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未分類  作者: 藍原センシ
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「三月上旬の桜の記憶」

(初出 note、2024年4月4日)


 地方を隔てた友人から「三月はライオンのようにやって来た」という手紙を受け取り、桜前線の北上に異常がない事を知る。昨年の三月上旬に別れたきりになっている彼に、何らかの脈絡を持って井伏鱒二の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」という言葉を思い起こし、花に嵐の喩えを連想したのかもしれない。

 彼は旅に出たのだと思っていた。季節の一巡りを基軸として、その一年目を終えた時、彼は最後の係留場所を東京の中心部に定めた。ライオンのようにやって来た春の嵐は、嵐そのものよりもその前触れの静けさの如く、私と彼の胸裏に密かに(すさ)んでいるようだった。

 桜流しに先駆けるように、咲く前の花を牽制する嵐のように訪れる三月上旬の「サヨナラ」は、于武陵(うぶりょう)の漢詩「勧酒」の、井伏鱒二による翻訳の一節を思わせる。白文の「人生足別離(じんせいべつりたる)」は人生に別れは付きものだと一期一会を説いているのであり、人生そのものを即ち「サヨナラ」と布衍しているのではない。井伏が敢えて布衍を選んだのは、林芙美子の言葉に依るものが大きい。

 彼女は、井伏と共に講演に訪れた尾道で、見送る者との別れを惜しんで「左様ならだけが人生ね」と口にした。センチメンタリズムを感じさせる言葉の裏で彼女や井伏の内にも、私たちのような三月のライオンが来訪していたのかもしれない。

 桜の事について、友人からの手紙の中では触れられていなかった。旅先からの現地報告の如く、外界を差し置いた人の営みに関する事柄だけが脈々と綴られたB5の紙には、毛細血管のように細かな皺が寄り、あたかも彼が震えた手でそれを書いていたように見えた。目黒川に面したカフェのテラス席で綴っている、とあったが、恐らく最後の北風が吹いていたのではないかと思う。文鎮代わりに置かれたのであろうカップの底の跡に沿って、その半月の弧に接線を引くように一際(ひときわ)大きな折れ目が走り、誰かが盗み読みでもしたかのようだった。

 彼は疲れていたのだろう、所々にシャープペンシルを持ったまま微睡んだ時のように、髪の毛の如く走った曲線を、本文を消去してしまわぬように細心の注意を払って消しゴムで撫ぜたような痕跡が残っていた。私はそれを読みながら、自らの住む地方都市であろうと、彼の居る東京であろうと、ライオンのようにやって来るという三月に分け隔てはない事を実感した。

 実際には南から北へと進む、春それ自身とも言い換えられる桜前線が平等なもののように感じられるのは、国内で全てが同じ遺伝子を持つという染井吉野のせいかもしれない。遺伝子が同じだから、何処でも一斉に咲く。標本木が開花すれば、それが国中の開花を告げられた事になる。

 しかし私は手紙を読み、依然冬の名残(なご)る三月上旬の事を考えながら、ふと「サヨナラ」そのものが行われる時期はまだ桜は咲いていない頃なのではないか、と今更ながら思った。「サヨナラ」の思い出の中はいつも、桜の花弁の、蜜の甘さを感じさせない水の匂いが漂っており、友人はだから、不香(ふきょう)の花とは雪ではなく桜の事をいうのだと思っていた、と言っていた。

 私はいつか、三月上旬の「サヨナラ」の折に満開の桜を見ている。

 その日は卒業式で、前日まで咲いていなかった校庭の桜が満開になっていた。「サヨナラ」に対し、春は遅れる事なくやって来て、必ず哀情を(いざな)うように桜が咲くのだ、と思ったのもその時だった。前日まで、開花を見落としていたとは思えない。花の季節が終わると急に樹木そのものがなくなってしまったように見えなくなる桜は、開いた途端に否応なく目を惹くからだ。

 しかし現実的に考えて、この記憶は私の人生に於いてあったはずがない。小学校を卒業した年、私の住む地域の開花日は四月七日だったし、中学校では一年次、楕円を描く事すら難しい程の狭い校庭に、土地を囲む守護霊の如く植えられていた桜は工事の為に伐採されてしまっていた。裏口に停められたトラックに積まれていた無数の丸太と、それを目にした教師が「あれを刳り貫いたら小舟になりそうだな」などと独りごちていた光景を、私は今でも鮮明に思い出せる。そして高校は、私たちの居たキャンパスにそもそも校庭が存在しなかった。

