20.小さな報酬
それから僕らは、ライブ開始までの数日間を共に過ごした。
と言っても、僕が出来たことは練習で疲れていたり、倒れそうになっている結香をサポートすることぐらい。
休憩に入れば、事前に買っておいた結香の好きな物を差し入れしたり。一緒に食事を取ったり。不安だったら、一緒に寝たりもした。もちろん別々の布団でだがな。
練習中、感情が暴走したことは一度もなかった。
むしろ、結香本来の力を発揮するかのように、練習に力が入り、集中していたことを、トレーナーに褒められていたほどだ。
愛果に関しては、僕と結香が和解した日から練習に来なくなった。
何でも「一人だけで練習する」といって、黒波墨汁の許可をもらい、ライブまでの間、姿を見せることはなかった。
そのきっかけは多分……、
『お兄ちゃんが景品なら、私、本気になっちゃうよ♥』
いつもは何でもかんでも真っ黒に塗りつぶされてしまう彼女の顔も、あの時の表情だけは、えらくはっきりと覚えていた。
三日月のような口と、全てを闇に覆うような瞳。
そしてその奥には確かに、黒波墨汁と同じ、野望の塊。
何を企んでいるのか分からない不気味さがあったが、僕が不安がってもしょうが無い。
結局はライブを成功させればいいだけなのだ。
そうすれば、結香の望みは叶う。
今はそれだけを考えよう。
◇◇◇
そして迎えた、八月三十一日。
夏休み最終日にして、ペルソナキュートのライブ当日。
僕は、茜色に染まる空を見上げていた。
遠くの方には、縦長の入道雲が大きく伸びている。
壮大で、雄大な空とは別に、耳に聞こえるのは多くの人の声だ。
視界を地上に下ろすと、周りにいるのは辺り一面にいる人の山。
ざっと、百、二百は軽くいるだろう。
外に設置された物販コーナーには既に多くのファンが並んでおり、長蛇の列が出来ていた。
まるでテレビで見る渋谷駅前のようなその人口密集に、改めて黒波墨汁の手腕と、彼女たちの人気を再認識した。
そう。僕がいるのは、ペルソナキュートのライブ会場の外だ。
黒波墨汁と契約したのは、ライブ開始までの練習期間のみ。
だから、ライブ当日は部外者と同じ立場になってしまうため、事前に中に入ることはできない。
幸い、キャンセル待ちのチケットを一枚もらったので、ライブを見ることはできることになった。一番後ろの端の席だけど。
だから今はこうして、周りの人と同じく会場の入場が始まるのを待っているというわけだ。
周りの人たちは今か今かと、ライブが始まるのを楽しみにしているが、僕の心境は彼らとは真逆だ。
時の経過は早く、後数十分もすれば、全てが始まる。全てが決まってしまう。
そう考えると、急に胃が締め付けられるような腹痛に襲われた。
痛みを誤魔化すように、僕は着ていた白のワイシャツの腹部を右手で掴む。
「頑張ってくれよ……結香」
やれる事はやった。
結香も僕も、今までの時間を惜しみなく使い、最大限練習してきたんだ。
後は結香が頑張ってくれるのを祈るだけ。
それくらいしか、もう僕にはできない。
「ん、電話?」
右ポケットに入れたスマートフォンの振動に気づき、取り出してみると表示されていたのは、『綺羅星』。
そういえば、彼女もライブに来ているはずなのだから、この人だかりの何処かにいるんだよな。
そんなことを思いながら、着信ボタンを押す。
「よう、綺羅星。久しぶりだな」
『あんたこそ、元気にしてたわけ?』
「まあ……なんとかな」
結香と和解し、トレーニングに付き合う話は、もう綺羅星や硝子さんに話してある。
流石にあれだけ助けられたのに、言わないというのはあまりにも薄情だしな。
『結香の様子はどうだった?』
「緊張はしてたけど、大丈夫だよ。それに、これまで散々練習してきたんだ。きっと上手くやれる」
『結香にも、そう言ってあげたんでしょうね?』
「ああ。僕はもう、結香に誤魔化すような態度をすることは止めにしたんだよ。自分の気持ちに正直になることにした」
