第二話 信忠の覚悟
場所は打って変わって二条御所前。
今まさに一つの軍勢が入城しようとしていた。
しかし、その大将は顔面蒼白で明らかに落胆していた。
その人物こそ織田家現当主、織田信忠であった。
信忠は本能寺から少しの距離の妙覚寺に泊まっており、明智の謀反を知り救援に向かおうとしたが、時すでに遅く救援を諦めざるを得なかった。
「父上を・・・お救い出来なかった・・・この上は二条御所に篭もり意地を見せるのみ」
しかし、京の出入り口を制圧されている状況で、尚且つ急な変事に味方の救援など期待出来る訳なく、また大した防御施設もない二条御所に籠城をしても勝ち目などある訳は無かった。
「殿!やはりこの軍をもって脱出すべく一戦交えましょうぞ!!」
そう信忠に側近の斎藤利治が進言した。
しかし、それに信忠は取り合う事は無かった。
「この僅かな手勢で戦ったとしても勝てる見込みなどないだろう、そうなれば我が首は光秀の手に渡る・・・それだけは避けねばならぬ」
信忠の手勢は僅かに千人程度しかおらず、信忠の考えも当然に思われた。
「大殿も僅かな手勢で今川を討ち果たしましたぞ!」
信長の側近で途中で合流した毛利良勝が言を発した。良勝、かつての毛利新助が自分が功を上げた名高い桶狭間の合戦を引きあいに出し更に再考を迫る。
他の家臣からも、そうじゃ!これは信忠様の桶狭間じゃ!!などの声が出たが、信忠は。
「父上と儂を比べるな!あれは織田信長だからこそ出来たこと!儂にそのような力など無いわ!!」
されど。などと言う声にも、もはや信忠は耳を貸す事は無かった。
そんな主君の姿にこの期に及んではと家臣も覚悟を決めた時。
「お待ち下さい!!」
長成が追いついた。
「蘭丸!?」
信忠がその姿を見て驚き声を上げ、僅かに目に光が灯った。信長の小姓の蘭丸が居るという事は父が無事であると思ったのだ。
「本能寺は・・・大殿はどうなさられた!?」
本能寺を直にその目で確認し、信忠に本能寺救援を諦めさせた村井春長軒が声を荒らげて聞いた。
周りの家臣も蘭丸の言葉を息を飲みながら待つ。
「大殿は・・・信長様は焼け落ちる本能寺と・・・御命を共になされました」
周囲がざわつき、次の瞬間に全員が落胆し涙を流す者も多かった。信忠も改めて絶望の顔つきになった。
「何故・・・お前がここにおるのだ?」
信忠が力なく声を出し長成に問うた。
家臣も落胆を怒りに変えるように主君に殉ぜなかった長成を責めた。
「お怒りはごもっともでございます、拙者も叶うならば大殿と命を散らしとうございました」
「ならば何故ここにおる?」
再び信忠が問うた。
「大殿のご命令により隠し通路より脱出したからございます」
「父上の・・・命令?」
「はっ!大殿はそれがしに信忠様の所に向かう様に最後にご命令なされました」
「何故お前だけなのじゃ?何故父上も一緒にお逃げなされなかった」
長成は涙をこらえて、その質問に答えた。
「大殿は明智勢と自らお戦いになり、その時に御み足に敵の槍を受け、逃げれる状態ではございませんでした」
「それならば何故に大殿を担いででも共に脱出せんかった!!」
家臣の一人が怒気をはらんだ声で長成を責めた。
「・・・静まれ」
そんな声を信忠が制した、その声に周囲が静まり返った。
「続けよ、父上の命とはなんじゃ」
「それがしが大殿と共に脱出が出来なかったのは、大殿を担いでいたら信忠様が手遅れになっていたからでございます」
「儂が・・・手遅れに?」
「はっ、それこそ大殿のご命令でございます。信忠様と合流し信忠様と共に京を脱出せよ、と」
「そんな事、無理に決まっておろう。どうやってこの軍勢で明智の包囲を抜けるのじゃ」
それを聞いて長成は黙り込んでしまった、長成自身も命令を受けたものの如何にすれば包囲から抜けられるかの策は無かったからだ。
「それにな、蘭丸よ・・・儂は完全にお前を信用しておらん」
「どう言う・・・意味でございますか?」
「お前が本能寺から脱出してきた事、それが光秀の策でないとも言い切れん」
長成は信忠が言おうとしている事を理解した、信忠は長成が明智と繋がっていて謀反に加担しているかもしれないと言っているのだ。無理も無い事だろう、実際に腹心であった明智の謀反を目の当たりにしている今の状況下で正直、信忠は疑心暗鬼におちいっていた。
しかし、その言葉は命を賭してまで信長に脱出を命じられた長成にとっては許せるものでは無かった。
「拙者が大殿を手にかけたと申されますか!」
長成は怒声を持って答えた。
「蘭丸!小姓ごときが殿に向かってなんじゃその言い草は!」
村井春長軒がそれに怒りをあらわにした。
その声に我に返り、長成は落ち着いて受け答えた。
「失礼を致しました。ただ、それがしはもう蘭丸ではございませぬ」
「どういう事じゃ?」
信忠がいぶかしげに尋ねた。
「それがしは本能寺にて大殿より直々に偏諱を賜い森蘭丸成利改め、森長成となりました」
そう言って長成は懐より一枚の紙を取り出した。それは信長が最後に書いた「森長成、我が名代」の紙だった。長成は覚悟を決め、スっと息を吸った。
「大殿からのご信任状でござる!それがしは大殿からのご命令を受けここにおります、よってそれがしの言葉は大殿からのお言葉と思って聞いていただきたい!」
そう言うと長成は紙を高く上げ信忠や周囲の者に見せた。
「森長成、我が名代・・・これはまさしく父上の字と花押じゃ、それではお前は本当に」
「はっ、信忠様に京を脱出していただく。その為にここに参りました」
「何故じゃ、父上が居れば織田家は安泰のはず・・・それを捨て何故ゆえに父上は儂を逃がそうと」
「信忠様、これからそれがしが申す事、一言一句お忘れになされないで下さい」
長成は必死に記憶を辿り信長の言葉を思い出し言った。
「信忠は儂の覇道を受け継げる織田家唯一の男よ、ただ不幸なのは儂を父に持ってしまった事、信長の後を継ぐ・・・その重圧はこの先ずっと信忠にのしかかるであろう、あやつの事じゃ、この状況に潔く腹を切ると言いかねん、成利よ、信忠の力になってやってくれ・・・大殿のお言葉でございます」
それを聞き、信忠は涙を流した。当主とは言え、信忠は今まで信長の影に隠れ自分は他の家臣同様に父の手駒だと思い生きてきた。当主になったのもただ自分が嫡男であったからだと、それを父は覇道を受け継ぐ唯一の男よ、と言ってくれた。その言葉は今まで父の、織田信長の傀儡でしかないと思っていた信忠が抱えていた劣等感を洗い流してくれた。
「よし、脱出する!長成、どうすれば良い!」
本当の意味で織田家当主、織田信忠が誕生した瞬間だった。
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