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未分類  作者: 藍原センシ
41/65

「ハルモニア」⑦

 ヨグ=ゾフトが、迎撃の構えに入っている。防御(ディフェンス)──爪一本。

 もしもゴーマで決めきれなければ、ラウンドは完成し、死に最も近い時間が始まる事となる。繰り返してきたその思考実験が、今律の脳裏には極近未来として、情景さえイメージ出来る程に展開されていた。

 律は奥歯を食い縛ると、三つとも使用しようとしていた”切り札”の発動を、二つまでに押し留めた。札提示(ディスカード)──赤と青。R+B=M(赤紫(マゼンタ))。

「はああっ!」

 裂帛の気合いと共に、律は拳を突き出す。

 割り込んできた爪の中央にそれが炸裂→木の幹の如く太いそれが、中で液体が移動したかの如く膨張/破裂。飛び散る黒い粒子を浴びながらも律は前進を続け、憑魔のこちらを睨んだ眼球に、そのまま突きを叩き込んだ。

「ギエエエエエエエッ!!」

 憑魔が吠えると共に、その音圧に押されるようにして距離を取る。

 案の定、爪へのヒットの際に突きの勢いが減殺されてしまったらしい。二つ分でも土木工事用のダイナマイトと同等の威力を誇る律の”切り札”だったが、敵の頭部に致命的な損傷を与えるまでには至らなかった。

 律は、思わず舌打ちを弾けさせる。ラウンドの未完成を狙い、意図的に威力を下げた攻撃ではあったが、予想以上に与ダメージが減ってしまったようだ。これでは、魔導書板を使用してダメージを蓄積させても、”切り札”の最後の一発で仕留めきれるかどうかすら怪しい。

 憑魔は一時的な遅延(ディレイ)から立ち直ると、お返しとばかりに上空から爪の一本をこちらに向けた。その先端が紫色に発光し、こちらに向かってビームが射出される。

 ──防御しかない。主導権は、それで奪われるが。

 律はそう判断し、魔導書板を掲げる。恐れていた事が、遂に現実になってしまったかと思われた、その時だった。

具現化(リアライズ)……1609」

 夜空から、梢葉を抜けて冷ややかな詠唱が降り注いだ。

 転瞬、律とヨグ=ゾフトの間に魔方陣が展開し、樹璃がそこに現れる。律は思わず目を見張り、コンマ数秒のうちに頭上の夜空と目の前の彼女の間で視線を往復させてしまった。

「ワープ……?」

 それも確かに、実際の現象は確認されないながらイメージは出来る概念だ。

 律が冷静に思った瞬間、樹璃が障壁因子プリヴェントファクターを発動した。光の壁が現れ、数瞬遅れてこちらに到達した憑魔の光線はそこに当たるや否や四方に分散し、密立する木々を木炭へと変える。

 しかし、通常の防御魔法ではやはり相殺しきるには脆いようだった。

 障壁がひび割れ、そこから漏れ出した光は治療用レーザーの如く細い筋となって樹璃の肩を掠める。服の肩の部分が細く蒸発し、シュウッ! という音を立てて血液の混ざったような煙が上がる。斜め後ろからでも、障壁とそこに当たるビームの光に照らされ、樹璃の苦痛に歪められた顔が見えた。

 律が唖然としていると、彼女が首を小刻みに震わせながら振り向いた。

「……何、しているの。早く、フォヴォーラを……」

「な……何で……?」

 律は、懸命に声を絞り出して尋ねた。「何で浅葱さんが、私を?」

「防戦になったら、本多さんの方が不利」

 彼女が言った瞬間に、障壁は破砕した。しかし、憑魔の巨体に比べるとあまりにも細く、小さな彼女の体に光の奔流が襲い掛かろうとした時、再び素早く唱えられた術式によってそれは再構成される。それを境に、憑魔によるビーム射出が、途切れる兆候のようにやや幅を狭めた。

