弐
福嗣町駅の前にある、町を尊重するモニュメントを背にして、幕をもった男女数名の姿があった。その幕には『神仏祈願廃止』という文字が大きく書かれている。
「我々は現代社会において、神仏などという夢物語に縋ることをやめるべきなのです。すべては科学によって証明され、科学によってこの世の理を知るべきなのです」
「そしてその神仏を使って我々を騙した宗教団体を糾弾し、奪われたものを取り返すのです」
拡声器を持った二人の、白髪交じりの男女があーだこーだと言っており、周りの人間たちもそれに同調したかのように、そうだそうだと相槌を打っている。
――詐欺まがいなことをした宗教団体を糾弾するというのは共感しますが、神仏自身が悪いわけじゃない気がしますけどね。
そう思いながら、三十代前半ほどの女性は、重たい買い物袋を足元に置くと、その団体を見据えていた。
その時、団体の近くに一台のミニバン車が停まり、一人の男性が下りてくる。白髪交じりの五十代で、紺のスーツを着ている。
その横には同じように紺のスーツを着た男性がおり、二人は団体の中心へと歩くや、
「我々のお話を聴いて下さっているみなさん、この話を滑稽なことだと思われていることでしょう。しかし考えてみてください。みなさんの努力はすべて神仏の導きによるものでしょうか? 皆さんの行動はすべて皆さんが考えてのことです。それを神仏の仕業だと考えてはいけないのです。すべては生きている皆さんの行動なのです。それを有ろうことか神の導きだと嘯く者がおります。それが僧にあり、神主にあるのです」
と演説する。
男性の言葉に、女性はすこしばかり眉をしかめる。
「この町には神仏を信仰する人が多く住んでおります。皆さんを糾弾しているわけではありません。神聖なる皆さんを悪しき道へと導こうとするその者たちを糾弾するべきなのです」
男性がそう演説をするや、周りの人間が共鳴するように拳を上げる。
「私はそのような人を惑わす邪念を打ち払い、この町を綺麗な、人の力で生きていけるよう公言いたします。人は自分の力で踏み出すべきなのです。神、仏などという目に見えぬものは邪心なのです。それを有ろうことかまるで見えているように嘯く者たちの……」
男性の言葉が途中で止まる。その先を横にいた秘書と思われる男性が止めたのだ。
「先生、その先はまだ言わないほうがよろしいかと」
秘書は小声でそう言う。
「う、うむそうだな」
男性はゆっくりと演説を聞いている民衆の方へと顔を向け、
「私、坂本曜生をよろしくお願いします。みなさんの清き一票で、邪心を打ち払う力を」
女性は、演説をしている男性の近くにあったポスターを一瞥した。
そこには『協心党 坂本ようせい』という文字が書かれている。
いわゆる選挙ポスターであった。
――はて、坂本曜生なんてあまり聞きませんね。それに協心党?
女性は首をかしげるように坂本曜生を見遣る。
「みなさんっ! この世は人間によって、人間の手によって未来を切り開くべきなのです。神の導きなど、仏の教えなど、ただの幻聴でしかありません。神や仏がなにを、私たちになにをしますか? なにをしてくれますか? なにもしてくれません。人の力で未来を切り開くべきなのです」
坂本曜生は演説を終えると、秘書とともにミニバンに乗り込んだ。
それを合図に、集まっていた民衆たちも、蜘蛛の子を散らすようにバラけていった。
その時、夕方六時を報せるメロディーが聞こえてくるや、女性はハッとする。
「……そろそろ戻らないと、二人ともお腹を空かせてしまいますね」
女性が足元においていた買い物袋を手に取ると、駅の方から少年数人の声が聞こえ、女性はそちらへと一瞥した。
そこには道永と上級生二人の姿があった。
道永は顔こそ傷つけられてはいなかったが、地面に座り込んでおり、上級生はそれを睨むように見下ろしている。
「おい、道永、おれはコーヒーを買ってこいって言ったんだぞ? それを何だぁ? ブラック買ってきやがってよぉ、おりゃぁ微糖だって言っただろ?」
「そ、そんなこと……」
道永が言葉を発しようとしたのを、上級生の一人が道永の顔スレスレに足を蹴り上げ、言葉を止める。
