ティアナの前世
「ティアナは昔も冥の花嫁?そして皇帝に犯され閉じ込められた上に子が流れて捨てられた?そして自決···馬鹿なそんなこと···だいたい前世の記憶というもの事態まやかしだ!そうであろう、ゲーゼ!」
レギナルトは信じられず、神殿を司るゲーゼに聞いた。大神官は今にも倒れそうだったが、首を振った。
「皇子···残念ながらアマーリアの術は真でございます。まやかしでも何でもございません」
「ならば、それは過ぎ去ったもの。今は関係無いであろう」
「未来は決まっていない···それは花嫁さんにも言ったわ。でも前世と同じ道に向って行こうとする運命も事実。記憶に引きずられるのよ。それにまだ肝心なことを話していないわ」
アマーリアは勿体つけて言葉を切った。
「その酷い皇帝って、皇子、貴方にそっくりだったのよ。運命って恐ろしいわね」
「 ! 私?」
レギナルトは息を呑んだ。
「そう、たぶん貴方の前世。だからわたしは忠告したのよ。全部反対の事をしたらいいってね。もう前みたいに貴方を好きになるのなんか止めなさいって。今は冥神の制約があるから大切にされているように見えるだけよってね」
「で、ティアナは何と返答した?」
意外と落ち着いたような声の皇子に不満を感じながらアマーリアは答えた。
「皇子が好きだし信じているから嫌だって。そして愛が足りなかったから昔の皇子を振向かせられなかった。原因は自分だと。だったらもっともっと好きになって、もっともっと愛するとか言ったわ。健気よね」
アマーリアは言い終わった後、得意げにレギナルトを見た。中々思い通りにならないティアナをあきらめて皇子に事の真相を暴露し、彼女に愛と思わせている化けの皮を剥がしたかった。
(前世の貴方は自分に正直だったわよね?どう?これでも愛と偽れるかしら?)
ところがレギナルトは予想に反して微笑んでいたのだ。アマーリアは信じられなかった。
「どうして···」
「確かに話しを聞くとその男は私だったのかもしれない。私がティアナに抱く激情と重なるのだから···冥の花嫁を道具のように扱った皇帝。その話しをゲーゼから聞いた時から引っかかるものを感じていた。本当にそうだろうか?と。そう思わずにはいられなかった。誰をも魅了する冥の花嫁を目の前にした者がそんな気持ちを持つだろうかと思っていた。私なら···私なら分かる。愛し過ぎたのだろう。そして不幸なことに気持ちがすれ違った···彼女の気持ちが分からなかったのだろう。私も以前そうだった···だからティアナの答えは正しい。私も彼女の想いを見逃さないようにしよう。まあ···時折、嫉妬に目が眩んでしまうがな」
「時折ですか?いつもでしょう?」
ドロテーが微笑みながら揚足を取った。
「ドロテー!全くお前の毒舌には敵わないな」
皇子がそう言って笑ったのでその場は一気に和んだ。その中でアマーリアだけが気に入らなかった。
(どうして?何故こんな答えになるの!信じられない!)
アマーリアだけが視たティアナの前世に向って進んでいるようだった。悪い過去を知って良い方向へ持って行くことが可能ならばその逆も有りだろう。
(そうなるように仕向けたつもりだったのに何故?何故?)