『自分の気持ち? なによ、それ』
「結香のことが好きだってことだよ」
顔は見えないが、スマートフォンの向こう側で微かに声だけは、「あぁ……ああ……」聞こえた。
『ふーん……あっそ、ならよかったじゃない。これであんたたちは相思相愛ってことね。あーあ、なら清々したわ。肩の荷が下りた。これからは私は放っておいて、二人で散々イチャイチャしてバカップルしてなさいよ。本当、本当、バカだわ。本当、バカよ……』
綺羅星の口調には明らかにトゲがあり、不機嫌となったのが分かった。
それも当然だろう。
綺羅星としては親友である結香が、僕に取られたことがなにより不満なのだ。
だが、僕と結香はまだ付き合っていないため、綺羅星の不満は誤解でしかない。
それを解こうと思ったが、その前にどうしても言っておきたいことがあった。
「聞き捨てならないぞ、綺羅星。僕がお前を放っておけるわけないだろうが」
『は、はぁ……!? あんた何言って……!』
「お前はまだ自分の殻から出たばかり何だぞ? そんなピュアピュアハート状態で、また厄介ごとに巻き込まれたら、僕が対処することになるんだから一人に出来るかよ」
『……はぁ?』
そうだ、いくら綺羅星が肉体的に高校生と言っても、内面に関してはまだ生まれたばかりの子供と変わらない。
前は、人と表面的にしか関われないほどの心の壁を持っていたため問題なかったが、今はそれもない。
だから、ちょっと優しくされただけでなびくかもしれないし、簡単な嘘ですら引っかかってしまう。
そんな危険性を持ち合わせていた。
そんな状態で面倒事にあって見ろ。僕が動かなくても結香が助けを求めて来る。
「だから絶対に綺羅星を一人になんてしねぇよ。それにだ、今のお前は、すごく寂しがり屋じゃないかよ」
一人で判断を下せないくらい、今の綺羅星は弱い。
そんな彼女を、一人になんて出来るわけがない。
『……は、ははっ……あんたって本当……本当にそういうところなのよ』
電話越しに綺羅星の乾いた笑い声が聞こる。
「どういう意味だよ、綺羅星? ちゃんと教えろよ」
『嫌よ、絶対。教えてやるかっての……あと、刹那よ』
「あぁ?」
『結香や、かふぇモカ先生たちのことは下の名前読みで、私だけ名字読みって、なんか居心地が悪いのよ。だから今度から刹那って呼びなさいよ』
……おいおい、もしかしてこの反応って、
「デレたのか?」
『今いる場所を教えなさい。蹴りに行くから』
「冗談だよ、冗談。マジになるな」
『そっ、なら今度会った時に蹴ってやるわよ。顔面にね』
「蹴るのは確定なのかよ……」
僕はお前のボールなんかじゃないんだぞ。
でもこの分なら、こいつが僕のことを好きになったなんてあり得ないな。
よかったぁ……本当……もうヒロイン追加なんてごめんだからな。
しかもそれが、課金系美少女ともなれば尚更だ。
「そうだ綺羅星――」
『刹那』
「はいはい……刹那、結香のこと、存分に応援してやってくれ。そして、思いっきり楽しんでくれ。父親の件もあったけど、結香は元々そのために頑張ってきたんだから」
『言われなくっても、存分に楽しんで、思いっきり結香を応援するわよ。親友の私の声なら、きっと結香も聞こえるはずでしょうしね』
「いや、それは無理だろ」
『だからあんたも、最後まで結香の事見ててあげなさいよ』
「……ああ」
『それじゃあもう切るわ、入場が始まったようだしね』
振り返ると、入り口付近ではスタッフの人たちが、入場開始を宣言しており、既に多くの人が並んでいる。
「いよいよなんだな……」
今日で全てが決まる。
結香の未来も。
僕らの未来も。
そして午後七時、ライトアップと共にライブの幕は上がった。
アベンジャーズ見てたら、遅れました。
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