中央本線 東京-藤野
中央線の橙色をした電車に乗り、大月駅の方へ向かう。大月駅といえばだいたい70キロメートルも先にある。
「穂高、列車に乗ったことないのか、もしかすると。」
「ほとんどない。さっきの青い塗装の電車以外乗ったことなかった。休日なんて親のサンドバッグにされてた。月・月・火・水・木・金・金って言葉が似合ってるよ。料理やら妹の世話やら全部自分でさせられてた。」
「え、そんなに外の世界を知らなかったのか。穂高よ、それは育児放棄というんだよ。いっぺん妹にも来てもらおうか?」
「どうせ逮捕されるんでしょ、あの親は。」
「こちらの方で脱帽されるような男にしてやるからな。昔の親なんか忘れなさい。」
そのことを会話すると、東京駅を過ぎて神田駅はおろか、御茶ノ水に着いた。
電車は西へ西へ向かって速度を上げて進む。四ツ谷、新宿、中野、という具合に進み、数多の駅を通過しながら、立川までやってきた。ここまでは通勤需要が物多にあるのだ。お蔭で広高や穂高の座る椅子の手前まで人混みに包囲されていた。
「人混みがすごいね。」
「そんなことない。東京行ったらいつもこんなのだぞ。」
穂高は驚愕していた。
今度の中央本線・松本行きは、ここが始発となっている。相模も甲州も颯爽と駆け抜けて信州まで乗り換えなし。そんな列車はかなり希少だ。ただ、利用者は少なく、端の車両だったのもあり、広高と穂高の2人きりだった。
広高は切り出した。
「穂高はもしかすると誤解しているかもしれないけれど、実は愛花との間には二人の娘がいるんだ。穂高は四年生だとは聞いているけど、彼女らはそれぞれ小六と小二なんだよ。二人と二歳差だな。」
「名前で呼んでいいの?」
「いいよ。実際これから家族となるわけだし。小六の方を晴花、小二になるほうは楓花というんだ。穂高って名前の由来は、日本で三番目たる穂高岳にあるけど、この二人は上から順に、生まれたのが四月一日で、快晴の空が病院の窓から広がっていたこと、十一月一日で家の近くから楓が紅葉を見せ始めたことにちなんでいるんだよ。そして、愛花の花って字をもらってきた。」
「奥ゆかしいね、名前の世界は。」
「もしかして、穂高が今まで生きてた世界よりはるかに宏遠かもな。」
「僕の世界は、昔はボコられて蛸部屋だけの家とついていけない勉強ばかりの学校しかなかったもの。」
そういう境遇で、いま最後尾の車両に乗っている穂高は、暗がりの相模湖を眺めていた。
「この地域、与瀬って言うんだよね。でも、観光客の入りを狙って相模湖って名乗ってる、っていう理由があるはず。」
「え、そんな理由あるの?」
「そりゃ、鉄道事業者からしても一人でも多くの客を運びたいし、利用者的にも一目見ただけでもわかりやすい地名がありがたい。利害が一致したのだろうねぇ。」
「長野にもあるの?」
「ヤナバスキー場前駅がある。でも平成31年いっぱいで廃止になるみたい。」
列車は藤野に滑り込んだ。