測り事【1】
翌日は何だかんだ直ぐにきた。
「………」
利用した旅館の部屋は中々に居心地が良く、新鮮ない草の匂いと布団の触感が気持ちをとても落ち着かせてくれた。枕の硬さや高さも問題なかったし、だからぐっすり眠れた一夜でもあった。
そんな一夜を越えた朝の6時起き、その身体。
この普遍的な生活リズムの良さが何だかんだ遅刻を恐れなくて良いものである。
そう俺はこの恵まれた体質に感謝しながら、シャカシャカと、清々しいミントの歯磨き粉を口の中に突っ込んで磨いていく。
そうして、少ししつこいくらいに歯を磨き上げ、ある程度満足がいったところで俺は口の中の生ぬるい爽やかさをぺっと吐き捨てた。
その後に手を器の様な形にして水を貯め、残った不快な味を拭うために口の中を水で数度濯いだ。そんな感じでスッキリした感触を口の中に閉じ込める。
(さて……)
そして、そうしながら俺は、顎から頬あたりに指を滑らせてもの耽けてみた。
(……どーしよ、あんまお腹空いてないけど…)
俺には不思議と7時30分だとかに何かを食べる習慣が身に付いている為か、その時間になるまではそこまでお腹が空かない…訳ではないが、普通にあまりその気にならない。
しかし今日は早めの時間帯での行動を求められている状態。出来ることなら私事は早めに済ませておく必要がある。
なにより、今日は運動をする。
だから朝のエネルギー摂取は余計に必要な訳だ。
鏡に映る自身の顔、あまり締まりがないのはいつもの事だが、朝はダントツで崩れてる。寝起きの表情だとか寝癖だとか、ほんと人様に見せられない。
(…飯食うか)
だからそう決めた時にはもう一度顔を洗って髪を解かし、万全な状態になる様頑張った。んっ、と背を伸ばし、館内利用なら着用が許可されている甚平に身を通せばもう後は外に出るだけ。
忘れ物がないかを確かめて、そうして俺は外へと足を踏み出した。
(メニューどんなんだろ)
今向かっているのは朝食亭と言う場所。
朝食は基本どこで食べてもいいのだが、ここなら昨日送られた仮のDES免許でも提示することで食事を無料提供してくれるので、結構安上がりで済むと言う事で足を運んでいた。
そうして辿り着いた朝色亭、まだ人はそんなに居ないみたいだ。
食券販売機でささっと注文し、数分。
もう少し時間がかかるかななんて思っていると直ぐに声をがかかった。
「お待たせしました、朝壱定食です」
「ありがとうございます」
頼んだ朝壱定食の内容は白米に魚、煮物、赤だしの味噌汁、ひじきの和物と言った和食だった。他にも弍や参と言う別種の定食があって気になるところだが、まぁ今度頼めば良い。
なんにしてもこの食事が提供されるまでが早くて、その上味も普通に美味かったのは間違い無くて、印象としては頗る良い食事処であった。
「ふぅ……」
それからちょっと軽く背を仰け反らせ、畳の上に掌を置きながら満たされた腹を撫でる朝焼けの6時30分。外はもう既に日が空の青黒さを明るくしている。
見ている空は同じなのに、自宅とは違う景色の感覚に少しばかり目が奪われた。しかし、飽きと予定はすぐにやって来た。
(……さっさと帰るか)
今日向かわなければいけない測定会場までは、ここから徒歩30分程だそう。開始時間は8時と聞いているので7時15分か20分くらいに出られれば良いだろう、と言う話になっている。
「…ご馳走様です」
「はーい、ありがとうございまーす!」
だからそれまではちゃんとゴロゴロしようかな、なんて策略だ。
そうしてそそくさと定食のお盆を返し、身を出口へと翻していると丁度堀内さんと冴島さんと鉢合わせた。
「あ、嶋崎さんおはようございます」
「ポンさんじゃないですか、おはござ!」
「ポンじゃないですよっ! …おはようございます」
2人とも甚平を着用している。
着こなせている、と言うと何処か、と言うか上から目線な見方だが、とにかく似合っているのは間違いなかった。
「あ…ご飯もう食べ終わっちゃった感じですか?」
そんな堀内さんの質問に「ええ、丁度今さっきに」と言葉を返すと少し残念そうにして「そうですか」と言った。
「折角お会いしたのでどうかなって思ったんですけど……ご飯は美味しかったですか?」
「あー…はい、そうですね、結構美味しかったですよ」
そういうと堀内さんは徐に冴島さんに微笑みをかけて「ななちゃん良かったね」と声を発した。
しかしそんな嬉々とした表情を表に出す堀内さんに対して冴島さんは難色を示しており。
「んー、でも食べてみないと分かんないし」
