3-4「赤い花、血と悲しみの思い出」
☆Side Yuina-4 years ago-☆
「ユイナ、ユイナ」
んん……。
「もう、お昼食べるなりすぐ寝ちゃうんだから」
……お母さんの声だ。
重い頭を上げ、ゆっくり目を開く。光差していく視界の真ん中に、紫の髪を長く伸ばしたお母さんが映った。窓の奥の太陽が、お母さんの背中を白く照らしている。
「今何時……?」
「2時半。もう少しでお父さん帰ってくるわよ」
「げっ! 寝過ぎた……」
寝るのは嫌いじゃない。だけど、予定よりかなり長い時間寝てしまうのは嫌いだ。時間をちょっと無駄にした気がするから。
「んっ……でも、お父さん帰るの早くない? 今日なんかあったっけ?」
木の椅子から立ち上がり、僕はお母さんに聞いた。テーブルに手をつけながら勢いよく立ったので、テーブルの真ん中の花瓶が少し動いた。
「今日お祭りでしょ? みんなで一緒に行きたいって言ったの、ユイナじゃない」
「……あー! そっか、今日だ今日だ!」
そうだ! 待ちに待ってた日!
「3時からだから、準備してきなさい」
「はーい!」
僕は振り返り、二階へ駆け上がった。
村には沢山の灯りがともり、沈む陽に代わって外を明るく照らしている。道ではみんなの陽気な声が聞こえて、屋台の美味しいものの匂いがお腹を鳴らしに来る。毎年大盛り上がりの、竜人の村の祭り。
……の、はずなんだけど。
「なんか、静かだな……」
僕は呟いた。みんな外に集まってはいるけど、何やらヒソヒソと話をしている人ばっかりで、明るい雰囲気は全くない。
「何か、ありましたか……?」
お母さんが、近くにいた人に尋ねた。さっき合流したお父さんは、不思議そうに辺りを見回している。
「村長たちの姿が見当たらないらしい。毎年一番に準備を終えて、祭りを楽しんでるのに……これじゃみんなも始めにくいって、困ってるところさ。竜杜で準備をしてるだけだから、ちょっと遅くなってるだけだろうし、誰も見に行ってないが……」
「僕、ちょっと行ってくるね!」
話を半分ぐらいしか理解しないまま、僕は竜杜の方へ走って行った。毎年村長が、祭りで子供みんなに作ってくれるわたあめが、早く食べたいから。
「ユイナー! 何かあったら、すぐみんなを呼ぶのよ!」
お母さんの声に振り返り、僕はにっこり笑って頷き、また走り出した。
石の階段を登った先に、木造の建物……竜杜があった。僕たち竜人の先祖を崇拝する、神殿みたいなものだ。
「村長ー?」
僕はゆっくり木の扉を開け、村長を呼ぶ。長い白髪がトレードマークのお爺さんの姿は、扉の前からは見当たらなかった。僕は靴を脱ぎ、木の床の上を歩いていく。
綺麗に掃除されているからゴミは見当たらないが、古くなった床はギシギシと軋む。いい加減建て替えないのかな……。
僕は奥へ奥へと歩く。村長たちがまだここにいるなら、どこかから声か何かが聞こえるはず。
「……あれ」
僕の五感の1つが突然、違和感を感じた。
臭う。あんまり感じたことのない、変な臭い。
無意識に左を見る。この臭い…ここの戸の向こうからしてる。竜人は鼻も目も良いんだ。
「村長……?」
僕はゆっくりと戸を開き、部屋の中を覗き込んだ。
その部屋はもう、人が何かをするための部屋ではなく。
悪魔の爪痕が刻まれた、残酷な赤い箱だった。
「はあ……はあ……なんでこんなことになって……!?」
僕は大急ぎで石段を駆け下りる。膝の痛みなんて気にしない。それだけ必死だったんだ。
「ユイナ!!」
絶叫が聞こえた。前を見ると、お父さんとお母さんが、向こうから走って来ていた。
「大丈夫だったか!?」
「あぁ……村長が、村長がぁ……!」
会話になっていない。それを分かってはいたけど、なんて説明したらいいかが分からなかった。
「やはり村長もか……クソッ!」
お父さんが、悔しそうに拳を握り、言う。
「も、って……?」
「ユイナ、よく聞いて……」
お母さんが、小さな声でそう言った。
「村のみんなは、もう……」
最悪の言葉が紡がれかけた、その刹那。
赤い花が咲いた……だとしたら、どれだけ良かっただろう。
二人分の鮮血が、宙を舞ったりしていなければ、僕はどれだけ救われていただろう。
