#4-4「飛べ!」
「はぁ……はぁ……」
「おつかれ〜ユイナちゃん。わっ、だいぶバテてるやん」
あの後どこかへ行ってしまったティアムが、ようやく帰ってきた。
「はぁ、はぁ……50キロは痩せた」
「骨になってまうなぁ。ほい、差し入れ」
ティアムはそう言うと、僕にハムサンドを一つ差し出す。皿もなしにそのまま差し出されたと思ったけど、よく見ると透明な紙みたいなのに包まれている。適当に爪でいじってみると、紙はどんどん開いてようやくサンドイッチに触れた。包み紙の方をもう一度見てみるが、やっぱりなんだか分からない。
「何ぞこれ……?」
「ラップって言うんよ。欲しいなら一枚あげよっか?」
「んー、いいや。いただきますっ」
見たこともないラップとやらを端に置き、僕はサンドイッチを一口かじる。んー、美味い。自分で作ってくれたのかな。
「もう4時くらいか……」
「始めてから5時間ちょっとやね。どう? 上達した?」
「んー、全然。身体の使い方がよく分かんなくて」
昔からダメなんだ。手足はもちろん自由に動くのに、翼だけ鎖で縛られたみたいで、上手く動かせない。
「じゃ、一緒に練習する?」
「え? いやいや、だってティアム翼は……」
「翼ならあるで?」
そう言うとティアムの顔から微笑みが消え、彼女は初めて真剣な表情を見せた。
「……ゴッドコード1233。ドラゴンズウィング」
そして彼女は、似合わない静かな低い声で、よく分からない呪文のような言葉を呟いた。
「よいしょ〜っ!」
「え……マジ!?」
僕は驚きの声を上げる。ティアムの背から突然、赤いラインが斜めに二本入った黒翼が生えてきたのだ。竜や竜人のそれにすごく似ている。彼女はどうしたのと言いたげに、平然としているままだ。
「ティアム、竜人だったの?」
「竜人じゃないんやけど……まあ、翼は使えるんよ」
あー……神授の能力か。多分そうだ。
「んー……まあそれはええわ。それじゃ、レクチャーしたるから。それしっかり食べ終えちゃってな?」
岩と土に囲まれた小さな崖の上に着くと、ティアムは僕の方を振り返る。
「ええと、まず……ユイナちゃん、飛ぶ時に結構背中に力入れてるやろ?」
ティアムが、僕の翼を指差して言う。
「うん。だって、しっかり力入れないと空中で動かせないでしょ?」
「それは違うで。飛ぶって言うのは重力に反して無理やり這い上がるような感じやない。風の流れを感じて、紙飛行機みたいに流れの中で泳ぐように飛ぶんよ」
「ふむ……とりあえず、ティアムの飛び方見せてよ」
「ええで。でも結構久しぶりやからなあ……」
ティアムはそう言うと、何故か真っ直ぐ立ったまま目を閉じて、動かなくなった。ただそよ風だけが、彼女の和服と黒い長髪を撫でるように揺らしている。さて、僕は座って見てますか。
「何してんの?」
「しーっ」
あ、はい。静かにします。
「こんな感じか……よいしょっと」
うわ、急だな……ティアムは目を開けるや否や、崖から青い空へと跳び上がった。そのまま体を水平にすると同時に、風が一回り強くなる。彼女の翼が風を受けて、パタパタと揺れる。
「ん〜、やっぱ気持ちええな!」
飛んでいる。彼女は確かに、さらに舞っている。竜というより、白鳥みたいだ。黒いけど、白鳥。今の彼女は、淡くて無機質な空を彩る、一筋の空飛ぶ絵の具だ。里で一緒に暮らしてたみんなも、あんな飛び方だったような気がする。
空中で楕円を描いたティアムは向きを縦に変え、軽く翼をはためかせながらゆっくりと降りてきた。風に打たれて荒れた髪型を、両手で丁寧に直しながら。
「さ! ユイナちゃんもやってみよ」
「んー、まあ……やってみるけどさあ……」
正直、僕も彼女みたいに飛べるようになりそうかと聞かれたら、自信がない。正直__言っちゃうと、今のあんまり参考にならなかったし。あの人自分が飛ぶの楽しんでただけっぽいし。
「お前自分が楽しんでただけだろって? 酷いなあユイナちゃん」
「げっ……そうだった、心読まれるんだった。でも事実そうじゃないの?」
「んーまあ、否定はせえへんけど……でも、それが一番大事なんやで」
「大事?」
「せや。それじゃ手助けはここまでね」
「えー……レクチャーしてくれるって言ったじゃん、けちんぼ」
「そう言わんでや、うちも忙しい合間ぬって来てるんよ。まあ、ユイナちゃんならこれだけ言えば大丈夫や」
ホントに忙しいのかな……っていかん、読まれる読まれる。
「……まーとにかく、やってみるね」
僕はそう言って、座っていた岩からお尻を上げた。
まず、風を感じる……か。集中するのって苦手だけど、やってみるしかない。
「………………」
僕の背中から前へ。でも、ちょっとだけ右を向いてる。あ……あと若干上向きだ。さっきよりちょっと強いから、風になって飛びやすかったりするのかもしれない。
「あと……次は、翼」
僕は呟く。自分の小さな声を聞いてから、呟いたことに気付いた。
ティアムは確か、思ったより翼を動かしてなかった。はためかせるのは多分、最初に飛び立つ時とスピードを変える時だけ。イメージはあくまで紙飛行機。
……行こう!
