フルララ、呆れる。
アンジェちゃん達メルヴィール家の人達との最初のダンジョン探索の日から一ヶ月程が過ぎました。
「フルララぁ~!」
リリアナちゃんが屋敷の庭にある小さな草原で、アンジェちゃんとティエスちゃんと一緒なって飛び跳ねています。
それはピョンピョンというウサギのような動作ではなく、ふわ~ふわ~と、ゆっくりと上下に浮かんでは着地して、またふわ~っと浮かぶという、風魔術で体を浮かせる練習をしているのでした。
私は、それを少し離れた所から眺めていました。
「小さい頃から始めるのが良いとは言いますけど…みんな、上達するのが早いですね。」
喜ぶ事だと分かっているのですが、少し複雑な気持ちが私にはありました。
「パパぁ~、ママぁ~」
ティエスちゃんの楽しそうな声が届き、ルーテアさんとリオラさんが手を振って応えました。
「ええ、フルラージュさんには本当に感謝の言葉しかありません。このような高等魔術まで使えるようになるなんて…それに、娘達にディム様が祝福をくださったことも。」
「娘達は本当に恵まれています。だからこそ、私達がしっかりと教育しないとね。」
「そうね。フルラージュさんのように、人から尊敬される魔道師に育てましょう。」
ルーテアさんとリオラさんの会話を、私は静かに聞いていました。
フルラージュさんの事を『魔道師』として呼び、ディムさんを『様』と呼ぶ理由は、全てディムさんにあります。
《もう、ラージュは魔道師ということで良いだろう。俺が認める。》
と、人族には無いけど普通の事だと思って教えていたフルラージュさんの指導の言い訳として、フルラージュさんの師匠になる大魔道師が決めたのです。
魔術は発現と発動の2種類しかなく、それを後から変更したりとかは出来ません。
新たに加えるという事はあっても、魔術そのものを変化させるなんてことは、人族の世界では聞いた事がありません。
そもそも、発動させた後の魔術に手を加えるという事自体が、出来なかったのですからね。
風魔術で浮くという魔術を行うなら、『自身に方向性のある風を纏わせて飛ばす。』が正解で、『自身を包み浮かせる風の玉を、魔力を加えて操作する。』なんてものはありえないことなのです。
そんな、魔族では当たり前の魔術を、ディムさんは北の大地でフルラージュさんに教えていて、フルラージュさんもそれが当たり前だと思っていてリリアナちゃん達に教えていくので、もうそれはルーテアさん達から見れば『魔道師の秘術』と思ってしまうのは当然な事でした。
まあ…秘術ではないですけど、私も途中までは普通の事だと思っていた事がありますけどね…
それは私自身が人より優れた魔術力があった事を忘れていた事でもあり、フルラージュさんも後からで聞けば、人並み以上の魔力を子供の頃から持っていたとの事でした。
いくら『魔道師からの教え』があるからと言って、平均的な子供の魔力や魔術操作の遥か上の力を見せるアンジェちゃんとティエスちゃん。
リリアナちゃんについてなにも疑問を抱かなかったルーテアさん達でしたが、ルーテアさんとリオラさんからの指摘で、私達家族で話し合いになりました。
《ん? ああ、俺は魔力感知で体内に流れる魔力まで見ることが出来るからな。ちょっと二人の魔術経路で不備がある所を直しておいた。たぶんその効果だろう。》
「えっ? 直したって? どうやってですか?」
「俺が二人の頭の上に乗って、魔力を流してやった。いつもリリアナの頭に乗っていたからな。抵抗もせずに受け入れたから直ぐに済んだぞ。」
とか、言うんですよ。
私が偶然にも見ていない時にっ!
その後、「守護妖精の祝福的な効果が二人にも授けられました…」という、言い訳をルーテアさんに告げた私でした。
もう…普通の生活という話はどこに…と言う気持ちです。
「楽しそうに遊んでいる子供達の姿も、私達がこの庭で魔術の練習を毎日のように見ていた日々も、明日からは当分見納めね。」
ルーテアさんの感慨深い言葉に、私は少しだけ寂しい気持ちを思い出しました。
私達は明日の朝、クラリムの街を離れます。でもそれは、数ヶ月から半年…長くても一年以内には戻ってくる旅行なので永遠の別れという事はありません。
ですが、たった3ヶ月ちょっとのクラリムでの生活で出会った人達の中に、リリアナちゃんは大切な友達が出来ました。
私も、慣れ親しんだ知人と思える人達が沢山出来ました。
だから、離れると決まった時には寂しい気持ちになりました。
でも、ディムさんはここに戻ってくると約束してくれましたし、それはリリアナちゃんと私の為に絶対に必要な事だからとも、言ってくれました。
なので、少しだけの寂しさに変わり、それから今は旅行への楽しみで、それを忘れていたのです。
ディムさんは最初、アンジェちゃん達も連れて魔族領へ行く理由が思い付かんっ!