冴島さんはそんな堀内さんの言葉に唸り声を返していた。だから俺が「…どうしたんですか?」と聞いてみると。
「あーいやぁ……実は私ホテルの朝ご飯にあんまり良い思い出なくて。何か…アレなんですよね」
と、渋そうな表情を浮かべて難色を示していた。
なるほど、単純に今まで食べてきたホテルの朝ご飯が不味過ぎて食べる気が出ないと言うことか。まぁ、こればかりは…仕方ない。
「それはなんと言いますか、当たり外れはあるので仕方ないですね」
だからそうドンマイ的なニュアンスを孕ませて言っていると「…んー……」と冴島さんは唸って。
「それもこれも嶋崎さんのせいだー」
そんなことを言い出した。
(えぇ……)
…しかし、まぁ本心ではないのは確かでどっちかと言うと悪ノリか。少しいたずらっぽい目線が突き刺さる。
それに冴島さんは何処か人を弄るようにして相手との距離感を縮めようとする節がある気がする。昨日の夕食の集まりの時もある程度人に合わせてそんな事をやってる感じだし、俺に対してのこのボケも昨日のいじられた時の反応が元だろうか。
愛想笑いで返すのは却下として。
(まぁ無難に)
俺は頬をかいて少し目線を下にずらし。
(乗ればいっか)
そうして間を置かず口を動かす。
「いやぁ…あの冴島さん。他人のホテルのご飯を不味くしてトラウマを植え付ける事で幸せだーなんて思う奴いると思います? っはぁ……ここにいますよ」
「いやいるんかい」
「そりゃあ他人の不幸は蜜の味だから」
「とんでもない性癖の持ち主じゃん、開けちゃいけない箱開けちゃったよ」
なんてボケを返していると冴島さんは上手い具合に返してくれた。やはり冴島さんはノリがいい……逆を返して相手に合わせて距離を深める人であると言う確証を得ることができた。
所謂万能型の人だ。
まぁ…それならそれで、別に冴島さんが悪そうな人にも思えないし、彼女に対して一先ずの悪印象を抱いていると言うこともない。だからこの流れを変えてどうにかする必要がない話だ。
どう動いても合わせてくれるんだし、求められるままが冴島さんとしてもやりやすいはず。
「はぁ……バレたらしゃーない…」
だから俺はこのまま続けようと思い。
「こっちもアコギな商売やからなぁ、姐さんには覚悟してもらわんと…」
そんな切り口で話始めると。
「んふっ…ちょ、自分でアコギとか言うのマジで嶋崎さんデルッてるーっ」
冴島さんはクツクツと笑い始めた。
少しツボに入ったのだろう、声を抑えるにしてもかなり身体が震えてる。
それから少しして、冴島さんは笑い疲れたため息を吐きながら「……もうじゃああれですね」と続け。
「嶋崎さん。これからアコースティックギターコード嶋崎さんだ。今日はご飯美味しくして下さいね」
そう言った。
「いや何処の芸人の名前だよ」
「そりゃあアコギな嶋崎さんの」
「それはもうとんでもねぇアコギ違いだよ」
そんな感じでやんややんやと話ていると堀内さんがスマホの電源をつけ時間を見た。そして冴島さんの肩をポンポンと軽く叩くと「七海ちゃん、もうそろそろご飯行こ」そう言った。
そうした掛け声に冴島さんはちょびっと口を尖らして、けれど諦めのついた表情をして。
「はぁ…んー……もーしゃーないしゃーない…諦めて命に感謝しながらご飯食べてきますわ」
「うん、全然ご飯美味かったから多分大丈夫だと思う。和風が好きなら特にかな」
「…ふーん」
すると、急に二人は目を合わせて。
「「アコースティックギターコード嶋崎さんが言うなら間違いない」」
「いやまてまてハモるなハモるな」
そうして二人は盛大に笑って、俺にまた後で、と言う去り言葉を掛けると軽く手を振りながらその場を去っていった。
朝から賑やかなもんだ。
そんな帰り道、川端さんと出会った。
「あ、川端さん。おはようございます」
「ああ嶋崎さん…おはようございます」
だが特段長話をする訳でもなく、軽い挨拶と雑談をしてその場で別れた。
それから自室で動的な柔軟体操をしながらこれからに必要なものの用意をし、空いた時間で寛いで時刻は7時00分。
俺はよっ、と重たい腰を上げて着替えを始めつつ、用意した物を確認してから班員が待ち合わせにしている本館の玄関口へと向かい行く。
(そういや相田さん、メガネ探してるんだっけか)
そうして辿り着いた本館。
少し遠目にだが相田さんを除いた班員全員がいた。
そして俺もそうだが支給されているスポーツウェアを着ている。
