道中【2】
「はぁ、そうですが」
俺は青年から受ける印象のギャップに襲われつつ、問われた事柄に対して言葉で頷いていると、青年はホッとした顔色で「ですよねぇ……よかったぁ…」と息を吐いた。
そして青年は居住まいを正す様に引き気味だった右足を左足の横に並べて、少し言いづらそうに言う。
「あの、それで…えっと、すみませんが席、ご一緒させてもらっても……いいですか?」
(え、なに……?)
急に相席を言われた事に少し戸惑い、瞬きをする。
真意が分からない。
格好から受ける印象が拭えない。
なんか怖い。
でも、青年の口元に目線をそれとなく落としてみると少し強張っている感じが見受けられた。
言葉が躓いている感じから緊張しているようだし、まぁ勇気を振り出して話しかけてきたのかなんなのか、どうなのか。
喋り方も丁寧だし、悪い事は考えてないように思える。
(ぇー…けど相席かぁ…)
人の良し悪しを省いてでも、相席と言うことは何かしら話す前提なわけで、詰まるところはっきり言って話すのが怠い。
なんなら話したくない。
前準備ないもの、唐突過ぎて会話デッキすら思い浮かばない。
けれど俺が座ってる席は4人席で、俺以外誰も居ないし約束している人もいない訳で……特別断る理由もない。そもそもこの人に害はそうなのは確かで、だからこそ問題なのは少し話すのがめんどくさいという事位。
(断るか……)
とは思ったが、ここで断ったら中々に愛想が悪い様にも映る気がする。何より今後もしかしたら同じチームになる人物かもしれないからここで仲を深めておくのも作戦ではある。
面倒だけど…んー…やっぱり断る理由がない、うん。
(仕方ない、腹括るか)
「ぁー相席ですね…全然いいですよ何処でも座っていただいて」
「ぁ、すみません…ありがとうございます」
そうして青年はぎこちない感じで、俺と対角線上にある通路側の席に着き、そして、そっと自身が持ってきたキャリーバッグを座席の下に滑り込ませた。
その際見えた左の手の甲と、肩から肘あたりまで伸びた刺青……うん、見た目と言葉遣いに反して尖ってる。
物腰柔らかなただの青年じゃあないな、うん。
「………」
「……」
しかし……静かだ。
青年は俺にチラリチラリと目線を向け、口をモゴモゴとさせている。
きっと何かしら話したいのだろう事はこの席に座ったあたりから想像はついていたし、その行動が変だとは思わないが…どうしよう。
(俺が代わりに話を振るにしても…)
ここ数年、人との関わりが増えてきたはきたけれども、巧みに話を振れるほどのトーク能力は戻ってきていない。
寧ろ感覚を忘れてるせいで変な話を振ることになりかねない。それに折角相席を頼んできてくれたんだ、下手な話を振って、あー人選ミスったぁー、とか思われるのも嫌だし。
(うし、黙るかぁ……)
なんて…そんなわけにもいかない。
流石に、それはなんかダメだ。
というか悪手だ、空気が悪なる。
だから俺は小さく息を吸って、覚悟を決めてーー
「…天気…いいですね、今日」
お天気デッキを口ずさむ。
「あっ、ぁー…はい、っすね。ぜ、絶好の天気ですね、ええ、なんか開拓者としての門出をお祝いされてる感じで」
「ですねぇ…ほんと絶好の日和です…」
(で、ここで話題を変えるっ)
「…ぁ、そうだ。お名前伺ってなかったですね、ぇーと、僕の名前は嶋崎悠夜です、この際気軽に悠夜と呼んで頂ければいいかなと」
自己紹介、これでまず距離感を掴まさせる。
そうした意図を孕んだ質問に、青年は少し慌てて答えた。
「…あ、ぇとすみませんっ、僕から話しかけたのに名乗り忘れてしまってっ…。僕の名前は白柳智樹って言いますっよろしくお願いしますっ」
結構慌ただしく言葉を捲し立て、軽く会釈する青年ーー白柳君。
俺もその会釈に合わせて。
「…白柳君ね。これからよろしく」
軽く微笑みながらオウム返しをし、堅いままの言葉を少し崩して白柳君に向かって左腕を伸ばす。
「…あ、はい。嶋崎さんも、よろしくお願いします」
それに対して白柳君も手を差し出してくれたので、これで握手が成立した。
各国首脳のメディアに向けてする硬い外交握手ではなく、簡易的な握り合わせ。
これには狙いとして単純なスキンシップがある。
特に、握手はある程度相手に対して心を開いていると言うか歓迎に近い意思表示になるスキンシップだったはずだ。
お互いの握手が成立した時点でまぁ…俺が持つ警戒心とか、拒絶感の有無とか、そこら辺は表面的ではあるが提示できたと思う。
(いや…ちょっと待って)
しかしその時、俺は冷静になってハッとする。
(違う違う、何してんの俺。待って待って)
「……」
(…初っ端握手ってなに!? なんで握手したっ!?)
