「生き物語」①
本作にはかなりグロテスクな描写があります。注意してお読み下さい。
呼吸をすると人が死ぬ。
遂にそこまで考えた時、私は児童ディスポーザーに行こうと決めた。
* * *
二トンの大型収集車で運ばれた私たちは、巨大な角材を重ねて築かれた壁の内側で降ろされ、正面広場に集められた。皆、自分たちがどのように生まれ変わるのかに関してはそこまで期待はしていないらしく、一様にデフォルメ化された表情を浮かべている。施設内では私語は禁止され、違反すると問答無用で最下位のエアロゾルコースに回されてしまう。
一人ずつ名前とタグナンバーが読み上げられ、呼ばれたら受付に行ってから身体検査の方に送られる事になっている。
私の前には猿と鼠とキリンが呼ばれ、シャカシャカした水色の作業着を着てキャップを被った係の人と一緒に建物の中に入って行った。建物の中からは、機械が高速で回転しているらしくブオオオオオン! ブオオオオオン! という物凄い音がひっきりなしに聞こえてくる。煙突からは排煙と共に、エアロゾルにされた子供たちの粒子がきらきらと大気中に溶け出していた。
校外学習で自動車工場の見学に行った時、私は「火を燃やすと人が死ぬ」と思っていたのであまりいい印象を持たなかった。真っ黒な煙突が、空が灰色に曇る程排煙を吐き出している光景は、教科書に載っていた「大気汚染」の写真そのもので、あんなに脅すような事ばかりを言う先生たちは何故模範的な社会見学の一環として私たちにこのようなものを見せるのだろう、と思った。
溶接用ロボットの火花を散らす近くを通った時、私は憂鬱だった。事前学習で先生から「近くを火花が散る場所を通るので女子は髪が隠れる帽子を被って来る事をお勧めします」と言われた時からそうだった。いざその現場を見学した時、柵からほんの一、二センチだけ体を離している私に案内係の女の人が「怖いですか?」と尋ねてきて、私はこの人は何と的外れな事を言うのだろうと思った覚えがある。
曇天にエアロゾルが見えなくなるのをじっと眺めていると、私の番になった。私は手を挙げつつ、カウンターの方へ向かう。
「カワウソさんですね」
受付の男の人は、やはり気になるのか私の毛皮のコートをじろじろと見た。
「ニホンカワウソは一九六五年に国の特別天然記念物に指定されていて、毛皮を採る為に狩る事は禁止されているはずですが……」
その目は露骨に、頭や尻尾まで付けちゃって、と詰るかのようだった。
私はいつも通りに、カワウソの頭のフードを被って口のファスナーを閉め、口の中に自分の顔をすっぽりと収めている。あたかも、カワウソに食べられているかのような見た目だ。
「いえ、これは一九三〇年代のもので、おばあちゃんの形見なんです」
「そうですか。失礼しました」
ではこちらへどうぞ、と言われ、私は灰色キャップの係と一緒に児童ディスポーザーの建物内へ入る。
* * *
「これからオペを開始します。宜しくお願いします」
執刀医が手順通り、手術台に横たわる患者に頭を下げる。患者は爪先から喉までをブルーシートに覆われ、腹部だけを円く開けられている。顔は本人がかねてから希望していた通りバラクラバで覆われていたが、切開しやすいように縫口は全て仮縫いに巻き戻されている。
助手たちも頭を下げ、執刀医が「メス」と要求する。
レジ袋を切り裂くような、滑るが如き軽さで仮縫いの糸が切られるが、まだ血は溢れ出さない。執刀医はよく手を消毒し直し、大きく口を開けた頭の中にそっとそれを差し込んでいく。
ぐずぐずに溶けかかった脳を取り出すと、それを同じくらい丁寧な動作で助手の差し向けた保存液の中に入れる。液は真っ赤に染まり、線虫のような黒い血の筋がその中を悶えるように泳いだ。
助手は傍らの機械にそれを繋ぎ、元々繋がれていた古い脳味噌を容器ごと外して中身をバケツにじゃっと空けた。古いそれは潰れてしまった。
* * *
「お前知らないのかよ、カワウソってもう高知県の足摺岬に何匹かしか居なくなっちゃったんだぞ」
