第106話 燃えない魔物
「そういうこと、ですから。お願いします、です」
最終的に、マユの提案にはユッカもリィルも頷いた。
ユッカ達にとって幸運だったのは、話し合いを妨害されなかった事。
物音一つ立てなかった魔物に疑問はあったものの、それを考慮する暇はなかった。
「あ、そうですリィル。魔法、使わない方がいいですよ」
「……はっ?」
話し合いを続ける間にも準備を進め、いざ反撃への一歩を動き出そうとした矢先。
茂みを飛び出すより早く、リィルはユッカに止められた。
「だってあの魔物、全然魔法効いてないじゃないですか。リィルが疲れるだけですよ」
実際、魔物に魔法は全くと言っていいほどダメージを与えられなかった。
ユッカやマユの攻撃は躱す一方、リィルの魔法だけは動かず受け止めていたのだ。
一度は受け止めたすきにユッカが斬りかかる案も上がった。
しかし、それはあまりに危険な策でもあった。
万一魔物が射線上から逃れた時。
リィルの魔法がユッカに直撃してしまうかもしれないのである。
「それだとあたしの役目がないじゃないんだけど?」
「マユの準備を手伝うとか」
「それなら大丈夫、です」
「じゃあしょうがないですね」
その時、リィルの中で何かが切れた。
「……いいわよ? 魔法使わなきゃいいのよね?」
「はい?」
「?」
リィルも、炎を魔法を無理に織り交ぜる必要性がないことは理解していた。
だからと言って、ユッカ達の提案を素直にそのまま受け入れられるわけでもない。
「リィルってばいきなりなに言うんですか。まさか木の枝で叩くつもりじゃないですよね?」
「しないわよ。ユッカみたいに動けるわけじゃないし。いいからほら、先行きなさい」
「は、はぁ……?」
ユッカにも拒む理由はなかった。
リィルに背中を押されながら渋々を乗り越え、短剣を構える。
(って、まだいないんですかあの魔物。もっと近くにいてほしいのに)
右も左も木、木、木。
異形とも呼べる魔物の姿はどこにもなかった。
生い茂った葉の隙間から陽の光が差し込む森の中みは霧もなく、見通しもいい。
ユッカにとって程よい固さの地面の上には、枝や葉が散らばっていた。
背中には、ユッカの腰ほどの高さの丸みを帯びた茂みが並んでいる。
その向こう側にリィルとマユは息を潜める。
マユが提案した罠は、リィル達の更に後ろに仕掛けられていた。
「あの、リィル? 行きますからねー?」
「分かってるってば。あたしも少し後から付いて行くから」
「別にそこまでしなくてもいいんですけど」
「じゃあ何よ。あんた一人でやる気?」
「そこまで言ってないです。そこから狙えないんですか?」
「魔法みたいにはできないの。いいから行って」
茂みを挟み、お互い姿を見せることなくユッカとリィルは言葉を交わす。
その間にもユッカの中の疑問は大きくなる一方だった。
(なんなんですか今の……変なことにならなきゃいいですけど)
そう思いながらも、ユッカの頭の中にはおぼろげながら不穏な可能性が浮かんでいた。
リィルが口にした『魔法みたいにはできない』という言葉がどうにも引っかかっていたのだ。
(キリハさんのことも頼れないならわたしが早く終わらせるしかないですね。リィルも変なところで強情なんですから)
囮のような役割を務めた経験はユッカにも多くない。
何度か組んだ冒険者達と相談した結果近い役割を担ったことはあった。
それでもそういう時は決まってもう一人、その場限りの相方がいたのだ。
(やっぱり全員で行けばよかったですね。イルエたちもどうしてこんなときに限って別の依頼なんて……)
別行動をとった理由は少なからずレアムの気遣いもあった。そのことはユッカも薄々ながら感じていた。
しかし、このような事態になった今、失敗だったのではないかとさえ感じてしまっていた。
警戒心から慎重になっていた足取りも一層重くなっていく。
(……いましたね)
そうして一〇分ほど探し回って、ユッカは見つけた。
両肩にも顔を持った奇妙な魔物を。
誰も名前さえ知らない得体の知れない二足歩行の怪物を。
木と木の間に陣取ったまま、ほんのわずかな動きも見せない。
ユッカ達のことを探している素振りなどまるでなかった。
「――いきますよっ!!」
鼓舞の声と共にユッカは駆けだした。
順手に構え、最初は魔物の正面から。
風の勢いを纏ったユッカだったが、その一撃も魔物には届かない。
(ほんっとに……!)
