命を削るもの
「失礼ですが、そちらの目はどうしたのですか?」
ヨクルはいつもの淡々とした口調で尋ねた。
「ああ、これですか」
ダーイン師匠は眼帯に手を当てた。
「昔、異形にやられましてね。お恥ずかしい話なんですが」
「何も恥ずかしいことではありません。異形に立ち向かった証です」
「あはは、ありがとうございます」
「見せて頂いても?」
ダーイン師匠はきょとんとした。
「構いませんが……見て面白いものではありませんよ」
俺はダーイン師匠の眼帯の下を見たことがない。寝ている時も顔を洗う時も、師匠は眼帯を外すことはなかったのだ。
触れて欲しくないことなのだろうと、俺は深く聞かなかった。養子として世話になっている身で、聞いて良いことではないと思ったのだ。
俺も騎士の端くれだ。ある程度の傷は見慣れている。
ダーイン師匠はそっと眼帯を外した。
左目の周りには、左下から右上に向かって、斜めに切り裂かれたのだろうであろう傷跡が残っていた。
ダーイン師匠が目を開くと、濃い紫色の煙が溢れ出ていた。
俺は師匠の瞳を見てぎょっとした。眼球が濃い紫色に一色になっていたのだ。
「異形の色……?」
まるで異形のような色だと、俺は思わず漏らしてしまった。
「やはり……」
ヨクルは立ち上がった。
「近くで見てもよろしいですか?」
「あまり近づかない方が良いですよ」
「瘴気が漏れ出ているからですか?」
俺は驚いて、ヨクルを見た。瘴気──それは異形がまとう害のあるものだ。
ダーイン師匠は硬い表情になる。
「このまま放っておくと、貴方はいずれ、異形になってしまいます」
「わかってます。医師にそう言われましたから。治す手立てがないとも」
「そんな……師匠!」
どうして黙ってたんだ、と責めるようにダーイン師匠を睨みつけた。
「ごめんね、ティリル。本当は言うつもりじゃなかったんだけど」
ダーイン師匠は眉を下げ、申し訳なさそうな顔をした。
俺は奥歯を噛み締めた。
違う。俺は責めたいんじゃない。俺に何も言わず、墓場まで持っていくつもりだったことに腹を立てているんだ。
「グラムさんにはこのことを?」
「既に言ってあります。目がこうなってしまったから、私は戦場から姿を消したんです。戦いの最中に異形化してしまったら、大きな被害が出てしまいますから」
「……失礼」
ヨクルは師匠の左目に顔を寄せた。
「瘴気に当てられてしまいますよ」
「平気です。僕は瘴気の影響をあまり受けない体質なので」
ヨクルはじっとダーイン師匠の左目を見つめ続けた。
「……ふむ。大分、瘴気に癒着されているようですね」
「怪我をしてからそれなりに経ちますからね」
ヨクルはスッと自身のベルをダーイン師匠の目の前に出した。
ダーイン師匠は不思議そうな顔でそのベルを見つめた。
「『純潔なる銀よ、邪を退けよ』」
ヨクルは手首を動かし、ベルを軽く鳴らした。
「ぐっ……!」
突如、ダーイン師匠が左目を抑え、苦しみ出した。
「師匠!?」
俺は思わず立ち上がり、師匠に駆け寄った。
「これはかなり深刻だ……。ティリルさん、ホヴズさん、彼の体を抑えて下さい」
「え?」
「左目が見えるようにお願いします」
「わかりました、ヨクル様」と村長は頷き、苦しむダーイン師匠の腕を掴み、椅子に押さえつけた。
「村長、何を!?」
「ヨクル様の言う通りにするんです。悪いようにはせん」
しかし、苦しんでるダーイン師匠を押さえつけるなんて……。
俺は迷ったが、覚悟を決めた。
「……師匠、ごめん!」
俺は村長と共に師匠の体を押さえ込んだ。
「ヨクルは凄い魔術師だから……! 安心してくれ!」
その間に、ヨクルは窓を開け放った。雪が家の中に侵入する。
