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未分類  作者: 藍原センシ
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「花園の霊」③


          *   *   *


 秋、花畑の花はコスモスや撫子に変化した。

 桜の葉は赤色に変じ、何処からか運ばれて来た公孫樹(いちょう)や楓の落ち葉と共に地面に降り積もった。

 ただでさえ短い秋は、東京では密集した建物からの排熱に長引く暑さと、風の速さによる体感での寒さの狭間に呑まれ、(ほとん)ど存在しないかのような印象を受ける。しかしそれでも木々の葉は、消える前の姿がある事を雄弁に主張するように、秋を体現して路傍に吹き溜まる。

 (くだん)の老人はやはりそこに居り、何かを悟ったように達観した笑みを湛えていた。

 同じ本の表紙を撫でる手の縮緬(ちりめん)皺と無数の染みに私が気付いたのは、暦が十月中旬になってからだった。

 彼が急に歳を取ったのか、私が気付かなかっただけなのか──。

 私の視線の先が普段と異なる事を察してか、彼は「ああ」と言い、やや照れ臭そうに指を組んで手の甲の皺や染みを隠すようにした。

「時が流れるのは、速いものですね」

「東京では、特に」

 私が答えると、老人はふっと息を()いた。

「私も歳を取りました。歳を取ると、時の経つのが更に速く感じられるようになります。最近、ふと思う事があります。私は、これから先の東京の行く末を見ないまま終わるのだろうかと」

「……どうでしょうね。人の明日は、分からないものですから」

 私は意図的に「人」という言葉を使った。老人には私の意図はお見通しだったようで、こちらを見つめて静かに尋ねてきた。

「あなたは、東京という形が終わりを見届けるまで、ここに居るのですか?」

「僕は──」

 少し躊躇い、注意深く答える。

「都という概念が、日本人に存在し続ける限りは。経験則です、今までもそうだったから、恐らくこの先もそうだろうと」

「きっと、そうでしょう。あなたはこの先も、『都』を見続ける。私の中で、それは季節が移ろうに連れ、確信へと近づいていきました」

「あなたは、何故僕のような存在が居る事を……受け入れられたのですか?」

 今度は私から尋ねた。

 老人が答える前に、俄かに風向きが変わった。冬のような音を立てて、私の周囲をつむじ風が渦巻いて過ぎ去る。その軌跡を表すように落ち葉が舞い、あたかも私が風を纏っているかのように振舞ったが、無論それは私が特別な存在であるという事とは無関係だ。

 老人は視線を街に戻し、私の周りで起こったその現象を見てはいなかった。あたかも、偶然の出来事を判断材料にはしない、と言うかのように。

「取り分けて、あなたがそうだと思った訳ではありません」

 彼はそう答えた。

「都市には、そのような存在が居るのではないか──そのような思いは以前からあって、その裏づけがあなたなのではないかと思ったのですよ。……都に於ける地霊というものは、いわば人々の共通的で古態的な観念。巨大な造形物が象徴するような、同一の集合に所属しながら増殖する群落への、憧憬と劣弱意識。集団的な、それが本来意味するところのコンプレックスです。

 地霊は観測者であると共に、そもそも人間から生じた時点では理想的なソサエティの為のシンボルであり、雛型だったのではないかと思うのですよ。個人の営みが有為転変の末、全体に還元される。そのシステムこそ都市です。そして都の地霊は、抽象としてのそれを普遍化する為の記号だと」

 記号、と、私は反復して呟く。老人は首を縦に振った。

「それなくしては、人々は共同体の、()いては社会の連関は維持出来ない。働きが還元されぬまま維持そのものを目的にすれば、いずれ人々が活力を失い、共同体や社会は維持される必要性がない、という結論に至ってしまう。この事は、夏にもお話しした通りですね。

 そして、リソースは個人にも還元されるべきである。人に於いては個人レベルから脱出した共有体であり、都市の心像でもある……それが、都市と人の間を仲介する存在としての地霊です。都市が人の手を離れ、維持以外の目的を失った機構にならないよう調節するスタビライザーが、いつの時代も必要なのです。それなくして、都は現代まで人と共に続いては来られなかったでしょう」

