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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第三章 解放と神託
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第三夜 神威

「チェストォォォォォッ!!」


 鼓膜をつんざくような猿叫えんきょう

 東郷灯史郎とうごう とうしろうの全身から噴き上がる闘気が、夜の祇園を赤黒く染め上げる。

 示現流じげんりゅう

 初太刀に全てを賭ける必殺の剣術。だが、この男は二の太刀すらも初太刀以上の威力で放とうとしている。


 死ぬ。

 直感が警鐘を鳴らす。

 今の俺の防御障壁では、あの斬撃は防ぎきれない。紙のように引き裂かれ、俺の体は両断されるだろう。


 ならば――迎撃するしかない。


 俺は腹の底に眠る『荒魂あらみたま』に意識を向けた。

 暴れ狂うスサノオの力。それを全開放し、東郷ごとこの空間をねじ伏せる。

 空間圧縮の最大出力。あるいは、重力崩壊による圧殺。

 やれる。今の俺なら、あの剣速を上回る速度で力を叩きつけられる。


 だが。


(……だめだ!)


 脳裏に最悪のビジョンがぎった。

 俺が力を解き放った瞬間、この狭い路地裏はどうなる?

 風情ある紅殻格子べんがらごうしの町家は消し飛び、石畳はめくれ上がり、この出力なら半径数百メートルが更地になるだろう。

 ここにはまだ、歴史がある。

 何より、後ろには煉と葵、そして茉奈がいる。


「勝てる。……でも、街が死ぬ」


 その一瞬の躊躇ためらい。

 コンマ一秒にも満たない思考の空白。

 達人同士の殺し合いにおいて、それは致命的な隙だった。


「迷うたか、童ァ!!」


 東郷が狂喜の笑みを浮かべる。

 振り上げられた刃が、月光を呑み込みながら落下を始めた。

 速い。

 思考が追いつかない。

 死が、物理的な質量を持って迫ってくる。


(くそ……出せば終わる。でも、ここは壊せない……!)


 俺は唇を噛み締め、それでもなお、力を暴発させることを拒んだ。

 守るために来たんだ。

 破壊するために来たんじゃない。


 その、瞬間だった。


 チリン――。


 どこからか、澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。

 同時に、背後の闇――八坂神社の方角から、一陣の風が吹き抜ける。

 それは冷たく、けれどどこか懐かしい、神域の風。


『――荒ぶるな』


 声が、響いた。

 耳ではなく、脳髄に直接。

 それは叱責ではなかった。慈愛でもない。

 ただ、悠久の時を知る大樹のような、圧倒的な静寂。


 世界の色が、消えた。


 俺の視界から色彩が失われ、白と黒だけのモノクロームの世界へと変貌する。

 東郷の刃が、俺の鼻先数センチのところで静止している。

 飛び散る汗、舞い上がる砂埃、揺れる提灯の炎。

 すべてが凍り付いた時間の中で、俺の意識だけが異常な速度で加速していた。


(これは……タキサイキア現象? いや、違う)


 俺は理解する。

 これは神気との共鳴。

 スサノオの『和魂にぎみたま』――力を制御し、俺の思考回路を書き換えているのだ。


『力とは、放出するものではない。定義するものだ』


 誰かの教えが、リフレインする。

 そうだ。俺はずっと、蛇口を全開にして水を撒き散らすような使い方しかしていなかった。

 だが、本当に必要なのは――。


「……絞るんだ」


 俺がそう念じた瞬間、視界に異変が起きた。

 東郷の体、振り下ろされる刀、周囲の空間。

 それらに、無数の幾何学模様と文字列が重なって表示されたのだ。

 まるで、ゲームのデバッグ画面か、AR(拡張現実)のインターフェースのように。


 **[ Target Detected: Togo_Blade ]**

 **[ Threat Level: Fatal ]**

 **[ Analysis: Kinetic Energy > Shield Capacity ]**


 脳内に、コマンドプロンプトのようなウィンドウが浮かび上がる。

 俺は無意識のうちに、思考でそのコンソールを叩いていた。

 広範囲の破壊はいらない。

 必要なのは、この刃一点のみを止める物理法則の改変。


 俺はコマンドを記述する。


 `> Select Target: Enemy_Weapon (Katana)`

 `> Set Attribute: Gravity`

 `> Mode: Pinpoint_Compression`

 `> Range: 0.05m`

 `> Execute`


 エンターキーを叩くような感覚と共に、世界の色が戻った。

 時間が動き出す。


「死ねぇぇぇぇッ!!」


 東郷の絶叫と共に、刃が振り下ろされた。

 だが。


 キィィィィィィン……!


