第146話 その頃、協会では
キリハ不在の夜。
「――キリハの弱点教えてください!!」
呼ばれたアイシャを待っていたのは、レイスの土下座だった。
「………………へ?」
戸惑い、目を擦ってもう一度確かめたが現実は変わらない。
支部のフロアの一角。テーブルの隣には頭を地に着けたレイスの姿がある。
入り口でアイシャと合流したばかりのユッカも同じく目を丸くしていた。
「見ろですレアム。本気で言いやがったですよレイスのやつ」
「提案したことを棚に上げるのは止めようね? リィルちゃんがキリハ君誘ってるのを見て思いついたのもイルエちゃんだったよね?」
「本気でやるなんて思うわけねーですよ。言っただけなんだから無罪でしょーよ」
「うーん、絵にかいたような責任逃れ。あ、ありがとね。みんな。集まってくれて」
「う、うん……?」
促されるまま席に着くアイシャ。
(ど、どういう状況……?)
その胸の内は戸惑いで覆われようとしていた。
手伝いを終えて間もないマユも、誰もレイスに起き上がるよう言葉をかけない。
トーリャでさえ、席に着いたまま頭を深々と下げていた。
その意図も、何もかもが分からない。
キリハとリィルを除いた面々で食事会を開くとばかり思っていたアイシャにとって、目の前に広がる光景はあまりに異様なものだった。
「その、さすがに座ってほしいんだけど……」
「教えてもらうまで動かない」
「えっと、そうじゃなくて……」
しかしアイシャが何度座るよう頼んでもレイスは動かなかった。
数は少なくとも冒険者がいないわけではない。人の出入りもある。
事の発端を知らない者は、今ある状況しか見ることができなかった。
(うぅ、聞いてくれない……助けてキリハぁ……)
まるで話が通じない。
ユッカは触らぬが吉とばかりに視線を逸らす。
助けを求める声も、アイシャの中で響くばかり。キリハに届くことはない。
助け船を出したのは、そんな状況を見かねたイルエだった。
「迷惑だから止めろってんですよバカレイス。目立ちまくってるじゃねーですか。いっそどれだけ注目を集めるか勝負したらどーです? それなら勝てるかもですよ?」
「……もし負けそうになったら?」
「その時はまあ……体はっときゃなんとかなるでしょーよ。キリハならそこまではしねー筈ですし」
「何させる気だよ!?」
やっと落ち着くと思っていた矢先だった。
イルエが言葉にしなかった提案も分からず、最早アイシャも言葉を駆ける事すらできなくなっていた。
まさか警備隊の世話になるような内容とは思っても見なかったのである。
「別にー? レイスの好きにすりゃいーんですよ」
「お前絶対とんでもないこと考えてるだろ……!」
ブレーキ役もなく、レイスもイルエもヒートアップを続けていった。
最早アイシャがどんな言葉をかけても耳には届かない。
(……ごめんね、二人とも……)
さすがのアイシャも今回ばかりは諦めるしかなかった。
目の前の状況を対処する術などある筈がなかった。
それができるかもしれない人物は傍観を決め込んでいる。何よりキリハがいない。
(ど、どうしてこんなことに……)
友人と、ストラでの夕食。
アイシャがかつて夢見た光景は想像していたものとはかけ離れたものだった。
アイシャが思い浮かべていたそれは、決してこんな理解不能なものではなかったのだ。
それでも、最後の望みをかけて傍観を決め込もうとしていた一人。レアムに視線を向ける。
「えっと、あれって……」
「あぁうん、そうだよね。こんな惨状見せられたらそうなるよね。アイシャちゃん達が来るまでの間にあっただけだから、今だけは許してあげて?」
「「惨状じゃない!」」
「その体勢でそれは、無理がある」
しかし問題が解決する筈もなかった。
ユッカからは肩を叩かれ、諦めるよう首を横に振られる。
アイシャから見てその更に向こう。
一足先に注文を済ませたマユも、大皿に盛られた料理を楽しむことに専念していた。
「向こうのことはいいですから教えてくださいよ。なんですかキリハさんの弱点って。」
「何って、言葉通りだよ。キリハ君の弱点。苦手。不得意分野。とにかくそんな感じ」
「……よくそれをわたしたちに聞こうと思いましたね……」
言葉に出すことはなかったものの、アイシャも同じ気持ちだった。
仮に知っていたところで、そんな話を本人の了承なしにできる筈がない。
たとえ仲間であっても答えられる筈がない。
その上、今はキリハが持ちかけた勝負の真っ最中でもある。
そんなタイミングにこんな質問。
アイシャもユッカもマユも、違和感を覚えるのは当然のことだった。
この場にいないリィルの反応も、アイシャ達の頭の中に浮かんでいた。
気に留めることなく話すとしたらそれはキリハ本人だろう、と。
「まあまあユッカちゃん。ここはレイス君達の奢りだから」
「オレそこまで言ってないよな!?」
「レイス君まさか一方的に教えてもらうつもりだったの? 本気?」
「え、いや……そういうわけじゃ……」
「なら決まりだね」
「ついでにこっちも払っとけですよ」
「便乗するなよ!?」
「そもそも教えるなんて言ってませんよ!?」
異様な場の盛り上がり。
普段であればそこにいる筈の一人の少年の姿はなく、それが結果的に他の冒険者たちの足を遠ざけさせた。
誰一人として気付いてはいなかったが。
(まさかわたしがごはん一回で喋るって思ってるわけじゃないですよね……? ないですよね?)
