第一話 佐藤健一35歳、今からオークと商談します。
目の前には直径二メートルを超える切り株。
その横に置かれた岩の上に、巨大な牙を2本蓄え、一際大きなオークと、その対面に座る紺色のスーツを身に纏った営業マンが一人。
それが俺、佐藤健一 三十五歳だ。
周りを六人?六匹?のオークに取り囲まれている。
大変恐ろしい状態ではあるが、ここで弱みを見せれば相手の思う壺だ。
商談である以上、毅然としておかなくてはならない。
俺は懐に手を入れる。
周辺のオークに緊張が走り、皆武器を構え直す。
そう、これは営業マンの最大の武器……
懐から出したのは、皮でできた手のひら大の名刺ケース。
俺は立ち上がると、名刺を一枚取り出し恭しく差し出した。
「初めまして、わたくし○○医療機器株式会社の営業を担当しております。佐藤健一と申します。どうぞお見知りおきください」
オークたちは互いに顔を見合わせながらも、構えた武器を下ろすことはない。
相手が名刺を受け取ってくれるまで、頭を上げてはいけない。
それこそがビジネスマナーだ。
目の前のオーク・キングは困惑しながらも、その太い指を伸ばした。
名刺が指先を滑る感触……よし、まずは成功と言えるだろう。
ここから大切なのは、相手の心を解きほぐし、困り事を聞き出すこと。
商売とは結局のところ、相手の問題解決をする者が強いのだ。
しかし、ここで大きな問題がある。
俺はオークの好みを知らない。
この森には、プロ野球のホームランボールも、大物を釣り上げた証明の魚拓もない。
何から会話の糸口を見つけるべきか……悩んだ時は、やはり無難に天気の話から入るのがいいだろう。
「いやぁここは、木漏れ日が気持ちのいいところですね」
俺は未だ名刺を光に翳してみたり、指の腹で擦ってみたりするオーク・キングに、にこやかに話しかける。
吹き抜けた新緑の風に乗り、オークの糞尿の匂いが鼻をついた。
正直に言おう、めちゃくちゃ臭い。
嗅ぎ慣れない分、部長の口臭よりも強烈だ。
だが、営業マンたる者不快を表情に出すなどあってはならないのだ。
これぞ秘技『営業スマイル』である。
「今日みたいに晴れた日は、外で食事なんかも良さそうですね」
俺の世間話に目の前のオーク・キングは答えてくれない。
が、しかし商談相手が心を閉ざしているなど日常茶飯事だ。
ここからが腕の見せ所である。
俺は自分の腰掛けている岩のすぐ横に置かれた、皮のビジネス鞄へと手を差し込んだ。
ここにドラえもんが居たのなら、テッテレーと言う効果音が入ったことだろう。
そう、これぞ現代社会の叡智、iPadである。
名刺に夢中だったオーク・キングの目が、一瞬でiPadへ釘付けとなった。
興味を失った名刺は、オーク・キングの手からずり落ち、泥まみれの地面へと突き刺さる。
さらば、俺の分身よ……
俺はオーク・キングに画面を向けながら、電源ボタンを押した。
いきなり画面が光り、驚いたオーク・キングは岩から滑り落ちる。
巨体が泥を跳ね上げて、すぐ近くのオーク2匹が泥まみれとなった。
驚かせるつもりは無かったが、まぁ予想範囲の反応だろう。
画面には初期仕様のオレンジと紺色のグラデーショングラフィックが映し出され、多種多様なアプリが彩りを与えている……はずだった。
「……ん?」
操作しようと覗き込んだ画面には、なんともファンシーな白い狐が映っている。
こんなおっさんが、可愛い狐を壁紙にしていたら、そりゃオークもひっくり返ることだろう。
何と言う事だろうか、せっせと業務のため用意してきた資料も、効率化を求めて落としたアプリも、すべてが消えてなくなっている。
アプリはたった一つ。
白狐の左上に鎮座した『万能地図』のみだ。
レトロ、いやゲーム世界のような黄ばんだ地図とゴシック体の古臭いフォントで書かれた『万能地図』のアプリ。
こんなアプリに覚えは無かったが、客先で動揺をあらわにするなど言語道断。
どんなピンチもチャンスに変えるべく、アプリを立ち上げてみる。
音もなく立ち上がったアプリには、中心にブタの絵が書かれた森、その周りには複数の街の名前と多様なドット絵が記されていた。
とりあえず豚のドット絵をタップしてみると、昔のRPGの様な吹き出しが現れた。
『オーク・キングの里
不衛生かつ閉鎖環境のため病気が蔓延。
絶滅の危機にある』
この古びたアプリひとつで、オークの問題が明確化してしまった。
こうなってしまえば、後は信頼を勝ち取り現地調査を行い、問題を解決すればいい。
目の前のオーク・キングは部下に両手を支えられながら、再び石の上へと腰を下ろした。
さぁでは商談スタートだ。
俺を鋭く睨みつけるオーク・キングに、一切怯むことなく営業スマイルを返す俺。
初対面で信頼を勝ち取るならば、そう『PREP法』だ。
これはPoint(結論)、Reason(理由)、Example(具体例)、Point(結論の再確認)の順で話す論理的な話し方だ。
この場合結論は『衛生環境の改善』から始めるべきだろう。
俺はネクタイを締め直し、オーク・キングへとiPadを差し出した。
「結論から申し上げますと、今この村は『絶滅の危機』にあります」
……と言い切ったところで、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
そもそも、オークに日本語は通じているのだろうか。




