第116話 いっそ墓場まで
「やっぱり、まだアイシャさんたちには話していなかったのね?」
髪を束ねた上にわざわざ髪を黒く見せかけたエルナレイさんの声から、非難のようなものは感じられなかった。
買い物も終盤。買い忘れたものも特にない。
「まだというか、墓場まで持って行くつもりですよ。それこそジェアリーロの花言葉のように」
「そこまで重い意味ではないのだけれど……」
無茶な方法だと今更ながらに思う。
連想ゲームを成功させられたからよかったものの、『秘密』の一言から『暗号』に思い至るのは至難の業だった。
「お互い様と言うには少しあなたの責任が大きな気もするわね。何か理由でもつけてお詫びしたらどうかしら」
「あんな暗号仕掛けておきながら言うことではありませんよね」
奇妙な数字の羅列がなければ分からなかっただろう。
単語を組み合わせるという性質上、そこまで複雑なメッセージを送ることもできない。
使うのは『場所』と『伝えた』といった、短い単語同士。
あまり複雑化させるとかえって扱いづらくなる。
「あら、あくまであれは保険だったのよ? まるで私の性格に難があるような言い方ね」
「昼もアイシャ達を唆していたでしょう。そういうのがお好きなんですか?」
「唆すだなんて人聞き悪い。ただ、『折角の贈り物だもの。あなた達が倒すべきではないかしら』って、アドバイスしてあげただけよ?」
あの老人のことだ。
俺が倒した魔結晶も纏めたところで納得しないのは目に見えている。
結局のところ、もう少し言い方があったのではないかという話になるのだが。
「リィルさん達、目の色を変えていたわ。つまりそれだけ本気だった筈。……いいわね。愛されていて」
「からかわないでくださいよ。ミーナもいるんですから」
「『女を泣かせるやつはロクでもねぇ』ってお爺ちゃん言ってた!」
「それは間違いない」
孫娘になんて事を教え込んでいるんだ。あの人。
「――どこに行ったんですかぁっ!」
ユッカの怒号が森に響く。
ほどなく聞こえて来た翼の音に、思わずリィルは飛び上がってしまった。
驚いたのはお互い様。
飛び去った魔物達もユッカの声に驚かされただけである。
「ユッカちゃん、あんまり大きな声は出さない方が……リィルちゃんもびっくりしたみたいだし」
「し、してないわよ! 変なこと言わないでくれる!?」
「リィルさんが驚いたのは鳥魔物のせい、ですから」
「~っ!」
顔を赤らめたリィルをそれ以上いじるでもなく、アイシャ達は森の中を進んでいった。
後ろからマユに突進してきた男は振り返ることもせずそのまま逃げ去ったのだ。
幸い怪我はなく、アイシャとリィルが軽く砂を払うだけで済んだ。
しかし、ユッカの懸命の追跡も虚しく犯人はカウバから姿を消してしまったのである。
警備隊の青年が偶然見かけていなければ、こうして後を追うこともできなかっただろう。
ただぶつかって来ただけならユッカ達もある程度のところで諦めていた。
しかしその人物は、マユが貰っていたメモを奪い去っていったのである。
そのメモが何を意味するのか、アイシャ達も知らない。
しかし、マユがミーナから預かった事を思えばそのままにはできなかった。
ミーナは一度攫われ、店主も攻撃を受けた。
確かな繋がりがなくとも、嫌な予感を覚えずにはいられなかったのだ。
「でもやっぱりキリハに来てもらった方がよかったかな……またあの魔物が出るかもしれないし……」
「でもあれから一回も見てないじゃないですか。キリハさんが倒したので最後だったんですよ。きっと」
「じゃあ、出たときはユッカさんにお願いする、です」
「そこまで言ってないですよ?」
身体の各所に顔を持つ魔物。
その弱点はエルナレイから聞いていた。
しかし局所的過ぎる上に、本当に仕留める事ができるのかも分からない。
そんな不安がユッカの中には燻っていた。
残念ながら、ユッカにとってキリハやエルナレイの戦い方はとても参考にできるものではなかったのだ。