黒の極薄インナーの上に白のラインなどのデザインが施された黒のシャツ、同様のデザインが描かれた黒のキャロット。黒のレギンス。
スポーツシューズは白の物だ。
色に関しては税金で賄われている支給物だから、そもそも全員指定は出来なかった。だが性能は最新のものではないものの、機能性共にそこそこ良いものを使っている。
素材面で言えば冷感、即吸汗、即発熱、超軽量、汚れがとっても落ちやすい。着用物は全体的にそうした機能に加えて伸縮性にも優れていて、靴も衝撃緩和などその他様々な機能で足の負担を軽減する作りになっている。
「あっ、アコースティックギターコード嶋崎さんちーっす」
「はいどーもー! …じゃあないんですって、アコギとってくださいよ」
そして到着早々冴島さんに絡まれた。
「えっ!? そんな…それじゃ一体嶋崎さんに何が残るって言うんですか」
「全部だよ、嶋崎悠夜そのものが欠ける事なく残るんだよ」
「本体がアコースティックギターコードなのに?」
「そう」
「もぬけの殻じゃん」
「ちゃんと中身詰まっとるわっ」
そうして馬鹿な会話をしていると冴島さんはケラケラとした笑い声を上げて「デルってるー」と言った。
そしてそんな話を切り口に、ご飯がなんだかんだ美味しかった事や今日の測定について話したりした。
ただずっと冴島さんと一対一での会話、だった訳ではなく、どちらかと言うと測定の話を中心に加藤さんや堀内さんに話題を振ってみんなと話すような感じで相田さんを待つ時間を埋めていた。
その時ちょくちょく山田さんにも声をかけてはいたが反応が乏しく、頷くか愛想笑いかで会話を流していた印象を受けた。と言うかあんまり近づこうとしない感じだった。
それから遅れてやってきた相田さんと合流し、30分ほど早歩きで凹凸のある道を行き、大峯を超えた沿岸部あたりにある目的地に到着した。
そこには少し大きな施設と目的地への連絡施設の二つの建物があり、今回は連絡施設の方を利用する為にそっちへと足を運んだ。
真ん中の自動ドアから中に入ると、冷風が効いており涼しげな空間が広がっていた。広さは、縦はそんなにだが横が30〜40mはありそうな広さ。
そこから入って少し歩けば、端から端まで縦長の楕円形のようなゲートが設けられていた。
このゲートは通過時にカメラで顔を認識し、開拓者であるかどうか判断してくれる。だからここでDES免許を利用をする必要はなかった。
「で、後はここを通ったら目的地か…」
それから暫く続いた緩やかな下り坂を行き、光と青さに世界で彩られたスロープエスカレーターエリアに到着する。
スロープエスカレーター場の横幅はゆとりがあり、建物の入り口よりも幅がより広くなっていた。
スロープ一つあたり大体2m程度だろうか、丁度右半分は目的地向き、同じく左半分は施設向きになっている。
それでいてエスカレーターに、目的地行きなら青の、施設行きなら黄緑色の矢印が等間隔に描かれていた。
そんなスロープエスカレーターより手前の天井には蛍光電子板が吊るされていて、そこには[荷物確認!]と言う文字が書かれていた。
何も考えず行きに乗ってしまうと途中下車は愚か結構早いので乗り換えできない。加えてそもそも乗り換え防止策として透明な衝立が1.8m程度の高さで敷設されている。
またそうしたスロープエスカレーターエリアの両脇に5〜6m程度の広さが設けられたエマージェンシーエレベーターと言う、重度の怪我人や緊急通達の為の緊急時用の高速移動装置が設置されていた。
そんな連絡通路に目をくべて興味を持つこともできるのだが、それよりもこの装置らを覆う蒼の景色が目を奪いくる。
(絶景だな…)
ここは海中の連絡通路。
海遊館などに使われている強靭で分厚いガラスよりも格段に強度が優るものが使われており、それでいて景色が歪まない為外の海景色が良く見える。
揺らめく波の姿と、その揺り海に歪められながら光が差し込む幻想的な景色。海が綺麗だからか遠くの景色までよく見え、魚達が快活と泳ぐ姿が散見された。
鱗の煌めきを美麗な画として捉えさせてくる。
瑞々しさが極まっている。
海遊館や水族館よりも幻想感と壮大な雰囲気を感じられるこの圧倒的な海空と海中の絶景を前に、皆んな立ち止まっていた。
山田さんも相田さんも、加藤さんも。
男性陣であっても女性陣と同じように目を丸くして食い入るように見ていた。なんなら山田さんの口元が綻んでいるようにも思えた。
「……すげぇなぁ…まじで」
そうして重苦しく呟く加藤さんの圧巻に巻かれた、惚れ込むような風貌。そんな感じているのだろう余韻を掻き消すように、冴島さんがポケットに手を突っ込み。