何故?と思案していたアマーリアは大神官の言葉に、はっとした。
「お二人の強い絆と愛でこの苦難を乗り越えられるでしょう。このゲーゼ、及ばずながら――」
「ゲーゼ、お前の力添えはいい。毎日祈祷でもされたら気が滅入るだろう」
ゲーゼの話しをレギナルトが遮った。
「皇子!またそのように私をのけ者にされて!そもそも私はこの――」
「もう良い。全て承知した」
「まだ、何も言っておりませんぞ!だいたい皇子は――」
分かった、分かったとレギナルトがゲーゼを相手している。
(愛?そんな言葉で片付けるわけ?そんな馬鹿な···)
「···ア··アマーリア···」
アマーリアは皇子が自分を呼ぶ声に我に返った。
「アマーリア、先程は手荒な真似をしてすまなかった」
アマーリアは驚いてしまった。前世もそうだが傲慢を絵に描いたような皇子が位も何も無い只の神官に詫びるとは思わなかったのだ。普段の態度から考えられないだろうがレギナルトは自分が悪いと思えば認める度量を持っている。
「···貴方でも謝るのね?正直驚いた」
「こ、これ!アマーリア」
流石に鷹揚なゲーゼも彼女の皇子に対する態度を注意した。しかしレギナルトは珍しく笑った。
「はははっ···ゲーゼ、この者は将来有望じゃないか?この私に対等にものを言う度胸。そうそういないだろう?将来楽しみだ」
「皇子もそう思われますか?私も常々この者には期待しておるのですよ」
「いずれにしてもアマーリア、ティアナのことを頼む。彼女の相談相手となって良き道へと導いてくれ。ゲーゼより頼りになりそうだからな」
「皇子!それはどういうことですかっ!私は常に――」
「もうよい。分かった、分かった」
「まだ何も申しておりませんぞ!」
ゲーゼをあしらう皇子もそしてそれを見ているドロテーも笑っていた。しかしアマーリアは笑う気分では無い。心は暗く沈んでいくばかりだ。
「ア、アマーリア?」
アマーリアは名を呼ばれて、はっとした。
「まだいたの?ルーベル」
冷たくまだいたのかと言われたルーベルは怯んだが彼女のことが心配だった。再会した幼馴染は昔の面影は無くとても変わっていた。明るく快活なアマーリアは貴族の娘なのにルーベルのような平民とも分け隔て無く付き合い、屋敷を抜け出しては共に遊んだものだった。彼女の親は良い顔はしなかったがアマーリアは関係無いといつも笑って言っていた。
そしてルーベルを通してアマーリアはツェーザルと出逢ってしまった。彼はルーベルにとって親友と言うよりも兄のような存在だった。平民でも医者の卵だった彼は博識で優しく、まだ子供の域を出ないようなルーベルやアマーリアにとってはとても大人に見えただろう。アマーリアが恋に落ちていくのに時間はかからなかった。初めて恋を知った初々しいアマーリアは輝くようでルーベルはその時、微かな嫉妬と共にもう一緒に駆け回って遊ぶような子供では無くなったのだと感じたのだった。優しく明るい笑顔を絶やさなかった彼女は皮肉な冷笑しか浮かべず、人を傷付けるような言い方をする。これがツェーザルとのことが原因なら尚更彼女に話さなければならないと思った。
「アマーリア聞いて!ツェーザルは――」
ルーベルはアマーリアの刺すような冷たい視線に言葉を呑み込んでしまった。それはまさに憎悪だった。こんなに悲しく冷たい憎悪を宿す瞳をする人物にルーベルは今まで会ったことは無い。
「ア、アマーリア···あの···」
「みなさん、わたしは忙しいから下がらせてもらうわ」
アマーリアはルーベルを無視して唐突にそう告げるとさっさと去って行った。大神官はもちろん皇子が共にいる中で許しも無く去るなど考えられぬものだ。しかしレギナルトは意外にその態度を不快に感じないようだった。
「彼女は神官達の中では浮いているであろう?」
レギナルトはアマーリアの後姿を見送りながら言った。
「はい··まぁ···さようでございますね。優秀ですし··しかし民衆には人気がございます」
ゲーゼは冷や汗を流しながら答えた。
「先帝から聞かされたお前の昔話しを思い出すな。大神殿の鼻摘み者···」
「ゴホン!そのような昔話しを持ち出さなくてもいいではありませんか!」
「えっ?大神官様はそう呼ばれていたのですか?嘘みたい!」
ドロテーは興味津々にその話題に身を乗り出した。
「自分のしたいことを勝手にする頑固者。先帝···祖父の前であろうと、皇子だった父の前であろうと、皆に対する態度と一緒だったとか?しかし奔放過ぎてお堅い神官達からは嫌われたが民衆には大人気···良く似ているじゃないか?」
「へぇ~大神官様って気さくでも昔から厳格なお方だと思っていましたけれどそうだったのですね」
「むむむ···皇子、私の大神官としての威厳が失墜するではないですか!」
「威厳?あったか?そのようなもの?」
「皇子!」
レギナルトは愉快そうに笑ったが、すっとそれを引いた。今まで笑っていたのが嘘のような顔だった。まるで周りの空気さえも変わってしまったかのようだ。
「いずれにしてもティアナが心配だ。思いつめなければいいのだが···」
ドロテーは細められた皇子の瞳が憤っているのを見た。
「···前世とはいえ··覚えがないとは言っても彼女を苦しめた自分が憎い。何故彼女の心が分からなかったのか···」
「皇子···」
「―――思えば私も同じだったな···ティアナが死に掛けて、やっと彼女の気持ちが分かり、心が通じあったのだから···過去は繰り返すか···だがティアナが視た結末には絶対させない。例えそれが定められた運命だと言われても、どのようなことをしても逆らってみせよう。神が創った全ての歯車を壊してでも新しく創り直してみせる。ティアナを守る為に」
ゲーゼは大きく頷いたがドロテーはその皇子の言葉を聞いて何か引っかかるものを感じた。
(ティアナ様の視られた前世は少し前のお二人のよう。すれ違い続けた心···昔はそれを嘆いてご自分で命を絶たれ、現世では妖魔から受けた傷で死にかかって···ここまでは同じ?同じよね?じゃあ今はいったい過去で言えばどの部分なの?前世で心は通じあってなかったのよ···変だわ。でも昔は命を絶たれているのだからその後なんか無い···やっぱりこれからその不幸が起きるの?なんだかしっくりこないのよね?)
