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【5】細い煙の匂いは懐かしく

「ぁあ、せんきゅ」


 悠夜は呼ばれた方向に振り向いて、その墓石に刻まれた父雅俊の名をまじまじと見つめた。見つめて、目を数回閉じた。


 今は感慨深いというより、後悔というより、「実感」という硬い感触を悠夜は強烈に感じていた。そして、それと同時に今までなかった類の心の虚無感が、少し生まれてしまった。


 泣きそうにはならない、ただ、哀しく思うだけだ。苦しさはない、でも(しばら)く目の前で突っ立っていたら、申し訳なさが心の奥底から出てきた。

 色々と、謝るべき事が頭の中に生まれてきた。


 実感すればするほどに、涙は出ない。ただ、哀しく思う、それだけだった。


「悠夜さん…? 早く洗いましょ」

「あ、ああ。そうだな」


 悠夜はレモンの声に正気を取り戻して重装備を外していく。そうして備品バッグから歯ブラシとタオルを二つずつ取り出して、一組をレモンに渡そうと思ったが、どうしよう。


「大丈夫ですよ、見た限り誰も居ませんし。なんかフラグっぽいですけど」

「…ほんまにな」


 悠夜は辺りを見渡してからまぁ良いかとレモンに渡し、墓石に水を軽くかける。

 そうして早速棹石(さおいし)に掘られた名前の(みぞ)を悠夜が、花立や水鉢などをレモンが洗った。


 そうやって余念なく丁寧に、レモンと協力をしながらではあるものの、悠夜は硬くなった父の体を綺麗に洗った。


 そして時間は過ぎてゆく。


 乾いている雑巾で余分な水を拭き取ると、太陽光を反射させてピカッと光る墓石。


 父さん禿げてたのか、なんて思ってるとちょっとばかし強い風が吹いた。馬鹿にするなとでも言っているのだろうか。


 悠夜は口元を少し崩して、花立に先程購入した花の束を供えていく。


 ーー今までお参りに来なかったこと。


「ほんま暑いな…」

「ですねぇ……」


 蝉の音と蚊の羽音すら忘れそうになる暑い気温に汗を拭う。そしてやっぱり帽子を持ってきておいて正解だったと、悠夜は改めて自身を称賛する。


 ーー最期の時に、合いに行かなかった事。


 それから、真ん中の水鉢にもう一度汲んできた水を入れて、物置石の上にお供え物を置いていく。


「うっし…。手伝ってくれてありがとな」


 悠夜はレモンにそう言いながら、線香に火をつけた。


「いえ、これくらいは。お墓参りに来たからには、故人の方を丁寧に(とむら)うべきですから」

「おー、ちゃんとしてる…」

「は?」


 悠夜は後で冷たいジュースでも買ってやろうと考えながら、数珠を手にして目を(つむ)った。


(父さん久しぶり)


 悠夜はそう切り出して、肺から空気を押し出す。

 束の線香が、煙を上げた。


(五年もの間来なくてごめん)


 時間は過ぎる。

 目を瞑り、どのくらい数珠を手にしていたのか。

 時計はなく、耳を研ぎ澄ますけれど、やはり小耳うるさい蝉の音すら聞こえてこない。


 悠夜の脳裏に映るのは、亡き雅俊の面影だけだった。


(父さん…)


 悠夜の脳内に色んな記憶が蘇る。封じ込めていた分が解放されるように、次々に。


 そうして浮かぶ、あの日の情景。


 幼少期の頃、運動会。親子二人三脚で5位のビリッケツだった事。負けて泣いたあの日の帰りにアイスクリームを買ってもらって泣き止んでいた事を思い出す。


 安い人間だ。


 小学生に上がった時、ランドセルを買ってもらったことも頭に浮かぶ。何を思ったのかベージュのランドセルを買ったのだが、大概の子が黒や藍色だったため疎外感を覚えてか買い替えたいと駄々をこねた。


 それからランドセルを買い換えることなく時間が進み、その色合いに慣れてきた6年生。修学旅行で沖縄に行き、そこで買ったお土産を渡すと母さんも喜んでたけど、父さんはもっと喜んでた。


 そこから中学生になって秋頃、父さん発案の餅つき大会を家でした。七輪で焼いている間に父さんとキャッチボールをして、外した球が七輪に直撃すると共に庭の草に引火した時はガチ焦った。


 でも、それもいい思い出だ。


 それから気づいた頃には人並みに反抗していて、父さんとも母さんとも高校の途中まであんまり喋ることもせず。


 でもそっから反抗期を脱したのかまたちゃんと話すようになった。そして大学入学。

 一番喜んで一番はしゃいで、一番嬉しがってたのは父さんだった。母さんも普通に喜んでたけど父さんが少し異常だった。


 その日の晩は鰻を食べに行った。


 そして、そこまで思い出してとある記憶も蘇った。


『悠夜。実はな、俺には秘密があるんよ』

『…え、なになに。あ、まさか…浮気…』

『何でそんなことを息子に打ち明かすの!? やってたとしても墓場まで持っていくわ』

『やってるの!?』

『やってねぇよ!?』

『で、秘密ってなに』

『切り替えはぇーわ! ぁー…まぁ、で俺の秘密ってのはな』

『うんーー』


 そこで悠夜は溜息を吐き、墓石に物言いたげな細い目を向けた。


(やっぱ教えなーいとか馬鹿にしてたけど、ほんとに墓場まで持っていきやがって。結局何を秘密にされてたか分からんねんけど…気になるわぁほんま)


