第201話 助け出すには
伸縮自在。
魔力の槍にその性質を持たせた魔法。当時、他の武器への応用が敵わなかった魔法の一つ。
使いどころこそ限られているものの、その有用性はかつての戦いの中で十分に証明されていた。
「ぁ……ぇ……」
「上だ。今は何も考えずに、とにかく上を見て。そのまま腕に……そう、しっかり掴まっておいてくれ」
一度、完全に突き刺す。
それから岩壁の内側で新たに返しの部分を作り上げることで姿勢を保持。
今のところ抜け落ちそうな気配はない。先に壊れるとしたらそれは間違いなく《魔力槍》の柄の部分。
(さすがにこのまま支え続けるのは厳しいか……!)
徐々に縮めながら近づいている今でさえ悲鳴を上げている。一気に縮めようとすればそれこそ折れる。確実に折れる。
本来必要とされている数倍の魔力で適宜補っているにもかかわらず、だ。
(この風がなければ、あれこれ悩むこともなかったろうに……)
原因は分からない。
ただ、走っていた車の前に何かが落ちた。その衝撃で車体は大きく揺れ、話を聞こうと近付いていたマユだけが放り出された。
今まで走っていたのは悪路としか言いようのない道。
安定性も何もあったものではない。あの場所を通るしかなかったのだから、仕方がない。
少なくとも魔物や魔法による攻撃ではない。
直前まで一切、何の気配も感じられなかった。
「ここって、一体……」
「何、ちょっと派手に空を飛んだだけだ。何も心配なんてしなくていい。皆も無事だ」
「……かなり派手にぶっ飛んだみたい、ですけど」
「いつもの高速飛行を思えばこのくらいはなんとも。ほんの少し風が強いくらい、で……っと!」
そうしてやっと、露出した岩肌が近付く。
多少の凹凸こそあるものの、足を駆けるにはあまりに心許ない断崖はすぐ目の前。
(一息つけるだけのスペースが……言っても仕方ないか)
壁に張り付いても全身を激しく揺さぶる風は一向に収まらない。
おそらく自然に発生したものではない。ここまで膨大な魔力の流れを伴うことはない。
そもそも、この周囲が特殊な環境に置かれているのだろう。
靄のような何かに包まれた地面も含めて、だ。
レティセニアの隣の町。
そこから先の大まかな経路はともかく、詳細な地図までは頭に残っていなかった。
道幅の狭さと、その他に少々。例の湖とは方向も異なる。
それに、この辺りの土地はそこまで標高が高いというわけでは無かった覚えが……
「……ほんとに大丈夫、ですか? 腕に、力が……」
「マユとの勝負に比べれば軽い軽い。それよりマユは? その姿勢も楽じゃないだろう」
「……力が強いから平気、です」
迂闊。
「すまない、今のは言い方が悪かった。……ここぞという時にマユが頑張ってくれるおかげで助かっているのも本心ではあるんだがな」
「だったら次はもっと普通に言ってください、です。……言われるのは嫌じゃない、ですから」
「それは確かに」
こんな状況、混乱してもおかしくないだろうに。
未だに《飛翼》を使っていない理由も、マユならきっと分かっているだろう。
俺一人なら最悪どこにどうぶつかろうと構わないが、その理屈を仲間にまであてはめられるわけがない。
「しかしこの状況……皆には先に行ってもらうしかないな、さすがに」
「探しにきそう、ですけど」
「少なくとも御者さんは止めてくれるだろう。……この風のことを全く知らないとは思えない。それに、今はサーシャさん達に合流してもらった方がいい」
「つまりまた減点、ですか」
「はは、最初に下限を決めておけばよかったな、これなら」
しかしどう見ても登るのは難しい。
登ることが出来ないのであれば、下へ向かう必要がある。
「ちっ……!?」
不意を突かれる形であったとしても、やろうとしていた内容と大差ないなら構わない。
「いや、ちょっ…………えぇ? これさすがにまずくない? いくらなんでも追いかけられないよ?」
強風に狭い道幅。
様々な悪条件が重なっていたからこそ、誰一人として下を覗き込むことはできなかった。
車両から降りたその場所から見えるものなどたかが知れている。
「……あの時、キリハは『飛び込むな』と言っていた。オレ達が向かっても、どうにもならない」
「でもこのままじゃ、キリハもマユちゃんも……!」
故に、今下で何が起きているのかさえ一同には分からない。
それがいっそう彼ら彼女らを不安にさせた。
キリハ達を追って崖の下へ向かいたくとも、その手段がない。安全に向かう方法がまるで存在しない。
(早く飛んで帰ってきてよ……! いつもはすぐにあの魔法使ってるじゃない!)