「紙飛行機……!」
崖を駆け抜けて跳んだ僕は、再び言った。竜人のパワフルなジャンプで3,4メートルは跳んだ僕の体が、全身に風を受ける。何故かその風が応援のように感じられたことが、ちょっと嬉しかった。
よし__僕は体を水平にする。紙飛行機と言っても、最初の推進力は必要だ。僕は翼を大きくはためかせる。風を無理やり押し込むように、強引に羽ばたく。
後は力はいらない。後は紙飛行機でい続けるだけだ。
「……いける!」
今までで一番上手くいってる。僕の体は、落ちずに飛び続けている。風を受け続ける翼が、高度もスピードも保ち続けてくれる。力む必要なんか無かったんだ。
「ティアム!回り方のコツは!?」
「ゆっくりや!焦ったらあかん、少しずつ少しずつやで!」
ティアムが遠く離れた地上から叫ぶ。よし……ゆっくり、ゆっくり……。
視界が変わっていく。地上と空を半々に映していた僕の両目が、少しずつ空の方を向いていく。やがて完全に空の色一色になった__かと思えば、再び上半分は地上の景色に染まっていく。ティアムも視界の隅っこに映った。
「ええで!ターンは一瞬!」
「一瞬……よいしょ!」
僕は体を一回転させた。仰向きだった体が、再びお腹が下のうつ伏せ状態に戻る。
「おっとと……」
「バランス崩れそうになったら、もう一回はためいてええ!」
「オッケー!」
もう一回__強く!風を切る!
「……驚いたわ。天才肌やで」
ティアムがそう言ったのが微かに聞こえた。えっへん。
「……よっと!」
さっきの崖の上までたどり着くと、僕は翼を閉じてジャンプするように着地した。役目を終えた翼が少しずつ背中の中へ消えていき、僕の姿は人間と大差ないものに戻っていく。
「合格や。もう1日練習すれば、完璧に使いこなせると思うで」
「そっか。よかった……ありがと、ティアム!」
「にしても、ほんまに天才的やで。出来ないのは力の使い方だけだったみたいやな。後は初見でも完璧だったやん」
「へっへーん。まあ、僕だからね」
あっ……て言うか。
「ティアム、忙しいんじゃなかったの?」
「……あっ!あかん、つい気になって長居してもうたわ。帰らんと怒られてまうな」
「上司かなんかに?」
「いや、部下やで」
部下……ダメ上司なんだ。
「ダメ上司とか言わんといてや。じゃ、今度こそ帰るから」
「うん。ありがとね、ホントに!」
ティアムは背中を見せ、歩き出す。ある程度のところまで歩くと、彼女は急に消えたように、その姿が見えなくなった。エロくて謎だらけの変な人だけど、多分悪い人じゃないな。
「……よし!もうちょっと練習!」
「……遅いですよ、ティアムさん。十分も前から待ってたんですが、私」
「いやあ、ごめんて。堪忍やで」
「まあ、ティアムさんが遅刻するのはいつものことですもんね……許してあげますよ」
「んん、反省します……てか、ラファエルちゃんは会わんでええの?あの……そう、ハーティちゃん!」
「あの子ですか? まだ良いですよ。私が介入するにはまだ早い。て言うか、本当はそもそも人間への無闇な干渉禁止ですからね、私達。会うにしても時期を選ばないと」
「確かになあ……
うちら、『上位の存在』やもんな」




