参
福嗣駅から約一キロほど離れた場所に、見窄らしい建物がある。その敷地には雑草が蔓延っており、人の気配もない。
これがあの、長年福嗣町の中心に位置し、福嗣町周辺の農家のみならず、様々な家から親しまれ、敬愛されてきた五穀豊穣の神を祀る稲妻神社の成れの果てだと、誰が信じられようか。
その稲妻神社の横にある母屋の玄関まで、瑠璃は雅を案内する。
「済みませんね、ここまで運んでもらって。結構疲れたでしょ?」
雅が自転車のカゴから、瑠璃の買い物袋を下ろしていたのを見て、瑠璃は労いの言葉を発する。
「いやぁ、これくらいなんてことないッスよ。それにしてもすごいッスね」
雅は瑠璃が買い物した量を云っていたのだが、
「まぁさすがにあれだけ廃れてしまっては、神社としての役目もあったものじゃないですからね」
と、瑠璃は玄関の門から覗き見える境内の雑草を言っているのだと思い、片眉をしかめた。
「いやそうじゃないッスよ。それにしてもあの建物って、神さまを祀ってるんスか?」
「……神さまを祀ってなければ神社なんて、口が裂けても云えませんけど?」
瑠璃は首をかしげるように言う。
「でもなぁ、最近多いらしいんスよ。神仏がどうだの、神の導きや仏の教えに惑わされて、進むべき道にいけないとかなんとか。オレのバイト先のコンビニの店長も同じようなこと言ってたッスけど」
「別に神仏はこれといってなにかをしてくれるとは思いませんけどね」
「そうなんスか?」
瑠璃の言葉に、雅はキョトンとする。
「そりゃぁそうですよ。神仏が目の前に現れて『さぁ、こちらに来なさい。こちらに来ればあなたは正しい道に導かれます』なんて虫のいいこと言いますか? 仏の教えだって同じですよ。結局はそれを口伝する僧や神主の思想を口にするんですから。それに、そもそも神仏は似て非なるものなんですよ。神道しかり、仏教しかり、キリスト教しかり、色々な国の神仏を崇めていて、それに対する戦争がなかった国なんてのは日本くらいなものですよ。まぁ法華一揆というのはありましたが、私は一神教ではなく、『多神一教』だと思いますけどね」
「それってどういう意味ッスか?」
雅は難しい話は苦手だったが、楽しそうに話している瑠璃の表情から察して、話の腰を折ろうとはしなかった。
「神仏は数えるのもバカバカしくなるくらいいますからね。ただその数多ある神仏の中から、自分がこの神仏にだけは生き恥を晒し、そして恥のない生き方ができればいいと思いますよ。そもそもキリスト教が伝わってくるまで、日本では神道と仏教しかありませんでした。ですがその教えに心を打たれ、キリシタンとなった戦国大名もいるくらいでしたから」
それを雅は黙って聞いていたが、あまり歴史に詳しくなく、誰のことを言っているのだろうかと思った。
「神さまってどんだけいるんスかね?」
「そうですね。八百万という言葉を聞いたことは?」
そう訊かれ、雅はうなずく。さすがにその言葉は聞いたことがあったが、はてどういうことだろうかと聞き返してしまう。
「それと同じですよ。つまりこうやって話をしている私たちの周りには、それこそ空気と同じように様々な神仏が私たちを見ているんです。見えるから存在しているのではなく、私たちが存在していると信じているから、神仏は衆生に手を差し伸べてくれるんですよ」
「存在していると信じている……お姐さんはそう思ってるんスか?」
雅は狐に摘まれたように言う。
「すくなくとも神社に住んでいる以上はそうあって欲しいですし、そう信じていますが……、さすがにお姐さんって呼ばれる年齢ではないですよ」
そう言い返され、雅は慌てて謝った。
その態度は子どもが好きな瑠璃だからこそ赦せたが、女性に対しては失礼極まりない態度だった。
時間を確認しようと腕時計を見た雅が、慌てた表情を浮かべる。
「あっ、オレそろそろバイトに行かないと」
「そうですか。済みませんね、なにもお礼ができなくて」
「いやいいッスよ。別に困っているだろうなって思って声をかけただけッスし、見返りをもらおうとか思うほど図々しくはないんで」
雅はそこまで言ってから、まだ瑠璃の方から自己紹介されていなかったことに気付く。瑠璃も雅の名前を聞いてはいたが、自分のことは喋っていなかった。
「そういえば、私のほうからの自己紹介がまだでしたね。私の名前は黒川瑠璃。この稲妻神社の神主をしています」
……と伝えた。
「まぁ君とはもしかするとまた会えるでしょうし、私はこの神社に住んでいますから、気が向いた時にでも訪ねに来てくださいな」
瑠璃は、それこそ子どものような愛らしい笑みを浮かべる。
それを見て、雅は目の前の瑠璃の本来の年齢はいったいいくつなのだろうかと疑問に思った。
「こちらもよろしくお願いします瑠璃さん。あ、そのさいは燃えるゴミの袋を何枚か用意しといてください」
雅はそう言うや、自転車のサドルにまたがり、バイト先の、以前強盗事件があった駅前のコンビニへと走り去っていった。
瑠璃は雅が最後に発した言葉に怪訝な表情を見せる。
――はてな、なぜにゴミ袋?