御者が前方の調査を始めてから既に二〇分が経過していた。
それでもキリハが、マユが戻って来ることはない。
「……すみません、お客さん方。このまま進むのはさすがに無理そうです」
「そんな……!」
「他の方法! 他の方法とか、ありますよね? ね?」
「そりゃまあ、なくはないですけど……」
御者は一度崖の方へ視線を向けて、すぐさま首を横に振った。
突然現れた障害物。
空から降ってきたそれは見事なまでに道を塞いでいた。
崖の下へ転がり落ちなかったのは、不幸であり幸運だった。
「こんな風の中に飛び込んだら私達の方が危ないよ。キリハ君が翼の魔法を使わないのも多分そのせい。……マユちゃんのことはすぐに引き寄せてたみたいだから、そっちの心配はなさそうだけど……」
「だからってほっとけるわけねーですよ。あいつら食料だってほとんど持ってねーのに」
「そうなんだよ? そうなんだけどね? 命綱があっても下るのはちょっと、かなり……うん。……多分、もう一人いなくなるだけだと思う」
その上、そのもう一人にキリハの手が届く保証もなかった。
仮に届いたところで、結果的にキリハの負担が大きくなってしまうだけ。
(あの岩が、なかったら……)
食料の入ったカバンを投げ込もうにも、この突風。
どちらへ飛ばされるかもアイシャ達には分からなかった。
ましてキリハとマユの所在が掴めない今、投げる方向を誤れば二人に直撃する恐れもあった。
「他の場所からあの下まで行けばいいんですよ。キリハさんもマユもきっと無事ですから。下に行く方法ないんですか? ありますよね??」
「そりゃ勿論……ただ、この辺りじゃ町に向かうしかないんです。そこからでもちょいと日数が……」
「なんでもいいですから! その中で早い方法を教えてください!」
現状、それしか方法がない。
深々と頭を下げたユッカに続いて頼まれ、御者も話すしかなかった。
また別の問題を抱えているその方法を。
「……本当なら、向こうの町まで行く方が早いんです。あの辺りに出向く連中も多いですからね。ただ、お客さん達が経由した町からとなると……」
「もしかして、時間が……」
言葉はなくとも、頷いた御者の男を見れば十分だった。
(……じゃあ、やっぱりあっちに……)
アイシャが一度思いつき、しかしすぐには実行に移せなかった方法を試そうと決意するには十分だった。
「ん~……さすがに戻った方がいいんじゃないかな、これは……できることなら向こうの街に行きたいところだけど」
「そりゃこの岩がなかったらそうでしょーけどね。捨てようにもぶっ壊そうにもできそうなやつが揃いも揃っていねーですよ」
「そこなんだよねぇ……」
(……大丈夫。きっと)
目を閉じ、これまでの練習を何度も思い返し、密かに頷く。
「…………ね、リィルちゃん。レアムちゃんもイルエちゃんも。ひとつ、お願いしたいことがあるの」
何も言わないアイシャ達へ視線が向けられたその時、アイシャは静かに目を開いた。
「あの岩、魔法でちょっとだけ浮かせられない?」
かつてストラに魔物が押し寄せた時と同じ、固い決意をその目に宿して。