とか言い出すし…その時は、寂しい気持ちが浮かぶ前に頭が痛くなりましたけどね。
「はい。待っていてくれるアンジェちゃんとティエスちゃんには寂しい思いをさせてしまいますが、沢山の土産話を持って帰って来ます。」
「ええ、楽しみに待っていますね。」
そう言葉に出して私に微笑みを返すルーテアさんに、私も笑顔で応えました。
アンジェちゃん達が帰った後、私達は、商店街と商業ギルドへの挨拶へと向かいました。
既に旅行に出掛ける事は伝えてあるので、今日は出発の挨拶のようなものです。
「怪我と病気には気を付けるんだよ。」と、野菜店のマリエさん。
「明日の朝に必ず届けますからね。」と、肉屋さんのエトーさん。
「祭りの時よりも美味しい物を用意していますから。期待していてください。」と、魚屋さんのレネッカさん。
いつも声を掛けてくれる商店街の人達からの餞別代りとして、お弁当を受け取ることになりました。
「はい、楽しみにしています。」
「んっ! たのしみっ!」
「じゃ、また明日ね。」
「はい。」「はーいっ!」
普段と変わらない挨拶で見送られた私とリリアナちゃんは、商店街にあるお菓子屋さん『ラルシエ』に入りました。
「あっ、リリアナちゃん、フルララさん、いらっしゃい。」
ガラスケースの奥から声を掛けてくれたのは、お菓子作りの時の先生のシャールさん。
「チョコクッキーありますか?」
「はい、ありますよ。蜜瓜と桃のシュークリームも一緒に如何ですか?」
「んっ! かうぅ~!」
ガラスケース越しで自分の姿が見えないだろうと、大きく右手を上げて返事をするリリアナちゃんに、ガラスケースに覆い被さるようにして顔を覗かせるシャールさん。
「いくつがいいかな?」
「んとね…」
リリアナちゃんは自分の指を見詰めます。
「6っこ! りょうほう、6っこっ!」
リリアナちゃんの笑顔に、笑顔だったシャールさんが更に笑みを溢しました。
「はい。それじゃ、今から準備致しますね。」
「あっ、今から商業ギルドと馬車屋さんに行きますので、帰りの受け取りでも良いですか?」
「はい、問題ないですよ。取り置きして待っています。」
結局、ガラスケースに並んでいたケーキも取り置きして貰う事にして私達は店を出ました。
私もリリアナちゃんも、目の前にあるケーキを無視することなんで出来ませんからね。
商業ギルドに入ると、待っていたかのようにロチアさんが出迎えました。
「この時間は孤児院じゃなかったですか?」
私の質問に、笑顔で首を横に振るロチアさん。
「はい。偶然、商店街の方からフルララさんが向かっている事を教えて頂いたので、急いで済ませて来ました。最初の頃と違って、今は顔見せ程度の仕事ですから。」
あの事件から、冒険者ギルドからの運営資金を受けている孤児院の経営は何も心配の要らないものになり、親代わりのカテリーナさんも安心して子供達の面倒を見ている事が出来るので、院長としての仕事も今は殆どないとのことでした。
いつもの部屋へと通された私達がソファに座って待っていると、ロチアさんから出されたお菓子にリリアナちゃんと二人で顔を見合わせる事になりました。
「蜜瓜のシュークリームです。これも…ルヴィア家皆様のおかげで、街の名産品になりました。」
「そんなことはないです。私達が最初に発見しただけで、いずれは誰かが見つける事ですから。」
アンジェちゃん達との最初のダンジョン探索で、あの森へと向かう地図と蜜瓜の場所を商業ギルドに提供し、2回目のダンジョン探索では桃が実っている丘への地図。そして3回目では特級ポーションの貴重な材料になる花の群生地を見つけていたのでした。
私達のように数人での達成は困難なクエストではありますが、その後は数十人規模の採取クエストとして、定期的に収穫されることになりました。
