第195話 神秘の雫
(っ……)
この痛み方、覚えがある。
扱える魔法の限界を明らかに上回ったとき特有の頭痛。
脳の処理能力を超えてしまったが故に起きてしまう現象。
「『……で、結局アテとかあるんです? まさか何も考えずに行けー、進めー! とか終わったアイデアで勝負するつもりなんてないですよね?』」
「そうならないようにさっきから飛ばしているんだろう、《小用鳥》を」
ただでさえ、目の前の魔物に意識を向けなければならない状況だというのに。
派手に暴れたからだろう。
知らずの内に縄張りを荒らしてしまったらしい。森の奥から現れたのは、赤毛の熊。
そうとしか言いようがない。
「『あー、はいはい。そういえばトカゲもうろついてましたねー。……それから?』」
「と、言うと?」
「『こっちが聞いてるんですよ? まさか、まさかそれで終わりじゃないですよね? そんなんのあのおとぼけさんもびっくりですよ? 精度だってそこまで高いわけじゃないんですから』」
「お前達の力に比べればな。比較されたらさすがに敵わない」
おおよその大きさも、俺が知るそれと大差ない。
いとも容易く木をへし折り、次から次へと地面に新たな隆起を作り上げる。
ほんの少しでも《魔斬》を放つ手が鈍れば、満足にダメージを与えることも叶わない。
「『そのくせ、使用NGですもんねー。後悔してからじゃ遅いと思いますけど? この子が帰るって意味、本当に分かってます?』」
「まだ後悔だの何だの言うような段階じゃない」
動きも機敏。
周囲の葉をむしって投げつけ、目くらましかと思えば口からはいた炎で派手に燃やす。
展開した氷も、立て続けの爆発には耐えられない。
交叉された腕は、迷宮の剣をも阻む。
「すぐにでも戻りたいのは分かるがもう少しだけ待ってくれ。一人で向かって怪しまれたいのなら止めはしないが」
「『ま、問い詰められるのは残った誰かさんなんでそれでもいいんですけどね?』」
「お前の事を離さなくても伝える方法くらいすぐにでも用意できるとも。色々と」
殴り、切り裂き、進退を繰り返す。
炎熊のラリアットを潜り抜けて蹴り飛ばし、反撃の火炎放射を《斬水》で消滅させる。
「『まーた強がっちゃって。一、二個が限界って事くらいバレバレですよ? 見え張らなくたっていいのに』」
「一つでもあれば十分。とりあえず今のうちに楽な姿勢でも相談して決めておいてくれ」
そこから先は、根気の勝負。
刃と腕が何度も何度も混じり合い、衝撃で周囲の木々を軽々揺さぶり――
「『じゃあお姫様抱っこで』」
「あの人にさせられるならもう一回言ってみろ。鬼か、お前は」
(――《万断》!)
脳裏に直接響くヘレンの声に返したその時、勝敗は決した。
大きく仰け反らせた直後にはなった《万断》を、火を噴く熊に防ぐ術は残されていなかった。
たとえ火炎放射を放たれたとしても、結果は同じだっただろう。
「『残念、天使でーす♪』」
「……確かに残念だ。二重の意味、でっ……!?」
目の前を駆け抜けた光の刃。
いつ、誰が、どこから作り出したかなどわざわざ考えるまでもない。
……こいつ、いつの間に。
「『油断大敵、ですよ? この子のことさすがに見くびり過ぎじゃないですかねー』」
「人に罪を着せて楽しいか?」
「『またまた人聞き悪いこと言ってくれちゃって……ちょっとしたじゃれ合いですよ? うちらの仲じゃないですか。寛大な心で許すことも覚えましょうね?』」
「その言葉、丁寧に包装してねじ込んでやろうか。お前の支配領域に」
「『きゃー、乱暴。いいんですか? 口調、思いっきり崩れちゃってますけど?』」
「崩れるも何もあるか。お前にとってはむしろ、こっちの方がよほど馴染みがあるだろう?」
確かに、ユッカ達が聞けば驚くかもしれない。
何食わぬ顔で、あくまで宿主の表情のままのヘレンのような態度をとる機会などそうそうない。
見せるとしたら一体いつになることやら――
「『……あ、そうそう。ついでにもう一つだけ。はい、パース』」
突如放り投げられた、小さな結晶。
「…………は?」
思わず、目を疑った。
「お前、これ……」
さっきまで何を考えていたかも忘れてしまった。
それもたちまちどうでもよくなるくらい、衝撃的だった。
「『そうそう、それです。その顔ですよ。そのナニコレ完全に想定外!? って顔ですよねー、やっぱり。まだそんな顔が出来たってことに驚きですけど。いぇいっ♪』」
