4-2「交換」
□Side Hearty□
煮えたつお湯から、熱をぎゅっと詰めた湯気が浮き上がる。揺れる水面に、私はそーっと人差し指を近づける。
水面と指先がキスした瞬間、私の指に痛みともかゆみとも違う強い刺激が突き刺さった。
「わちゃちゃ、あちゃ、あっつ……」
「何してんの? 早く入らないと風邪引くわよ」
「入れませんよ! このお風呂熱いですもん! きっと500℃は超えてます!」
「かまどかここは! ほら、とりあえず入ってみなって」
「わわっ……」
フィオさんに手を引かれ、私は飛び込むような形で湯船に浸かった。
「あっつつ……あちゃ!? やっぱり熱いですムリですフィオさん!」
「観念しなさい! 1分! 1分入ったらもう慣れるから!」
「でも……あっ」
温泉を照らす光が__レーネックスたちが、変なモノを見る目で自分を見ていると気づいた私は、大人しく口を結ぶことにした。あっ、周りの人にも見られてる……。
今顔が赤いのはいっと、お湯が熱いから。別に恥ずかしいんじゃない、うん。恥ずかしくない。
「……慣れました、フィオさん」
「そう。それは良かった」
「つるぺたでした、フィオさん」
フィオさんはちゃっかりそう言ったユイナちゃんを見もせず、無言で湯船に沈めた。沈む寸前に一瞬見えた絶望の入り混じるユイナちゃんの顔は、すぐにお湯の中へ消えて見えなくなった。
「ぶぼっ!ぶへっ、ぶっ……さ、殺人だ!」
「アンタが悪い」
「いや殺竜だ!橙のドラゴンスレイヤーだ!」
「無駄にかっこいいわね……」
八重歯を見せて獣のように威嚇するユイナちゃんの前髪を、白い露がしたたる。次々水面に落ちるそれは、その度に微かな音と波の輪を作り出す。
「そういえばさ、あんたって人間か獣かで言ったらどっちなの?」
一息ついたフィオさんが、ユイナちゃんに尋ねる。
「んーとね……あれ?そういえばどっちなんだろ……」
ユイナちゃんは腕を組んで考え、そして__
「クイズ!僕はどっちでしょう!」
「知るか!」
「正解は美少女でした!」
「答えになってますか……?」
結局どっちだかはよく分からない、とのこと。
「いい湯でしたねー」
「ふぁぁ……」
布団に寝転がるフィオさんが、大きなあくびをする。それもそのはず、部屋の作りは竜の里の長の部屋と同じ和室。既にテーブルは片付けられて布団が並べられているので、ちょっと寝転がればすぐに眠くなってしまうのだ。おまけに、宿から借りた緑色の"浴衣"と言うパジャマは着心地がすごく良くて、それも眠気に拍車をかける。
「待った!まだ寝かせはしないで御座候ですわ!」
「あんたは自分のキャラを整理してノートにまとめてから来なさい……あだっ!?」
眠そうな声で返事するフィオさんの顔に、四角いものがぶつかった。地面につくと、ぽふっ、ぽふっと柔らかい音を立てて部屋の隅へ転がっていった。
「こう言う宿だとなんか、枕投げ?って由緒正しくないスポーツがあるらしいじゃん?やるしかないでしょ!」
「正しくないんですね……」
仁王立ちするユイナちゃんの目の前に、フィオさんがゆっくりと立ち上がる。その右手には、一つの枕。
「よーし、やる気になったね!でもとりあえず僕が自分の枕拾うまではタンマ__」
「いよいしょおおおおおおお!!」
「あああああああっ!?」
高速で飛んで来たフィオさんの枕を、ユイナちゃんは悲鳴をあげながらギリギリでかわす。枕は回転しながら、部屋の柱に突き刺さるようにぶつかった。
「馬鹿な!?このMP、こいつは本当に人間か!?」
「マクラパワー!?」
え、このテンションについていけてないの私だけ……?
「ハーティ!手伝って!」
「え!?わ、私も!?」
「よーし!2対1でもなんでもかかって来なさい!」
えーと、と、とりあえず……。
「えいっ!」
私は自分の枕を拾い上げて、フィオさんに思い切り投げてみた。三日月みたいなゆるやかな線を描いて、のっそりと枕が飛んでいく。
「甘い!」
「それはどうかな!?」
私の枕を受け止めたフィオさんの背後から、ユイナちゃんが迫る。
「大!根!」
謎の掛け声と一緒に、ユイナちゃんは思い切り枕を投げた。白い塊が、フィオさんの背にダイレクトで衝突する。
「うあっ……とっ、とっ、と!?」
「ふえっ!?」
バランスを崩したフィオさんの身体が、私の方へ向かってきて__
どたんっ!
激しい音と同時に、私の後頭部に重い衝撃がぶつかった。
「あぶなっ……!」
上から落下するように、フィオさんが仰向けの私に顔を向けて、のしかかりそうになった。その寸前で彼女は両手を私の両脇に置き、四つん這いになる。
「ふう……大丈夫?」
「はぁ、はへ、はひひ……!」
ふぃ、フィオさんの顔が……凛々しい顔が、おでこがくっつくぐらい近くに……!やだ、恥ずかし__
「ユリだー!いいぞもっとやれー!」
「いやアンタは何してんのよ!」
「……ひぃ」
「ハーティ!?」
私の意識がのぼせるように飛んだのは、確かその辺りでのこと。
☆Side Yuina☆
白い光が朝を告げるとともに、僕は未だ頑固に閉じている瞼を強引に開けた。そのから布団の上を端から端へとゴロゴロ転がると、ようやく起きようかという気分になる。
「あ、おはよ」
フィオはもう起きていた。ハーティは未だに、幸せそうに寝息を立てている。ずれた浴衣の隙間から、ふっくらとした胸が覗いているのが見えた。朝から美しい物を観測できて、僕はとても気分よろしゅう。
「おはよー……橙色の悪魔に、血の池に沈められる夢見た」
まあ、昨晩の夢は酷かったけど。
「あらそう。正夢になったらみんなでお祝いしましょうか」
だいぶひどいことを言われた。
「ごきげんよろしゅうて感じやな、ユイナちゃん」
その人は、突然現れた。僕が朝食を終えて、散歩に出かけた時に、突然。
「あ、怖がらんでええよ?うちなんもせえへんから」
目の前の女の人は、にっこりとしながらそう言う。多分20なん歳かの人だ。ウェーブのかかった長い黒髪。黒い浴衣っぽい服__"和服"って言うんだっけ__には、桜と蝶が描かれている。その胸元は限界まで開いていて、僕はとりあえずそこを2秒凝視した。
「……えっと、誰?」
「誰やろな?」
そんな曖昧な返事をしながら、彼女は僕に一歩ずつ近づいてくる。下駄の小さな音をかんかんと鳴らしながら。
「……?」
「かーわいっ♡」
彼女は撫でるような声で言うと、いきなり僕の頬を指でなぞってきた。
驚いて一歩下がった時にはもう、彼女はすでに僕の後ろを抜き去っていた。
「ちょ、待ってよ」
「まあまあ、焦んなくてええ。呼んでくれたらまた会いに行くわ。条件揃ったらな〜」
「条……件?」
あれ……?気付くと僕は、手に一枚の紙を握っていた。"願いと試練の交換っこ♡"と書かれた紙を。
「あの、これ……」
尋ねようとした時はもう、彼女はどこかへ消えていた。