なので、元々シュークリームが美味しいと評判だった『ラルシエ』さんが新メニューとして出す事が出来て、そして数日のうちに人気商品となったのでした。
「そうですが、あの場所までの探索となると、半年程は先の事になっていましたから。それと、間に合いませんでしたけど、大通りの店も開店の目処が立ちました。皆さんが帰って来る頃には、観光地として今以上の賑わいを見せる街になっていると思います。」
雄弁に話すロチアさんの笑顔に、私まで嬉しくなりました。
それは、ただ街が発展するということではなく、街の人達の笑顔になれる場所が増えるという話だという事を、私は知っていたからです。
でもすぐに、嬉しさは微妙な思いへと変わり、私の笑みは苦笑いへ変わっていきます。
高級食材を事実上独占していた貴族商会ですが、不正で身分を剥奪された元伯爵と深く関わっていた貴族達も当然処分を受けて、街から追放されました。
なので今、このクラリムには権力を誇示する貴族は居なくなり住み易い街になっていたのです。
そして、空き店舗となった大通りの宿やレストランは働いていた従業員ごと商業ギルドが買い取って、新しい店として開店することになっていました。
その名も『トカゲの王』…
レテイアの大商人と言われる、ハミルドさんの親友だという方が、あのドラゴンの首を落札していて、それを飾ったレストランが出来るのでした。
当初は、国王に献上する予定だったらしいのですが、オークション前に起きたあの事件で、貴族商会が潰れるとすぐに判断して、オークションが始まる前には既にハミルドさんに諸々の構想を話していたとのことです。
店の名前は…もちろんあの出来事から付けたと、ハミルドさんから直々に聞かされました。
「おいしかったぁ~。お姉ちゃん、ありがとっ!」
シュークリームを上手に食べ終わったリリアナちゃん。
「どう致しまして。お家のことは責任を持って、私が守ってますからね。いつでも戻って来てね。」
「うんっ! いっぱいあそんできたら、もどってくる。」
そう話しながら手を私に向けているリリアナちゃん。
私はリリアナちゃんの手に付いているシューの粉をハンカチで拭き取り、頬に少しだけ付いているクリームも取ってあげました。
「屋敷の鍵は明日の朝に受け取りに伺いますので、時間の変更などはございませんでしょうか?」
「はい。朝の9時で変更はありません。」
商業ギルドに維持費と管理費を支払うことで、留守中の屋敷の管理をしてくれます。
期限が判らない場合でも、口座にお金がある間は継続してくれるということなので、3回のトレジャーハントで得た収入を当てることにしました。
金貨10枚程になっていたので5年は大丈夫だと言われましたが、そんなに長く離れるつもりはありません。
「それでは、少しの間ですが、屋敷の事をお願いします。」
「はい、お任せください。」
「おねえちゃんまたねっ!」
ロチアさんに見送られながら、私とリリアナちゃんはその足で馬車屋へと向かいました。
「いらっしゃい! 客車の手入れは完璧に仕上がっているぞ。」
「ありがとうございます。明日の朝にオリファさんが受け取りに来ますのでよろしくお願いします。」
私が頭を下げていると、リリアナちゃんがソワソワして、隣にある厩舎へと視線を向けています。
「ドランとカロンみてきていい?」
「ああ、あいつ等も来ているのは判っているとおもうぞ。顔を見せてやってくれるとありがたい。」
「よかったね。」
嬉しさを表したまま駆け出すリリアナちゃんを、私と店主さんが笑顔で見送りました。
「随分と、お前さん達の事を気に入ったようでな、長旅だと聞いているがよろしく頼む。」
