季節がめぐる中で 144
「しかし災難ですね、カント将軍は。すべての段取りを指示してくれたあなたが、その計画を潰そうとする俺とつるんでいるなんて想像もしてないんじゃないですか?」
そう言うと嵯峨はこの部屋の主の意向を聞かないで胸のポケットからタバコを取り出す。母国のゲルパルトには喫煙者は皆無に等しく、カーンは不快そうな顔でタバコに火をつける嵯峨を見つめていた。
「なに、彼はそこまでの人物だった……」
「つれないねえ、あんたがどれだけそう言う言葉で部下を切り捨てて行ったかよくわかりますよ。私にとってはいい反面教師だ」
嵯峨のふかしたタバコの煙がカーンを襲う。その匂いにさらに不愉快そうな顔をするカーンだが、嵯峨はまるでそれを楽しんでいるように口元にだけ笑顔を作って見せる。
「より優れたものが生き延びる、それが……」
「使い古しの優性論ですか?社会学的なその論理が実際に意味を持っていたのは20世紀はじめの話ですよ。それも当時のおめでたい為政者や民族主義者なんかが気に食わない奴をぶっ殺すのに便利なお題目として使っただけで本気で信じてたとは俺も思えないんですがね」
カーンは苛立っていた。目の前の男が法律学・政治学・経済学の博士号を持つ秀才であることはカーンも知ってはいた。だが、それ以上に屁理屈をこねる天才であることは今日初めて目の前に嵯峨と言う男を見てようやく理解できた。
「なるほど、君がただの野蛮人でないことはよくわかったよ。そして、そんな秀才がただ情報の提供の礼を言うためだけにここに来たわけじゃないということもね」
「ほう、物分りがいいですね。もっとガチガチで俺の顔を見たら機嫌を損ねて部屋に帰るとばかり思っていましたが」
再び嵯峨はタバコの煙を吐き出す。それを受けてカーンは咳き込むが、嵯峨はそれを狙っていたとでも言うように笑顔でカーンを見つめる。
「今日はあなたに確かめたいことがあったんですよ」
嵯峨はそう言うとポケットから一人の長身の男の写真を取り出した。細い目と鋭くとがった鼻が目に付くどれも長髪の男の写真が三枚あった。
一つは遼南軍の軍服姿で戦場視察でもしているかのように部下達に指示を出している写真。その軍服は百年ほど前の遼南の将官の着る制服に酷似していた。
そしてもう一枚は何かの記念行事のようで背広を着て整列している人々の中央に座っているとでも言うような感じの写真。生気のないその顔はどこと無く不気味に見える。
最後の一枚は雪の中の街頭らしいところで上から隠し撮りされたとでも言うようなアングルで撮られた写真だった。
「なるほど、この男を知っているかと?」
カーンはその三枚の写真を手にとった。すぐに胸元から老眼鏡を取り出しそれぞれの写真を見つめる。嵯峨は黙ってそんなカーンの様子を観察している。
「知っていたらどうするつもりだね」
写真を見つめながらカーンが尋ねた。
「どうもしません。知らなくても同じですよ。ただこの人物の顔をあなたも近々多く見ることになるだろうと思いましてね。いうなれば私のささやかな贈り物ですよ。当然その三枚の写真はお持ち帰りいただいてもかまいませんよ」
嵯峨の言葉にカーンはさらによくその写真の男を見つめた。
「見たことが無いわけでは無いが、遼州人やアジア人の顔の区別がつかないものでね」
そう言いながら写真を手元に置くカーンを見ながら嵯峨は取り出した携帯灰皿にくわえていたタバコをねじ込んだ。
「ほう、これでおしまいかね」
そう言って笑うカーンに嵯峨は微笑みで返す。
「老人を敬う精神は持ち合わせているつもりでしてね。まあいつかはその両手に鉄のわっかを掛けに来ますんで、それまで元気にしておいてくださいよ」
それだけ言うと嵯峨は扉を静かに開いてラウンジへと姿を消した。
カーンは自分の体が思った以上に疲れていることを感じて甘いものでも頼もうと呼び鈴に手をかけた。