「口答えするのかぁ? 下級生は上級生のいうことを聞いてればいいんだよ」
上級生は道永の胸元を掴み、彼を殴った。
その時、道永は右ポケットに右手を差し込むと、そこから小さな、折りたたみ式のナイフを取り出そうとしていたのを女性は目にする。
「――まっ!」
女性が制止しようとした時、うしろから妙な謡声が聞こえ、そちらへと一瞥した。
そこには制服姿の雅が、自転車を漕ぎながら、女性の横を過ぎ去ろうとしている。
「おっ?」
雅は自転車を停め、周囲を見る。視界に道永の姿が見えるや、
「おう、この前の一年じゃないか。こんなところでなにをやってるんだ?」
と声をかけた。
「……って、てめぇはこの前の――」
雅に気付いた上級生は、掴んでいた道永の胸元を突き放し、雅のところへと歩み寄る。その表情は夜叉のごとく険しい。
「あれ? この前の先輩でしたっけ?」
「あぁ、覚えていたようだなっ!」
そう言うや、上級生は雅を殴りかかる。
……しかし、まるで同極が反発するかのように、上級生は雅の横を沿うように前のめりになり、そのまま倒れていく。
「て、てめぇいったい何をしやがったぁ?」
「ですから、なにもしてませんって。先輩が勝手に避けてコケたんでしょ」
戯けてみせる雅を睨みながら、上級生は立ち上がる。
「くそっ、面倒くせぇっ! おいっ! 羯磨っ! 行くぞっ!」
上級生は、道永の近くにいた羯磨という、同じく福嗣高校の上級生を叫ぶように呼びかける。
「ちっ! おい道永っ! 今度間違えたらただじゃ済まさないからな」
羯磨はそう言うや、道永の前髪を掴み、倒すように突き放すと、雅から離れようとしている上級生のところへと駆け寄った。
二人は雅を睨むと、そのまま立ち去っていった。
「おい、道永だっけ? 大丈夫か」
雅は上級生二人を睨んでいた道永に声をかける。その道永は焦燥した表情を浮かべている。
「さ、桜野先輩、あいつらいったいなんですか? 俺別になにも悪いことなんてしていないのに」
「あぁ、まぁ嫌なら嫌っていえりゃぁいいんだろうけど」
「俺は先輩みたいに強くないですから」
愚痴をこぼすように道永は雅の横を通り去ろうとする。
「あっ! 道永、ちょっとこっち向いてくれないか」
そう呼び止められ、道永は雅の方へと振り向くと、その一瞬、雅の左手が一瞬動いたのを、女性は見た。
「ど、どうかしたんですか?」
「あぁ、いや……、オレの見間違いだった。そんじゃぁな――舐められてるからって変な気起こすなよ」
雅は苦笑を浮かべるように手を振ると、道永はその態度を特に気にすることなく、その場を後にした。
「さてと……」
雅はためいきをつくように、自分のズボンの左ポケットを探る。
――ああいうのは本人がどう出るかでオレが口を出すことじゃないからな。だけど、これはさすがに反則だろ。
雅はポケットから手を抜くと、自転車にまたがろうとした時、その雅を女性がジッと、凝視するように見つめていた。
「っと、オレになんか用ッスか?」
その視線に気付いた雅は、怪訝な表情で女性を一瞥する。
「用があるといえばありますけど、君にではなく、その君が先ほどの少年……道永でしたっけ? 彼のポケットから抜き取ったナイフに用事があるんですが」
女性は指摘するように、雅の左ポケットを指で示した。
「な、なにを言ってんスか? オレはなにもあいつから盗ってないッスよ」
雅は怪訝な表情で女性を見る。しかし女性はまっすぐ雅を見つめており、嘘を言った雰囲気ではなかった。
「それに、先ほど上級生が君を殴りかかろうとした時、あなた一瞬磁力を発しませんでしたか?」
「に、人間が電気を発するわけないですよ。そりゃぁ微弱な電気が体の中で走っているっていうのは小学校で習う理科で覚えるだろうけど、だからって人が避けるほどの力が出るわけないじゃないッスか」
雅は苦笑いを見せる。
「……そうですか」
女性は、なにを思ったのか買い物袋からアルミ製のタワシを取り出し、パッケージ袋からそれを取り出すと、雅の方へと放り投げた。
それを雅が手にしようとした時、激しいショート音が鳴り響いた。
「……っ!」