「はい。こちらこそ良い馬をお貸し頂きましてありがとうございます。」
3度のダンジョン探索で、すっかり仲良くなった2頭の馬とリリアナちゃん。
今回の旅でも、引き馬としてお借りすることになりました。
私は、私達が店に入った時に店主さんが作業していた客車へと視線を向けました。
「あれが、ダンジョン見学の客車ですか?」
それは以前店長から、鉄で出来た護送車を客車として改良する。と、聞かされていたものでした。
「ああ、商業ギルドの所長からの注文通り、威圧感はなく、安心感があって、子供にも大人にも好かれる形になっていると思うが、どうだ?」
骨組みになっている鉄は白く塗られて、城のレリーフを取り入れたような加工もあって…それは小さな宮殿のようにも見える客車でした。
「はい。とても可愛いと思います。」
「そうか。急な仕事だから今回は有り合わせになってしまったが、そう言って貰えるとありがたい。」
私達が馬車でダンジョン観光した事で、商業ギルドのハミルドさんはダンジョン村を観光地として活用する事を思い付きました。
そして5層までの移動と観光用に、丈夫な馬車をここに依頼したのでした。
「私達が帰ってくる頃には、ダンジョン村も色々と施設が増えているんですよね。」
「収納スキル持ちだけじゃ足りなくて、うちの馬と荷馬車もほぼ毎日借り出されているからな。立派な街が出来上がってると思うぞ。その時もまた、ドランとカロンを使って遊びに行ってくれ。」
店長さんはそれから笑い声を上げて、我が子を自慢するような、お父さんのような笑みが溢れていました。
「はい。その時も、もちろんお借りします。」
リリアナちゃんと、ドランとカロンに「明日からお願いします。」と挨拶をして、楽しそうに歩くリリアナちゃんと商店街へと戻り、クッキーとケーキを受け取って屋敷に戻りました。
「バァーチャ、ただいまぁ~」
「ただいまぁ~もどりましたぁ~」
お兄様がリビングに居ました。
リリアナちゃんに合わせて出した声が聞かれていた事に気付いて、私は少し恥ずかしくなりました。
ディムさんは何も言わずに帽子から戻っていたし…どうして教えてくれなかったのですかっ!
ルヴィア様が招き入れたってことなんだろうけど…ルヴィア様は普段と変わらずに読書をしています。
ソファで独り固まっていたお兄様が嬉しそうな目を私に向けました…いつから待っていたのでしょうか?
「どうしてお兄様が?」
「どうしてって…明日からは会えなくなるから、顔を見に来たんだ。それくらいなら良いだろう。」
週に一度、クラリムの内政管理の仕事の為にホテルに一泊していくお兄様。
私との関係を知られないようにと会うことを控えて貰っていましたが、そう言われてしまうと、怒ることは出来ませんでした。
まあ、それならばと、私も聞きたかった事を訊ねます。
「ティアルさんとの仲はどうなっていますか?」
「いやっ…どうなっていると言われても…ティアルは母と居ることが多いからな。朝食前と夕食後に少し話す程度だよ。休みの日には街に連れ出したいと、思ってはいるんだけどな。」
寂しそうな顔を見せるお兄様に、私は「そうですか。」と答えました。
お兄様がティアルさんとの距離を縮めようと努力しているのは、実は知っていました。
だから私が知りたかったのは、ティアルさんの事を話す時のお兄様の見せる態度で、それは私が思っていた通りの姿で安心しました。
凄く大切に思っているのが伝わりましたよ、お兄様。
「母の事は聞かなくて良いのか?」
「あっ、はい。お母様が元気で暮らしているのは知っていますからね。」
「そうか。手紙か。」
私はお兄様の言葉に、何も返しませんでした。
ツフェルアス様が教えてくれていますとか、言えません!