そんなことはどうでもいい。
よくはないが、受け入れるしかない。
今この手の中にあるそれが、今の今まで森中に使い魔とも呼ぶべき魔法を放ってまで探していた代物だということを。
「ヘレン、お前……」
「『だーかーら、言ったじゃないですか。精度だってそこまで高くないのに、って』」
だから。
「…………かもな。正直、助かった。ありがとう」
「『……別に、お礼言われるようなことじゃないんですけどね』」
助かったのは、疑いようのない事実だった。
急遽帰還を果たして、夜。
比較的余裕のある面子が集まり開かれた報告会の雰囲気はやはり微妙なものだった。誰かさんのせいで。
「ど、どうしてそんなことに……?」
「聞かないでくれ。俺にもさっぱりだ」
一体いつの間に見つけたというのか。
少なくとも俺が見ていた限りでは、それらしい動きを一度もしていなかった筈。
にもかかわらずこれだ。本当にわけが分からない。
「仕方ないよ。出来る範囲で確かめてたって言われたら何も言えないって」
その上、結晶に閉じ込め保護するとは。
「ぬか喜びさせられるよりはいいんじゃない? 途中で引き返す方が手間だし」
「とにかくこれで一歩前進、だな」
「痛む心配がないのはいいよね。うん。この調子でサクサクいけるといいんだけど……まあ、無理だよねー……」
既に入手のめどが立っているものが他に二つ。
今日手に入れる事ができた分の代金が浮いてもまるで足りないというのだから恐ろしい。
(一体、以前創り上げたという人物はどうやってこれほどの品々を……)
「その、キリハから見ても難しい? 私にできることならするから……」
「勿論その時は頼らせてもらう。ただ、やはり派手に飛ばすくらいのことはしないと間に合わないだろうな」
「……キリハもそう思う? 実はその、サーシャさんも『もし本気で揃えるつもりならそうするしかないと思います』って。でも……」
「正攻法では難しい、か。何、分かり切っていたことだ」
世界全域に《小用鳥》を向かわせるなど、どう考えても現実的な案ではない。
ただでさえ精度が低いという問題を抱えているのに。
大枚をはたけば手に入る。しかしその金額は想像を絶するほどのものだった。
眉に受かって言える筈などないが、事実上打つ手がないと言われても何らおかしくない状況だった。
正確なことまでは分からない。
だが、常に身体の魔力が欠乏に近い状態になることははっきりしている。
魔力切れ自体、本来可能な限り避けるべきもの。
そんなものが継続すれば身体にかかる負荷は並大抵のものではない。
あの世界に住まう大多数のように元々魔力を保有していなければ話は変わるが、こちらの世界では極めてまれな事例。
少なくともあのお婆さんは、若かりし頃には並の冒険者を優に超える魔力を有していたと聞いている。
つまり、何かしらの外的要因が存在しているということ。
それらを踏まえた上で導き出されたのが、まさに今求めている秘薬だった。
冥界より生まれし巨人の瘴気を払い除け、太古より生き続ける蒼き深淵に潜む大蛇の得をも消し得る唯一の奇跡。
眉唾物の伝承から、現存する国家で実際にあったという記録――それでも一〇〇年以上昔のこと――まで。
最後の頼みの綱灯される神秘の雫。それこそが今求めているものの正体だった。
伝説に挑むと思えばむしろ軽いくらいなのだろう。
さすがにもう悠長なことを言ってはいられな――
「あ、でもね、えっと……ここ。この場所。ここに行けば、同じものじゃなくても近い素材なら手に入るかもしれないって」
「山……? いや、隣の山との間の谷か? 一体どうして、こんなところに……」
「私も詳しいことは分からないんだけど、サーシャさんがね、よく似た成分を含んだものなら見つかるかもしれないって言ってたの。前に[ラジア・ノスト]でそういう話があったみたいで……」
正直なところ、にわかには信じがたい。
(生息地すら怪しいものがあると思えば……部の悪い賭けと言う程のものでは……)
しかし。
「ど、どう? 難しそうなら、他を探すとか……」
「いや、そこに狙いを絞ろう。明日の朝にでも、サーシャさんのところへ行って――」
『その必要はないですよ?』
聞こうと思った丁度その時。
その場にいない筈のサーシャさんの声が部屋に響いた。




