21.メインイベント:【桜色の想いと黒色の憎悪(エゴ)】
七芽くんと最後の昼食を取った後、私は最後の復習をした後、夕方の十六時頃、ライブ会場の楽屋に入った。
楽屋には『ペルソナキュート様』と書かれた紙が貼ってあり、その扉に付いたドアノブを右手で掴んでは離し、摩る。
頭によぎるのは、数々の不安と、ライブで失敗してしまう自分の姿。
それらが邪魔をし、中々扉を開けることができなかった。
本当に、ライブを成功させられるのだろうか。
あの妹と同等のパフォーマンスを発揮することができるのだろうか。
それを考えただけで、何度も足がすくみそうになった。
ライブなんかから逃げ出して、七芽くんと一緒に最後の一日だけの夏休みを過ごした方がいいのではないか。
そんな最低最悪の事ばかりを考えた。
でも、そんな不安に押し潰されそうになりながらもここまで来れたのは、全部彼が最後に残してくれた言葉のおかげだった。
『まあ、気負わず頑張れよ、結香。僕は、待ってるからさ』
七芽くんはそう言ってくれた。
あんなにも酷いことをした私を許して、そして待ってくれると言ってくれた。
……私のことを好きだとも言ってくれた。
彼のことを想うだけで、感じていた暗い不安は、明るい気持ちにへと変化する。
後ろめたい心が、前向きな気分にへと変わってくれる。
だから私は、進む。
その決意を持って、右手でしっかりとその取っ手を持ち、扉を開けた。
「失礼します」
扉の先には、誰もいなかった。
メイクさんも、スタッフも誰一人としていない。
――いや、違う。
今ようやく、それを認識することが出来た。
鏡の付いた机と対面するように置かれた椅子を、まるで黒のマジックペンで塗りつぶしたかのような、一つの陰。
その真っ黒なシルエットが乗る椅子がゆっくりと回転し、その暗闇の中から真っ白で青白い光りでも放つかのような顔が現れた。
「久しぶりぃ、お姉ちゃん。元気にしてたぁ?」
「……あなたこそ、今まで一体何処で何をしてたの。愛果」
暗闇の正体は、私の母親違いの妹・黒波愛果。
十歳というその幼い顔に、左手の人指し指を顎に当てる。
「あれ、聞いていない? 私は私で一人、個人練習をしてたんだよ。なんせ、本気を出さないといけなくなっちゃったからさぁ。ふふふっ……」
愛果の口は薄く割れ、三日月のように曲げて笑う。
人形のような不気味な笑みに、背筋が凍えそうになるが、それよりも愛果が言った言葉が引っかかった。
あの愛果が本気を出す理由。
最初に思いついたのは、私たちのお父さんであり、プロデューサーの黒波墨汁。
あの人から、また何か貰えることになったのだろうか。
いや、なんとなくだが愛果が言ったのは、あの人では無いような気がした。
愛果は今までお父さんと関わってきたはず。
ある程度の融通は利いて貰えたはずだろう。個人レッスンもそうだ。
それが今になって本気になる理由とはなにか。
そこでようやく、その理由が分かった。
「もしかして……七芽くんが関わってるの?」
愛果はその闇のような瞳を見開いて、頬を鮮血色に赤く染め上げた。
「そうだよ! お兄ちゃんはパパと交渉するために、私と契約したの! もしもこのライブで私がお姉ちゃんに勝ったら、私のプロデューサーになってくれるって、そう約束してくれたんだぁ!♥」
「なっ!?」
初めて知る話に、私の頭は追いつかず固まる。
七芽くんは、そんなこと一言も言っていなかった……いや、言えるはずがなかったんだ。
そんなことを言えば、私に余計な負担が掛かってしまう。プレッシャーを与えてしまう。
何処までも優しい彼が、そんなことを言うはずがないんだ。
それもこれも全て――、
「私が勝つこと……信じてるから……」
だから七芽くんは、私に全て賭けた。
自分の時間を課金して、私を信じて自分の全てを投資してくれた。
私のことを、信じて。
愛果の顔のパーツが溶けたよう歪み、彼女の引きずり込まれるような暗闇のような瞳が、その黒さを増す。
「あぁ……本当にお兄ちゃんはいいよぉ……♥ あの人は良いぃ……♥ 大事な物のためなら、自分のことすら賭けちゃんだからぁ……本当に本当に、愚かすぎて可愛い人ぉ♥」
そのあまりの不気味さに、思わず身体が飛び跳ねそうになった。
だがなんとか身体を押さえる。
なんて恐ろしい顔で笑うんだろうか……この少女は。
とても十代の小学生とは思えない。自分の妹だなんて到底信じられなかった。
まるで人とは違う何かを相手にしているかのような……そんな得体の知れなさを感じた。
「本当は今回のライブは適当にやるはずだったんだぁ。気晴らし程度に歌って踊って、程々に楽しめればいいかなぁって」
多くの人の想いや時間、お金のかかったライブを、愛果はまるで遊び場のように言ってのけた。
聞く人が聞けば、激高されてもおかしくない言葉だが、数ヶ月間この子と関わってきたからこそ分かる。
愛果は本当に、遊ぶような気軽さで、プロレベルの実力を出すことができる才能を持つ逸材だった。
歌も踊りも、一度見ただけで完璧に再現してしまう。
いや、それ以上の完成度で自分の物としてしまう。
適当レベルでそのくらいことを成し遂げる彼女が、もし本気なったとしたら……全く予測ができない未知の領域だった。
「でも、お兄ちゃんが手に入るのなら話は別。今回のライブで徹底的にあなたを打ち負かして、私が彼を手に入れる――――容赦なんてしない」
すぅ、と、先ほどまでの笑みが消えて、愛果の顔には闇だけが残った。
何処までも深い暗闇。
深淵と呼ぶにふさわしい真顔が、私のことを覗いていた。
少しでも気を抜けば、精神は折れて奈落まで落ちていく。
「ぐっ!!」
だからこそ、私は食いしばる……っ!
