第48話【鮮血の庭園】
「…羽闇様、ご無事ですか?」
壱月は艶には目もくれず、私の元へ素早く歩み寄ると跪いて深々と頭を下げた。
「遅くなり申し訳御座いません。予想外の渋滞に巻き込まれてしまい、少々手間取ってしまいました。」
「よ…良かった。来てくれてありがとう、壱月。それより大変なの。敵に…それで、華弦を早く…助けなきゃ…!」
すると、よろめきながらも艶がゆっくりと立ち上がった。彼女の動きは痛みに強張り、足元がおぼついていない。それでもその鋭い眼光は壱月を射抜いている。
「…邪魔を、するな…!」
華弦に巻き付いていた鎖を解き、彼女はまるで壊れた人形の様にぎこちない足取りで壱月の方へと向かう。
「…は…っ…遅すぎだよ、萱君…!」
荒い呼吸を繰り返し、そのまま華弦は倒れ込んでしまった。
「羽闇様、お下がり下さい。」
私を背に庇うように立った壱月は、再び艶に銃口を向ける。
ジリジリと張り詰めた沈黙が流れる…。そして、艶が此方に踏み込もうとしたその瞬間――目に見えない何かに絡め取られたかの様に彼女の身体が硬直した。
「な…に…?」
掠れた声が、艶の喉から絞り出される。
それは華弦の仕業だった。彼の意識は途切れ途切れながらも繋がっていた。
鎖から解放された事で彼の身体は僅かに自由を取り戻し、同時に固く握りしめていた細剣から放たれる香りは先程までの比ではなかった。
「ぐっ、この香り…!」
「…身体も心も…奪い尽くされてしまいそうな、素敵な香りだろ?…艶ちゃん…もっと、嗅いでみな…。」
細剣の切っ先は、艶の腹部へと向けられる。
「ぐっ…動け…!」
甘い香りが全身を支配し、思うままに動けないらしい。だが遂に剣先は深く、艶の体内に突き刺さった。
「あ……!」
苦悶の叫びが、艶の口から漏れる。
「ふふ…これで、もっと深く…僕の香りが、君の身体の中を駆け巡るよ。もう、まともに考えられないだろ?」
腹部に深々と突き立てられた剣が抜かれ、彼女は力を失い崩れ落ちた。白い肌を染め上げる鮮血が地面に広がっていく。
「…くっ…」
華弦も限界だったのか、彼女の隣に身を任せた。先程の力を振り絞った一撃こそが彼の最後の抵抗だったのかもしれない。
「…は……は……僕の、勝ちだね…」
すると、倒れ伏した艶の身体がかすかに動き始めた。苦痛に歪んだ表情のまま、彼女は信じられない程の執念で自身の身体を支えようとする。
「…こんなところで……終わる、わけには…」
意識は朦朧としているようだが、それでも彼女は何かを振り払うように頭を振り、地面に手をついた。
「…くそっ……立て……!」
一度、二度、必死にもがくようにしてゆっくりと立ち上がると、重い足取りで艶はその場を離れていく。
「待ちなさいよ!」
「羽闇様、この状況では彼女を逃がすのが賢明かと。」
血痕を残し、艶の姿は夜の闇の中へと消えていった。
「華弦!」
倒れ伏した彼の元へ一目散に駆け寄ると、既に呼吸が浅い。
「華弦!しっかりして!華弦ってば!」
「お車までお急ぎ下さい。このままでは藤鷹様のお命が危ないかと存じます。」
壱月はすぐに運転席へ、私はぐったりとした華弦をそっと抱きかかえる形で後部座席に座った。エンジン音が轟き、車は夜の闇を切り裂いて走り出す。
華弦から目が離せない…!彼の顔には冷や汗が滲み、時折全身が痙攣していた。
「羽闇、ちゃ…」
「華弦!聞こえる?…ねぇ、壱月!どうしたら華弦を助けられるの!?」
「…月光邸に戻れば、解毒剤を探せるでしょう。藤鷹様が受けた毒は特別に調合された可能性が高く、特定が難しいかもしれませんが。ですが、月光邸の保管庫には様々な種類の解毒剤が保管されております。微かな望みではありますが、その中に適合するものがあるかもしれません。」
様々な種類の解毒剤…それなら何とかなるかもしれない。だけど、特別に調合された毒に果たして既成の解毒剤が効くのだろうか?そもそも月光邸まで彼の身体が保つの?
「…そうだ!私の力で華弦を治せないかな!?月の力なら、傷を癒したりも出来るんだ!」
月の力なら彼の傷を癒せるかもしれない!それに、まだ発揮出来ていない能力も使えるかもしれないし…!
「月の力は確かに奇跡を起こし得ますが…先程も申し上げた通り、藤鷹様のお身体に侵入した毒は通常のものとは性質が異なる可能性が御座います。傷口を癒せたとしても毒素そのものを完全に浄化するまでは難しいかもしれません。ですが、試す価値はあるでしょう。まずは月光邸へ戻り、解毒を試みつつ、貴方のお力もお借り出来ないか検討させて下さい。」
「分かったわ…。でも、解毒剤…間に合う、かな…?それに、本当に効くの…?」
「…現時点では、断言する事は出来かねます。藤鷹様のお身体に侵入した毒がどの様な性質を持つものなのか、詳細な分析が必要となります。しかし、月光邸に保管されている様々な解毒剤、そして私共の持つ知識と伝手を総動員し、必ずや適合する解毒剤を見つけ出す所存です。それまでは…誠に恐縮では御座いますが、彼にはどうか少しでも長く持ち堪えて頂くより他御座いません。」
彼の言葉に僅かな希望を託し、華弦の冷たい手を更に強く握りしめる。
「羽闇ちゃん…」
息を吐くように華弦が私の名前を呼ぶ。
その声はか細く、今にも途絶えてしまいそうだった。
「なぁに、華弦?私は此処にいるよ。ずっと、そばにいる…絶対助けるから!」
「…うん。…ちゃんと、守ってあげられなくて、ごめんね……」
違うよ、謝るのは私の方…!
彼は私の為にこんなにも傷付いて…。後悔と痛みがぐちゃぐちゃになって押し寄せてくる。
華弦の身体を強く抱きしめ、ひたすら命が繋ぎ止められる事を祈り続ける。
様々な種類の解毒剤。どうか、その中にこの毒に効くものがありますように…!
「お願い…死なないで…!」
第48話お読み頂きありがとう御座います!
華弦の『ごめんね』には、彼自身の全てが詰まっていたのではないかと思います。
月光邸へ急ぐ羽闇たち。果たして、華弦を救う手立てはあるのか?
次回をお楽しみに!