 聴きながら、私は頭を掻く。

 それでは何だか、私が人々にとって守護者のような言われ方をしているように感じられる。実際にそのような事を、私が意識した事はない。

 自らの推論が合っているか、と確認するように、黙ってこちらの言葉を待つ老人に私は「買い被りすぎですよ」と言った。

「僕は、ただ存在するだけです」

「それでもいいのです。それが観念として在る限り、今という形は保たれ続け、アフォーダンスは返され続ける。もし人々が喪失に向かって加速するとしても、都市によって意図的に手を下される事はない」

 彼の口調は、既に完全な「確信」となっていた。

「だから、私は地霊をトリックスターだと思うのです」

 私は、これは老人にとっての悟りだったのだろうか、とちらりと思った。

 私が彼から地霊という言葉を聞き、初めて自らが何者であるのかについて漠然と輪郭が掴めたように。何故、自らがこの場所で都市を観察し続けるのかを推測──「理解」ではない──出来たように。

 彼もきっと、昔は何者でもなかったのだろう。それが、経験を積み重ねる事によってアイデンティティを形成したのだ。

 私には、教わる事しか出来なかった事だ──。

「……あなたは」

 確認のつもりで、私は口を開いた。

「あなたは、その地霊なのですか?」

「私が、ですか?」

 老人は一瞬、誰の事を言われたのか分からないようにきょとんとしてから、自らを指差した。今までの会話の流れと合っていないようなその素振りに、私は自分がおかしな事を言ったかのような気にさせられる。

「そのようなつもりで、お話しされていたのでは?」

 戸惑いながらも言うと、老人はそこでようやく私の言葉の意味を咀嚼したというように呵々大笑した。

「あはは、これは私とした事が──」

「どうされたのですか?」

「いえいえ。これは失礼しました、私はずっと、あなた自身の事についてお話ししていたつもりなのですよ」

「ですから、あなたは私と同じなのかと……」

 得体の知れない気まずさを覚えながら、私は語尾を濁す。

 老人は笑いを収めると、「そうですな」と考えるように言った。

「強いて言うのならば、私は都のではなく、この高台の花畑の地霊といえるのかもしれません。……私は東京が好きですが、同じくらいに()()()()を愛しています。どのような事を思っていても、街のありようが変わって行く事は仕方がない事ですが、私がここを利用し続ける限り、いつか若い人々が訪れなくなってもここは存在し続けるはずだ──そう思っているのです」

 私は、ならば、と思った。

 ──ならば、真に守護者であるのは彼だ。

 たとえ、この老人の語る都市の実態が、本当にその通りで、彼の語る言葉以上のもので表白し得ないのだとしても、私は自らの存在が人々にアフォードするものを可視化出来ない。

 片やこの老人は、彼がそこに居る限りこの場所は需要を失わず、忙しない都市の中にあって花を咲かせ続ける。

 未知の気付きに私が立ち尽くしていると、また一枚葉が落ちて来た。

 それは風の凪ぐ瞬間、ひらひらとベンチに降りて老人の傍らに留まった。が、すぐに再び吹いた風に攫われて行った。


          *   *   *


 都市について、自ら考える事は以前よりもずっと増えた。

 都市は環境であり、概念である。それは、当然ながら変遷こそすれどシステムの破綻までを予定に組み込んで成立している訳ではない。だからこそ、老人が夏に私に語った「有り得たかもしれない未来」に大きな意味はないだろう、と、私は今でも考えている。

 摩天楼という象徴は、あくまで象徴として残り続ける。生存は奴隷としての悲劇を意味せず、社会基盤は人々自身の手によって成立し、アプリオリも元型も、置換された新たな建造物という単位の創造に貢献する以外、殊更(ことさら)に多義的な意味を背負わされるものではない。

 だからこそ私はこれからも、今までと同様、俯瞰的な観測者で在り続けて構わないのだろう。

 それ以上の意義はない──はずだ。


          *   *   *


 初雪が降るまで、私はあの高台を訪れなかった。

 秋の老人との会話以来、一所に留まるのではなく、(もっぱ)ら都心から郊外まで広域を彷徨う事が多くなった。そうする事で、私の存在が都の均衡と揺らぎを共に司っているのだと思った。

