季節がめぐる中で 7
シンは観測室に向かう廊下を歩いていた。まだ早朝と言うこともあり人影はまばらである。それでもアラブ系の彫りの深い顔は東和軍では目立つようで、これまで出会った東和軍の将兵達は好奇の目でシンを見つめていた。
「あれ?シン大尉じゃないですか!」
高いテノールの声に振り向いたシンの前には、紺色の背広を着て人懐っこい笑顔を浮かべる小男が立っていた。
「高梨参事?」
笑顔を浮かべて歩み寄ってくる男、高梨渉参事がそこにいた。
「いやあ奇遇ですねえ。今日はまた実験か何かですか?」
シンは余裕を持って笑って向かってくる小柄な男を相手に少しばかり身構えた。東和国防軍の予算調整局の課長という立場の高梨と、保安隊の予算管理を任されているシンはどうしても天敵のような関係になってしまうことは成り行きだった。しかもこの高梨と言う男はシンの上司である保安隊隊長、嵯峨惟基特務大佐の腹違いの弟である。
ムジャンタ・バスバと言う二人の父親は20年以上前には名ばかりの皇帝として遼南帝国に君臨していた。実権を奪われて酒色に溺れた彼が残したのは百人を超える兄弟姉妹だった。その中でも父と対立して第四惑星胡州に追われて嵯峨家を継いだ嵯峨惟基と、父に捨てられたメイドの息子として苦学して東都大学を首席で卒業して軍の事務官の出世街道を登っている高梨渉は別格だった。
「そう言う渉さんは監査か何かですか?」
どうしても口元が引きつってしまう自分に呆れながらシンは話しかける。
「いえ、今日はちょっと下見と言うか、なんと言うか……とりあえず教導部隊長室でお話しませんか?」
笑顔を浮かべながら高梨は歩き始める。神妙な表情を浮かべる高梨を見ると、彼が何を考えているのかわかった。
シンの西モスレム国防軍から保安隊への出向は今年度一杯で終わる予定だった。事実、西モスレム国防軍イスラム親衛隊や遼州同盟機動軍の教導部隊などから引き合いが来ていた。さらに保安隊は『近藤事件』により、『あの嵯峨公爵殿のおもちゃ』とさげすまれた寄せ集め部隊と言う悪評は影を潜め、同盟内部の平和の守護者と持ち上げる動きも見られるようになって来た。
『政治的な配慮と言うところか』
シンはそう思いながら隣を歩く同盟への最大の出資国である東和のエリート官僚を見下ろした。予算の規模が大きくなればパイロットから転向した主計武官であるシンではなく、実力のある事務官の確保に嵯峨が動いても不思議は無い。
そう考えているシンの隣の小男が立ち止まった。
「シン大尉。ここですよ……なんだか難しい顔をしていますね」
シンは立ち止まって高梨のところに戻った。そのまま高梨はさわやかな笑顔を浮かべながら教導部隊部隊長の執務室のドアをノックする。
『ああ、オメー等か。来るんじゃねーかと思ってたよ』
教導官と言う部屋の主に似合わない幼女の言葉がインターホンから響いて、自動ドアが開いた。
中を覗くシン。そこでは大きな執務机の向こう側で小さな頭が動いている。
「高梨の旦那は久しぶりだな」
そう言って椅子から降りる8歳くらいに見える少女がそこにいた。身に纏っているのは東和陸軍の上級士官の執務服。胸の略称とパイロット章が無ければ彼女が何者か見抜くことができないだろう。しかしシンもこの少女が先の遼南内戦で共和軍のエースとして君臨し、東和亡命後は実戦経験のほとんど無い東和軍一の戦術家であることを何度かの教導で身をもって知っていた。
「まあ、立ち話もなんだ。そこに座れよ」
少女はシンと高梨に接客用のソファーを勧める。
彼女、東和陸軍第一教導団教導部隊長クバルカ・ラン中佐は二人がソファーに腰掛けるのを確認すると自分もまたその正面に座った。




