふーんと鼻を鳴らすだけだった。