そう考えていると、母屋の玄関のドアが開き、一人の女性が顔を覗かせる。
「あ、お母さんお帰りなさい」
瑠璃に声をかけたのは、肩まであるソバージュの女性だった。見た目からして大学生くらいの身形をしている。
「ねぇ聞いてくれる? 白ねぇったら……どうかしたの?」
雅が走り去った道筋を見ていた瑠璃に、女性は声をかける。
「いえ、なにもありませんよ。聖子」
瑠璃は買い物袋を手に持つと、聖子の、姉にたいする愚痴を聞きながら、母屋へと入っていった。
雅が瑠璃と出会った、その日の晩のことであった。
「くそっ! 面白くもねぇ」
そう小言を言いながら、近くにあるゴミ箱を蹴ったのは羯磨であった。
彼は革ジャンを羽織っており、仏頂面をしている。
「たく、あの女もつまんねぇ言い訳しやがって。なにが遊びだっただぁ? こっちの方が遊びだってのぉ」
そう愚痴をこぼしている羯磨の目の前に、一台のミニバンが平行するように徐行している。
その運転が気になった羯磨は、運転席を睨むが、冥闇だったため車内が覗き込めなかった。
すると後部座席側の車窓がゆっくりと開き、中から男性の顔が覗き込まれる。
「君は、確か福嗣高校に通っている羯磨という三年生だったね。こんな時間になにをしているんだい?」
「はぁ? おっさんにはなにも関係ないだろ?」
「そうだな。まったく私には関係のないことだ。さて君は先ほど彼女から振られたようだが」
「な、なんでそんなこと?」
「くくく……言ってみるものだな。そこでだすこし付き合ってくれないか。最近キミのような若者を探していたのだよ」
そう言いながら、男性は運転手に一言伝え、車を停めさせる。
「これを見てくれないか?」
男性は羯磨にビデオカメラに収めた映像を見せた。
「あ、あんた……なにをやってるんだ?」
ビデオを観た羯磨は若干どころか鼻息をたてるように興奮した表情で男性を見た。
「さすがにこれはやばいんじゃないか?」
「いやいや、これくらいどうというわけじゃない。それにだ。もしこれが訴えられたとしても、私にはなにも痛みがないのだよ」
どういう意味だろうかと羯磨は男性を、怪訝な表情で見る。
「実はそろそろ新しいものを撮影しようと思っていてね。君にも参加して欲しいのだ」
「そうか……それじゃぁお言葉に甘えるぜ」
食虫植物が発する甘い蜜に誘われるハエのように、羯磨はそのミニバンへと乗り込んだ。
車は、すくなくとも一時間ほど走っていた。
しかし、車内は暗く、また窓も日除けフィルターが何重にも貼られていたため、外も窺えない。
つまりはどこを走っているのか、羯磨には見当がつかなかった。
ただ車内が揺れることから、山の中に入ったのだろうと、体感から感じられた。
車は静かに停まると、男性は羯磨に声をかける。
「さて、車から降りたら、周りを見渡してくれ。そこには小さなプレハブ小屋があって、その光がこちらから見える。君はそのまままっすぐ歩いてくれたまえ。大丈夫だ――ただまっすぐ……光がある道を歩けばいい」
車から降りた羯磨は男性から言われた通り、周囲を見渡すと、近くにプレハブ小屋のような影が見え、その窓と思わしき場所から光が見えた。
「なるほど、あっちにいけばいいってことか――」
羯磨はスマホを取り出して、フラッシュを炊こうとしたが、そのスマホがポケットの中に入っていない。
どこかで落としたのだろうかと羯磨は思ったが、特に思い当たるフシがなく、もしかすると先ほどのミニバンの中で落としたんじゃないだろうかと思い、車があった場所を見たが、車の影もなにもなかった。
……車が発進する気配すらなにもなかった。
「仕方ねぇな、まぁあっちにいけば誰か居るだろ」
羯磨は、男性から言われた通り、まっすぐ……光が見える方角へとまっすぐ歩いた。
そう……まっすぐ。
まっすぐ――
まっすぐ――
まっすぐ――
ただ常闇の中をまっすぐ歩いていた。
足の踏み場などない道を――
気付いた時には――もう手遅れである。
なにもない 幽谷の道を――彼は歩いていたのだ。
そんな場所を、人間が歩けるわけがない。
……落ちる。
羯磨が気付いた時には、すでに身体は落ちていく。
……なにもなく、なにも引っかからずに落ちていく。
なにも……彼の悲鳴すら聞こえないほどに深い幽谷の底に、彼の身体が叩きつけられる。
その躯は、熟れたトマトのように、あるいは、水の入った風船のように、辺り一面を朱に染めた。
羯磨の遺体が見つかったのは――それからほんの数時間後……翌日未明のことであった。




