原因の追究
確かに我を忘れて欲望のまま彼女を閉じ込めようとした。しかしその理不尽な扱いをティアナは受け入れてくれた。彼女の瞳は何か強い意思を持っているようだった。それなのに何故?急変したのは本人も気付かなかった痣を見た時からだ。レギナルトは悶々とベッケラートがティアナの部屋から出て来るのを待った。
そのティアナはゆったりとした夜着に着替えさせられ自分の寝台に寝かされた。ベッケラートの指示に従って息を吸ったりはいたりと呼吸を整えた。
「どうだい、少しは楽になっただろう?」
「ティアナ様、大丈夫ですか?」
ティアナは興奮状態から落ち着きを取り戻していくのにしたがって身体の痣が薄れ始めていた。ドロテーはそれを目の当たりにして驚きを隠せなかった。だがベッケラートにそんな様子は見受けられない。
「せ、先生···ティアナ様の痣···」
「―――後で話す」
ベッケラートは険しい顔をしてドロテーにだけ聞こえるように言った。
「お嬢ちゃん、もう今日はゆっくり寝た方がいい。気持ちが昂ぶると今みたいな症状が出るちょっとした病気みたいなものだ。だから今は何も考えないことだ。薬を処方するからぐっすり眠れる筈だから。いいね?」
ティアナは先程から声をかけても返事どころか目を合わせることさえしない。まるで二人が近くに居るのが迷惑なような感じだった。
「ティアナ様、どうなさったのですか?ティアナ様!」
ドロテーはティアナに無視されるのが堪らなくなって訴えた。ティアナは俯いたままだったが泣いているようだった。肩を震わせ涙がぽたぽたと寝具に染みを作っていたのだ。
「テ、ティアナ様···私···責めるつもりでは···」
ドロテーは自分の口調がきつくなっていたのを感じた。もう自分が泣きたい気分だった。辛うじて泣かなかったのはベッケラートがそっと力付けてくれるように肩に手を回してくれたせいだろう。
「······ご、ごめんなさい···ドロテー。私は皇子と約束したの。皇子以外と話さないし会わないって···だからお願い、そっとしていて···私、皇子の部屋に帰らないと···」
「なんですって!皇子は何考えているの!ティアナ様を閉じ込めて自分だけ見ていろとでも言うの?そんな横暴許されるわけ無いでしょう!」
「そんな横暴が許されるのが皇子だろう?男として分からんでも無いがな···」
「先生!何言っているのですか!」
恋人から、きっと睨まれたベッケラートだったが瞳は妖しく光っているようだった。
「オレだって願望はあるさ。お前を公爵家の秘密の部屋に閉じ込めて誰の目にも触れさせたくないってな···」
「せ、先生···」
ドロテーは声を落とし獲物を狙う獣のように瞳を細めた恋人を見た。しかしベッケラートはくだけた様子で肩を竦ませた。
「な~んてな」
「せ、先生!ふざけて!もう、知らない!」
ドロテーはぷいっと横を向いたが、今はティアナの事が先決だ。しかしベッケラートが彼女を黙らせた。
「お嬢ちゃん、いずれにしてもその約束とやらは少しお預けだ。オレを皇子が呼んだ時点で自分から破っているんだからな。皇子にはオレからも話してみる。だからその件も考えずに今は眠ることだ。いいね?」
ティアナは小さく頷いた。ベッケラートは薬を処方し飲ませるとティアナが眠るまで様子を見ていた。静かな寝息が聞こえ始めたところで診察道具を片付け始めた。
「さて、外では猛獣がウロウロしているだろうな···気が滅入る」
「先生、ティアナ様のあれは···」
「ああ、あれは心理的なものだ。例えば以前、心に残るような傷を受けてその時受けた身体的なものが浮び上がってくる···子供なら親からの虐待だとか女なら···」
ベッケラートが珍しく言葉を濁した。
「女性なら···まさか!」
「ああ···思っているような状況が多い。過去に何度か診察したことがある。だいたいこれの場合、そういう恐ろしい目にあって日も浅いうちに現れるのが多いんだが···対象となるのは同じ男だったり、似た男だったりとそれは人によって違うがそれらと接触なり見たりするだけでこの症状が現れる。所謂思い出すんだ。その時の恐怖を···な」