 老人とは、またいつでも会えるような気がしていた。彼は土砂降りの日でもあの高台に居て、街を濡らす雨を眺め続けていた。鉄筋コンクリートの頑丈な建造物の中に居り、外の風雨になどかかずらわぬように”日常”を続ける人々までを、想像の内に見るかの如く。だから、排熱ですぐに解けてしまうような雪が降ったとしても、きっとそこに居るだろう、と。

 十二月下旬、東京で初雪が観測された日、私は高台に向かった。

 結局、帰り着く場所はそこなのだと思った。丘を登りながら、彼は傘を差しているだろうか、と私は考えた。

 水道管の凍結を防ぐ為か、噴水は止められていた。もう花壇に花はなく、湿り気を帯びて黒々とした土の上に粉雪がうっすらと膜を被せていた。

 既に葉の全てを喪失し、末梢の痩せた枝を箒の如く立てた桜の下に、いつものベンチが見えた。だが、秋までのように木の下に進んで行き、私は足を止めた。今までとは異なる状況に、思わず足を止めてしまったのだ。

 雪の薄く積もったベンチに、老人の姿はなかった。

 その時私の脳裏に()ぎったのは、秋に聞いた彼の言葉だった。

 ──最近、ふと思う事があります。私は、これから先の東京の行く末を見ないまま終わるのだろうかと。

 そうか、と納得が萌した。

 私は彼を、誤解していたようだった。

 時折、居ない事はないのだ。大多数の人よりも鋭い観察眼と高い感受性を備え、多くの人間が考えずに済ます事を敢えて考え、私のような存在について、確証は持たないながらもそれとなく存在を察する人間は居る。

 あの老人は、地霊ではなかったのだ。

 ただ多少、人よりも長い時間を、この東京の街を観察する事に使ってきた人間だった──。

 私は(しば)しベンチの前で佇んだ後、(きびす)を返した。

 うら寂しい風はまだ()まない。



(花園の霊 終)

「花園の霊」の連載はこれにて終了となります。こういったお話は好き嫌いが分かれそうですが、私は好きなので書きました。以下、モチーフとなった作品(第一回の後書きで名前を挙げたもの)について核心的な事を書かないと説明が出来ませんので、ネタバレ耐性のない方はご注意下さい。


 宮沢賢治の「風の又三郎」は、「風野又三郎」では主役となる少年の超然性が割とはっきり描写されていたのに対し、本当に彼が地元に伝わる「風の又三郎」なのかを敢えて(ぼか)したような描き方をされています。子供たちは最後、高田三郎が忽然と居なくなった事で「やっぱりあいづは風の又三郎だったな」となる訳ですが、私がこの場面から連想したアニメ『お伽草子』では、地霊(ゲニウス・ロキ)と思われた老人は逆に居なくなった事で「人間だったのだ」と判断されます。

『お伽草子』は恐らく作中で説明される以上に深読みする必要はなさそうですが、「風の又三郎」は三郎が本当に風の又三郎だったのか、単なる少し不思議な少年だったのか、もしくは彼に風の又三郎が憑依していたのかは諸説あります。私が本作で描いた老人も、ネタ元の『お伽草子』の老人というよりも「風の又三郎」の三郎を意識したつもりですが、常々述べている通り解釈は読み手の皆さんの自由です。

 都市哲学については、『マルドゥック・ヴェロシティ』のあとがきで冲方丁さんが主人公のボイルドにとっての「都市」について述べていたものが下敷きになっていますが、彼はそのすぐ後にこう記述しています。


 その執筆を終えた今も、彼が体験し、また体現した、醜悪と破滅は、実際には何の意義もない、というのが正直な気持ちである。僕たちは別に、破滅するために生きているわけではないのだから。(「精神の血──その最悪の輝き」ハヤカワ文庫『マルドゥック・ヴェロシティ3』より)


 今回は、都市システム自体は、それそのもの及びその上で暮らす人々にとっての破滅までを予定してはいない、という希望的な前提で書いたつもりですが、そこに環境と観測者としての地霊は絶妙に嵌まり込んでくれたような気がします。ただ、都市を動かす意思が既にシステマティックなものとなり、人の意思を離れているという解釈にはそれでもやや不穏なものが拭えません。今後また何か別の創作物に触れれば私の書く事も変わるでしょうが、取り敢えず今回はこれで一段落という事にしたいと思います。

 最後までお読み下さりありがとうございました。

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