結婚しようと思ったら毒殺された。
カーン。
甲高い音と共に、落ちた杯が床で跳ねた。
……杯を落としたのは、誰でもない私。
なぜ?そう思って地面に転がる杯を見つめた。
今日はローレイズ伯爵家の一人娘である私、ルディアの結婚式なのだ。
今日だけはなにも粗相がないように……。
そう思って気を張っていた。
なのになぜ杯を落としたのだろう。
「あ……」
そう思った時、喉から熱いものがこみ上げてきた。
そしてすぐにそれが血だとわかった。
「ぅそ……」
膝に力が入らない。
駄目だ、立てない。
私はそのまま崩れ落ちた。
「ルディア!」
誰かに抱きかかえられた。
もちろん誰かはすぐにわかった。
この人こそが私の婚約者、そして夫になるはずだった人。
ライトレース公爵家の次男、エゼルだ。
ざわめく人々の声が聞こえる。
「ぁ……」
彼に何かを言おうとしたが、声がでない。
その代わりに血が喉から溢れた。
「ルディア……しっかりしてくれ……ルディア!」
彼が私を抱きしめる。
ごめんなさい。
私、貴方と結婚する事ができません。
多分、このまま……。
目がかすみ意識が散ってゆく。
このまま消えるんだ、私。
そしてこう思った。
誰が私の杯に毒を盛ったのだろう。
……その時、耳元で小さくささやく声がした。
「ルディア、よくやった。これで――と」
え……?
よくやった?なにが?
今の声、エゼルだよね……?
私は最後に力を振り絞って、見た。
……エゼルが小さく笑ってる。
こいつ!私を見て!笑ってる!
「ルディア!目を開けてくれ!」
激しい怒りと屈辱を感じながら、しかし私の意識は消失していった。
…………どうして。
最後に見たのは私を睨みつける知らない女の顔だった。
「――いです!目―――して!」
誰かが何か叫んでいる。
そして唇。
なにかが唇に当たっている。
私の中から何かが吸い取られ、そしてその度に少しずつ、少しずつ……意識がはっきりしていった。
「エゼル様……?」
自分の喉から声が出た事に驚いた。
しかし、すぐそばにいる……エゼルではない誰かほどではない。
「あっ!良かったぁぁぁ……良かった……」
少年の声。
驚きが喜びに変わり、そして祝福に変わった。
誰だろう。
ゆっくりとまぶたが開き、顔が見える。
まだあどけない顔の柔らかい金髪の少年、年は15歳くらいだろうか。
目の周りは腫れ、涙でぐしゃぐしゃだ。
私が知っている誰かに似ている。
そうだ。何年も前親しくしていたあの子だ。
「ロータ……?」
「はい。ルディ様……良かった」
ロータス・ベルライン。かつて私の家に居候していた男爵家の子だ。
もう5年近く会ってなかったから、随分と大人になっていた。
「大きくなったね……」
「ルディ様もきれいになりました」
「そうかもね」
と、ロータの話す口が赤く染まっているのに気が付いた。
もちろん、ロータは吸血鬼などではない。
私は『これ』を知っている。
そうだ。うっかり世間話などしている場合ではない。
私の記憶がようやく蘇ってきた。
「毒、吸い出したの?」
「あっそのええっと……なんていうか……その……」
「ありがと」
「あ……はい!」
そうだ。私は毒殺されかかったんだ。
他でもない、自分の婚約者に。
そしてロータに助けられた。
古い家にだけ現存する、ある毒を中和し吐き出させるという伝説の秘薬によって。
でも私の記憶が正しければ、毒を吸い出すのはかなり危険な行為だったはず。
だから私はロータに言わなければならない。
「ロータ、私を殺そうとしたのはエゼルなの。あなたの家の当主筋の息子よ」
「そんな……だってあの方は……」
「ロータ。あなたは私を助けてくれた。だからあなたが彼に私を売り渡すというなら私は受け入れます。でももし出来るなら」
私は彼の眼を強く見て言った。
「私が彼と闘うのを助けてくれませんか?」
ロータは笑って応えた。
「もちろんです。……その質問、ちょっとずるいですよ」
「そ、そう?」
「そうですよ」
確かに私はずるかったかも。
だってあの薬は、そう言うものだしね。
でも、私の腹は決まった。
エゼルを糾弾して必ず私を殺そうとした理由を話させる。
そして、その罪を絶対に償わさせてやる。