 律が「そういう事じゃなく」と──戦闘中、瞬を争う事態に際して何という悠長な事をしているのか、と、理性的では分かってはいた──更に問おうとすると、樹璃がそこで初めて感情らしい感情を見せた。

 怒り……否、決意。

「あなたが、本多司令の娘だから」

「………!!」

 律は、自分がその言葉にどのような感情を抱いたのか、把握出来なかった。

 しかし、次の瞬間には律は、体の奥底で何かが爆発するような強い情動と共に飛び出していた。樹璃の頭上を跳び越え、空中で再び拳に力を込める。

 憑魔の反応は速かった。ビームを放ち終えた爪を振り回し、風と光の魔法を飛ばして応戦する樹璃を相手に取りつつ、残りの爪を断続的に律へと伸ばしてくる。律はそれを四肢で受け、払いながら、先程の”切り札”で穿った頭部の傷を目指して前進を続けた。

 こちらの”切り札”は、残り一発。しかし、(ゴーマ)を発動する前の二発分チャージでも、完全に敵の息の根を止める事は出来なかった。つまり、今からこの一撃を確実に命中させたところで、倒しきれる保証はない。

 だが、それはあくまで”そのまま”攻撃を繰り出した場合──。

「力よ満ち渡れ……」

 律は、無意識のうちにそう詠唱していた。

 口に出してからはっと気付き、ぶるぶると(かぶり)を振る。何をしているのだろう、自分には、如何なる通常魔法も使用出来ないというのに。

 ギャンブルに出るくらいなら、魔導書板での攻撃→左拳の打撃で技間を繋ぎ→再び魔導書板……という流れを繰り返し、堅実にダメージを蓄積させた方がいい。それで倒しきれなくても、ブロードの解除が起こればもうビームによる攻撃を警戒する必要もなくなる。もしくは威力の底上げを狙うのなら、魔王術(サロニモス)+”切り札”×一という手もあったはずだ。

 しかし、律が優先したのは可及的速やかな敵の排除だった。樹璃の作り出してくれたこの隙を無駄にしてはいけない。理性より大きな声で、そう叫ぶ自分が胸の中に居座っていた。

「ストレングス!」

 一か、八か。

 体感時間で一秒が経過し、やはり駄目か、と律は唇を噛む。拳と、爪による守りの途切れた憑魔の傷は、徐々に、徐々に接近していく。

(ここまで……かな)

 断念し、そのまま最後の”切り札”を使おうとした時、不意にフラッシュバックが律を襲った。律はうっと呻き、現れた光景に目を見開いた。


 コンクリートの壁に四方を囲まれた、殺風景な部屋。広さは二十畳程で、床には一面に白いマットが敷かれている。母に戦術を叩き込まれた訓練場、しかし普段なら自分と母しか立ち入る事のないその部屋には、くたびれた灰色のシャツを羽織った見知らぬ男が立っていた。

 これは思い出だろうか? 部屋が見慣れたものより広く、天井が高く感じる。

 どうやら、自分がかなり幼い頃の記憶らしい。だが、律には全く身に覚えがなかった。何故このような情景が、突然に現れたのかは分からない。忘れていた、という事すら思い出せないのだ。

 見上げるような位置にある男の顔は、逆光で輪郭しか見えなかったが、律には彼から放たれている殺気が、肌で火花を散らすかのように感じられた。気を抜けば、毛穴という毛穴から()が噴き出しそうな程に。

「さあ、律ちゃん。今のが”修羅場”の感覚だ。俺たち人間の皮膚は、フォヴォーラよりずっと脆い。けれど、この感覚を肌で覚えていれば大丈夫、焦りや動揺に呑み込まれず、心を完全にコントロール出来るようになる」

 それが出来れば強いよ、と、彼は言った。

「魔法使いの素質は、あらかじめその人に備わっているものだからね。律ちゃんがそうして”完全”な状態に身を置ければ、感情的な夾雑物が魔法を使う妨げになる事はない」

 ──あたしが魔法を使えないのは、そのせい?(そうだ、確かにそう尋ねた)

「ああ。君は昔、怖い目に遭ったんだ。とても、とても怖い目にね」

 ──思い出せないよ。

「思い出さなくていい。体に染みついた恐怖も、”修羅場”が消してくれる」

 ──どうすれば、”修羅場”が出来る?