「あ……あぁ……」
目の前の二人が、苦痛に顔を歪ませた。
そして彼らの後ろには、もう二人、何者かがいた。
人間だ。黒いフードを被り、鎌を振り上げる二人の男。
「……貴様らァッ!!」
温厚なお父さんのそんな声を、僕は初めて聞いた。
刹那、再び二人の鮮血が飛び散る。だけど、今度はフードの男たちの血だ。お父さんの爪が、二人の服ごと腹を深く切っていた。男たちは力なく倒れ、動かなくなった。
「くっ……なんて無様な……」
「死なないで……死なないでよ、二人とも!!」
僕はただ叫んだ。それしかできない自分が嫌だった。これからやってくる未来を信じたくなかった。
二人の背中から、血が流れ落ちていく。彼らの命が、無情にもどんどん地に染みていってしまう。
「……ユイナ……」
お母さんが口を開いた。
「お母さん……」
「村にはまだ、人間が沢山いる……ここは、危険よ……逃げなさい」
「二人は……!?」
「……ごめんね。どうか生きて……私たちの無念を……私たち竜人の悠久の願いを、どうか叶えて……」
嫌だ。
そんなのが最期の言葉だなんて。
笑ってよ。いつもみたいに、他愛ない話、しようよ。
「……死なないでよ!!」
僕はただ叫んだ。
鉛みたいな空が嗤っていた。
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「……死なないでぇぇぇ!!!」
暗く狭い部屋に、甲高い悲鳴が響く。その声が自分のものだと一瞬で理解するのは、悪魔を見た直後の頭には難しかった。
「またあの夢か……」
どうやら、居眠りしていたらしい。しかもよりによって、4年前の"あの日"の夢なんて……。
「人間なんか見たから……だぁぁもう!」
怒りの矛先は、隣に置かれていた木箱に向いた。僕が力任せに叩いた箱は、穴があきかけるほど強い衝撃を受けた。
「うっ、痛ったあ……」
それと、僕の手も。
この狭い部屋……里の倉庫兼お仕置き部屋の中では、寝るぐらいしかやることがない。精神を集中させて心を入れ替えるための措置だが、確かに集中はできる。昼寝に。
……大体、なんで僕がお仕置き?
人間が来たんだぞ。僕らの翼をもいで、むごい殺し方して、いろんなやり方で売りさばく最低なやつらだぞ。
みんな馬鹿だ。故郷を追われて、仕方なくこの隠れ里に来たけど……いつか人間と共生したいだなんて、馬鹿げてる。出来るわけないんだ、そんなこと。僕が1番よく知ってる。
人間に"奪われた"、僕が。
「ユイナ。反省した?」
落ち着いた声が、外から聞こえた。これは……姉ちゃんの声。
「したした。したってことで良いでしょ?」
「してないじゃない……ま、いいわよ。お仕置きは1時間って決まりだからね」
1時間も経ったんだ……結構寝てたんだな、僕。
姉ちゃんが扉を開けた。光が一気に部屋に押し寄せて来て、僕は思わず目を細めた。
「ほら、立ちなさい。あの子たちにちゃんと謝るまで、今日はご飯抜きです」
「……やだ」
「あぁそう。じゃあ今日はお腹すかせながら寝なさい」
「分かった。人間に頭下げるよりは全然良いよ」
「……何でそんなに、人間と関わろうとしないの?」
お姉ちゃんの声色が変わった。冷たい……違う。まるで哀れんでるみたいだ。
「逆だよ……何で関わるの」
「私たちから心を開かないと、共生は果たせない。当たり前でしょ?」
「それだ……何で! 何でそんなに共生なんかしたがるんだよ! みんな知らないんだ……だからそんな夢ばっかり語るんだ! それでみんな後悔するんだ! だから僕が助けるために言ってやってるんだよ、そんなの無理だって! みんなに死んでほしくないから言うんだよ! 分かれよ!」
声を荒げて、僕は叫んだ。
そうだよ。みんなが嫌いなんじゃない。嫌いなのは人間だ。嫌いな奴らに、好きなみんなを奪われないために言うんだ。
あんな思いを、またしたくないから言うんだ。
お父さんもお母さんも、そう願ってたから言うんだ。
二人の無念、願い……それはきっと、人間を倒すことだから。だから言うんだ。
「……分かった。今日は何もしなくていいから……帰ろ」
姉ちゃんはそう言って、僕の手を引いた。
空は灰色。気の抜けたような空模様だった。




