「『日本近代短篇小説選』全巻読了」
(初出 note、2024年2月1日)
二〇一二年より岩波文庫から出版されている『日本近代短篇小説選』全六巻。紅野敏郎、紅野謙介、千葉俊二、宗像和重、山田俊治の六氏により編集されたアンソロジーだが、私はつい先日、約一年間を掛けて六巻全てを読了した。明治篇二巻、大正篇一巻、昭和篇三巻から成るこのシリーズは、日本の小説文化の黎明ともいえる明治維新後から戦後まで、文壇の変遷やどのような作家が登場し、何故文豪と呼ばれるに至ったのかまでをダイジェスト的に、しかし要点をしかと押さえて私たちに紹介してくれるものとなっている。
福地桜痴が「日本文学の不振を嘆ず」という時事論を発表した明治八年、紅露逍鷗と呼ばれる明治文学の四大作家(尾崎紅葉、幸田露伴、坪内逍遥、森鷗外)も小説を書き始める以前から文学凋落を嘆かれていた日本。様々な文学者の勃興もあれど、現代になっても齢十九の若造に過ぎぬ私までが日々絶版と知人の貧相な語彙力に憤りを禁じ得ない点は、進歩のなさというよりかは文学の専門家による寡占、或いは選民的な評価の弊害なのかもしれないが、必ずしもそうとは言い切れない、若年層での文学への関心の高まりがあるのもまた事実である。
私が度々言及する『文豪ストレイドッグス』や『文豪とアルケミスト』などがその誘因となっているが、『日本近代短篇小説選』はそうして文学に興味を持つに至った新たな人々が文学史を自ら辿り、「おや?」と心惹かれる作家に出会う為のきっかけとして、十年以上に渡って大きく出版界に貢献してくれているといえるだろう。私自身も大学図書館でこれを読み、牧野信一や原民喜を発見するに至った。と言うと、何だかコアな人々からは「逆にそれまで知らなかったのか」と叩かれそうな気がしないでもないが。
私はこのシリーズに対して、大雑把に言えばそのような評価を下している。無論私とてここに取り上げられている作家全ての著書を威張れる程読んだ訳ではないし、名前以外殆ど知らない者も存在する。その事も踏まえた上で、私が各々の作家からの作品選出に少々疑問を覚えた例が二つ程あったので取り上げようと思う。
一点目は、「明治篇1」に収録されている森鷗外「舞姫」について。
「舞姫」は多くの高校国語の教科書にも掲載されているので知らない人の方が少ないと思われるが、鷗外自身のドイツ(プロイセン王国)への留学体験を下敷きとした小説で、外務官・太田豊太郎と現地で舞姫を生業とする少女エリスの恋愛模様から別離までを描いている。私自身は冒頭の冗長さと、主題以上に主人公・豊太郎が何一つ自己決定をしない点でこの小説があまり好きではないのだが、この選出に疑問を覚えた点は単純な個人の好悪ではない。
今まで読んできた作品を発表順に並べた上で、私は森鷗外は大器晩成の作家だと思っている。佐藤春夫は「舞姫」と、同じく文語体で書かれた「うたかたの記」「文づかひ」を並べて「初期ロマンティック短篇あるひは独乙三部作」などと呼称しているが、私はこれらを始め、初期作品に見られるフランス語の多用や外国文学的な情緒を殊更に漂わせた作品を好まない。
新潮文庫『山椒大夫・高瀬舟』の解説で高橋義孝氏が短編小説「妄想」冒頭の「主人が元と世に立ち交っている頃に」という箇所を取り上げて、ここに鷗外自身の情感を見出し「このような形で一歩退いたと見せて置いて、実は鷗外は一般人より高い所に自分を置いて、一般人に向って説教し、自分の持っているものを誇示し、『何か自分に言うことがあるのなら、自分がここに書いてみたぐらいのことは予め充分に心得て掛かってこい』といった気味も薄々感ぜられる」と述べているが、私も大正以前の鷗外にはそのような印象が拭えなかった。
一方、大正五年に発表された「寒山拾得」の一節を例に出すが、こちらは非常に簡潔な、それで居て淡白・ジャーナリスティックな叙述ではない潔さがある。
閭は小女を呼んで、汲立の水を鉢に入れて来いと命じた。水が来た。(ルビ原著)
私は大正改元以降の「山椒大夫」「大塩平八郎」「堺事件」「高瀬舟」といった作品を好んでいるが、これらにも主題の扱い方よりも文章の味、潔さが私を惹きつけている要因だと考える。
無論、これは「明治篇」なので明治時代に書かれた作品を選出せねばならなかったのだろうが、何故紅露逍鷗と呼ばれた四大家の一人である鷗外の作品として選んだものが、処女作にして何処の教科書にも載っているような「舞姫」だったのか。文明開化によって海外の散文文学が進んでいる事が邦人に明らかになり、小説文学が国内で黎明を迎え、小説を書く為に作家たちがまず「小説とは何だ」というところから研究を始めねばならなかった明治時代の文学事情に則り、「明治篇1」は各作家初期の文語体の作品が半数を占めているのだとは思う。が、海外文学に触れた結果として小説黎明期に興った、欧米風のロマン主義を日本で適用した作品ならば、鷗外の文語作品では「舞姫」より「文づかひ」を収録するのが適切だったのではないか。
何処の教科書にも載っているのでは、という疑問に関してはまあ、私が高校時代に使った現代文の教科書に、鷗外の作品として「舞姫」が載っていた事にしても「現代文の授業の範疇で古典文法を学習させたい文科省が、鷗外の中でも知名度が高かったから載せた」くらいの意図だったとしか思えないのだが。
二点目は、「昭和篇1」に収録されている太宰治「待つ」について。
これは、私も以前新潮文庫『新ハムレット』に収録されているのを読んだ事があるが、最初はたった四ページの掌編だった事もあり軽く流してしまった。そして、二回目を読んだ時鳥肌が立つのを抑えられなかった。