心理的な働きなどを思い返していたものの、それとこれとはまた別だ。なぜ個人間で初めに握手をするのか、そもそもなんで白柳君は握手に応じてくれたのか。
(変な空気にしないため…か…?)
なら尚更キモすぎるっ。
そうだよ、握手なんて腕相撲するか会社同士がメディアに露出して提携を公表する時位だ。
(まじでやってもうたぁっ!)
お互い顔を合わせて軽い笑みを浮かべてはいるが、少なくとも俺の心の中では荒波が立ち、海上で竜巻が轟々と渦巻いていた。
そうして俺は3秒ほど手を交わしあった後、サッと手を離し引く。
(…まじででしゃばるのやめよ…)
それから少し無音の空間が続き、白柳君は呼吸を落ち着かせてから俺に目を向けて話題を振った。
「…嶋崎さんってその…何か、鍛えてたりします? 実は元アスリートだったりとか」
「…え?」
俺がそんな質問に首を傾げるように言葉を垂らすと、白柳君は慌てて両手を左右に振りながら。
「ぁ、や、えっと…な、なんて言うんでしょう。なんか手が、こう…ずっしりした…感じがして、ガタイがいいって言うか、あ悪い意味じゃなくて…えぇと見える腕も、その結構ムキムキしてますし……はい…」
目線を下に下げて言った。
「取り乱しすぎですよ」
だから俺は笑顔と笑い声をつけ合わせながら。
「全然気にせず、大丈夫ですよ」
「ぁ…はぃ、ありがとうございます……」
話の空気を下げない様に明るく頷きつつ、フォローを入れて話を広げる。
「…で、えっと…そうですねぇ。僕はぁ…全然、アスリートとかじゃないですけど鍛えたりはしてました、と言いますか今もしてますね」
「…へぇ、今も。どうやって鍛えてるんですか? ジムとか…行っていたり?」
「いや、ジムとかは行かないですね。道具も特に使わなくて…。まぁ、えー、そうですねぇ……」
この場合どう言ったらいいのだろうか、話の展開の仕方をちょっと考えてから言葉にする。
「…初めのー…頃は、一般的? かな、みんながよくやる筋トレ…ぇーと…」
「腕立てとか腹筋とかですか?」
「あそうそれですそれ。…で、ぇー…とか、してたんですけど、最近は体力とか技術面向上のためにランニングとか、自然のオブジェクト…坂道とか崖だとか、木々なんかを使って鍛えてますね」
白柳君はそんな話を聞いて「……ぁー…なんかあれっすね、パルクールっぽい」と呟いた。
(あー確かに)
「言われてみればそう、かもですね…パルクール。…まぁ僕はそんな感じで前運動をやって、後は武術の鍛錬につぎ込んでるって感じです」
そういうと白柳君は「…武術、ですか」と言いながら「ぁー確かに武術って全身使うのが殆どですもんね」と言った。
「実は僕もこの前から武術系の事をやりだしたので、全身使う感じ分かります」
「あ、白柳君も」
「はい。最近開拓者になれたので折角だし、と思いまして。……やっぱキツイですね、全身使うとなると。今より若かったら体力がまだあったと思うんですけどね…」
そう少し遠いところを見つめる白柳君、しかし彼の服装や面持ち、そう言った所を統合して見てみても20代前半の雰囲気の方が強いのは拭えない。