自分達の行動に気付いたキリハが来てくれると分かっていても、そこまでユッカ達の手で持ち堪えなければならないことに変わりはない。
「そういうのはいいから。駄目だったらその時はあのお爺さんに言うしかないじゃない」
「でも、これが『最後の条件』かもしれない、です」
「へ?」
そんな中、マユが提示した可能性。
魔物を始めとする薄暗い森という環境に意識を奪われていたために、アイシャもユッカもリィルも思い至らなかった可能性だった。
しかしそれはおかしな話でもある。
「あの人、明日って言ってなかった? どうしてそんなこと……」
「そこも含めて試験、だったり」
「そんなのあんまりじゃないですか。いくらなんでもセコすぎですますよっ」
「ほんとにね。マユをあんな目に遭わせていい理由にはならないじゃない」
いくらなんでもそんなこと。
アイシャ達がそう思うのは当然だった。
依頼に来た客を後ろから突き飛ばすなど、常識的に考えればありえない。
(でも、そういえば……)
その時アイシャの頭に浮かんだのは、まだリィル達と知り合う前のある出来事。
キリハと二人で魔法の練習をしていたところに突然現れ、キリハが襲われそうになったあの日。
リットによる奇襲に似ていなくもない。そんな風に感じていた。
同時にまたも湧き上がってきた怒り。
黒い感情にアイシャ本人が気付く事はなかった。
しかしそれはあくまでアイシャ自身の話。
触らぬ神に祟りなし、とユッカ達は何食わぬ顔で一歩後ろに退いていた。
「でも怪我にはならなかった、です」
「そう言われると……あ、あるかも?」
「アイシャまで説得されそうにならないでよ。そんなに気になるなら戻って聞いてみる?」
「もしそうでも、素直に答えるわけないじゃないですか。なんですかリィル。まだ怖がってるんですか?」
「べ、別に? あいつやエルナレイさんもいないのに町から離れない方がいいってだけで――」
「――わっ!」
「ひゃぁああっ!?」
言い訳は続かなかった。
明後日の方向を向いたリィルの視界から外れ、背後から肩を叩く。
予期せぬ接触にリィルは甲高い声を抑えられなかった。
「えっ、あっ……ちょっとユッカ! いきなりなにしてくれるのよ!」
「怖いなら怖いってちゃんと言ってくださいよ。そのくらいみんな分かってるんですから」
「じゃあわざわざ脅かさなくてもいいでしょ!」
顔を真っ赤にしてリィルは叫ぶ。
心臓が飛び出るような思いをしたリィルにしてみれば到底納得できるものではない。
呆れたようなユッカの態度に小言で収まる筈もなく……
「あ、あははは……そういうことならやっぱり今日は戻ろっか。キリハも心配してると思うし」
「そろそろ《小用鳥》を大量に飛ばしてそう、です」
「……もしかして、あれとか?」
「あれは星、です」
空に浮かぶ光点。
アイシャ達のいる場所からそのシルエットを正確に捉えることはできない。
何よりアイシャは、探される側の立場から《小用鳥》を探したことは一度もなかった。
ひったくり犯こそ見つけられていないものの、それ以外は平穏そのもの。
(あれ……?)
そう思っていたのも束の間だった。
「ね、マユちゃん。今何か聞こえなかった? ぴーって、高い音なんだけど……」
「アイシャさんも、ですか? 実は、マユも――」
その時、閃光が駆け抜けた。
「「「…………え?」」」
アイシャ達の目の前を過った一筋の光。
その姿をユッカもリィルもはっきりと目にしていた。
まるでキリハの《魔力槍》のようなそれは速度を落とすことなく突き進み、ほどなく木に突き刺さる。
次の瞬間、強烈な光がたちまち辺りを覆い尽くした。
「ちょっ……なんなんですか! リィル!?」
「いるわよここに! もう……なんなのいきなり!」
暴力的な光は一瞬で消え去った。
しかしあまりに凶悪な明滅に、アイシャ達の視界も揺らぐ。
そして。
「ね、ねえ……あれ……」
震えるアイシャの指が差すのは若々しい緑をつけた木々の隙間。
そこでは、奪われたメモに記されていた八面体が怪しく光り輝いていた。




