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少年とおじさんと(1)

 スーハーと大げさなくらい大きな深呼吸をして、門を通り抜ける。

 関係者以外立ち入り禁止の、関門。以前ここに来た時は、彼女の背中をただ見送ることしかできなかった。

 ようやく自分の脚でここまで来ることができた――そう思えば、ありふれた道を歩いているだけなのに、ひどく感慨深い気持ちになった。

 無粋な地図看板に目を向ける行為にさえ、何か秀作を見ているかのような、ふわふわとした微酔感を覚える。

 赤い三角が、今俺の立っている場所――そこから人差し指でつーっと道を辿る。右へ左へと折れて、端の方に位置する、庁舎。ここに彼女が――

 

 ふと人の気配を感じて、はっと振り向いた。

 やや低い位置にある切れ長な目と、目が合う。その目は、明らかに俺を見ているようだった。

 そうでなければ、地図看板を見ていたことになるのだろうが――そうとは思えない程、鋭い眼差しだった。何か重い感情を感じる。それも、あまり良くない感情だ。たかが看板に向けるものではない。

 とはいえ、全く面識のない俺に向けられるのもおかしな話ではあった。俺は、この人物――初対面時のエマよりも幾分年嵩に見える少年――が誰なのか、皆目見当もついていない。

 

「おじさん、エマさんに会いに行くつもり?」

 

 その見知らぬ少年に、突然咎めるような口調で訊ねられ、何故だか一瞬どきりとした。

 何かを見透かされているような気持ちになった。

 ――いや、俺はただ旧友に会いに来ただけで、別にやましい気持ちなんて一切ないのだけど。

 

「君は、エマの知り合いなのか?」

 

 気を取り直して、尋ね返した。

 

「エマ『さん』、でしょ?」

 

 少年は目を細めて、今度こそあからさまに俺を睨みつけた。

 

「そうか、エマ『さん』、だったな……」


 エマは、俺がここまで来るまでの間に、更に先に進んでしまっていた。

 もう、俺が呼び捨てに出来るような人じゃない。敬称か、役職名かをつけなければ、その名を呼ぶことさえ許されなくなってしまっていた。

 

「……ふん、わかったならいいけど。エマさんに会いに来たなら、僕が案内するから付いて来て」

 

 少年は、俺の答えを待つことなく、かといって俺の質問に答えることもなく、さっさと歩き出してしまった。

 異をさしはさむ余地もなく、仕方なく後ろをついて歩き始める。

 正体不明の人間について行くなど普段ならありえない話だったが、彼は警戒に値する人物ではなさそうだった。話ぶりから察するに、少なくともエマの立場を知っている「関係者」のようではあった。

 ただし、信用しているわけではもちろんない。何か情報はないかと、その後ろ姿に目を凝らす。

 

 背は俺より30 cmほど低い。中肉中背の健康な肢体。いかにもな軽装。背部にボディバッグを携えている。それはからだに見合った大きさ、というよりは、気軽な外出用と捉えるべきか。

 

 ちょうど、向こうから老爺と中年男性が連れ立って歩いてきた。二人して難しい顔をして何やら話している。軽装の少年と行李を背負う青年には目をくれなかった。そのまま、すれ違う。

 どうやら俺たち連れ合いは、ここでは異質な存在というわけでもなさそうだった。ということは、彼は頻繁に案内役を務めているのかもしれなかった。

 

「エマに……いや、エマさんに、案内を頼まれたのか?」

 

 少年は歩を緩めることなく、首だけで振り返った。

 

「そうだとしたら?」

 

 口調にも視線にも、あまりにもあからさまな挑発の色が浮かんでいる。

 これは彼の気質なのか。それとも俺が特別嫌われているのか……。

 

「ふん。あんまり調子に乗らない方が良いよ。知ってる? エマさんの魔法属性」

「土魔法だろ?」

「……あっそう、知ってたんだ。ふーん、じゃあ、わかるでしょ?」

「何がだ?」

「何がって、はー。おじさん、本当に何もわかってないんだ。もしかしておじさん、魔法使えない人? 『土魔法』って言葉だけ知ってて、本質は知らない人?」

 