右足を地面にめり込ませ、制止をかけるユッカ。
即座に切り返した斬撃も届かない。
脇も、足元も、背中も。
時には転がり込むことも厭わず攻めるが魔物には届かない。
(いうこと聞いてくれませんねこの魔物は……っ!)
そしてそれ以上に、ユッカの思う方向へ動こうとすらしてくれない。
ただ躱されるだけであればまだよかった。
それでも十分井目的を果たすことができた。
しかし現実には前後左右へ軽快なステップと共に躱される。
一方向から攻めようとしても、魔物は必ず五撃以内に進路から身を追いやる。
何より、豊かに育った木々がマユの計画の足かせとなっていた。
「少しは、思い通りに、いってください……よ!!」
キリハのように力任せに投げ飛ばせたら。
そんな考えすらユッカの脳内には浮かびつつあった。
かつてキリハが迷宮の奥底でやってみせたように。
しかしユッカにはそれだけの腕力はない。
それだけの力があればそのまま倒せる。そんな気がしていた。
少なくともキリハがこの場にいればあの手この手で倒していたに違いないと、ユッカは心の底からそう思っていた。
「――くらいなさいっ!」
そんな中、ふと、リィルの声が聞こえた。
「はい……っ!?」
ユッカと魔物の間を何かが駆け抜けたのはその直後。
それは土の塊だった。
つい先日、キリハが戦った魔物がそうしたように、リィルもまた土で視界を奪う算段だったのだ。
「外した……! ユッカごめん! もうちょっと引きつけておいて!」
「引きつけておいてってそんな簡単に言わないでくれません!?」
しかしユッカの広義に返事はなかった。
リィルは既に、隠れていた木の影から移動していたのである。
その場所を魔物に悟られるわけにはいかなかった。
(言っておいてくださいよ。そういうことならちゃんと言っておいてくださいよ! なんですかキリハさんのクセでもうつったんですか!)
キリハが聞けば心外だと即座に苦言を呈していただろう。
実際にはユッカもいい案だと思っていた。
だからこそ先に伝えておいてほしいとユッカも思っていた。
連撃を繰り出し、何とか少しでも方向性を絞り込ませようと思いつく限りの事をユッカは試す。
風を起こし自らの動きを加速させ、キリハの動きを思い出す。
少しばかり、肩から余計な力が抜けたような気がした。
「次はちゃんと当ててくださいよねー!」
またしても返事はない。
しかし今は、ユッカもそれでよかった。
(そろそろ――)
何より、分かっていた。
「「当たった……っ!」」
次が飛んでくるタイミングを。
リィルが撫でるであろう瞬間を。
次の一撃は見事、魔物の頭部の目に命中した。
途端に動きが乱れ、ユッカの斬撃も届く。
「ユッカ!」
「分かってますよっ!」
その時、両肩の目が動いた。
魔物の両腕が地面を叩く。
ほんの数秒前までユッカがいた場所を。
「こっちですよーだ!」
「逃がしても知らないわよ!」
またもリィルが魔物の目を塞ぐ。
特に攻撃を仕掛けるまでもなく、魔物はユッカとリィルの声を追い立てた。
一転動き出した魔物は機敏だった。
しかし正面の目を塞がれ、何度もよろめく。
【!?】
そして。
「完璧、です」
魔物は見事、マユが用意した穴にその身体を囚われた。




