5 ポジティブな僕の前に現れたのは銀髪と笑顔とひ弱で柔らかい手
今日も日の出が美しい。
僕、ヨウ・プラララスがこの最果ての島改め「希望の島」について、今日でもう30日目。
衣食住の確保も、島の調査も、何もかもが順調だ。島に張った結界の強化にも成功して、ある程度の距離なら離れている場所の景色を見たりできるようになった。嬉しくて思わず小躍りしそうだ。
特に何よりも嬉しいのは、この孤独な無人島生活にまさかの同居人が現れたことである。
その人の名前は、イン・マイナース。くすんで色落ちしたような銀髪が特徴的な、笑みを絶やすことのない明るくて優しい人だ。僕と同い年で、僕よりも頭一つ背は小さい。
そんなインさんに出会ったのは、まさしく昨日の夜のこと。
きっと僕はあの出会いを一生忘れることはないだろう――。
「初めまして。イン・マイナースと申します。暗殺者です。ヨウ・プラララスという方を殺しに来たのですがこちらにお住まいですか?」
と、来訪者は開口一番にそう言った。
無人島生活29日目の夜。
初日以来の、いやあれは来なかったことにしたのだから、この島に来てから初めてのお客様だった。
魔導エンジンボートで海から堂々とやってきたその人は、これまた堂々と着岸して、呆気にとられる僕の前にすたすたと歩み寄ってきてからそう言った。
とりあえず僕も挨拶を返す。
「初めまして。えーと、僕がそうです、ヨウ・プラララスです、魔術師です」
そして僕が手を差し出すと、インさんも笑顔で握り返してきた。失礼な言い方だが、筋肉など存在していないようなひ弱で柔らかい手だ。体つきも小柄でとても細く、病弱な印象すら受けてしまう。
さてそんなインさんがこんな島に何用で参ったのだろう。さっき暗殺者がどうとか言ってた気がするが、聞き間違いかと思い念のために確認する。
「インさんはどうしてこの島に?」
「はい。あなたを殺しに来ました」
「つまり、暗殺者さんなのですか?」
「まだ素人同然ですが。一応はそうです。『安寧を尊ぶ黒』という暗殺ギルドにも属しています」
「……そうですか。え、じゃあ今から僕を殺すのですか?」
「できればそうしたいです。なので早速このナイフで首を切りたいのですがよろしいですか?」
「よろしくないです」
この人は何を言っているのだろう。
暗殺者と名乗った割にはそれらしき様子がまったく見られない、むしろ真逆だ。
普通の暗殺者は名乗りを上げないし、殺害の許可もとらない。暗殺ギルドの情報を明かすはずもない。
第一この魔術師の手を軽々しく握るだなんてどういうつもりなのだろう。
暗殺者ならばターゲットのことは事前によく調べているはずで、ならば僕が魔術師であることも知っているはずだ、大陸屈指の魔術師であるとも。
魔術師は手から炎でも電気でも出すことができる。僕レベルならば即座に即死級のそれらを生み出せるというのに、この人はあれか自殺志願者という奇特な人なのかな。
少なくとも、暗殺者ではあるまい。
ならば次に考えられるのは流刑にあった罪人だけど、罪人一人で島に来るなんてはずもない。島に送り届ける監視者がいるはずだ、じゃないと自由に逃亡されてしまう。
暗殺者でもなく、罪人でもない。
ならば他の可能性としては漂流者か? でもそれだと最初のセリフが救助を乞うでもなくあのような冗談とは奇妙だ。
うーん、話がいまいち分からない。
「インさんは暗殺者なのに、どうして今ここで僕を殺そうとしないの?」
手を握ったままで僕はそう訊ねた。
「え? まだ許可を得ていないからです。ヨウさんから殺しの許可を得ていないのに私が手を出すわけにはいかないですよね?」
「? 暗殺ギルドに属してるってことは暗殺の依頼を受けたんだよね?」
「はい。その通りです」
「誰から?」
「ええと。『国を守る剣』のギルドマスター様からだと伺っております」
「え、ギルドマスターから?」
一体全体どういうことだろう。
この島に暗殺者が来ると教えてくれたのはそのギルドマスターではないか。
なのにそのギルドマスター本人が暗殺者を依頼していたというのか? そして暗殺者がそれを明かしてしまうのか?