お母様も、自宅の屋敷にある女神像に祈る事によって、ツフェルアス様と対話が出来るようになりました。
女神様と会話している私達を見ている訳ですし、あの本での夢もありますし、当然と言えば当然なんです。
ちなみにナトレーさんも祈りは届きますが、ツフェルアス様からの声を聞く事が出来ませんでした。
対話をするには光の魔力がある程度必要だということらしいです。
そして、いくらお母様も対話が出来るようになったからと言っても、女神様に伝令役のような頼み事をお願いするのは駄目です。天罰が下ります。
なので、日頃の話をツフェルアス様にする時に、ツフェルアス様から私達へと気を利かせて教えてくれる内容だけになりますけどね。
それでも私にとっては、嬉しい話なのです。
「さて…顔も見れたし、俺は仕事に戻る。旅の話を期待して待っているからな。」
「はい、お兄様。沢山の話を持って帰ってきます。」
お兄様を玄関まで見送ると、丁度フルラージュさんとオリファさんが帰宅しました。
私は入れ替わるようにリビングへと向かった二人と、そして兄の相手でまだだった私達の飲み物の準備の為、調理部屋へと向かいました。
買ってきたお菓子はリビングに置きっぱなしでしたね。
ん~夕食前だから、チョコクッキーを少しだけ…
「あっ、ディムさんっ! もしかして夕食の準備ですか?」
《ああ、フルラージュ達も帰ってきたしな、フルララはお茶の準備か?》
「はい。」
《なら、そこにあるから持っていってくれるか。》
調理台の端にはトレイに載った、既にガラスコップに注がれているアイスティーとオレンジジュースが人数分、それとクッキーの入ったいつもの器がありました。
「はい。ありがとうございます。」
《それとだ、リビングに置いてあった菓子袋は倉庫に入れたからな。》
「はーい。」
私はリリアナちゃんが待つリビングへとトレイを運びました。
アイスティーで一息吐いたフルラージュさんとオリファさん。少し疲れた顔を見せています。
「孤児院はどうでしたか?」
「思っていた以上に感謝されてしまって、気持ちを受け止めるだけで疲れてしまったわ。」
「そうですね。普段あまり関わらない小さな子供達からも、気持ちの篭った言葉を渡されましたからね。」
フルラージュさんとオリファさんの言葉から、なんとなく想像が出来ました。
「熱心に教えていましたからね。それに、生徒達にとっては今日が最後になると思いますし。」
フルラージュさんはオリファさんの故郷で結婚式を挙げて、そのまま住む事になります。だから二人はクラリムでの最後の一日になるのでした。
「そうね。エリスとアミルは来年からレテイアの魔術学園だし、タヴィルとマルトはレテイアの騎士団に見習い加入。あの子達とは、これが最後になるでしょうね。」
フルラージュさんはそう言ってから、満足そうな笑みを溢しました。
「ですね。自分達の目標に向かって頑張ってほしいですね。」
オリファさんもそう言葉を口にしたあと、満面の笑みを浮かべていました。
それは教えた成果が十分に出ているという顔でした。
商業ギルドの専属契約という話は、冒険者ギルドのギルドマスターが変わった事で白紙なりました。そして子供達が孤児院の為に働かなくてもよくなった事で、自分達の将来について考える事が出来ました。
なので、将来魔術師としてこの街に貢献出来る仕事に就きたいと願ったエリスさんとアミルさんは、魔術学園に入学することにしました。
一つ年齢が上になりますが、学園には1歳程度の遅れなら問題なく入学出来ますし、なにより、フルラージュさんの指導で技術的には卒業クラスに匹敵するらしいです。
アンジェちゃん達のように実践的な魔術は教えていませんが、基礎的な魔術操作が学園で学ぶ魔術の殆どを占めると言われていますからね。
男の子二人は騎士や街を守る兵士になりたかったという理由からレテイアの騎士団に。
そして、今まで支払われていなかった孤児院の運営費が一括で支払われた事もあって、そのまま4人の学費と生活費に使うことにしたそうです。
剣術指導をしていたオリファさんが、日々の話の中で褒める程の上達を見せた二人の男の子達。
技術的にはまだまだらしいですが、騎士としての心構えなどは十分に育っているとのことでした。
人の為に命を懸ける騎士と兵士という職は、技術よりもその心が大事なのでした。
私が勤めていた神官という職も、魔術以上にその教えを学ぶのが見習い期間でしたからね。
《夕食が出来たぞ。》
「フルララいこー。」
ディムさんからの呼び声に私達は席を立ち、念話で返事をしているリリアナちゃんが私の手を取ります。
「はい。行きましょう。」
私は普段と変わらないリリアナちゃんの笑顔に、私も普段通りの笑顔を返しました。