岩波文庫の千葉俊二氏の解説にしても、新潮文庫の奥野健男氏の解説にしても、前者は「何かを待つことではじめて成り立つ『待つ』という行為も、ここでは待つ対象もないままに、『待つ』という行為そのものが純粋に抽出される」、後者は「待つということに、作者は人生のすべてを、その本質的な意味を凝縮、結晶させている」(傍点原著)と非常に曖昧な言葉で濁してしまっている。しかし、私はこの作品の、待つ対象も自覚しないままに駅のベンチに待ちに行き、「どなたか、ひょいと現れたら! という期待と、ああ、現われたら困る、どうしようという恐怖と、でも現われた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまってしまうのだというような、あきらめに似た覚悟」を身中に混在させている女性の姿が、何か人智を超えた宿命的なもの、限定を承知で断言してしまえば死(決定的かつ誰にも訪れる、けれどいつ訪れるか分からないもの)を待つ人のメタファーのように感じられるのである。
私が引用した箇所の「現われた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう」というフレーズや、「それでは一体、私は誰を待っているのだろう。……(中略)……亡霊。おお、いやだ」という文章がそう思わせるのかもしれない。この作品が発表されたのは昭和十七年六月、太平洋戦争の開戦から約半年が経過した頃で、作中にも「大戦争がはじまって」という言葉が二箇所あるが、或いはこの作品は、戦時体制に入った国内の趨勢が孕んだ空気感、先行きがどうなるのか分からない不安さ、死が遠い将来のものではないという緊張感があったからこそ、その絶対性が意識される状況を反映したものなのかもしれない。
先に解説を引用した二氏はどちらも、戦後に書かれたベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」に言及している。私はこれを知っている訳ではないが、結局ゴドーという人物が何者なのかは分からないまま、舞台は幕になるそうだ。「ゴドー(Godot)」とは「神(God)」の暗喩で、死のみならずあらゆる運命の擬人化なのではないか、という説もある。太宰の「待つ」の場合あまりにも死の暗示が強く思われるが、それこそが戦時中の「人生」に於ける本質的な、究極的なものだ、と説明されればまだ納得出来るような気がする。
しかし、私の疑問とは、「これが本当に、太宰文学の中核を成す彼の思想の結晶たり得ているだろうか?」「太宰の作品を代表してアンソロジーに収録されるべき作品だろうか?」という事だった。
太宰の文学の歩みを簡単に説明する。戦前に自殺を前提に『晩年』という題名を付けた第一創作集を発表し、同時期にパビナール中毒に苦しむものの、開戦の一昨年、結婚を機に生活の安定を得、「走れメロス」などの希望ある作品、国内外の叙事詩や民間伝承、戯曲などを換骨奪胎した、純粋に文学的目的で書いた作品を発表する中期に至り、晩年にはまた初期の暗さを帯びた作品が目立つようになり、『人間失格』という自分の人生の集大成のような小説を発表、自殺……と、大雑把にまとめればこのようなものだ。時期によって作風はがらりと異なるが、「太宰の文学といえば」と尋ねられれば、まず「デカダン派」と答えられる事が多いだろう。
太宰などでいうところのデカダン派は、この言葉が使われ始めた初期のヨーロッパに於けるような侮蔑的な意味合いではなく、退廃的かつ無頼的な、社会の多数決と迎合しにくい自己を誇りとして扱ったような名称である。『人間失格』も重苦しく病的な作品ではあるが、私は「決して人並みに認められる人生は送れなかったけれど、これが私という一人の生き方でした、私は確かに一つの人生を生きました」という、誰にも「合格」と認められないような人生に対して自分自身で与えた評価の物語なのだと解釈している。
太宰に、文学に於いて知性的な、人生分析的な一面があった事は認める。「待つ」はどちらかといえば、そういった一面の方に属する作品であり、太宰文学を貫く普遍的なテーマを扱っているというよりかは、戦時中の人間の、運命がいつ敵になるか分からない不安感を切り取った作品のように思える。故に、太宰文学を代表する一編として「昭和篇1」に収録するのは、些か筋違いではないか、というのが、正直に感じたところであった。
強いて「待つ」を太宰の本質と結びつけて解釈するのであれば、太宰の考える「運命」観の中心には、常に「死」が据えられていたのではないか、という事だ。太宰は生涯に渡って自殺未遂を繰り返し、第一創作集の題すら『晩年』とした。彼は作家の中でも、否、人間の中でも特に死に近い場所に居たのではないか。だからこそ、人々が戦時下に入って感じ始めたであろう宿命的な怯えを、創作活動全体を通して感じていたのではないか──。
しかし、彼は死を究極的な不安と捉えるにしては自ら死に向かいすぎているような気がするし、自然な世の流れが自分を上手く殺すとしたら、どのように思ったのだろう、という疑問は残る。自然に死が来るならそれでも良い、だが怖い、と思うのであれば、「待つ」に描かれた、何者かが来るのを待ちながらも、本当に来たらどうしよう、という怯えも感じている女性の姿と吻合するように思うが、どうもこじつけ臭すぎるような気がするのでこの説は捨てる。