「いやいや、ゆーて白柳君若いでしょ」
そういうと、白柳君はちょっとばかし首を横に振って言った。
「いやもう27ですよ。いいおっさんです」
「いや…27でおっさんて。僕の立場なくなるんですが」
若い世代の価値観、その幅の広さには感服する…が、27はお兄さんだ。絶対おっさんじゃあないまだ若い。
もし27でおっさんとしたら俺36だし、じゃあなんだ、俺はじじいかなんかか。
そんな否定的な俺の反応に白柳君は「え、あー…」と唸りながら。
「でも嶋崎さん30手前ですよね」
と、言うのだが…残念、掠ってない。
「36…ですね」
「え」
すると白柳君は目を丸くして「36っ!?」と声を上げた。
「……30位にしか見えない…」
「いや…それもうおじさんじゃん……」
「いやいや……そんな事ないですよ。若いですよ、若く見えます!」
「フォローが痛いなぁ…」
「いやマジですマジです!」
「でも27でおっさんなら俺おっさん以上の何かじゃ?」
「あっ……」
そう白柳君は一瞬声を途切れさせるが、直ぐに切り替えて言う。
「…あ、ほらでも、まぁあれです、この歳でおっさんってのは僕の価値観なんで。一般認識なら全然…あー……や、30代からの年齢差異は大きいですねぇ…でも実年齢よりちゃんと若く見えますよ! 嶋崎さん!!」
「待って待ってフォローしきれてないない」
「イケオジっす!」
「結局それおじさんですよね?」
「あ、確かに」
俺が白柳君の返答に相槌を打って、それから少しの笑いと共に勢いが急停止した会話の空気。お互い硬直した空気の質感に動きを止めて目線を下に向けていた。
「………」
「……」
話題は風船ガムの様なものだ、噛み続ければ味も薄まる。膨らますのにも限度がある。その上で失敗すれば簡単に破裂する。
そして今がそれだ。合いの手を笑いで済ましてしまった事が話題の破裂につながった。
まさにミスチョイス、バッドカーレントリー。
しかし、そうなれば新しいガムを、言い換えれば話題を、よっぽど変な事さえしていなければ用意すれば良いだけで、これこそが一般的な措置である。
そして今、ギリギリそれが適応される間だ。
話題の転換期としてはまだ自然な範囲、いや不自然か。まぁでも1対1で喋らないよりマシ。
「………」
だけどだ。
そう。
だけど。
今。
新しい話題がぜんっぜん! これっぽちも! 1ミリも! 頭に浮かんでこないっ!
(やべぇどーしよ……)
ふぅっと軽く息を吐く頃には確かな、微妙に厳かな、静かな、そんな動きにくい空間が出来上がっていた。
「……」
「……」
(いや…まぁそもそも現状コミュニケーション能力が高いわけではないし、こうして軽く話し合えただけでも及第点…って事で良いよな……バイト先でもあんまり話す事もしなかったし、寧ろ頑張ったと思う…)
何て所まで慰めの言葉が心の中で浮遊を始めたものの、直様呆れ返る様に目を瞑って叫ぶ。
(いや、もっとなんか出来ただろぉよおぉ…! この状況を肯定するなぁ…! これで及第点なら詐欺師は乱数を取り込んだ話題性に富む饒舌な何かだよ!!)