小学一年生の頃、カワウソの毛皮の事でよく酷い言葉を浴びせられた。
私は家族や保育所の友達からは動物博士だと思われていたので、その情報がとっくに古くなっている事を知り、もうニホンカワウソは絶滅危惧種どころかこの世から一匹も居なくなってしまった事を知っていた。けれど、他所の人を傷つけるのは悪い事だと思っていたので言い返す事は出来なかったし、相手が男の子でも女の子でも呼び捨てにする事も出来なかった。ただ「あ、そっか」などと言って謝りながら、心の中に作っていたクラスメイトと先生たちの名簿の中で、何も印が付いていないその子の欄に「×」を付けた。
私が言い返さないと、皆は増長した。その子は確か、「ごめんで済んだら警察は要らねえよ!」と言ったように思う。「お前みたいな奴が居るから、カワウソは死んじゃったんだ」
私は保育所に通っていた頃、お化けに会うのが怖くて行くのが嫌だと泣いた事があった。学年が上がるうちに怖い事は「死ぬ事」になり、更に学年が上がると死ぬ事の原因として環境問題が怖くなった。辞書の使い方を習うと、地球温暖化の原因だと説明された「二酸化炭素」のページは絶対に開かないように心掛け、「死ぬ」や「亡くなる」といった言葉の横に鉛筆で「とてもこわいこと」と注釈をつけた。
いつか死んだらと思うと、歳をとる事は怖い事の際たるものだった。眠れない夜に十一時頃まで──その頃は就寝時間は九時半だった──自分と家族に永遠の命をと祈り続け、小学一年の序盤は自分はずっと一年生だと思い、学年が一つ上がる度に「まだ一つ上がっただけだ、大丈夫」と自分に言い聞かせた。
紙が木で出来ているという事を祖母から聞かされたのは、まだ保育所に居た頃だっただろうか。
「お山の木を伐りすぎると、雨が降った時ちゃんと地面に染み込まなくなって流れちゃうの。お家から何から全部なくなっちゃうんだよ」
私が「何々をすると人が死ぬ」という思考に囚われ始めたのは、恐らくその頃からだった。
人の経済開発によって、様々な環境問題が起こる。先生は私たちが生きている間に化石燃料はなくなるだろうと言い、いつか読んだ子供向けの百科事典には「世界では一秒ごとにサッカー場程の広さの熱帯雨林が消滅している」と書いてあり、また「放射性廃棄物は二十四万年に渡って危険量の放射線を出し続ける」とあった。植物が二酸化炭素を吸収するという事を知って少し救われた気になっていただけに、特に森の消滅──今のペースでは百年後にはなくなる──という記述には絶望し、何故人は死に急ぐのだろうと頭を悩ませた。
私の中で、そのような危険性は全て「人が死ぬ」に置換された。
ものを食べれば人が死ぬ。何故なら食物連鎖の根本には植物があり、食べる事はそれを減らす事だから。
鉛筆を使えば人が死ぬ。何故なら鉛筆の芯は炭だし、書かれるものは紙だから。鉛筆を使って芯と紙を減らす度、木は伐られなければならなくなる。
夜更かしをすれば人が死ぬ。起きていれば電気が必要になるし、電気を作るには火を燃やさねばならない。その頃、私はエコロジカルなど皆が口にするだけの夢のまた夢だと思っていた。そうでなければ、何故一秒ごとにサッカー場の面積で森がなくならなければならないのか。
今となっては馬鹿馬鹿しい話だが、私は年々地球の気温が上がる原因を太陽が膨張しているからだと思っていた。いつかそれは地球に接触して焼き尽くすという話をテレビで聞き、泣いた。温室効果ガスが温暖化の原因という理由を、それらが太陽を膨張させるのだと解釈していた。そして、人が呼吸をすると二酸化炭素が出るという事を知った時絶望した。植物が光合成を行うのに二酸化炭素は欠かせない、という事を知る前だった。
殺人事件や大きな事故で人が減ったというニュースを観る目にする度、私は喜んでいた。ある時は遺跡のようになったビル街の跡地に蔓性植物が繁茂し、その中を自分が歩く様子を想像してそのような未来が来たらいいなと考えた。