「あなただけは……あなたにだけは絶対に、七芽くんを渡せない……っ! 渡しちゃいけないっ!!」
「威勢だけはいいよねぇ、お姉ちゃんって。でもいくら頑張っても、彼は最終的に私の物になるんだよ。私たちのお父さんがそうだったように、最後は闇が全て飲み込む」
私すらも飲み込もうとする愛果のヘドロのような黒い空気に身体が重くなって、押し潰されそうになる。
だが私の胸の奥で暖かく、広がる一つの感情が、一気に広がった!
「あなたが全てを飲み込む暗黒の闇なら、私はそれを吹き飛ばす風になるっ!」
先ほどまでよりも強く。
そして熱く、心の奥から湧き上がってくるこの想い。
それは紛れもなく、七芽くんを想う強い気持ちだ。
彼のことを考えるだけで、暖かい風が私の周りを優しく吹くような感覚すら覚える。
不安なんて吹き飛ばして、私に力をくれる!
「七芽くんを暗闇なんかに包み込ませたりさせない! あなたの闇は全て、私の想いで消し飛ばすっ!」
「……へぇ、想いの性質が変わったね。あんなにジメジメとして心地よかった暴風が、くそ暑苦しい春風に変わってる。これもお兄ちゃんの影響なのかなぁ?」
真顔だった愛果の表情が、歪曲する。
「……あはぁ♥ 本当にどうしてお兄ちゃんはそんなにも私の気になるようなことばかりするの! こんなの絶対に、あなたのことが欲しくなっちゃうに決まってるじゃんっ!!♥」
愛果はここにはいない彼に向かって、その想いを叫ぶ。
「お兄ちゃんと関わったら……私どうなっちゃうのぉ? お兄ちゃんと交われば、どこまで滅茶苦茶になっちゃうのぉ!? あぁあああぁ……っ!!♥ 絶対に手に入れるからねぇ、お兄ちゃんっ!!♥ 籠絡して、魅了して、堕落して、一緒に堕ちようねぇ……っ♥」
グチャグチャになった顔を両手で何度も何度も何度も何度も触り、その胸の内に沸いたどす黒いエゴを、隠しもせず吐き出し、笑った。
「ふふふっ……ふふふふふっ――ああ、そういえばいたんだね、お姉ちゃん。忘れてたよ」
愛果は本当に、今認識したかのように、そんな言葉を呟く。
先ほどまでの歪んだ笑みはもうそこにはなく、不自然なまでに美しい仮面のような少女の顔が覆い被さっていた。
「まあ、そういうことだからさぁ。今夜、舞台からたたき落としてあげるね、お姉ちゃん。ううん、緩木結香」
「ええ。その勝負、受けて立つわよ。黒波愛果」
もう私たちは仲良しの姉妹なんかじゃない。
同じアイドルグループとして共に頑張るメンバーでもなければ、恋のライバルなどという、生やさしい関係でもない。
言葉にするとしたら、――不倶戴天の敵。
お互いがお互いに、その存在を許さない。
どこまでも相容れず、潰し合う敵同士――それが私たちの関係だ。
静かに睨み合う私たちに、扉のノックする音が聞こえた。
ライブのリハーサルをするため、スタッフの人が呼びに来たのだ。
「行こうか、決着を付けてあげる」
「いいよぉ、結果なんてどうせ分かりきってるし」
私たちは隣り合うように廊下を進み、舞台まで歩いて行く。
人生最大の決着を付けるために。
私たちの因縁に蹴りをつけるために。
そして迎えた午後十九時。
ライトが会場を照らし、舞台の幕は上がった。
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