思い悩むだけ悩んで、だけれど打開する案も浮かばず、何となく静寂に包まれるこの空間に音を付け足したくて俺は鼻で溜息を吐き、脚を脛あたりで組む。
(…どーしよ)
生々しい微妙な空気感、吐き気が込み上がってくる。やっぱり相席なんて突然にするもんじゃあない、後悔するのは目に見えていた。
しかしやはり悔い事は先には立たない。
まぁ予見はしていたが、回避行動を取らなかった俺の怠慢だとか、見通しの甘さだとかいえばそこまでだが、どちらにせよ後悔は今横に立っている。
これは避けようがない一生物だ。
「……」
気分はまじで最悪。
それからどんどんと、着々と話しづらくなる空気感。
そんな時、会話を無理に続けないという選択が頭に思い浮かび俺はスマホに手を添わせた。
その時、白柳君がゆっくりと落ち着いたトーンで。
「…嶋崎さんは、なんで開拓者になろうと思ったんですか?」
と俺に目を向けながら聞いてきた。
(ぁー……)
「そうだねぇ…」
(開拓者になった理由…)
「…ちょっとー…汚い話になっちゃうけどさ、今よりもお金が欲しくってね。働きすぎな母さんに早く楽になって欲しくって始めようと思ったん、ですよね」
一応、事前に決めてる文言だ。
神を殺すために鍛えに行く、なんて話をする訳にもいかない。なので多少嘘は交えつつも、お金に困って欲しくないと言う本当に思っている気持ちの部分を加えて話した。
「ぁーお金…」
すると白柳君は少し目線を落としながら、口にした。
「…それ、僕も同じです。あと、その動機の部分も」
と。
「…そうなんですか?」
「ええ。…実は僕…には血が繋がってるだけの男が居たんですけど、そいつから逃げて…その後今の両親の養子になったんです」
「…そうなんだ」
白柳君は続ける。
「それで、色々助けてもらっちゃって、その恩返しのために、僕はこの開拓者を選びました。なんでちょっと似てるなぁって」
「親孝行のところが?」
「えぇ、そうです。けど……それにしてもやっぱVilmの素材が安くて20万とか夢広がりますよねぇー、普通に働くより絶対いい」
さっきとは打って変わって明るい口調で彼はそう言った。なので俺はその会話の波に乗るために明るさを合わせて相槌をする。
「だねぇ。社会はお金で回ってるから金は必須だし。お金ないと形で返せないからねぇ。…でも、死んだら元も子もないからなぁ、無理しないようにな」
そういうと、白柳君は軽く笑いながら「いやそれ嶋崎さんも一緒ですから」と突っ込んだ。
「そんなちょっと戦闘民族みたいな体型してても死ぬ時は死ぬんですからねー」
「いや誰が戦闘民族じゃっ。…怒りで金髪になったりもしません」
「え、ならないんですか。…毛染めと緑色のコンタクトもってきてますよ」
「コスプレ系の戦闘民族ってなんだよっ」
すると白柳君はコロコロと楽しそうに笑って、真っ直ぐ伸ばしていた腰をゆったりと背もたれに沿わせた。
「ふぅ……。あの、悠夜さん…なんか、お腹空きません?」
スマホの電源を点けると10:46を指していた。
「ん? あぁー、まぁ結構中途半端な時間だしなぁ」
朝食は7時には食べ終わっているし、小腹が少し空いてる感もある。なので、俺は。
「確かに腹減ってる」
そう頷いた。
すると白柳君はにんまりとした表情で。
「…実は旅のお菓子をちゃっと持ってきてまして、よかったら…」
そう言いながらキャリーバッグを下から取り出し、その中から〈バイオマス86%〉とデカデカと書かれているビニール袋を取り出した。
そしてその中にある物を、目の前の机の上に並べていく。
「………」
そこに並べられたのは梱包重視のチョコパイや板チョコ、スニッカーズ。手が汚れそうなのでもポッキーやしみチョコ……ってやたらチョコ系多いな。
「智樹君、もしかしなくてもチョコが好きなん?」
さっき下の名前で呼ばれたので、俺も同じように下の名前で呼びながら言葉調もちょっとばかし崩して聞いてみた。
反応が鈍かったり悪ければすぐに戻すつもりだが…。
「はいっ、めっちゃ好きっすね。大好物です」
ニコニコとしている。
(大丈夫そう、かな)
「なるほどねぇ、唯一の塩系として堅揚げポテチが存在してる理由がわかったわ」
「好きなの選んじゃって下さい。あ、お手拭きと未開封の緑茶ボトルもちゃんとありますよ。割り箸がよかったら割り箸も」
「何でも出てくるな…」
四次元ポケットが如く用意が素晴らしい智樹君の動きに驚嘆の声を上げ、そうしながら「じゃあ頂くよ」と言ってスニッカーズを手に取る。
「はい」
そんなスニッカーズの封を開けて口の中に放り込むと広がる、ねっとりしたチョコとナッツの甘い微睡み。それを咀嚼し十分に堪能ながら俺は智樹君と話す次の話題を考えた。