「まさか皇子が無理やりだなんて···いいえ、それは無いわ。そんな事をされたのならティアナ様の様子が変わると思うけど···」
ドロテーは侍女と言っても四六時中共に居る訳では無いから絶対にとは言えなかったから言いよどんでしまった。
「皇子は白さ。やったなら少しは気持ちも落ち着こうが、あれはまだだな。余裕無く焦っているだろう。完全に皇子じゃない。と、言うことはだ···はぁ~こんなこと皇子に言えるか?愛しの花嫁を襲った男がいたようだ···なんて」
二人は黙り込んでしまった。そんな事は口が裂けても皇子に告げることは出来ないだろう。それを知った時の皇子の怒りが手に取るように分かるからだ。外では今か今かとベッケラート達が出て来るのを皇子は待っているだろう。
「ああ、もうっ!これが悪い夢だったら良いのに!」
ドロテーは現実逃避したい気分だった。しかしその時忘れていた事を思い出した。
「あっ、ちょっとまって!夢?そうよ、夢だわ!ティアナ様はやっぱりあの前世術をしてからがおかしくなったわ。あの時も倒れられたし···」
「前世?内容は聞いているか?」
「いいえ···教えて頂けなくて···でもあれは実体験したような感覚があるとか言っていたからもしかして···」
「可能性は大きいな。本当にそれが噂通りそれ程鮮明だとしたら説明が出来る」
「私、女神官アマーリアに会って来ます!原因を突き止めないと!」
「そうだな。原因が分からないと治るものも治らないからな。しかし···皇子を納得させるには骨だぞ。そんな術のことでも言った最後、その女神官の首が飛んじまう。移転問題が山積の中で神殿側と揉めるのは厄介だ」
「そうですね···でも、先生なら出来るでしょう?ねぇ?」
「ぐっっ···こんな時だけ甘えたような言い方をするなんて卑怯だぞ!」
「せんせい?」
ドロテーが滅多に見せない甘えた顔に弱いベッケラートだった。
「ああ、もうっ!分かった、分かった!奴はオレが何とかする!」
結局ベッケラートは一人で荒れ狂う皇子の相手をする事になってしまった。そしてティアナの部屋から出てきたベッケラートをレギナルトは噛み付くように問いただした。
「ベッケラート!何がどうなっているんだ!ティアナは?ティアナは大丈夫なのか!」
「ああ、お嬢ちゃんなら問題ない。今は眠っている」
「あれは何だ!」
レギナルトは当然あの痣のことを聞いているのだろう。ベッケラートは出てきた部屋の扉を再び開いて皇子を誘い入れた。そして寝室へと向う。
「ティアナは眠っているのだろう?起きたら···」
「大丈夫だ。薬で眠らせているから地震が来ても起きないさ。さあ、自分の目で確かめるといい」
開け放たれた寝室の奥の寝台にティアナは静かに眠っていた。レギナルトは近づきティアナを見た。そっと触れたが身じろぎ一つしない。本当に起きる気配は無いようだ。彼女の腕を取り、袖をめくったがその痣は見つからず、更に夜着から肩をはだけさせてもあった筈の痣は見受けられなかった。
「···そんな馬鹿な···」
レギナルトは信じられない思いで立ち尽くしていたが、ベッケラートに促されて寝室から出て行かされた。
「ベッケラート、どういう事だ。説明しろ!」
皇子相手に下手な嘘は言えない。真実を織り込みながら誤魔化すしか無いだろう。
「あれは一種の心理的なものだ。言葉や態度に現せない···もしくは我慢しすぎてそれが限界になった時に身体に現れる。所謂、深層心理の中の拒絶反応···」
嘘は言っていない。ティアナの場合、その拒絶と恐怖の再現だからだ。
「我慢の限界?何が・・・」
「皇子、あんた、お譲ちゃんを閉じ込めようとしただろう?まぁ~オレもそんな衝動が無いとは言わない。それってかなり不味く無いか?」
「お前には関係無いことだ。ティアナは承知している」