地図帳の付録にあった「社会の仕組み」のような絵──小さな町の中で人々が色々な事をし、そこに「発電所」や「道路整備」などと説明が書いてある──に書かれている工場や自動車を片端から爆炎の絵で潰し、人を赤く塗り潰した。その頃には大小様々なトラブルがあり、私の「名簿」に載っている人たちの記号は全て「×」になっていた。
私は彼らとは友達の振りをしているのだ、と思っていた。けれど決して自分が孤独であるとも思わなかった。私だけの友達は沢山居て、彼らも皆カワウソだった。
「カワウソ君って怒る事あるの?」
私が常に「いい子」を演じるように努め、嫌な事をされても「やめろ」とすら言わなかった──そうする事を罪悪だと思っていた──からか、クラスメイトからよくそのような事を尋ねられた。「あるよ」と返すと「どんな風に怒るの?」などと馬鹿らしい事を更に聞かれた。
やってみせる事も出来ず曖昧に笑ってやりすごしていると、ある時誰かが「カワウソを怒らせてみよう」と言い出し、クラスの大事な話し合いなどの最中にわざと私の言う事を聞かなかったり、ふざけてみせたりした。
その癖、私が悪気なく「皆もやっている」ような配慮の足りない行為をしたりすると、「何でそのような事をするのだ」というような非難の目で見られた。小学校のテストで零点など滅多に取るものではないが、たまたまそうなったという一人が居て皆で驚いたように騒いでいた時、私が
「○○君が史上最悪の零点を取ったというのは本当?」
と皆と同じように尋ねると、彼らは口々に「酷い」「何でそんな事言うの」などとあたかも私が悪者であるかのように言った。
自分を不愉快にした者たちに直接言い返す事は出来なかったが、脳裏では友達のカワウソたちと一緒に彼らに制裁を下していた。電動ドライバーで肉体にネジを打ったり、炎を浴びせてはすぐに再生させ、また浴びせを繰り返したり、彼らの変じた「ゲンシ」に見立てた石を──人体を含むもの全ては「原子」で出来ているという話を耳にした為だが、私はそれを石の一種だと思っていた──を踏みつけたり、と。
ある時、クラスの誰かが金魚の水槽に餌を山のように入れた為に濾過装置を詰まらせ、金魚が死んだという事があり、犯人の狸が皆に責められた。生き物係の女の子が泣いた事で非難は決定的になり、狸に対して疎外が始まった。私も彼と口を利くなと厳命されたが、やはり向こうから話し掛けられれば応えずにはいられないのが私の性格だった。
それから半月程が経った頃、狸が校門前の塀に磔にされ、口を開けて喉を上向かせていた。顔は、そのまま死んだかのように無表情で苦痛を浮かべている様子はなかった。鑿と金槌を持った影法師の子供がそこに居て、周りでは同じく無数の影法師がやんやと囃し立てていた。
「あ、カワウソもやる?」
私が近づくと、その子供が鑿と金槌を手渡してきた。拒む事も出来ずに私がそれを受け取ると、誰かが「やってみなよ」と言った。私は困惑し、助けを求めるように彼らを見回した。
「スカッとするよ」「皆やってるよ」「大丈夫だから」
誰もがそう言い、やがてそれらは「出来ないのか」「こいつを庇うのか」というような声に変わっていった。
私は皆から、同じような目に遭わされるのが怖かった。
勇気を出して狸に近づき、見上げると、鑿の先端を体毛の少ない膝裏の窪みに当てた。金槌を振り下ろすと、ガツンという骨を直撃したような音が鳴り、大きく抉れた肉塊が骨の欠片諸共宙に舞った。
本日より三日間に分け、短編小説を投稿します。私としては初となるナンセンス小説で、題名は字面的に「生物語」の方がいい気がしましたが、一つ前に投稿したノンシリーズ短編の都合上西尾維新さんの真似をしたと思われそうなので送り仮名を付けました。とはいえ、上田秋成の『癇癖談』など過去にも前例があるのでそこまで気にする必要はないのかもしれません。
一回目ではまだ控えめですが、藍原センシにしては珍しくかなりグロ描写がキレています。バトルものでは過去にも大量出血や部位欠損など「痛い」描写はありましたが、「気持ち悪い」グロはあまり書いてこなかったように思います。悪趣味と思われるかもしれませんが、一応友人からは絶賛されました。




