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月曜日。
いつものように家を出て駅へと向かい、いつもの電車に乗る。
そして、いつものように乗降ドアの横の席に座ると、鞄から読みかけの小説を取り出した。
一駅、二駅と進んでいくと、小説越しに学園の制服が見えた。
……竜崎くんだ。
そう分かっているけど、小説から顔をあげようか悩んでしまう。
いつもは車内放送で学園の駅名が読み上げられてから、小説を閉じて挨拶をしているからだ。
それに、通勤するサラリーマンたちやOLたちが多いこのシンとした電車内で、竜崎くんに挨拶をしたあと話をするという勇気もない。
そんなことをグルグルと考えながら小説のページを眺めていると、上から声が落ちてきた。
「おはよ。」
男らしい低い声に、胸が大きく音を立てた。
思わず顔を上げると、竜崎くんが真っ直ぐ私を見下ろしていた。
竜崎くんの、少し気怠げな表情。
いつもと変わらない様子の竜崎くんに安堵した。
しかし、それと同時に、少し寂しい気持ちも顔を出す。
「おはよう、竜崎くん」
私は、いつもと同じ笑顔で挨拶を返しながら、小さな胸の痛みに気付かぬふりをした。
先日、竜崎くんと初めてメッセージのやり取りをした。
家まで送ってくれたことに対するお礼から始まり、他愛もない話をして……最後は、夜の挨拶をして終わった。
友達同士なら、よくあること。
でも、相手が竜崎くんというだけで、このやりとりが特別なことのように感じていた私は、いつもと変わらぬ様子の竜崎くんに、自身の感情との差を無意識に感じてしまった。
でも、これは当たり前のこと。
だって竜崎くんは、私のこと――
『それに俺は、
お前の事好きじゃねぇなんて、言った覚えはねぇよ。』
「……っ」
思い出してしまった。
あの日、
竜崎くんに言われた言葉を。
表情を。
手の温もりを……。
勝手に顔に熱が集まってくる。
それを隠すために、慌てて手元の小説に視線を落とした。
ゆっくりと電車が進みだし、走行音がリズムを刻み始め、一人感じていた気まずい沈黙を紛らわしてくれる。
竜崎くんの視線を感じながら、ただひたすら小説の文字を眺めた。
「(変に思われてないかな……)」
そう思いながらも、顔を上げる勇気はなかった。
目的の駅の一つ前の駅で乗降ドアが開いた。
数人が降りて、そしてまた乗ってくる。
すると、朝の静かな車内に、突然明るい声が響き渡った。
「わぁ! 人がいっぱいっ!」
元気な男の子の声。
顔を上げると、五歳くらいの男の子と、その母親らしき若い女性が電車に乗っていた。
先程の駅で乗車したのだろう。
大きな声を出した男の子に「しっ! 静かにだよっ」と慌てて母親が注意している。その時に目が合った数人のサラリーマン達に母親は頭を下げていた。
これは席を変わってあげた方がいいな。
そう思い、すぐに小説を鞄に入れて立ち上がると、目の前に立っていた竜崎くんが体を横に向けて私が立てる分のスペースを空けてくれた。
「良かったら、ここに座ってください」
乗降ドアの前に立つ男の子の母親にそう呼びかけると、母親は驚いた顔をして私を見た。
「え……いいんですか?」
「はい、私、次の駅で降りますから」
「! ありがとうございますっ」
母親は頭を下げると、すぐにこちらへ来て男の子を空いた席に座らせた。
すると、その隣の席に座っていたサラリーマンも立ち上がり、母親に席を譲ってくれた。
「すみません、ありがとうございます!」
私とサラリーマンの男性に何度も頭を下げながら座席に座った母親の姿に安堵しながら微笑む。
そして、元から立っていた竜崎くんや周りの乗客たちの邪魔にならないよう、最初に男の子と母親が立っていた乗降ドアの端、男の子の座る長椅子の横へと移動した。
すると、それに合わせて、竜崎くんも乗降ドアの方へと移動してきた。
「!」
「もう少し奥。」
グイっと背中を押されて乗降ドアの横の壁まで移動する。
私の背中が壁に当たると、竜崎くんは私の向かいに立って壁に片手をついた。
驚いて顔を上げると、竜崎くんは私を見下ろしながら言った。
「……防犯対策。」
小声で囁かれて、頷いた。
周囲のサラリーマンたちと私が接触しないように竜崎くんが壁になってくれたのだ。
「ごめんね、ありがとう」
「いや……」
竜崎くんはそう言って、視線を逸らした。
電車がゆっくりと進み始めた。
そして、いつものように一定のリズムで走行音を響かせ始める。
「……。」
「……。」
気まずい。
それに物凄く恥ずかしい。
私の体に当たらないようにしてくれている。
それでも、目の前にある竜崎くんの体が、彼の呼吸に合わせて上下しているのが分かるくらい近い距離にあることに、心臓が大きく音を立てていた。