「ああ、確かにな。真っ青な顔をしているのにお前の部屋に帰るって言うだからな。呆れたさ。会えばまたひっくり返るだろうに···」
「私が···私が原因だとでも言いたいのか?」
レギナルトの憤った瞳がベッケラートを睨んだ。ベッケラートは犠牲者を出さない為にも原因は皇子にあると臭わせたかった。
「さあな。オレには関係ないんだろう?とにかく表の気持ちと深層心理は違うってことさ。だから自分の二通りの気持ちがぶつかってあんな事になる」
(ベッケラートの言い方だとティアナの本心は私を嫌っている?嫌う···)
レギナルトは〝違う〟と言いながら手を払い退け、恐怖の表情を見せたティアナを思い出した。
(まさか···本当に私を嫌ってしまったのか?まさか···)
レギナルトは思い当たる事が多すぎた。彼女の為にと思っていたことが裏目に出ていた。それも自分の傲慢さと独占欲からだった。
(それでもそれが今に始まったものでは無い。何か他に···)
レギナルトは完全に納得出来なかった。しかもあのドロテーが見当たらないことに不審を抱いた。このような状況なら一言二言文句を言いそうなのにこの場に居ないのがおかしかった。レギナルトは無言で踵を返した。ベッケラートは去って行く皇子の背中を見送りながら何とか言い包めたと胸を撫で下ろしたのだった。
ドロテーは急ぎ、大神殿へと向っていた。彼女を見たゲーゼがティアナの様子を聞きたがった。大神官はあの後、皇子を追いかけたが追い返されていたのだ。
「ティアナ様はご無事です。ゲーゼ様、申し訳ございません。今は急いでおりますので、アマーリア女神官を呼んで頂けませんか?内密に話したいことがありまして」
「内密?分かった。直ぐに呼んで来させよう」
しかし、アマーリアが見当たらないとの事だった。聖墓地に抜ける道で見かけたとの情報にドロテーは急ぎ向った。そしてドロテーが目にしたのはそのアマーリアと見知らぬ男との言い争う声だった。
「アマーリア、聞いて!ツェーザルは君を裏切ったわけじゃ無いんだ!」
「ツェーザル?誰それ?わたしにそんな名前の記憶なんて無いわ。それにわたしは貴方の事も知らない」
男は信じられないと言うように首を振った。
「本気で言っているの?アマーリア。僕はルーベル、ルーベルだよ!本当に忘れたって言うの?」
しつこく食い下がるルーベルにアマーリアは嫌そうに歪めた顔を隠しもしない。
「ルーベル?ああ、わたしの屋敷に出入りしていた花屋の息子ね」
煩く思ったのかやっとアマーリアは認めた。
「そうだよ。だったらツェーザルも知っているだろう?僕の親友だったんだから」
アマーリアの瞳は冷めていた。しかしその胸の内には滾るような怒りが揺らめいているようだった。偶然にも再会してしまった幼馴染のルーベル。彼は悪く無いがそれと伴って思い出してしまうツェーザル。
「親友?わたしは知らないわ」
アマーリアが生涯忘れないと誓っている男の名前を忘れるわけは無い。触れられたく無い過去を思い出させるルーベルを退けたかった。
「う、嘘だよね?アマーリア···忘れるような仲じゃなかっただろう?ツェーザルは―――」
ルーベルは言葉を呑み込んだ。アマーリアの冷めていた瞳が激しい怒りを宿したからだ。
「もういいと言っているでしょう。わたしに構わないで。聞きたく無いのよ、その名前」
ルーベルは伝えたい事があった。しかし心を完全に閉ざしている幼馴染がどこまで聞いてくれるものか分からなかった。
「アマーリア、それでも僕は君に伝えたいことがあるんだ。僕の行為は親友だったツェーザルを裏切る形になるかもしれない。でも!でも、僕は―――」
ドロテーはどうしようかと思ったが思い切ってその場に姿を現した。直ぐそれに気が付いたアマーリアはもう神官の顔をしていた。
「どうしたの?花嫁さんの侍女さん」
「あの···すみません。お話の途中に···」
ドロテーは、ちらっとルーベルの顔を見た。話しを遮られてしまった気弱そうな彼は今にも泣きそうな顔をしていた。
