第114話 引っ張り上げるように
「……思うところがないと言えば、嘘になるだろうな」
躊躇いのようなものはまるでない。
奥底に埋めておいたそれを、そっと引っ張り上げるように吐き出した。
「それこそあんな……自分にとってかけがえのない人にまで喧嘩を売るようなことまでして。いつ自分に粛清の矢が向けられるかも分からないのに」
「しゅ、粛清? 急に物騒な話になったんだけど?」
「反逆。謀反。どうとでも言える。相手が相手なら既に罰が下されていてもおかしくない」
イリアをそれらと同一視するつもりは微塵もないが、そういう話は珍しくないと聞いていた。
具体的な事例は知らない。
何せ俺が知っているのは主に絶対の忠誠を誓い、どれだけ虐げられようとその石を曲げなかったような者ばかり。
ごくわずかな例外も、結局そういう形にはならなかった。
「……あんたの町にもいたのね。そういう人。なんかちょっと意外」
「いないわけがない。幸い、今逃げ回っている――ヘレンと呼んでいたそいつに限っては、今のところその心配もないが」
「ヘレン……ね」
「そっちの方が『響きが好き』らしい。その辺りは俺にはなんとも」
本来の名も、決して気が遠くなるほど長いわけではない。
知られる事による弊害も特に聞かされなかった。
むしろ俺達の前で本来の名を平然と呼んでいたやつさえいる。
ヘレン本人はその都度抗議していたが、結局そのまま改善されることはなかった。
「でもそれならどうしてあんな不安がってたわけ? 心配なのは分かるけど、そのヘレンって人があんたのこと考えてないわけないじゃない」
「いや、ちょっと待ってくれ。別に不安がっていたというわけでは」
「何よ。これ以上誤魔化す気?」
「……誤魔化しているつもりもないんだが」
「でも何か理由くらいあるんでしょ?」
不安があるとしたらそれこそ心配のようなもの。
今更にも程のある話だが、いくらなんでも迂闊が過ぎる。
スタンドプレーめいた行動はこれまでにも確かにあったが、今回はわけが違う。
何よりあまりに目的が不透明だった。
なんて、思考を脇道に逸らしても意味がないことくらい分かっている。
「恥としか言いようのない話だ。不快だったら聞き流してくれて構わない」
「そんなことしないわよ。あたしから聞いたのに」
「それにね。こんなこと言いたくないけど、あんたにはもう恥ずかしいところ何回も見られてるのよ。お互い様じゃないの」
「待ったリィル。その言い方は周囲に誤解を招く」
「誤解? ……? …………っ!? あ、あんたなに考えて――!!」
「一旦抑えて。今ならまだ周りの客に気付かれずに済む」
「~っ!」
精々胡散臭い商品を買わされそうになったとか、ユッカにあれやこれやで図星を突かれた時とか。
精々そのくらいのものだろう。
口が裂けてもリィルにそれを直接言うつもりはない。追撃にしかならない。
あんな言葉を口にした意図くらい、さすがに分かる。
「昔の……魔戦を終わらせる事ができるかもしれないある可能性に辿り着いた頃のことだ」
それより今は、話を戻すべきだろう。
「信頼していると言いながら、結局そいつの言葉を何度も無視した。俺を心配してかけてくれた言葉だと知っていながら。それが原因でしばらくは顔を合わせてもほとんど会話すらしなくなった」
思いつくことはできるだけ話した。
魔戦の醜い部分や、向こうの世界にしか存在しないものを喋らないよう気を付けながら。
「……ひとつ、聞きたいんだけど」
あえて相槌を打つだけに留めてくれていたリィルは、俺が話し終えたところでやっと口を開いた。
「その人のこと、好き?」
「……何?」
だがあまりに唐突な質問でもあった。
思わず、聞き返してしまう程に。
だが、答えはあった。
「人としてなら勿論、今でも。だがその顔……恋愛的な方か」
下世話な興味本位でないことは一応、理解している。
このタイミングでそんな質問をぶつけた裏の理由には見当もつかないが、真面目な話であることだけは間違いない。
「……正直、考えたこともなかった。だから答えようがない」
リィルの反応はやはりいいものではなかった。
そういう認識を持っていなかったと考えれば、親愛の情だと片付ける事もできる。
だが。
「一つ言えるとしたら、恋愛感情を無理に区別しようとしなくてもいい、ということくらいか」
「…………は?」
「受け売りだがな。最終的にどうするかはさておき、『無理にはっきりさせたところでかえって後悔するだけ』だそうだ」
同時にその人は『人によって様々な線引きがある』とも言っていた。
恋愛感情が唯一、絶対、最大でない人も当然いるだろう、と。
その意見に関しては個人的にも同意させてもらった。
視界が揺らぐが、せめてちゃんとこれだけは伝えなければ。
