第1話 皐月見参!
一人の女子高生が、銀杏の街路樹の景色が美しい躑躅ヶ咲駅に降り立つ。
少女は人混みをすり抜け、自動改札を風の様に走り抜ける。改札の先の歩道は様々な色のレンガで舗装されていて、中世ヨーロッパの町並みを、ほんの僅かではあるが想起させる。歩道はバスのロータリーに接しており、まだ青い銀杏の葉が風にそよいでいた。
少女はバスが来ていない事を確認し、右腕のカエルのキャラクターがプリントされた腕時計に目をやる。目的地の霞ヶ丘三丁目まで、バス停の数にして四つ。走れない距離では無い。少女は大きく息を吸う。
「遅刻だーー!!」
少女の名前は真田 皐月。霞ヶ丘高校に通う高校二年生。
今日は中間テストの最終日で、アルバイトの初日であるにも関わらず、テストが終わってそのまま友達とカラオケに行ったのがこの始末。
息を弾ませながら、ノートが二、三冊しか入っていない紺色のスクール鞄を、右脇と左腕で押さえながら全力に近い疾走。少し短めに履いたブラウンチェックのスカートが際どいところまでめくりあがり、すれ違うおっさんの期待感を煽る。
「セーフ!!」
「いや、遅刻だよ」
ギリギリで一週間前に面接を受けた事務所に飛び込み、大きく両手を広げて叫ぶ皐月。
十七時の開始時刻を指す、見ようによっては十七時一分に見えるアナログの壁掛け時計を見やって、店長の高坂 克はくわえ煙草で淡々と言い放つ。
「……すみません、っていうかどなたですか?」
「俺? 店長の高坂だけど?」
皐月の目の前に眠そうな目で立つ男は、三十代くらいの中肉中背、少し散髪の時期を逃した様なまとまりのない髪、白いシャツに黒いスラックスの店長スタイルであった。
「え? 一週間前に面接を受けた店長さんと別人なんですけど……」
「あ~、辞めた」
絶句する皐月に何事もなかったかの様に、無造作にウェイトレスの制服を渡して、更衣室で着替える様に指示する。
「これ、これ、これが着たかったの!」
店長が知らない間に変わっていたのは驚いたが、制服を見た瞬間にそんな事は忘却の彼方へ吹き飛び、皐月は制服のデザインに夢中になった。
白いシャツは落ち着いたパープルの縦縞のストライプで、細めのパープルのリボン。オリーブ色の無地のスカートの下部には、シャツと同じ色のパープルと白のラインが横に走っていて全体的に派手すぎず、広い年代に着られる仕様になっていた。
「ふふ、可愛い!」更衣室で制服に着替えた皐月は、鏡の前であれこれポーズを決める。
リボンを緩めに結んで第一ボタンを開け、首元が少しセクシーに見える様に工夫したり、ピンで留めた前髪を下ろして少し大人の女性を演出したりで、さながらファッションショーであった。
「さて、最後はお化粧! ドキドキ!」
「お~い、早くしろよ」
「……はい」
乙女心を微塵も解さなそうなこの店長は、更衣室から出て来る皐月を見るなり、大きなため息をついて頭をかく。
「……ったく何やってんだ。ボタンは一番上まで留めて、リボンもキチンと締める。それと前髪は眉毛の上まで。それ以上長い場合は切るか髪留めでとめる。それと言っとくけど髪の染色は禁止。染色見本のレベル九までしか認められないからな」
*
その日の夜。
アルバイト初日のオリエンテーションを終えた皐月は、帰宅して入浴中であった。
――全くなんなのよ、あのおっさん! 頭ごなしにあれもダメこれもダメって。よっぽど前の店長さんの方が優しそうで良かったのに。なんか思い出したらまた腹がたってきた! だいたいアルバイトに企業精神? とか、社訓とか関係ないじゃない。それを死ぬ程メモとらせるなんて……
「皐月ー! いつまでお風呂入ってるの。のぼせちゃうわよ」
「は~い」
――とにかく明後日の出勤までになんとか接客八大用語ぐらいは覚えて、あの店長をギャフンと言わせてやる!
*
ディナータイムのピークも終わり、高坂が事務所のパソコンの前で残務整理をしていると、接客主任の仁科 亘が入ってきた。
「店長~、今日入った新人さんどうでした?」
「あ~どうだろうな。元気はあったから暫くは続くんじゃないか?」
高坂は事務デスクに置いてある、温くなった飲みかけの缶コーヒーを一息に飲み干して、ネクタイを緩める。
「なんか、初日から遅刻したらしいですね」
「全く、近頃の若い奴は……」
「これが”Z世代”って奴ですかね」
「……それが主任の考えなのは構わないが、俺以外の前で口にするなよ」
「はいはい、了解です」
どことなく人を食った様な受け答えをする仁科であったが、高坂は別に気にした風でも無く「お疲れ様」と一言残して店を出た。
駐車場に出た高坂は車の鍵を取り出し、何気なく振り返る。
満天の星空の下に輝く”Restaurant”と筆記体でかかれた赤いネオンの下に、丸い文字で”メイプル”と書かれた意匠。
この物語は、ここレストラン・メイプルに集まる様々な人々の群像劇である。