クラリムを出発する朝ですが、朝の祈りの時間はいつも通りです。
「ツフェルアス様、おはようございます。」
「スティアおはよう~」
《フルララちゃん、リリアナちゃん、おはよう。ということは、今日が出発の朝ですね。》
「うん! りょこういくひっ!」
《楽しみですね。色々な話をいっぱい聞かせてね。》
「うんっ! いっぱいはなすっ!」
ツフェルアス様は、私達の言葉で『天界』と呼んでいる世界に住んでいます。
それは私達が『天界』と呼んでいるだけで、天にある訳ではないそうです。
その世界には勿論、最高神『ロフォテアス・ザーレン』様が居て、ツフェルアス様が居るのですが、その他に身の回りや色々な雑用をする使徒と、世界の異変などを感知する精霊と妖精が居るとの事でした。
それは直接的に世界を覗き見るようなことが出来ない神様が、別に監視して何かをする為に存在している訳でもないという理由から、精霊と妖精を住まわせているという話でした。
なので、私とリリアナちゃんからの普段の生活話でもツフェルアス様は楽しいと言ってくれました。
リリアナちゃんからアンジェちゃん達と遊んだ事と馬達に会いに行った事を話し、私は兄が会いに来た事を話しました。
《今日も楽しい話をありがとう。》
「はい。それではツフェルアス様、」
私は祈りの手を合わせます。それに倣ってリリアナちゃんも手を合わせます。
「この日この時、光差す今を生きる事に努めることを誓います。」
「このひこのとき、ひかりさすいまをいきることに、ちゅとめることをちかいます。」
《はい。いってらっしゃい。》
チリンチリン~♪
「おはようございま~す。」
ロチアさんが約束の時間通りに呼び鈴を鳴らしました。
「は~い。」
勿論ディムさんが来客を教えてくれていたので、エントランスホールで待っていた私は扉を開けます。
「お待たせしました。それでは部屋の確認を致します。」
一礼で挨拶をするロチアさんに、私は「お願いします。」と答えました
ロチアさんには、預ける前の屋敷の状態を確認して貰うのと、大掃除的な作業の最終確認をしてから屋敷の鍵を最後に渡すことになっています。
オリファさんとフルラージュさんの部屋は、最初に買った家具を置いて、ディムさんから譲って貰ったベッドはログハウスの部屋に移してあります。
ティアルさんが使っていた部屋の家具はそのままで、お母様とナトレーさんの部屋の家具は全て持って帰っていったので、空き部屋になっています。
なので、普通の長期旅行らしく私達の部屋とルヴィア様の部屋の家具は全てそのままにして置く事にしました。そして生活感を見せる為にある程度の衣服を残して、普段着る衣類や旅行中に読む本などを別の家具に収納してディムさんの次元倉庫の中に入れました。
ツフェリアス様とルヴィア様の人形はいつでも取り出せるようにと、リリアナちゃんが直接持っています。
準備は完璧です。
2階の部屋と調理部屋などを私と見て回ったロチアさんが、最後の部屋になったリビングを確認します。
「はい。これで全ての部屋の確認は済みました。それでは、ベッドシーツなどのお洗濯と定期的な空気の入れ替えと掃除を責任を持って致します。庭の手入れはボルジュさんに一任されているとの事なので安心ですしね。」
「はい。安心して任せられます。」
「うん! おはなたのしみっ!」
リリアナちゃんも笑顔で答えます。
それはボルジュさんからの提案のようなもので、リリアナちゃんに花の図鑑を見せて、見てみたいと言った花の木を植えてくれる事になったのでした。
《オリファ達が到着したぞ。》
リリアナちゃんの帽子になっているディムさんからの念話に私は小さく頷きます。
「ではロチアさん、鍵をお渡ししますね。」
私は、屋敷の鍵と門の鍵をロチアさんの差し出した手の上に置きました。
「はい。確かにお預かりいたしました。」
小道から出た大通りに止まっている馬車の前に、アンジェちゃん達メルヴィール家の御家族と、お弁当を持ってきてくれたエトーさんと『ラルシエ』のシャールさんが集まっていました。
「皆さんおはようございます。」
私達に気付いた皆さんが各々に挨拶を返してくれた後、エトーさんからは約束のお弁当を受け取り、シャールさんからはシュークリームと色々な焼き菓子が入った袋を手渡されました。
「これはルーテアと私からの餞別代りです。また帰ってきたらお菓子作りをしましょうね。」
「はい。是非お願いします。」
「うんっ! またつくるぅ。」
少しの衣類が入っている手荷物を客車の荷台に積み込み、私は出発の挨拶を皆さんにしました。
そして、リリアナちゃんをジッと見詰めていたティエスちゃんとアンジェちゃんの言葉を待ちます。
私達大人達はそれが判っているので、子供達を静観しています。
