#5-9「再出発と4人目の旅人」
*Side Fio*
過酷な戦いから一夜明け、早くもあたしたちは出発することになった。
今はおのおの旅立ちに向けて準備の最中……と言っても、ハーティ以外は大した支度は無い。軽い買い出しだけで済んだあたしはすぐに暇になり、こうしてお屋敷の図書室に足を踏み入れて時間を潰すことになった。
「でっか……」
まさか、図書室で首を真上に上げる機会があろうとは。屋敷の1階から3階まで突き抜けた造りの部屋らしく、遙か高く天井近くまで本棚が連なっていた。そこらじゅうにハシゴや階段が備え付けられたその様は、図書室というより迷路だ。
「ここまで黒亀が来てたら、どうなっちゃってたんだか」
くだらない独り言を呟きながら、あたしは階段に足をかけ、はしごに手をかけて、そこらを歩き回った。驚くべきことに、これだけ大きな部屋のどこにもホコリが見当たらない。ここのメイドはどんだけ有能なんだか。
特に目当ての本があるわけではない。たまに興味の湧くタイトルを見つけて、本棚から取って、文字の細かさとページの多さに嫌気がさして、また本棚に戻して。
「…………か」
そんな無意味な作業をして歩いていると、ふと声がかすかに聞こえてきた。声の主たる先客を探して、あたしは本棚の向こう側へ顔を覗かせた。
「……で、竜人はかつて滅ぼされかけて…………今はほぼ和解してるけど、少人数で隠れて生きるようになっちゃって、か…………」
座り込んで分厚い本に目を通す、彼女は。
「ユイナ!?」
「うおっ……びっくりしたー」
「ユイナが本読んでる……?」
「なんかめっちゃ無礼を働かれてない?」
以外と独り言を言う奴なのか、音読してしまう癖でもあるのか。一瞬むすっとした後、また本に目を落としてぶつぶつ呟き始めた。
タイトルを覗き見てみると、『亜人異聞録』と。
「あじん……?」
「竜人とか、人間とちょっと違う奴らと人間の歴史を纏めた本だってさ。足が蛇の人とか人魚とかもいたらしいよ」
人魚……一瞬童話集かと思ったけれど、文体を覗き見るに立派な学術書みたいだ。本当にいた証拠があるか、誰かが蛇人間や人魚に会ったことがあるのだろう。昔は至るところにモンスターがいて人を襲っていたらしいし、いろんな不思議生物がいたのかも。
「僕らみたいに人間じゃない奴が他にもいるなら、どっかで会えるかもしれないからさ。色々知っとこうと思って。それで、出会えたら友達になりたいんだ! だって、誰も独りにしたくないからさ!」
そう言いながらページをめくるユイナ。この子がそう思うのは、きっと──。
そして、次の項には巨大な化物の絵が。まるで黒亀……いや、亀じゃない。真っ黒な竜だ。
「邪竜が人間の王国を襲い、一夜で王都を焼き尽くし、人間と亜人を決定的に隔てた……? うわー、僕らが苦労してるのコイツのせいじゃん!」
悪態をつくユイナだが、本気で怒っているわけでもなさそうだ。過去の事件なんて今更どうしようもないし、怒っても仕方ないといえば仕方ないけど。
ともかく、読書をこれ以上邪魔するのも悪いだろう。じゃ、と一言述べてその場を後にした。そのまま少し進むと、また興味深い看板が。
「展示室……?」
ドアは開いていた。失礼しまーすと一応言ってから、そっと中に入る。赤いカーペットと白い壁が高級感を演出するその部屋には、鎧やら銅像やら美術品やらが飾られていた。見ただけで分かる。あたしが今日から死ぬまで働いても買えるかわからない品々だ。
「触ったらまずいわね……見るだけ、っと」
金属光沢にも絵の額縁にも、指紋をつけるわけにはいかない。1メートル距離をとって慎重に歩い、て──
「……あっ」
あれ? 靴紐踏んだ? 転ぶっ……やばっ、前に剣飾ってある!!