壁につかれた竜崎くんの腕が、私の頭上にある。
時々電車の揺れに合わせて、彼の制服の袖が髪にあたった。
すると、横から声が聞こえてきた。
「見て見て! ママっ!」
「なぁに?」
「あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、壁ドンしてるぅ!」
男の子の元気な声が響いた。
驚いて男の子を見ると、男の子は目をキラキラと輝かせながら私と竜崎くんを見ていた。
「この間テレビで見たやつでしょ! 大好きさん同士がするやつ!」
「「っ!!」」
男の子の無邪気な言葉に、私と竜崎くんの肩が大きく跳ねた。
車内の視線が、一斉にこちらへと集まる。
「(壁ドン……、確かに今の状況って……)」
そう思いながら顔を上げると、同じタイミングで私を見下ろした竜崎くんと目が合った。
思ったよりも近い距離にいた。
少し驚いているような竜崎くんの表情が、すぐ目の前にあった。
「「――……っ」」
慌てて互いに顔を逸らした。
頬に熱がどんどん集まっていく。
「ねぇねぇ、チューしないの?」
純粋な問いかけが、さらに拍車を掛ける。
顔を真っ赤に染めた私を見て、男の子の母親が気まずそうに少し頬を赤らめた。
「す、すみませんっ……」
「いえ、大丈夫です……っ」
咄嗟にそう答えたが、全然大丈夫ではない。
大丈夫ではないけど、大丈夫だと言わないとこの熱は治まらない。
……でも、竜崎くんなら、いつもみたいに気怠げな表情をしてる筈。
いつもみたいに、少しぶっきらぼうな反応をしてる竜崎くんを見れば、きっと私も冷静になれる。
そう思いながら、顔を上げると……
竜崎くんは、片手で口元を隠していた。
そこから覗く彼の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
「え……」
思わず声が漏れると、彼の視線がこちらへと向けられた。
そして、私が竜崎くんを見ていると分かると、羞恥に耐えるように目を細めた。
「あんまり見るな……っ」
そう言いながら、私に見られないように竜崎くんの大きな手で視界を覆われた。
指の間から覗く彼の顔は、さっきよりも赤い。
「――……っ」
一気に羞恥が押し寄せた。
予想とは真反対の反応に、冷静になるどころか羞恥心に更に拍車をかけてしまった。
「ご、ごめんね……」
「……っ、あぁ」
竜崎くんの、感情を抑えたような小さな返事が耳元を掠める。
耐えきれずに両手で自分の顔を覆って俯いた。
車内放送で、学園の駅名が読み上げられた。
ほっと胸を撫でおろしながら顔を覆っていた手を下ろすと、竜崎くんと目が合った。
きっと私の顔は真っ赤だろう。
竜崎くんが驚いたような表情をしたあと、少し意地悪な顔をして笑った。
* * * *
乗降ドアが開き、結衣と竜崎が電車を降りた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん、バイバイ!」
男の子が大きな声で言いながら二人に手を振った。
まだ顔が赤い結衣と、いつもより表情が少し柔らかい竜崎がそれに気付いて手を振り返した。
乗降ドアが、ゆっくりと閉まる。
そして電車が走り出したと同時に、車内にいた人たちが一斉に溜息をついた。
「最、高……!」
「胸が苦しい……」
「お宅の息子さんは、とても良い仕事をしましたね……」
「ありがとうございます、私もそう思います……っ、育児疲れが飛んで心が潤いました……っ」
そんな囁き声が行き交っていたことを、二人は知らない。
「(まだ顔が熱い……っ)」
電車を降りた後、学園へと続く道を歩きながら、結衣は息を吐いた。
あの状況で赤くなるなという方が無理だ。
赤面している顔を見られてしまったという羞恥も重なり、頬の熱は朝の冷たい風に触れても全然引いてくれなかった。
何度目かの深呼吸をすると、隣から小さく笑う声が聞こえた。
「まだ顔真っ赤だな」
顔を上げると、竜崎がこちらを見ていた。
揶揄いを含んだ声と表情に、結衣の心臓が大きく跳ねる。
「……っ、だって……」
そう呟いたが、言葉は続かなかった。
続ける勇気を、持っていないかった。
そんな結衣を見ながら、竜崎は愛おしそうに目を細めた。
「(男として見てくれてはいるんだな。)」
少し困ったような表情で、赤く染まった頬を必死に冷まそうとしている彼女。
……可愛い。
そう言葉に出してしまいそうになるが、理性が働いて踏みとどまる。
あまり言い過ぎると……一気に距離を詰めすぎると、離れて行ってしまうかもしれない。
少しずつ、意識してくれたら。
少しずつ、俺を好きになってくれたら。
そんな下心を胸に抱きながら、まだ赤く染まっている結衣の横顔を眺めた。