「とにかく、焦らず……あせ、らず――」
瞬間、世界が暗転した。
「まったくもぅ、聞いてないと思って好き勝手言ってくれちゃうんですから。この人は。そう思いません?」
「あ、あんた……!」
店員に扮していたその人物は、橙色の長髪をたなびかせながらリィルの前に現れた。
しかしリィルは、ほんの数秒前までその人物が黒髪を束ねていたことを知っていた。
キリハのように自らの姿を偽っていたのである。
普段使っている外套の代わりに。
「またまた会いましたね。二度あることはなんとかかんとか。記念の賞品、いります?」
「……なにこれ」
「粗品です♪」
タオルの詰め合わせだった。
丸められている状態でありながら、リィルがこれまで手にしたどんなタオルよりも柔らかい。
そんな不思議なタオルだった。
名乗られずとも、その人物の正体はすぐに分かった。
今の今まで話題に上がっていたヘレンと呼ばれる人物なのだと。
「名前で呼んでくれちゃってもいいですよ? 減るものじゃありませんし」
「それなら……じゃなくて! さっきの話聞いてなかったの!?」
「聞いてましたよ? 気になるならもう一回いきます?」
「……なんて?」
リィルの疑念は彼女の顔に表れていた。
それを見たヘレンは、悪戯を思いついた子供のような笑顔と共に指を鳴らす。
聞き覚えのある言葉が聞こえてきたのはその直後のことだった。
『悪いわね。疲れてるのにこんなところまで連れて来ちゃっ――
「やめなさい!!」
リィルが伸ばした手はひらりと躱され、しかし音声も途絶える。
目を吊り上げて見回すリィルだったが、キリハの他には客とヘレンの姿しかない。
「今のなに!? どこから流したの!」
「企業秘密でーす。これで分かりましたよね? ちゃーんと聞いてましたよ?」
「だったらなんでこんなことしたのよ。あいつの話、聞いてたのよね?」
「まだその時じゃないからですよ」
「……その時?」
「物事にはしかるべきタイミングってものがあるんです。さ、それより今はこの人どうにかしましょう。すやすやしたまま放置はできないじゃないですか」
確かに、ヘレンの言う通りだった。
眠そうな素振りすら見せていなかった。
驚くあまり、リィルは声を上げることすら忘れていたのだから。
然し落ち着いた事で、リィルの脳内にふとある可能性が浮かび上がる。
「じゃあもしかして今日の疲れで――」
「あ、ないですないです。今日は一服盛ったんで」
「はぁ!?」
そんなことはなかった。
悪びれもしない態度にリィルも声を荒げるが、ヘレンはまるで動じない。
「盛ったって言っても、睡眠薬とかじゃないんですけどね。眠気は副作用みたいなあれですよ。あれ」
「あれとか言いから。あんたこいつになに飲ませたわけ? まさか……」
「……疲れを取る薬?」
「せめてはっきり言いなさいよ!」
キリハが何故、自身の目の前にいる人物をあれほど信頼していたのか。
リィルにはすっかり分からなくなってしまっていた。
何より、ヘレンの人となりをリィルはまるで知らなかった。
「こっちの言葉じゃ説明が難しいんですよぅ。大体、こんなぐっすりになっちゃったのはこの人のせいでもあるんですからね?」
「キリハの? こいつがなにしたっていうのよ」
「しまくりですよ」
どことなく怒っているような印象をリィルは受けた。
リィルにとっては新鮮なものだった。
これまでは声ですら感じさせなかった感情だったのだから。
「疲れを取る効果があるのは本当です。でも、その副作用って飲んだ人の疲労度にめちゃくちゃ影響受けちゃうんですよ。そこまで言えば分かりますよね?」
「……じゃあ、やっぱり」
「あんな大掛かりな事してこれで済むだけまだいい方ですよ」
キリハの表情にそれらしいものは全くなかった。
カウバの宿でヘレンと会って以降、何度も様子を窺ってきた。
疲労がぶり返したことはリィルもすぐに分かった。その原因も。
同時に、リィルの中にはある不安が去来していた。
「あ、ちなみにその薬に自白を促す効果とかないですからね?」
「あたしなにも聞いてないんだけど」
「またまたー。分かりますよぅ。もしかして眠くなっちゃって口滑らしただけなんじゃないのかな、とか。色々思ってますよね?」
「言ってないんだけど!!」
その通りだった。
ヘレンに対する印象は微妙なものだろうと、その言葉を信じるほかなかったのである。
「大丈夫だいじょーぶ。さっきのは、ぜーんぶあなたになら言ってもいいかなって思ったからですよ。やりましたね♪」
「こんな状況で言われても全く嬉しくないわよっ!」
「照れちゃってー、このこのー」
「さっきから本当になんなのよあんたは!!」
……たとえ、奇妙としか思えなくても。




