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【8】少女と、ある夏の日の

 冷気が落ちる涼しい部屋の中、呆然とし、目元を軽く(つま)む花奈の姿が悠夜の目に映った。


「……疲れてるのかしら…」

「いや……多分疲れで見えてるもんじゃ無いと思う。集団幻覚…でも無いと思う」

「……そう、よね」


 そして何とも言えなそうな顔で頷く。


「……そうね、本物よね。なら仕方ないわ、魔法使いの息子を持つ一児の母、(おおやけ)の場に立つのは早いかなっ」

「…お、おう?」


 そうして軽くおちゃらけた花奈は、微妙な笑顔と声色で言った。


「……まぁ冗談よ。煮もしないし焼きもしないし売りもしないわ。ただ、話はしたいかもだから…私が帰ってきたら、色々と聞かせて欲しいわ」

「…あ、うん。わかった、帰ってきてからね」

「そう。…あっ、あとあれよ、魔法は他の人に見せない事、これだけは約束してね。じゃ、ちゃんと朝ごはん食べるのよーお母さんはもう行くね」

「え、あ、うん…」


 パタンと優しく閉められたドアを前に、悠夜は、そして小さくガッツポーズを取る。


 湧き上がる嬉しさと嬉しさと嬉しさとっ!


(魔法見えってるぅう!)


 悠夜にとっては魔法が自分以外の誰かに見えていると言う事。それによって、自身の異常性が取り除けたと言う事実!!


 それらを掴み取れただけで十二分に気分が良かった!


(魔法がある! 魔法があるぞ!! それに俺ペドじゃない、ペドじゃ無いんだぁああああ!!! うしゃぁあぁあああああ!!)


 悠夜史上、今程思考が逆転した事は無い!!

 こんな気が昂り、踊り出しそうな喜びは初めてだ!


 勝利の舞のように喜びの声を小さくあげて、心の中では叫ぶように沸き踊って。


 しかし、悠夜は突然スンとした表情で。


「あ、てかほんとそうだ。飯の途中だったわ」


 と、心の声との寒暖差が目立つ声色で呟きながら立ち上がった。


「飯食ってくる」


 悠夜はそう言って一直線にドアの方へと向かう。


(ふんふふーん)


 やはりその足取りは軽く、恐れるものあらずと言わんばかりに堂々と道を行く。外はきっと快晴なのだろう、とまるで小説じみた心持ちで悠夜は思考した。


 すると、そんな悠夜の背中をレモンは透かさず追いかけ、悠夜の服を軽く握ると背を見つめながら言った。


「あの、私も食べたい、です…」

「……」

「私も」

「え…? あ、ごめん。君やっぱご飯食べないと死ぬの?」

「ぇ…はぁ…? あ、当たり前…では……?」

「え、天使って(かすみ)とか幸せ食って生きてんじゃ無いの?」

「私立派な生物なんですけど。勝手に化け物にしないでもらっていいですか?」

「…あぁーそれは、ごめん……。ぁ待って、いや、ちょっと待って」


 悠夜は、そうだこの際レモンという存在についての情報を整理しよう、とレモンに持ちかけた。


 正直なところ未だ分かっていない部分が多い。

 精々彼女が天使? 堕天使? であり、魔法を使える少女であると言うこと、それくらい。


 何故少女レモンは悠夜以外に見えず、しかし物などには触れる事ができるのだろうか。と言う、そこと、そこの奥からは、全く知る(よし)も無い未知の領域。


「ええ、まぁ、いいですけど」


 少女は少し不服そうながらも承諾をする。

 その為悠夜は取り敢えず腰を落ち着けようと思い、レモンをベッドの上へ、悠夜はチェアへと腰を沈めた。


「えーと、じゃあ何から……あー、先ず確認だな。レモンちゃんはなんなの」

「天使です。あ…堕天使です」


 そこが肝なのだろうか、即時訂正するレモン。悠夜はその訂正後の話に沿って質問をする。


「堕天使は…周りの人に見えなくなる力とかあるの?」

「無いです。天使にも。ぁ、あー…やっぱ基本です、基本無いです。居たとしても1億人に1人位の数です多分」


 そう言うレモンの話に、悠夜は天使の人口比率の多さに驚く。この地球にそんなに居るものなのかと、しかし実際世界中に居ると考えた時、そうでもないのかもしれないと思えた。