「色々だね。天国が見えるくらいまで死ぬ瞬間に近づくとか……凄まじい命の駆け引きの中で、相手の人を殺すとか」

 ──出来ない。あたし、そんな事出来ない!

「出来るさ。君のアルマヘッドは、”修羅場”に到達する為の魔法なんだから」

 そんな危険に身を置かなくてもね。

 そう言った彼の、口元だけが微かに見えた。笑っている──ようだ。

 彼は、「修羅になれ」と言った。

「修羅になって、荊棘(けいきょく)を往くんだ。そこで君は、地獄に春が来るのを見るだろう」


 繰り返す、フラッシュバック。

 惨劇──丘の上、幾重にも折り重なる屍。ぺたんと外開きになった脚。(てのひら)。=乾いた血。油性ペンのインクの如くこびりつき、落ちない。

 やってしまった。けれど、仕方がない。

 ここが”修羅場”なのではない。”()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして情景は、現れた時と同じように掻き消える。白昼に擦れ違った通り魔のように、或いは幸運の女神(フォルトゥナ)が、唐突に微笑み方をど忘れしたように。


 それは、タイサイキア現象によって増大された間隙の時間に、これでもかという程に凝縮された景色だった。夜の森が目の前に戻ってきた時、律はまだ少しずつ憑魔に向かって突っ込んでいく最中だった。

 強化魔法の詠唱を叫んだ残響が、まだ唇と耳に残っている。

 一瞬──たった一瞬の間に、律の中から焦りも、恐れも蒸発していた。左手の上に浮かんだ魔導書板が、文字列を強く発光させている……アルマヘッドの何らかの魔法が自然発動しているようだが、律にはそれが何であっても構わなかった。ただ、それが自分を導き入れるものであれば。

 何処に? ──”修羅場”に、だ。

「ストレングス」

 もう一度、今度は低く抑えた声で詠唱する。それは、自分では大分ゆっくりとしたものに感じられたが、実際には凄まじい舌の回転速度だったようだ。証拠に、憑魔へと接近していく拳のスピードは、コマ送りのように遅かった。

 そして、その瞬間律の拳に”切り札”のものではない発光が現れた。仄白く薄い光の膜が、制勝奪取(トリックテイキング)によって顕現したプロテクターの上から腕を包んでいる。

 普段──すぐに消える。=失敗。

 現在──消えない。=成功。∴勝負あり。

 律はその時、自分の瞳から反射光が消滅している様子を、俯瞰的な視点からはっきりと見たような気がした。自我から完全に独立した”自分”が、生まれて初めて成功した強化魔法のエフェクトを、最後の”切り札”を転換した緑色の光で上書きしていく。

 目を見開く憑魔/その虹彩一杯に拳を映し出す律→眼球に肉薄し、膨張/爆散させる突き→大きく欠損した肉壁を貫いた拳が、その向こう、上空に向いて開かれた口腔に到達する。滝の如く、透明な血液がその空間へと流入した。

「終わりよ」

 普段なら絶対に発さないであろう氷点下の声が、喉から滑り出した。

 律は、敵の口腔、その内壁を蹴って夜空へと飛翔する。死に際まで放たれ続けた爪からのビーム×それに応戦する軍用機からのミサイルによって作り出される閃光たちが、祝砲のように輝いていた。

 火の花咲き乱れる空を、血飛沫(しぶき)と共に律の体が弧を描いて舞った時。

 太古の伝説から蘇った魔神と、その贄とされた人間──憑魔ヨグ=ゾフトを形作る二つの生命は、存在しない火山が噴火したかの如き勢いで膨大な黒い粒子を撒き散らし、跡形もなく消滅した。



(ハルモニア・終)


※本作品は『フランチャイズ・フラン』の原型となった作品です

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