雅は弾いたアルミ製のタワシを睨むように見下ろす。タワシにはところどころ焦げたあとがあった。
「やはり、あなた体内の磁力を自在に操れるみたいですね。ですが見たところ人のようですし、妖怪ってわけじゃなさそうですね」
「よ、妖怪って……オレ普通の人間ッスよ? そりゃぁ体内磁力が人より多いってのは認めますけど」
雅は女性を怪訝な表情で見遣る。
「それに君、人の体内磁力が視えるんじゃないんですか? だから相手の磁力に相反する磁力を発して、あたかも相手が自分から避けたように仕向けている」
女性からそこまで言われ、雅は認めざるを得なかった。
「ええ、そうッス、そうッスよ。どういうわけか物心が付いた時くらいから相手の体内の磁力が視えるんスよ。今はだいぶ制御できるようになったんスけど、ガキの頃は自分の体内磁力の制御ができなくて、電化製品をぶっ壊してたみたいなんス。その時はいつもゴム製の手袋とかハメていたんスから」
雅は降参したように両手を上げ、愚痴をこぼす。
「そうですか。ところで君も先ほどの少年たちと同じ福嗣高校の生徒みたいですね」
「あぁオレのことッスか? オレは桜野雅って言うんスよ。福嗣高校の二年です」
雅の名前を聞くや、女性は、
――なるほど、この前、あの子が湊から聞いたのは彼のことでしたか……。
女性は雅を見つめなおし、彼に近寄った。
「ちょ、な、なんスか?」
雅はすこしばかりドギマギとする。
女性は三十代前半だったが、見ようによっては少女に見えてしまう。しかも女性が間近にたとうものなら、男なら動揺してしまう。
「とりあえず、これは私が預かっておきます」
そう言って女性が雅に見せたのは、先ほど雅が道永から盗み取った折りたたみ式のナイフだった。
「なっ? い、いつの間に?」
雅は目を見開き、女性とナイフを交互に睨んだ。
「君って、最近の若者にしては結構純粋なんですね。私の体内磁力を読み取れば、動きがすぐにわかったというのに」
女性はカカカと、笑うように目を細めたが、それは一瞬のことで、すぐさま険しい表情を見せた。
「これは、子どもが面白半分で扱っていいものじゃないんですよ。君がしたことは褒めるべきでしょうが、だからといって解決にはなりません。よってこれは私が預からせていただきます。先ほどの道永くんにはどこかで落としたのを拾ったとでも言っておけば大丈夫でしょう」
女性の言い分に、雅は素直に「はい」と応えた。
「よろしい。それじゃぁ私はそろそろ帰らないと、お腹を空かせた大学生と見習い巫女が、家でぴーちくぱーちく鳴いて待っているでしょうから」
女性はそう言うと、自分の買い物袋を持ち上げる。
「あ、あの……」
女性が立ち去ろうとしているのを雅は呼び止めた。
「どうかしましたか?」
「いや見たところ重そうだなって。オレまだバイトまで時間があるんッスよ。迷惑じゃなかったら、その荷物、オレの自転車のカゴに乗せてお姐さんの家まで送って行きましょうか?」
そう言われ、女性はすこしばかり考えると、
「人からの厚意は素直に受けるものですからね。それじゃぁよろしくお願いしますよ雅くん」
と笑みを浮かべた。
雅が買い物袋を自転車のカゴに乗せようとした時、女性の横に小さな影が現れた。
その影の正体は、十二神将の一人。巳神の因達羅である。
因達羅は、女性と雅が一緒にいることに怪訝な表情で訊ねると、女性は一部始終を因達羅に伝えた。
「まぁ彼がそうだとしても、見たところ大丈夫だとは思いますよ。ところで、すこし調べてほしいことがあるんですが」
そう話をする女性の目は険しい。
「……なんでございましょうか」
「すこし前、この近くで演説をしていた坂本曜生……強いては協心党なるものがどんな政党なのか調べてくれませんか」
そう命じられ、因達羅はコクリとうなずく。
「あの、話しているところ悪いんッスけど、そろそろいいッスか?」
雅に声をかけられ、女性はそちらへと振り向く。
「ええ。では参りましょうか」
女性は雅の近くに寄ろうとした一瞬、因達羅に向かって、
「ではお願いしますよ――因達羅」
とつぶやく。
「了解しました――瑠璃さま……」
因達羅はそう口にするや、スッと、音もなく姿を消した。