 土魔法……実際にそれを目の当たりにしたのだから、知らないとは言えないだろう。

 けれど、含みに満ちた言葉に、まともに答えるべきではなさそうだった。押し黙って、次の言葉を待つ。

 

「僕たちからしたら、土属性の言うことなんて間に受けないのが常識なんだけど。土属性は天性の人たらしで歩く鈍感なんだから。だからおじさんも、ちょっと甘い言葉を掛けられたからって、好意だと勘違いしない方が良いよ。言った本人は、本当に何の気なしに言っているんだから。すごいキラキラした目で『イケメンー』とか『つよーい』とか言われても、言葉通りの意味以上の感情なんてないってこと。わかる?」

 

 うっと胸が痛くなる。

 俺だって、そんな勘違い男ではない。けれど、なんだか傷を抉られたような気持ちになった。

 最初は、虚勢を張っているだけのがきんちょだと侮っていたけれど、なかなかどうして的確に痛いところを突いてくる。一体何者なのだろう、コイツは。

 

「……君の言いたいことは、わかった。わかったけど、ちょっと待ってくれ」

 

 止まる様子のない少年を、何とか引き留めようと試みる。少年は、鬱陶しそうに目を細めた。

 

「何?」

「道を、間違えていないか?」

 

 道――比喩ではなく、道そのもののことだった。

 地図は頭に入っていた。この道は目的地には繋がっていない。ひょっとしたら案内人だけが知っている脇道があるのかもしれないけれど、話に夢中になって道を間違えている可能性も十分にあった。

 

「間違えてないよ」

「さっきの十字路を左、じゃないか? 真っすぐ突き進んでいるが……」

「間違ってない」

 

 やれやれ。意見を曲げられないタイプのがきんちょだったか。どうしたものか……。そう思った時――

 

「いや、間違ってるぞ」

 

 ごく近くで、声がした。

 すぐに、

 

「わああ!」

 

 と、少年が飛び上がって叫んだ。

 キョロキョロと大袈裟なくらいにあちこち見まわし、自分の服をバタバタと叩き、最後にボディバッグを前に回してファスナーを開けた。褐色の小人がひとりでに飛び出して、また「わああ!」と声を上げる。

 

「なんで! 兄さん、いつから!」

 

 少年は顔を真っ赤にして、鷲掴みした人型を「兄」と呼び怒鳴りつけている。あまりにおかしな光景で、言葉を失う。

 

「また迷子になって、一人で泣くことになったら困るだろう? こっそりついて来たんだ」

「な、迷子って……いつの話してんだよ!」

「でも実際、道を間違えているじゃないか! なんだか弟がすみませんね、ハリスン様」

「え?」

 

 突然話を振られて、言葉に詰まる。しかし、もしかして、この声は……。

 

「そして、お久しぶりです。まさか本当にここまで来られるとは」

 

 泥人形が、表情豊かに、アハアハと笑う。

 

「ダリャルバンか……?」

「そうです! 俺です! ダリャルバンです!」

「ちょっと、兄さん! 挨拶するのは今度会ってからにしてよ! 今はもう、帰って!」

「そうは言ってもアキレア、道がわからないんだろ?」

「いーや、わかってる! いいんだよ、この道で!」

「とりあえず、一旦、迎えが来るまで待って――」

「いいから! 余計なことしないでよ!」

 

 ……なんなんだ、このガチャガチャ感は。俺を置き去りにして、子供と人形が兄弟喧嘩を始めてしまった。視覚的にも聴覚的にも意味不明な争いだった。二人は一体、何を揉めてるというのか。

 

 そのうち少年が、癇癪を起こしたように腕を振りかぶった。

 あ、と思った時には、ダリャルバンの声を発していたものはただの土くれになって、地面と同化してしまった。

 

「コラ!」

 

 また違う場所から、叱りつけるような声がして、少年がびくりと身体を震わせた。

 ……のみならず、俺自身も同じような反応をしてしまった。

 そして、二人して音がしそうな勢いで振り返った。

 

 ――懐かしい、女性の姿。風にたなびく長い髪のもと、少しむくれていた口元がふっと緩む。唇が開いて、ほんの少し癖のある言い方で

 

「ハリスンさん」

 

 と俺の名を呼んだ。

長らくお待たせいたしました。

後日談です。

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