終幕
狙い通りウルザート公爵家から減刑の嘆願がきた、とアルザーク様に聞いた。おそらく醜聞を恐れてのことだろう。公爵夫人の勘違いで侍女が家を追われたとなれば、公爵家の顔に傷がつきかねない。減刑を嘆願されたため、侍女は流罪としたことにした。流罪にしたことにして、私の毒味役に収まってくれている。毒味役は侍女の部屋の中でも一人部屋が与えられているらしい。それは幸運なことだった。
「そして新しく侍女になってくれたルルね」
「よろしくお願いします」
私より年下のルルにアルザーク様が何を言ったのかは知らないけれど、ルルはとても緊張した面持ちで部屋の扉を開けて入ってきた。私よりも5歳は下であろうその少女は、初めて見た時は気づかなかったが、両頬にそばかすがある。茶色の瞳は不安そうに揺れていて、茶色の胸あたりまである髪は二つに括られている。気になったのはその細さだ。腕は棒切れのように細いし、侍女の服は腰で絞られているからその腰の細さも際立って見えた。とりあえずリュナに言ってたくさん食べてもらうようにしよう。
「今日はもう部屋にいるから下がって。用があれば呼びます」
そう言うとリュナが逡巡した後頷いてくれた。ご用があればお呼びください、とベルを置いていってくれる。二人が扉から外に出た後、小さく息を吐いた。長椅子に座ると柔らかく受け止めてくれるから安心してしまう。常に部屋に誰かがいると言うことにいまだに慣れない。シェーヌではそんなことがなかったからだ。刺繍でもしようかな、と部屋の隅に置いてあった布と針と糸を手に取ると、にわかに空が曇り始めたのが部屋に差した影でわかった。
外を見るといきなり雨が降り始める。嫌だな、と思っているとそのうちにゴロゴロと雷が鳴り始めた。ため息をついてきたないとは思ったけれど、そのままベッドに潜り込む。
雷は小さい頃から苦手だ。苦手になったきっかけは覚えている。
畑で手伝いをしている時に、雷が鳴り始めた。危ないから帰りなさい、と言われて帰っている途中から雷は激しく鳴り始めて、私はその音が怖くてたまらなかった。隠れる場所もなく、ただ泣きながら走って王城に帰った。あの時のどこまでも雷が追いかけてくるような体験は、私の記憶にずっとこびりついて離れない。
ベッドに潜り込んで雷が遠ざかるのを待つ。待っていても収まるどころかゴロゴロと激しくなり始めて、私は大きくため息をついた。ここにいて雷が当たるわけではない。大丈夫大丈夫、と自分を励ましていると、部屋の扉がノックされる。
コンコン、と控えめに響いたそれに、今は無理、と思いながらベッドに潜り込んだままやり過ごそうとする。じっとりと手のひらに汗が滲んでくる。
「メル」
入ってきたのはアルザーク様だった。声に潜り込んでいた顔を少しだけ出すと、アルザーク様は驚いたような顔をしてベッドに近づいてくる。
「どうしたんだ」
「雷が怖いのです」
それだけ言ってベッドに潜り込むと、アルザーク様は私のことを布団の上から撫でてくれる。その手にホッとするとだんだん眠たくなってきた。こんなに穏やかに雷の日を過ごせるなんて思ってもみなかった。
「私も昔は雷が怖くて」
「アルザーク様もですか?」
「ディルムと抱き合って部屋にいました」
布団から顔を出すとアルザーク様が私の頭を撫でてくれる。ディルムと抱き合う小さなアルザーク様を想像すると微笑ましかった。
「シェーヌだと雷はもっと激しく聞こえたでしょう」
そう言ってアルザーク様は私の頭を撫で続ける。その手が優しくて、私はそっと目を閉じた。
「今日ここへ来たのは、結婚式の予定を決めるためです」
「結婚式ですか?」
閉じていた目を開ける。婚約式が終わったばかりなのに、結婚式の話かと思って驚いてしまう。そんなに早急にことを進めるものなのだろうか。
「早い方がいいので」
アルザーク様が私から目を逸らす。早い方がいいのは誰の都合なのだろう。私は婚約式が終わったばかりだから、もっと悠長にしていられると思っていた。だけど、ずっと婚約者のままなのも都合が悪いのかもしれない。
「結婚式は三ヶ月後に行う予定です」
「なるほど」
「決めなければならないことがたくさんあって、メルの意見を聞きたいと思って」
雷はなり続けているけれど、どんどん遠くなっていっているのがわかった。ベッドに潜り込むのをやめて髪を整えてベッドに座り直す。アルザーク様も髪の毛を整えてくれた。
「結婚式」
「その日に正式に夫婦となります」
アルザーク様をみると、私のことをとても優しい目で見つめてくれている。その視線から逃れたくて視線を外す。なんだか恥ずかしい。
「ずっとそばにいてください」
アルザーク様の言葉にはっとして、アルザーク様のことを見た。まだ優しい目で私のことを見つめてくれている。
その言葉に頷いて、アルザーク様の手をとる。
「ずっといるつもりです」
その言葉を聞いたアルザーク様が微笑む。雷鳴はずっと遠くで鳴り響いていた。