「『我は高尚なる銀雪なり。雪上を歩む者の苦痛を和らげよう』」
ヨクルはベルを構え、詠唱を始めた。ごうごう、と雪風が吹き荒れる。
ダーイン師匠は唸り声を上げ、目を見開き、あたり構わず手足を振り回した。こんな師匠は初めて見る。彼の狂戦士の面を垣間見たときだって、騎士の矜持を忘れてはなかった。今の彼はまるで駄々っ子のようだ。
ヨクルの詠唱は続いた。
「『我は純潔なる銀。万物の蝕む紫黒よ、我の元へ集え』」
ダーイン師匠の左目から漏れ出てた瘴気が、ヨクルのベルに吸い込まれていく。
「──鳴鐘」
ヨクルのベルが一際大きな音を出した。
ダーイン師匠は体を突っ張らせた後、ぐったりとした。
「師匠……?」
俺はダーイン師匠の顔を覗き見た。意識を失っているようだ。顔色は蒼白で、呼吸は荒いが、確かに生きている。
「……少し、刺激が強過ぎましたかね。かなり瘴気に癒着されていましたから、荒療治をする他ありませんでした」
ヨクルが閉じた師匠の左目を開かせた。黒々とした眼球が嵌まっていた。だが、先程までの背筋が凍るほどの瘴気は感じられない。
「瘴気が消えてる……!?」
俺は歓喜の声を上げた。
「消えた訳ではありません。瘴気を僕の身に移しただけです」
ヨクルはそう言って、自身のベルを見せた。美しかった銀色の表面がが少しくすんでいた。
「え……移した、って……」
「ああ、しかし、ダーインさんの体から瘴気がなくなった、という意味では、消えたと言えるかもしれません……」
「ヨクルは大丈夫なのか!?」
「瘴気の影響を受けにくいと言ったでしょう? 暫くすれば、瘴気は空中に霧散し、消えます。僕は異形を避ける銀色の服を身につけていますからね」
「だが、あんな瘴気を自分に移して、無事な訳ないだろう……!」
もし、瘴気に当てられ、俺みたいに記憶を失ったら……。
俺は拳を握り締めた。
「無茶はするな」
「無茶などしていませんよ」
「じゃあ、顔を見せてくれ」
俺がそう言った途端、部屋の空気が凍りついたのを感じた。
「ティルヴィングさん、それは……」
村長は苦言を呈した。
「顔を見たら、無茶してるかどうかわかる。見せてくれ」
「ティリルさん、一体どうしたんです? 今まで見せずとも仲良く出来ていたではないですか。今はダーインスレイヴさんの無事を喜びましょう」
「ヨクル、わからないのか? 俺は怒ってるんだ」
俺は怒気を含んだ声で言った。
ヨクルは首を傾げた。
「ダーインスレイヴさんを苦しめたことですか? それに、ティリルさんを加担させたことに怒っているのでしょうか。しかしそれは、彼のために必要なことでした」
「師匠の目の瘴気が消えたことは嬉しいさ。でもな、お前が代わりになるのは違うだろ」
「僕にとって、この程度の瘴気は何ともありません」
「なんで、あんたは自分を蔑ろにするんだ……!」
俺は自分の気持ちが伝わらないことに憤り、拳を握り締めた。
ヨクルは一人で何でも出来てしまう。だからか、自分のことはいつも二の次だ。
俺はダーイン師匠と同じくらい、ヨクルも心配なんだ。どうしてそれが伝わらないんだろう。
「ヨクル様、わしもティルヴィングさんと同じ気持ちです」
村長が口を開いた。
「貴方様がお優しいのは知っています。ですが、わしらは貴方様も大事なんです。何か大きなことをなさるときは、一度わしらに相談して貰えませんかの」
「……ふむ」
ヨクルは腕を組み、少し思案した後、頷いた。
「そうですね。少々、軽率でした。僕が使い物にならなくなったら、村人の皆さんに迷惑がかかってしますからね。次からはちゃんと説明してから行動を起こすようにしましょう」
「ヨクル……!」
そういうことを言いたいんじゃない。俺はもう我慢の限界だった。