特にユッカは、そんな質問をされたこと自体納得できなかった。
そんなユッカの内心を、彼女の隣に腰かけるマユがいち早く察知する。
「それより、どうしてマユまで呼んだ、ですか? 一緒にいた時間ならレイスさん達の方が長そう、ですけど」
「そうでもないって。オレらはカウバに行ってないけど、マユちゃんその時も一緒だったじゃんか。だから何か知ってないかなって」
「あそこであったことならもう全部話した、ですよ?」
「もう少し、話を聞きたい。もっと言えば、道中も」
しかしトーリャ達の頼みに応じることはできなかった。
(いきなりそんなこと言われてもどうしようもない、です)
カウバへの旅は決して短いものではなかった。
幸い他に大きな事件に巻き込まれる事こそなかったものの、事細かに記憶しているわけではない。
「で、でも、どうしてそんなこと聞くの? そんなことしなくたって、ちゃんと勝負すれば……」
「それでもどうにもならないから聞いてるんだって!!」
「あれだけ譲らせてるのに負けかけてるのを見りゃ分かるでしょーが。勝ち目皆無どころじゃねーですよ」
「……それって、反則じゃないの?」
それでも話を聞こうとしたアイシャの目が微かに細まったのは、イルエの一言だった。
いち早く気付いたすかさずレアムがフォローに回る。
「キリハ君はレイス君やトーリャ君の癖も見抜いてそうだし、ね? そこをなんとか」
「なんとか、って、言われても……」
「キリハさん言ってたじゃないですか。模擬戦はやらないって。やりたいですか?」
「それされたらいよいよオレらに勝ち目なくなるんだけど」
「空に逃げられた時点で、終わりだ」
「まるで逃げられなきゃ勝ち目があるみてーな言い方じゃねーですか」
「うぐ……」
一つ目の勝負を終えた後、キリハが思い出して付け足した条件。
レイスもトーリャも、他の誰も反対はしなかった。結果が目に見えていた。
言葉に詰まるレイス。
僅かながら、静寂が場を包む。
しかしそれは、アイシャに結論を固めるために十分な時間をもたらした。
「……うん、やっぱり駄目だよ。そんなの。ちゃんとやらなきゃ」
「くっそぉおおお……!」
予想していた結果。それでもレイスはうなだれる。
そこへ声をかけたのは、レイスがひそかに期待していた人物ではなかった。
「……どうしたんだい? 七人だけなんて。キリハ君とリィルちゃんだけいないなんて珍しいね」
「二人ならお食事デートみたいですよ。七丁目の食堂で」
「そんな色気のある雰囲気じゃなさそーでしたけど」
「家族向けだからね。どちらかというと」
しかし、それはチャンスでもあった。
「そうだルークさん! ルークさんなら何か知ってないっすか? キリハの弱点とか!」
「…………また急だね?」
「キリハさんが二人に勝負を持ち掛けたせい、です。でも……」
「今のところはキリハくん優成なんだね。……こんなことを言うのはよくないかもしれないけど、予想通りの展開じゃないかな?」
「普通にやってるわけじゃねーですよ。こいつらが勝って当然ってくらい甘やかされてやがるです」
誰もなにも言わなかった。
ルークでさえ、苦笑いを浮かべるばかり。
「まあ、そういうこともあるよ。キリハ君が言い出したことには驚いたけどね。キリハ君の技を盗むくらいのつもりでいればいいんじゃないかな?」
「でもトレスで開く講演会の参加券がかかってると思うと……くぅ~……!」
「あ、あれを賭けてるのかい? 一体どっちから……」
「言い出したのはキリハさん、です」
最初マユは、驚く理由が分からなかった。
「押し付けようとするからこうなるんだよ……まったくリットは……」
「え、あれキリハさんがいかなきゃだめだったんですか? 全然興味なさそうでしたよ?」
「だと思うよ。脈絡もなく渡されただろうからね」
ルークが困り果てたような表情を見せた理由も。