 甲高い金属音が、夜気に吸い込まれるように響いた。

 衝撃波は起きない。

 石畳も割れない。

 東郷の刀は、俺の額に触れる寸前で、見えない万力に挟まれたかのように完全停止していた。


「な……!?」


 東郷の目が限界まで見開かれる。

 彼は全身の筋肉を膨張させ、無理やり刀を押し込もうとする。

 だが、刀はピクリとも動かない。

 俺が展開したのは、刀身の周囲わずか五センチの空間に限定した、超高密度の重力プレスだ。

 そこにあるのは「止まれ」という単純な命令ではない。「そこは動かない空間である」という定義の強制。


「ばかじゃ……! お前、何しよった!? 衝撃はどこ行っちまったんじゃ!?」


 東郷が狼狽うろたえる。

 俺は静かに彼を見据えた。

 以前のような、怒りに任せた熱さは感じない。

 頭の中は、氷のように冷たく澄み渡っている。


「……アンタの剣は、もう届かない」


 俺は淡々と告げ、次なるコマンドを脳内で構築した。

 相手は動けない。刀を引くことも、押すこともできない状態だ。

 なら、終わらせよう。


 `> Target: Togo_Body`

 `> Set Effect: Repulsion (Vector: Backward)`

 `> Output: Non-Lethal (Knockback)`

 `> Execute`


 俺が指先を東郷の胸元に向けると、彼は何かを察知したように顔を引きつらせた。


「ま、待て――」


 ドンッ!!


 発砲音に似た破裂音。

 東郷の体は、まるで見えない巨人の拳で殴られたかのように、後方へと弾き飛ばされた。

 彼は路地裏を転がり、背後の土塀に激突してようやく止まる。


「がはっ……!」


 東郷が苦悶の声を漏らし、刀を取り落とす。

 その右腕は、重力プレスの余波で骨にヒビが入ったのか、だらりと力なく垂れ下がっていた。


「隊長!」


 部下たちが駆け寄ろうとするが、俺が一歩踏み出すと、彼らは怯えたように足を止めた。

 今の俺の周囲には、目に見えない演算領域が展開されているのが分かるのだろう。

 不用意に踏み込めば、その瞬間に物理法則の餌食になる。


「……化けもんじゃ……」


 東郷は脂汗を流しながら、震える手で懐から発煙筒のようなものを取り出した。

 その瞳には、先ほどまでの戦意はなく、底知れぬ恐怖と、それ以上の狂喜が混ざり合っていた。


「よか……実によか! 荒魂の器、ここまで制御してのけるとは……!」


 彼はよろめきながら立ち上がり、ニヤリと血に濡れた歯を見せて笑った。


「神凪様に報告せねばな。おはんの力、我らの想定を超えておるとな!」


 シュボッ、と音がして、濃密な白煙が路地裏に充満する。

 煙幕だ。


「待て!」


 煉が飛び出そうとするが、俺はそれを手で制した。


「深追いはするな、煉。……罠かもしれない」


 本当は、追いかける余力なんてなかった。

 煙が晴れた頃には、東郷たちの気配は完全に消え失せていた。


 敵の撤退を確認した瞬間、俺の視界からデジタルな表示がフッと消失する。

 同時に、脳を焼き切るような激痛が襲ってきた。


「ぐっ……ぁ……!」


 俺はその場に膝をつき、頭を抱えた。

 熱い。脳みそが沸騰しているみたいだ。

 高度な演算処理を、生身の脳で無理やり行った代償か。鼻からツーっと温かいものが流れるのを感じた。


「尊!」

「尊にーちゃん!」


 茉奈と葵が駆け寄ってくる。

 俺は荒い息を吐きながら、心配そうな二人の顔を見て、力なく笑った。


「はは……大丈夫。ちょっと、知恵熱が出たみたいだ」

「笑い事じゃないわよ! 鼻血出てるじゃない!」


 茉奈がハンカチで俺の顔を拭ってくれる。

 その横で、詩織さんが扇子をパチリと閉じた。


「見事じゃったぞ、尊」


 彼女は八坂神社の朱色の楼門を見上げ、満足げに微笑んだ。


「荒ぶる力を力でねじ伏せるのではなく、ことわりをもってぎょする。それこそが『和魂』の入り口じゃ。……どうやら、神もおぬしを認めたようじゃな」


 俺はふらつく足で立ち上がり、詩織さんの視線の先を見た。

 夜闇に浮かぶ八坂神社。

 その奥から漂う気配は、先ほどまでの威圧的なものではなく、どこか歓迎しているかのように穏やかなものに変わっていた。


「行こう。……お礼と挨拶しなきゃ」


 俺たちは互いに頷き合い、静寂を取り戻した祇園の街から、神の領域へと足を踏み入れた。

 新たな力『神威カムイ』の手応えと、それに伴う重い代償を、その身に刻み込んで。

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