 そしてレモンは続け様に言う。


「ただこの透明化のような状態なんですけど、私の場合が特殊なだけでして…これ仮初(かりそめ)の力なんで1年位経てば効果が切れて悠夜さん以外の方にも見えるようになると思います」

「ほーん仮初の力ね…見えるようになるってのは信じていいの?」

「ええ、まぁ」

「分かった。……じゃあ後もう一つ。…何で俺だけ見えるの?」


 そう悠夜が聞くと、レモンは少し悩むように唸って。


「まぁ追々言っていきます。この話は様子見ということで」


 と、悪びれもなく言った。


「いや、気になるんだけど」

「他には無いんですか」

「いや気になるんよ」

「他の奴ですね」

「それが気になってんだよってーー」

「ーーぁあもうっ話題を変えて下さい! ねちっこい! 何回言わせんだよ! 嫌われますよそんなんだと!!」


 しかし、かなり死活問題というか気になり過ぎて、後にも先にもその質問しか頭に浮かばないのは事実。

 でもこれ以上は言えないと言う空気に「じゃあ最後」と言って悠夜は切り上げることにした。


「レモンちゃんは…家出してきたの?」


 レモンの存在を裏付けることと言えば、そうした家族などのバックグラウンド。

 そこがはっきりさえすれば、ある程度レモンの事を理解する事ができるだろうと踏んでの事だ。


 悠夜がそんな質問をするとレモンは呆気に取られたように目を開いて、少し口角を上げる。

 その目線は生暖かく、心地よいものではなかった。


 そしてその感覚は杞憂(きゆう)だとか気の所為(せい)とかじゃなくって。


「あぁ、別にあれですよ。帰る家も家族も居無いんで、誘拐(ゆうかい)とか考えなくて大丈夫ですよっ」


 何かしら大きく勘違いされての発言な気もするがしかし、それ以前に声として聞き取った話の内容が想像もしていない方向過ぎて悠夜自身の口元が引き攣った。


(…お、ぉお重い…ずっしり来た)


 まさかの地雷探査能力が自分にもあった事に驚きつつ、この状況をどう扱えばいいのかと悠夜が悩んでいると、その沈黙を見かねてかレモンが。


「もー、空気の操作下手くそですか…? ……いいですよ、別に何も言わなくて。さ、ご飯食べさせてください、質問、最後なんでしょ?」

「あ、ああ。……そうだな」


 そう言った言葉を真っ向から信じたら良いのか、どうなのか。


 その貼り付けられているのか分からない笑顔に一瞬、みんなと同じモヤが掛かりそうになったのを見て悠夜は小さく「わりい」と言いながらドアを開けた。


 それからは今すぐ用意できそうなご飯を掻き集め、レモンの前に置いていく。


 大きめのカップラーメンに白米、切り干し大根、魚を焼こうと思ったがめんどくさくて辞めたら後はお茶を用意するくらいしかなかった。


「ごめん、こんなもんしか用意できなかったわ」

「いえ、これでも大分豪勢に見えますよ何も食べてなかったさっきまでよか。…てか遠回しに貧相な食事って言ってんのかってね、ははは」

「………」


(やめて、痛い。その言い方は痛いっ)