「リリアナまたね。」
「うんっ! またぁ~」
ティエスちゃんの小さな手が小さく振られ、
「リリアナちゃん、いってらっしゃい。」
「いってきますっ!」
アンジェちゃんの笑顔にリリアナちゃんも笑顔で答えました。
リリアナちゃんが数ヶ月の旅行に行くことはアンジェちゃんもティエスちゃんも判っています。そして、必ず帰って来ることも約束しているので悲しい顔はありません。
それと、守護妖精のディムさんが守ってくれているという安心感で旅の不安もありません。
最後は、客車の窓を挟んで手を振り合った子供達。
そして静かに馬車は出発し、私達はクラリムの街を後にしました。
クラリムを出発した私達が目指すのは、55年前に魔族領となったガザルド領の首都『エイラス』
クラリムから西へと向かったレボルク領からさらに北西へと向かうことになります。
出発してから30分程が経ち、何気なしに窓の外の景色を見ていた私ですが、緩やかな流れに変わる景色に気付きました。
「あれ? 速度が遅くなりましたけど何かあったのでしょうか?」
《そうだな…いや…まさかな…》
魔力感知で原因を確かめているディムさんの発言だと思うのですが、何か変でした。
《街道を歩いている者がいるから、それを見て速度を落としたと思うぞ。》
ですが、直ぐにハッキリとした回答がディムさんの口から出ました。
「この街道を徒歩でですか? 何かあったのでしょうか?」
私達が今通っている大きな街道は、『クラリム』から次の街『アルム』まで100kmは離れているので、この街道を徒歩で移動していると言うことは何か問題があったか、理由があるはずです。
《どうなんだろうな。何かあれば向うから声を上げるだろうし、俺も確かめたい事があるが…今は様子を見るしかないだろうな。》
そうディムさんが答えてから少しすると、窓の外を横切るように歩行者の姿が見えました。
全身が黒いコートで包まれている格好でしたが、長い黒髪と美しい顔立ちに目が留まる女性でした。
「ちょっとまってぇー! その馬車とまってぇー!」
通り過ぎた後ろから聞こえる女性の声。いくら速度を落としていると言っても馬車の速度は人が走る速度の2倍以上の早さ。
それが密閉されている客車の中まで届くなんて?
そんな疑問が浮かんでいた私は後方が見れる小さな窓から外を見ました。
あれ? 何も見えません…なっ!?
ふとリリアナちゃんの見ている先が気になって視線を変えると、窓の外を凄い形相をした女性が馬車と併走しているのが見えました。
そして、ゆっくりと馬車は速度を緩め停止します。
《そいつは俺の知り合いだった者だ。どういう意図で馬車を止めたのか聞いてくれるか。》
えっ?! ディムさんの!? ってことは魔族の人!?
突然の事で頭が混乱した私でしたが、扉の外から中を覗こうとしている女性を待たせる訳にはいかなったので、リリアナちゃんの前に出るようにして扉を開けました。
「あっ…でぃる&%!」
突然言葉を無くし、息苦しそうに悶える女性。
そして涙目のまま大きく頷いた後に、大きく深呼吸して安堵の笑顔を見せました。
でも、まだ涙目なのは変わりません。
明らかに、ディムさんが何かしたのは判ります。
「あの、ディムさん?」
《ああ、彼女は俺の部下だったロフェアだ。何故ここに居る理由などはこれから訊ねるが、それは馬車の中で聞くことにする。》
涙目だった目を拭い、扉の外で姿勢を正した女性が息を整えます。
「ディ…ム様の元で補佐的な仕事をさせて貰っていたロフェアです。宜しくお願いします。」
ゆっくりと頭を下げた女性が微笑みを見せました。
それは恋する女性が最愛の人に再会した時のような…そういう感じの笑みに見えました。
緊張しているのが誰からも見て取れるロフェアさんはルヴィア様の隣に座り、リリアナちゃんの膝の上に載っているディムさんと静かに対面する中、馬車はゆっくりと出発しました。
「あの…それでディム様はどうして女性の姿なのですか?」
《今の俺はスライムだ。目の前の黒いスライムがディムだ。》
「え”っ!」
私からリリアナちゃんの膝に載っているディムさんへと視線を移したロフェアさんが引き攣った顔を見せています。
「じょ…冗談ですよね?」
《俺がそんな冗談を言うと思うのか?》
「…言いません。」
掠れた笑い声を小さく溢したロフェアさんがそのままの笑顔で固まり、何処か遠い所を見ているような目を見せています。
再会を果たした相手が、スライムですからね。
現実から目を背けたくなるのは判ります。
《色々と聞きたい事が俺もお前もあると思うが、まずは俺の家族を紹介しとこうか。》
そして、ディムさんが私とリリアナちゃんを娘だと紹介した後、ロフェアさんはまた、遠い目を見せる事になりました。
第二部 完