僕はこの難題にしばし頭を悩ませて、どうにか一つの解を導き出した。
「そうか、これもギルドマスターの餞別か!」
なるほどそう考えれば納得だ。
僕が『国を守る剣』を発つ際にギルドマスターが言った「暗殺者を送る」というセリフ。
あれは実際初日に暗殺者が来たように言葉通りの意味もあったのだろうけど、もう一つ裏の意味があったのだ。
それはつまり「介錯人」を送るということ。
僕がこの島の辛い環境に耐え切れずに自ら死を望むかもしれないと、ギルドマスターが配慮してくれたのだ。
僕の性格上どれほど苦しくても自殺を選ぶはずがないと知っているギルドマスターが、それでも辛いときにはと心配してこの暗殺者を用意してくれたに違いない。ああ、なんて慈悲深い人なのだろう!
それに罪人の自殺は生からの逃げだと、被害者の方々が憤るという話も聞いたことがある。
暗殺ならば、悪人にはふさわしい末路だということで溜飲が下がるし、納得もしやすいだろう。
さらに考えてみると、僕がここで自殺したところでそこには何の価値も生まれないが、暗殺ならば暗殺者さんやその所属ギルドにはお金と信用が入ることになる。依頼という形で暗殺ギルドと『国を守る剣』に縁が生まれる。誰も彼もが得をする素晴らしい手だ。
僕と被害者の方々全員に配慮をして、同時にきちんとギルドの損得も考える、ああなんという妙手だ、さすがはギルドマスター! あのとき殺さずに済んで本当に良かった! 僕は今も昔も貴方のような人間になりたいと常々思っています!
ギルドマスターの好意をとてもありがたく受け取り、その気持ちが少しでも通じればとインさんの手を改めてしっかりと握り、しかし僕はこう言った。
「大丈夫、僕はまだ死ぬつもりはありません。僕は今、この島を開拓して人々のためになるようにと考えています。良ければインさんから、そのことをギルドマスターにお伝え願えませんか? 素晴らしい手土産を持って、いつか必ず貴方の前に戻ります、と」
が、インさんは困ったような笑みで首を振る。
「私が受けた依頼はヨウさんを殺すことです。それを果たすまでは私は帰るわけにはいかないのです……」
なんて仕事熱心で真面目な人なのだろう、感動して涙が出そうだ。
僕が死を望まぬ以上は、インさんもこの島に残るという。魔術師でもないようなインさんにはこの島は過酷だろうに、それも覚悟のうえなのだろう。
僕としては是非とも、このインさんには感謝と尊敬の意を示したい。
「インさん。もし良ければ僕と一緒に、この島を開拓しませんか?」
――と、インさんを勧誘したのが昨夜のこと。
開拓という素晴らしき行為の満足感と幸福感を味わってほしくてそう誘ったのだが、インさんには笑顔で断られた。私は一人で大丈夫ですから互いに不干渉で結構です、と。
にもかかわらずインさんは昨夜、僕が寝床に着いたあと、近くに生えている果物だったりキノコだったりを採ってきて、僕が食料保存用に使っているツボや箱の中にこっそりと入れてくれていた。
自分の食糧よりもまず僕の食料を優先してくれるだなんて、聖人君子もかくやというほどの優しさだ。
まあそれらは全て猛毒のものばかりだったのだけれど、この島にはそういう毒物が多いから仕方ない。僕は大抵の毒は平気だし、インさんが間違って食べないように気をつけてくれればそれで良い。
今、インさんは森の方で色々と罠を張っている。きっと動物を捕らえるつもりなのだろう、まだ島に来てからさほど時間も経っていないのに熱心なことだ。
あれほどの好人物、きっと友人も多くて人に好かれやすいのだろうなと羨ましくなってしまう。そんなインさんとこれからこの島で共に過ごせると思うと、とても嬉しくて嬉しくてこの気持ちをどう表現していいか分からない。
そういえば、インさんが今いるあの辺りはすでに僕がいくつか罠を仕掛けているのだけれど、大丈夫かな。
魔術で作った罠だから僕が魔力さえ絶てば、つまりは今この場で僕がその気になればすぐにでも解除はできるんだけど、まあ別にいいか、勿体ないし。
多分インさんならあの程度の罠は平気だろうし、もしも引っかかったらきちんと弔って死体を有効活用させてもらおう。
僕はそんなことを考えながら、強化した結界の力を使って、にこにこと楽しそうに罠を張っているインさんの姿をいつまでも眺めていた。
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