「と、自虐ネタはいい加減終わらせるとして、ちょっと先んじてお願いというか提案というか相談したい事があるんです」

「……な、なんだよ」

「もー、悠夜さんったら、そんな身構えなくてもいいんですよー」

「やーねーレモンさんってばー、無理なお願いなんだわそれ」


 さっきの流れでそう言った話を持ってこられると体が持たない、そう思い警戒心を解かないままレモンの話に耳を傾ける。


「…まぁいいんですけど。その相談と言うのはまぁ、言ってしまえばこれです。この状況です」

「……ん?」

「詰まるところ、衣食住です」

「衣食住……」

「はい」


 レモンは頷くと続ける。


「安定した居住と冷暖、それと純粋に美味しい食事が欲しくて」


 と。


 だが、この相談を(こころよ)受諾(じゅだく)すると言うのはかなり無理がある話。


 もっとコンパクトに考えれば、この家に住まわせて下さい、と言うお願いであり、一般的な生活水準で家に住まわせる以上単純に倍程度の出費が予想される。


 何が言いたいかと言うと、現状悠夜と花奈の生活と、他諸々の物でギリギリの生活をしている中に、新たに人を住まわせる余裕はないと言う事。


 そう言う事情が相まって悠夜が言葉を出し渋っていると、レモンが「……最悪庭の端でも貸して頂ければ、私は十分ですので」と申し訳なさそうに言った。


「いや、じゃあ飯はどうすんだよ」


 そんな最もな質問にレモンは少し口元を濁らせながら言う。


「それは……その、とってきますよ」

「…とるって…盗むって意味の方?」

「……ええ、まぁいつも通り。あ、私が所有してしまえば何も見えなくなるのでご安心を」

「違う違うそう言う問題じゃ無い」 


 どうすればいいのだろう、と悠夜は思い悩む。

 普通なら簡単に断る事が出来たであろうこの話を、さっき変に家族についてなどと言った話をしてしまったがために断りづらくなっていた。


 でも、無理なものは無理で。

 けど、雑に取捨選択はしたくなくて。

 悠夜は悩む。最善の策を模索する。


「…あ、カップラーメン出来たっぽいんで食べますね」


 そう言って置いていたコンビニの割り箸を割ると、レモンは麺をかき混ぜながら息を吹きかけ、熱を冷ましていた。


 そうして多少の熱が飛んだと踏んだレモンは麺を持ち上げ、もう一度息を吹きかけてから口に運んだ。


「……〜!」


(そんな嬉しそうに食うなよ…泣くぞ俺)


「……んっ…。ぁ"あ"ー…何か、やっぱ話し相手と言うか前か隣かに誰かが居る食事の場って良いですね」

「…お前は俺の涙腺を千切りたいのか?」


 この話は嘘であってくれ、と、あの生意気さのまま嘘だったと言って欲しいのだが、屈託のないその笑みが、悠夜の心臓を突き刺していた。


(どうするのが正解なのだろうか)


 分からない。


 自身の食事の手が進まないまま悠夜が考えていると、レモンは切り干し大根を一口に頬張り、咀嚼(そしゃく)している間に残ったカップラーメンの汁の中に白米を投入して。


「……あ、でそう。私が提示すべきメリットを言うの忘れていました、すみません。…でー、えーとですね」


 レモンは言った。


「住まわせてもらえれば悠夜さんに魔法を教えますし、後この家の家事を手伝います。この二つしか今の私にはできそうに無いので、厚かましいお願いですけど大目に見てもらえれば…嬉しい限りです。と言った感じです…」

「……あぁ…うん」


(家事か。家事の手伝いをしてくれるなら、母さんの補助になる…よな。洗濯もんとか回して干すだけでも手間が違う訳だし。で、魔法は…俺が嬉しいな…。楽しそうだし、実際支えて楽しかったし、こっから先を教えてもらえるなら尚更……)


 そこに『でも』の一言がくっついてきてしまう。


「………」


 幸せそうにねこまんまを(すす)る少女を前にし、思考が鈍る。


「あ、もし良かったらシャケ、もらっちゃってもいいですか」

「…ああ、良いよ。そこまで腹減ってないから」

「やったっ、ありがとうございます!」


 そうしてレモンは器用にシャケの身を(ほぐ)し、(ほぐ)した身をねこまんまの中に放り込んでいく。

 そして余った皮をレモンはむしゃむしゃと食べた、これもまた美味しそうに。


「……はぁ…」


(……全部母さんが負担する前提なのがダメなんかな…)


 少なくともそうだろうと、そして悠夜は心の中で頷いた。


 自身が持ち込んだ案件でしか無い訳だし、こうして問いかけられているのも悠夜本人に対してだ。


 当然だった。


(働いたら……レモンちゃんの食費とか、出せるか…。それに、家賃とか光熱費の援助も……)


 なにより、と悠夜は考える。


(魔法をもっと扱えれるようになる。魔法を使う意味はないけど、使ってみたいし……うん…俺が、働きさえすれば……)