「いいえ、大丈夫。用は済んでいるわ。わたしに何か用?花嫁さんに何かあったの?」
「はい、その内密にお聞きしたいことがありましたので···」
ドロテーはルーベルを気にしながら言葉を選んで喋った。出来れば二人だけで話したい内容だ。こう言えばアマーリアも察してくれるだろう。
「彼女の視た前世は教えられないわよ。守秘義務なんだから」
アマーリアはさらりとドロテーの言おうとしていたものを断った。
「わかっています!でも、そこを何とか!」
「本人に聞けばいいじゃない?くすっ、でも教えないだろうけど···」
「そうです!何度お聞きしても教えてくれません!でも、多分、それが原因で体調が悪くなられて···」
アマーリアの愉快そうな顔が何かに気が付いて更に深まった。その視線の先には···
「ドロテー、何が原因だと?」
「皇子!何故、此処に!」
ドロテーの行動を不審に思った皇子が後を追って来たのだ。流石のドロテーも真っ青になってしまった。
「ドロテー、答えよ!」
皇子の燻る怒りが恐ろしく足が竦んでしまう。ルーベルも同様だった。しかしアマーリアは悠然と微笑んでいた。
「初めまして、レギナルト皇子。神官を務めているアマーリアですわ。こちらの方は先日ティアナ様に施した前世術についてお尋ねなんです」
「前世術だと?」
レギナルトもその噂は知っている。認識的にはベッケラートと大差無い。
「何の不満があってそんなもの!」
アマーリアが小馬鹿にしたように嗤ったのでレギナルトが、ギラリと睨んだ。
「失礼」
レギナルトにこんな態度をとるものなど殆どいない。ドロテーも怖い者知らずだ、とベッケラートから言われるがそれ以上だとドロテーは思った。
「それで、その内容は!」
「教えられません」
「何!」
レギナルトが目を剥いた。皇子の問いに真っ向から拒否する人間など殆どいない。
「命令だ!言え!」
「言えません」
「私の命令がきけぬと申すのか!」
レギナルトは剣の柄に手をかけた。
「おお皇子――っ、お静まりくだされぇぇ――」
もつれる足でよろよろと走って来たのは大神官だった。レギナルトが現れ嫌な予感がしたゲーゼは後を追いかけたが皇子の足の速さに追いつかなかったようだ。
しかしゲーゼの制止も聞かずレギナルトは剣を鞘から抜き放っていた。そしてアマーリアの首元に突き付けた。
「もう一度言う。話せ!」
アマーリアは剣を突き付けられているのに動じる様子も無く、レギナルトを見返していた。尚且つやはり微笑んでいるかのようだ。
「話せないわ」
「脅しと思うのか?話し易いように少しずつ切り刻んでやろうか!」
「どうぞ、ご自由に」
アマーリアは何でも無いように平然と答えた。
「ア、アマーリア!皇子、なりません!正式に抗議しますぞ!」
大神官は真っ青になって再び止めに入った。
「煩い!私に命令するな!お前も切られたいのか!」
レギナルトは完全に我を忘れている感じだった。これ程までに彼を突き動かすものはティアナへの強い想いだろう。ドロテーはそれが分かっている。だからコクリと唾を呑み込んで、叫んだ。
「皇子!そんな事なさったらティアナ様が嘆かれます!皇子をお許しになりませんよ!」
レギナルトはその言葉に、はっと我に返った。怒りに任せて冷静さを完全に失っていた自分に驚いた。もうすこしでゲーゼを手にかけるところだったのだ。呆然と立ち尽くすレギナルトの耳にアマーリアの愉快そうな声が聞こえてきた。
「気が変わったわ。特別に教えてあげる」
アマーリアは言ったように気が変わったのでは無い。最初から折りを見て皇子には伝えるつもりだった。ただ本人がこんなに早く駆けつけて来るとは思わなかっただけだ。これを告げることによる更なる混乱を期待していた。一途に愛を信じているティアナの幸せが崩れていくのを見たかった。
「彼女が視たもの···それは―――」
女神官は厳かに語りだした。しかしその内容は驚くものだった―――