前世、前世とその話しに振り回されているが現実主義のドロテーには理解出来なかった。
(皇子ってそんなものと言って気にも留めないと思ったのに意外だったわ···でも···皇子として生まれた時点で、私にとっては不思議と思う盟約の血を継承する本人なんだものね···それこそ自分自身の存在自体が不思議だからかな??)
「ドロテー、何をしている?さっさとティアナの所に戻れ!そして私の気持ちを伝えよ―――運命に逆らっても愛していると」
「あっ、は、はい。え?皇子は行かれないのですか?」
行ってもらっても困ると思ったドロテーだが一応聞いてみた。しかしいつも傲慢で向うところ敵無し!という感じの皇子が少し気弱で肩が落ちている様子だ。ドロテーは珍しいものでも見たかのように目を見開いた。
「·····今日のところは行かぬ方がいいだろう···急に気持ちを押し付けてもティアナが苦しむだけだと思う。慎重に接していくしか無いだろう」
「皇子がそのような事を言われるなんて私、正直驚きました。確かに自分を強姦した相手がまた強引に何かしたら女として嫌ですものね。あっ!す、すみません!」
失言だ、とドロテーは思わず口に手を当てたがレギナルトは眉間に皺を寄せただけで怒らず無言でその場を後にした。ほっとしたドロテーも後を追うように去って行ったので、残ったのはゲーゼとルーベルだけとなった。今更ながら大神官は何故かこの場にいるルーベルが不思議に思い声をかけた。
「そういえばルーベル、そなた此処で何をしておったのじゃ?」
「あの···アマーリアは僕の幼馴染でして···久し振りの再会だったので話しかけていた途中だったのです」
「アマーリアと?そうか···そなたが彼女と···アマーリアは昔からあのように冷めた瞳をしていたのであろうか?」
「え?大神官様···何を?···」
ゲーゼは肩を落としながら大きな溜息をついた。
「彼女と最初に会った時、あの並外れた前世術の能力よりも冷たく凍った瞳が印象深かったのだよ。冷たい瞳をしたものなど沢山いる。現にレギナルト皇子も冥の花嫁に会う前はそのような瞳をしていた。皇子の場合は愛に飢え現実に飽きた空虚さ。しかし彼女の···アマーリアの瞳は只冷たいというだけではなく哀しみを通り越して···いや違うのう。哀しみのまま凍った色をしておった。神官になろうとするにはそれぞれの想いがある。本当に信心深い者に、奉仕精神の強い者。または食べる為だとか、過去を捨て新しく生まれ変わろうとしている者など様々。でも彼女はそのいずれも当てはまらない···神官となれば過去を切り捨てるようなものだから詮索するつもりは無いのだが···彼女の心がこのまま止まったままならば残念でのう···」
「残念?何が?ですか?」
ゲーゼが少し愉快そうに笑んだ。何かを企んでいるような感じだ。
「それはさて置き。先程の問いは?ルーベル?」
ゲーゼはルーベルの問いをさらりと避けて再度聞いてきた。
「僕も今日、驚いたのです。彼女のあまりの変わりように···大神官様!僕に懺悔させて下さい!本当はアマーリアにしたかった。でも、彼女は聞いてくれようとしないのです···」
深刻なルーベルの様子にゲーゼは頷くと場所を室内へ移したのだった。