 悠夜はそこまで考えて、漸く喉の突っかかりが半分位外れた気がした。そしてそれを期に、悠夜は止めていた箸の手を動かし、切り干し大根を挟んで一口食べる。


(働きさえすれば、良いのか…)


 働きさえすれば。


 これは今回に限った話ではなく、とっくの昔に気づいてはいたが実行には移れなかった事柄。


 社会性の再取得。


 抵抗は十二分にある。


 散々分かっていながらも就職しなかったのはその抵抗力が異次元であり、後押しする理由も特段見つかっていなかったから。言い訳ではある、言い訳である事も、悠夜は理解している。


 ここ最近で家計簿と言う現実を見せつけられた為、焦りを覚え、真剣に考えるようにはなってはいる。


 が、悠夜の後押しにはあまりならなかった。

 テレビに張り付くだけの日々が後押しになっているとはとても言い(がた)いものだった。


 動かすにはもっと状況が切迫している、もう悠夜自身が動かなくては解決できない、または悠夜自身に判断が迫られている程の話ではないといけなかった。


 まだまだ甘える分には余裕のあるものだと心の何処かでは思っている悠夜の思想は動かせなかった。


「………」


 悠夜は理解している。

 理解はしている。


 だが、ちゃんと物事を見れていない。

 視点はいつも在らぬ方向で、動く事を、この引きこもる状況を動かそうとは本気で思っていない。


 真の意味で分かっているのなら、もう少しまともな行動が出来ているはずだから。


 だから、ほんと、悠夜は理解しか出来ていない。表層の凹凸しか分かっていない。いつも受け身で、施しを受ける楽さに慣れてしまっている。


「……」


 だが、今、レモンの痛々しい実情を悠夜は目の当たりにしている。


 今後のレモンの生活、その判断を委ねられている。この判断一つで相手の今後は変えられる、と言うのは厚かましい話なのかもしれないが少なくとも相手の今後に干渉する話だ。


(俺が、判断していいのか…?)


 今の悠夜の生活と違って、自分が判断した時点で相手に行動の指針を立てる事になる。


 責任の重大性がある。


 働かなくても生きていける、今の他力本願的生活とは違い、レモンにはレモンの人生がある。それを左右させると言う事はそうした「責任」の面がありありと存在しているということで、だからこそ悠夜は歯噛みをして悩んでいた。


 自分は判断するには相応しく無いから判断するのはダメなのだけれど、判断しないと言うのもダメだ、などと言う対立。


 なにより、レモンの生活のことを考えるとダメとかのレベルではなく、もっと偏りのある現実と言うものがある。


「なぁ…レモンちゃん」

「……ん…はい」


 働くだけ。


 相手の背景なんてどうでもいい、と言うのは最もで、悠夜が態々鑑みて支える必要性はない。道理もなければ義理もない。


 見えないと言う異常。


 この現象がある以上、この国の保障制度にかかる事もできない。


 そもそも、助ける云々、泊める云々の前にレモンは何のためにこの世界に降り立ったのか。

 その理由が気になり、無粋な者なりにも悠夜は考えるのだが、何処まで考えても、いいものである気はしなかった。


 とにかく、なにかしらのきな臭さを感じていた。


 悠夜の現時点での見解としては。


「……」

「………?」


 働くだけ。


 救える、と言うのは烏滸(おこ)がましい事なんだろうど、見た目からして子供。天使の寿命や成長速度なんてわかりやしないが、ロクな人生を送れてもいないだろう事はわかる。


 働くだけで、マシな生活を送らせてあげられるかもしれない。そしてそれを望まれている。


 (ないがし)ろには…できない。

 したくない。


「……あの? なにか?」

「ぁ、ああそのさ……衣食住の話…なんだけど」


 それにいい機会でもある。

 これを機に、変えられるかもしれない。


 この生活を。


「えっと…ちょっと……その…前向きに、その……検討…するよ……」

「えっ本当…ですか?」

「うん。……まぁ、最終、一家の大黒柱、嶋崎花奈様の裁量次第だけどな」


 と、笑えるか笑えないかで言えば微妙に笑えない話のトーンで悠夜はそう言った。


 そして、悠夜はその時には働く意志を固め始めていた。

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