「……撮らなきゃ」
手早くシャーターを切ろうと構えた。
しかし、素早い冴島さんの動きに堀内さんはぺしぺしと冴島さんの肩を叩いて止めに入った。
「ちょっとななちゃん写真は後ー、ほら早くいくよ」
「いや待ってよ。皆んなファスィネィテッドでウェイトしてるんだからそれはもうオーケーって事じゃん! 一枚、ワンテイクだけ!」
「もー。…皆さん! 時間も惜しいので行きましょ」
「えー…! かえっちゃん厳しいー…」
「厳しくない。んもー……帰りに一緒に撮ろ、ね?」
「分かった!」
「あ、理解が早い」
それからスロープエスカレーターに乗った各々であったが、搭乗配列的な問題でか喋る時は前後の人程度でそもそも特に喋る事はなく、早変わりしながら進んでいく景色にみんな見惚れていた。
そうした移動時間が使えると思ったのか途中で冴島さんがカメラで景色を撮っていたが「ダメだ、上手く撮れない」と唸り声をあげていた。
しかし、あっという間に終着点に着いてしまった俺達はそこからもう少し歩いて、次に現れた景色にも目を丸くすることとなった。
それが、目の前で大々的にその暗闇の程を披露する障壁。
いや…空間。
そして、その暗闇は入口で、俺にとっては漸くおでましか、と言う感覚に襲われるもの。
そう、今目の前にあるのは。
(これが、燈華異ダンジョンの入り口か…)
海中ダンジョン、燈華異そのものの入り口だった。
目の前で渦巻く巨大な闇の端に見えるのは赤々とした、それでいてザラザラとした光を反射しない燈華異の壁面。色合いが物々しく、何より外の青さとの相容れなさが異常で禍々しさが笑っている様な感覚を受けた。
そんなダンジョン前。
この時間帯ということもありダンジョン向きのエスカレーターには別の班の人も乗っていて、その為周囲には班が疎らにいてどんどんとダンジョンの中へと進んでいっていた。
そうした姿を悠長に眺められる余裕があるのかと言えばそうでもない俺たちは、だから特段済ませておきたいこともないのでそのままダンジョンの中へと体を潜り込ませた。
瞬間、全身の方向感覚が失われた。
身体は辛うじて動かせられる事がわかるのだが、やはり光が届かないとよく分からなくなる。
気持ちの悪い感覚だ。
しかし、そう戸惑う気持ちを抱えた次の間ではサァッと視界が広がった。明るくなったのだ。
だがそれに準じて目眩しを喰らい視界が煌々とした、だとか、くしゃみが出そうになった、と言うことはなく、ただそれを目の当たりにしていた。
(これが…ダンジョン……)
空気は空調の効いていたさっきまでの通路とは違い、自然に近い、いや自然そのものの暖かさがあった。
吸う息も、嗅ぐ匂いも何もかもが一変してしまっている。
この大地に広がり生い茂る背丈のかなり低い草達。
それらが靡く姿は壮観と言わざるを得ない。
地形はそれとなく平坦ではあるが所々丘などがあって起伏がある事がわかった。
見上げた先の空に浮かぶ太陽はまさしくリアルだ。
太陽に当てられる白い光と軽い熱。目を閉じたくなるほどの極光からはやはり日々目の当たりにする太陽そのもののように感じ取れた。
ここに風も吹き、それによって雲が空の海を漕いでいくのだから本物と遜色ない風景だ。だが、何処とない非現実的な感触もあり不思議な気分を感じていた。
そんな広がる大地、ダンジョンの中だが魔物はいない。
異形ダンジョンの特性上だ。
がだからこそ逆に動くもの、軍服を着用している自衛隊員の方々がよく目に止まった。
観測員としてや様々な機材の調整を行っているのだろう。動いていないのは精々集合地点で集まる仮の開拓者達位だ。
「さっさと集合場所に向かっちゃいましょっか」
会場はダンジョン内。
ここで執り行う種目は色々。
握力から背筋力、脚力。
跳躍もあれば定距離走もある。
指力も計測され、遠投技能も見られる。
何より最後に控えているのは擬似戦闘測定だ。
ARゴーグル、コンタクトを使える人はARコンタクト、そして状況に応じて反応する負荷シールを使う。
そうした種目を控える俺達は、その後待機地に向かい予定時刻となった為その場で話が始まった。
と、言っても昨日話した流れをおさらいした後、全体ストレッチをするくらいで、それから直ぐに身体能力測定が始まった。
○DES免許
DESは「Dungeon Exploration Skills」の略称で
「ダンジョン探索技能免許」を指す。
○ポン
ポンコツ、抜けた人の事