 私の中で三月上旬の桜の記憶は、別れの行われる場所には桜がある、という春の感傷について、ある種のバックボーンのようなものになっていた。古今の楽曲に於いても、春に伴う「サヨナラ」を歌ったものには、共有財産と化した舞台装置のように桜が現れる。その一方で、多くの場合三月は凍てつく嵐と共に現れ、上旬の桜というものを否定する。

「サヨナラ」と共に桜を描いてきた表現者たちが居る以上、その記憶が私だけの”気のせい”であるはずがない。ややもすれば、あの友人を含む多くの人々の記憶に、三月上旬の桜は自分のものとして刻み込まれているのかもしれない。

 こうして綴りながら、私は目を閉じ、ゆっくりと思い出す。窓から吹き込んでくる生暖かい風は、そのまま問題の記憶の根源であるいつかの三月に続き、私は移ろうようにそこへと流されて行く。

 小中高、まだ何処か分からない校庭の築山に、染井吉野の古木が立っていた。樹齢は何十、いや、何百年になるのだろう、その姿は雄々しくも、成仏出来ない幽霊の如く重々しく、またおどろおどろしかった。貪欲という言葉が似つかわしい程の勢いで根が張り巡らされ、それが築山の表面を、巨大な手──前脚ではなく──を持つ生き物が鷲掴みにしているかのようだった。

 逆光で顔の見えない少女が、半ば転びそうになりながら斜面を登っている。それが同級生である事は分かっているのだが、今となっては顔も名前も思い出せない。これだけは自信を持って言う事が出来るのだが、彼女はその後、間違いなく斜面を降りて来ていない。帰り道、私は確実に一人だった。

 満開の桜は、優艶で美しい。寂しい気持ちになる、といった理由を除けば、この花を嫌いになる人は居ないのではないか、とすら思ってしまう。しかし、私はこのやたら震えたような筆跡で書かれた遠方の友人を読み、桜について一言も触れられていないはずの文中で桜前線の北上を連想した事に、今更ながらぞっとした。彼は、貪婪な春が来る前に、私に警告をしようとしたのではないか、と思った。

 春の嵐は、秋に(すさ)ぶそれよりも暗く、底知れぬものを宿しているような気がする。秋の嵐が、昼の明るさを留めた灰色の空の元に荒び、破壊された人工物や枝葉を風の中に見せるものだとすれば、春の方は闇夜に、横殴りの風によって地面に落ちないまま音を立てる雨と、時折雲の輪郭を仄白く浮かび上がらせる雷だけがその到来を告げて翌朝には嘘のように静まり返る、夜行性の獣のような嵐だ。それこそが、全ての沈黙した春に潜む、得体の知れないものの本質だ。

 坂口安吾は『明日は天気になれ』に収録されたエッセイ「桜の花ざかり」で、三月中旬の花盛りの折に東京大空襲に遭い、一面の焼け野原のうち焼け残った一角に、咲いた花をつけたまま残った二本の桜の木を「異様」と回想している。また、同じ文章の中で安吾は、空襲の焼死者たちを上野の山に集めて焼いた際、「緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない」無人の桜の森をただ風が吹き、花弁を散らしていた光景を見た。


 けれども花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。(「桜の花ざかり」)


 安吾が「ある謡曲」として言及した、失った我が子の幻を満開の桜の下で見、狂い死にする母親の姿も、「桜の花ざかり」の一昔前に書かれた梶井基次郎の短編「桜の樹の下には」で挙げられる、樹の下に埋められた屍体の腐乱した液を吸い上げているからこそ桜が美しいのだという解釈も、私には人智を超えた春の魔物の存在を示唆しているように思えてならない。そこまでを思索し終えた時、もしかしたら芸術家に相応しいのは私よりも彼の方ではないかな、とふと脳裏に()ぎった。


          *   *   *


 私は彼に、「気を付けろ」という返事を書こうとした。

 家から出た時、街路のコンクリートは(うら)らかな日差しを浴び、果樹園を見下ろしたようにきらきらと輝いていた。

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