 そう心の中で呆れた感じの悪態をつく。


 ほんとに、分からないまま。それで終わった関係性。いつまでもいると思ってた分、悠夜が抱く後悔の色は濃かった。


 謝りたい事。本当にいっぱいある。一個一個、謝っていきたかった。あの日酒の勢いで振るった暴力も、優しく伸ばしてくれた手を振り払って吠え叫んだのも。


 毎日話しかけてくれてたのに返事をしなかった事も。


 けどそれは全部最近の記憶で。


 思い返せばもっと昔の部分で謝る必要のある事柄があるのだろうが、やはり直近の後悔が一番残って悠夜の中で響いていた。


「すぅ……」


 束の線香が半分ちょっと程燃え尽きた頃、悠夜は徐ろに息を吸い込み、目を閉じた。


「はぁ……」


 そして溜めた息を吐き捨てて、目を開ける。

 そうして、悠夜は心の調子を整えると、心の中で、言葉を重々しく連ねた。


(本当に、今まで来なくて、葬式にも出なくて、酷い事をして、ごめん…父さん)


 それは、悠夜が抱く心の底からの謝罪だった。


(本当に…ごめんなさい)


 それからの後片付けは素早く終わり、最後に束で炊いていた線香の火を消し、灰殻入れに、残った線香事つっこむ。


 そうして灰殻入れをバッグに直し、全てを終えた所で悠夜は軽く一礼する。


(また来るよ。……次は母さんと)


 そう言って悠夜たちは立ち去った。


 車までの道のり。悠夜達はミンミンと合唱する蝉共の近くにあった休憩所に寄り、ベンチに腰掛けていた。休憩所の中は冷房がガンガンッと言うほどではないけれど効いており、お陰様で汗が引いていく。


 そのついでに、この施設の中にあった自販機で飲み物を買いレモンに渡したのだが、嬉々として受け取ったレモンはぐびくびと一瞬で飲み干してしまった。


「ぇ、はや……」

「ぁ"あ〜……親方ぁ…美味いっすねぇもう一缶っ」

「あいよぉっ……てお前が持ってるのペットボトルなんだわ」


 悠夜はそう言ってレモンから素早く飲み終えたゴミを回収し「……で、次は何飲みたいんだよ」と聞いた。


 レモンはそんな悠夜の言葉を何時もケチなあの人が…信じられない。見たいな顔をしながら「…でもやった!」と言って直ぐに喜んだ。


「じゃあさっきから気になってた杏あんずアンズジュースを」

「いや杏の勢いすごいなぁおい。そんなのあったっけ」

「ありますよ、ほら……ここ」

「…うわほんまにあるじゃん…。つかそれ190円すんだけど」


 そんな感じで嫌そうな顔をレモンに見せる悠夜であったが「えーっ」と口を(すぼ)めるレモンを見て、溜息を吐きながらレモンの分と自分の分とで2本購入した。


「美味しいですね、これ」

「…な、美味いな」


(いやほんと、案外美味いぞこれ)


 飲みやすい甘さ。純粋な杏の味だが臭みは無く、とろみがあるというよりかはしゃばしゃばした、本当に果汁水のようなものだ。

 それが更に飲む速度を加速させた。


「………」


 半分ほど杏ジュースを飲んだ所で、悠夜は飲み口から口を外し、側に小さな息を吐きながらそっと置いた。そんなゆったりとした悠夜の隣で、またしても飲み干しているのはレモンだった。


「っうはぁー美味しかったー」

「それはよかった」


 それから数分間、悠夜達はこの場で冷を取り、身体に溜まっていた熱が引くのを待った。そして良い感じに冷めきった所で悠夜が「行くか」とレモンの手を引っ張り外に出た。


 そうして二人とも車に乗り込み、シートベルトを()めて軽く次の予定に付いて話し合う。


「ガソリンは十分あるから電気スタンドだけよって、飯にしよ。その後に山へ行くと言う事で」

「はーい、了解でーす。…あ、ご飯は和が良いです」

「和ね、りょーかい」


 そんな感じで段取りを決めると、悠夜はハンドルの感触を確かめるように何度も握った。それは違和感、と言うより来た時よりも腕の感じが軽くなった感じがするという快適さ。


 それもこれも、ここ数年間抱いていた悩みが完全に、ではないにしても消化する事ができたからなのだろう。悠夜の中で渦巻いていた気持ちが大分、軽くなっていた。


(ふぅっ……じゃあ行くか)


 鼻腔(びこう)に残る線香の不思議な匂い。

 それを反芻(はんすう)する悠夜は、目の前をしっかりと見据えて、アクセルをゆっくり踏みこんだ。


 記憶に残る懐かしさを置き去りにして。

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