「ちょちょっ……!!」
やばい弁償!! 弁償弁償弁償!! 4回も唱える暇があるのに、つまずいて傾いていく体を支えることは出来なかった。剣に指先がふれ、手が付いて──
『ち……近寄るなっ!!』
『来ないでぇ!! あなたなんか……あんたみたいな化け物、娘じゃないっ!!』
『殺せっ、すぐに殺せ! 子供のうちに仕留めねば間に合わんぞ!!』
『探すんだ!! 魔女フィアンナを殺せぇ!!』
「はっ!?」
今の、何?剣に触れた途端、溢れ出した知らない奴らの声……溢れ出した……や、思い出した……? でも、襲ってきたあいつらは誰? フィアンナって、誰……?
「フィオ様ー? ユイナ様ー? 昼食が出来ましたので、こちらへー」
「……あぁ」
そんな声と、ユイナの返事が聞こえてきて、ようやく我に帰ることが出来た。そそくさと踵を返して、あたしは展示室を出る。冷静になったわけじゃない。むしろ頭が混乱していて、今すぐ出て行かないとおかしくなってしまいそうだったからだ。
「………………フィアンナ」
展示品に触れてしまったことなど、もうその時のあたしはどうでも良くなっていた。
ただ、なんだか懐かしい気がして、その名をずっと呟いた。
"分からないことは一旦置いておこう"という思考ができたのは、それから数時間経った出発の時であった。
「本当に良いのか? 馬車ぐらい貸すけど」
メルリアさんは隣に控える馬の頭を撫でながら、あたしたちに再三聞いてきた。
「大丈夫です。急いでるわけでもないし、やっぱ自分の足で歩きたいし? ねっ」
と、さっきも返答した。心配性なお姉さんだ。
「はい!」
「えー僕乗りたいんだけどー」
あんたは飛べるでしょ。
「ハーティ」
「は、はいっ!」
少し低い大人の声に、ハーティが背筋をピンッと貼らせて返事をした。
「怪我に気をつけるのよ。それから、お二人を困らせないこと」
「き、気をつけます」
お母さんの言葉に、ハーティはたどたどしく答える。
「できる限り、夜はどこかの街か村にとどまりなさい。野宿になったら火を絶やさないようにするのよ。万が一、黒亀のような怪物にまたでくわしたら、自分の命を優先して」
「はいっ」
また答える。
「困ったことがあったら手紙をよこしなさい。役場に行けば緊急用の無料便で書かせてもらえるから」
「はいっ」
また答える。
「お金の使い方に注意して。旅の身でも蓄えはある程度持っておきなさい」
「はいっ」
また。
「ハンカチ持った?」
「は、はい……」
めちゃめちゃ心配してる!?
「母様。ハーティはもう大丈夫ですよ」
「そ、そうね……」
メルリアさんに宥められて、過保護問答はようやく終わりを告げるのだった。
「…………ハーティ。あの約束だけは、必ず守りなさい」
清々しい快晴のもと。
「はいっ! 絶対、笑顔で帰ってきます!」
その明るい声が、出発の合図となった。
「フィオー、次どうすんの?」
「そうね……前は西へ西へと向かってたけど、ウォーラ以降はそんなに目ぼしい街は無いし……次は東へ行ってみましょうか」
地図を広げながら、あたしはそう言った。
「あっ! 東なら、"ダイブブルー"を目指すのはどうでしょう? 小さい頃、行ったことがあるんです!」
「"海の楽園ダイブブルー"……東の孤島にある遊園地だっけ」
「遊園地ー!? 行こうよ行こうよ!」
ユイナも興味津々だし、悪くないかな。
「よしっ! じゃあダイブブルー目指してー……再出発!」
「「おー!!」」
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かくして、旅は再び始まった。
ハーティ・コロコは、"心のヒーラー"を目指して。
フィオはハーティへの助力、そして"フィアンナ"と"あの記憶"の正体を知るために。
ユイナはハーティたちへの恩返しと、"亜人"たちを見つけるために。
「……げほ、けほっ」
そんな彼女たちの裏で、4人目の少女が旅を始めていた。
「駄目……もっと、進まないと」
荒野を歩く細身の少女。砂煙に咳き込みながらも、疲れた体に鞭打ってまた歩き出す。
「みんなに、会うんだ……」
命をかけて進んでいく。
儚い願いと運命を背負って。
少女の名は、ステラ。




