「客体」
(初出 note、2023年8月1日)※2022年11月30日にX(旧Twitter)投稿した散文詩「小説」をリメイク。
保育所に入ったばかりの頃だったと思う。
まだ、曜日感覚というものもなかったのだろう。何日か通ったら、二日続けて休みがある、という事だけ分かっていたような。確証はない。
「明日はお休み?」
と母に尋ね、
「明日は保育所だね」
と答えられたような気がする。二日続けて休み、という事をきちんと理解していたなら、この問いは発せられなかったと思う。
翌日の月曜日、確かに僕は園庭に居た。一人でだ。保育所に入ったのは三歳からだったので、同じ年齢の子供たちであっても、馴染めていない部分はあったのかもしれない。
昼前だろう、白っぽい砂の上に、影は伸びる事なく蟠っている。顔も服装もよく見えないが、その子供が僕なのだという事だけは分かる。枝か石か、何やら手に持っているようにも見える──。
ここまで綴ってきて、ふとおかしい事に気付く。
僕が、僕自身を見ているはずがない。
そういえば、入所して間もない頃だが、保育教諭の先生にお化けのタペストリーを見せられた覚えがある。今思えば子供騙しだったのだろうが、当時の僕は怖くて本気で泣いた。保育所にはお化けが居るんだ、と信じた。だから行きたくない、と思った事もある。
途中からの入所で慣れない事もあったし、分別がついていない事もあったのだろうが、僕の怖がり方は少し異常だった。誰か大人に聞いた話だが、祭りの出し物でお化け屋敷をする事になった時、事務室に直接行って「お化け屋敷をしないで下さい」と直談判した事もあったという。その時点で、保育所にお化けを出すのが大人たちである事を、理解していないはずがないと思うのだが。
僕に、この記憶はない。日曜日だと信じ込んでいた日、白昼の園庭に立っていた事もだがどうも、妙な事ばかりを覚えている。
そういえばある時、遊具の滑り台の下が乾いた泥でぐちゃぐちゃになっていた事があった。「**君はこういう事ばっかりする」と、ませた女の子に責められたような覚えもあるが、当時の僕は何も言わなかった。本当に覚えがなかったのだが、濡れ衣だと言い返す事もなかった。
夢か、想像かも曖昧な時代。そこに僕は、「記憶が飛んだ」という記憶を持っている。あの経験の延長線上に今の僕がある事が、どうしても信じられない。丁度、子供の頃に描いた、クレヨンを塗りたくったような、抽象的なおどろおどろしい絵が押し入れから出てきた時、それを描いたのが自分自身だという事を、信じる事が出来ないように。
あの時、僕自身と思われる男の子を見ていた僕は、今こうして、この文章を綴っている。
僕は、小説家になるつもりはない。時々、小説を書いてネットに上げたりはするけれど、それを生業にしたら趣味から義務となり、いずれ嫌いになってしまうかもしれないから。
小説を書いている、という事を周りの人たちにした事もない。でも、偶然が悪戯をして僕の知り合いがこれを見たら、**の事だと分かるだろうか。いや、それ以前にいつか彼が目覚めたら、これを書いたのが僕だという事に気付くだろうか。
大切なのは、あの男の子が誰だったのか、という事ではない。
二日続けて休みという事を理解していたはずの僕が、土曜日と思われる一日分の喪失を経験した事。翌日、あの男の子が僕ではなかったとしても、彼を見ていた僕が確かにあの場所に存在した事。
あれから十年以上が経って、僕はもう、あの場所にお化けが居るなどという事を信じてはいない。二〇〇八年六月に、あの園庭に立っていた子供はもう居ない。けれど僕は、あの麗らかな正午前に、彼が一体何を考えていたのか、未だに分からないままでいる。
子供は、時々不思議な事を言い出す。自我があやふやな時期、大人になったらどうせ今日という日を忘れてしまう、と、大人たちが達観に近い事を思いながらも、世話を焼いてくれる頃。それは、何かが彼らに付け込むには、これ以上ないくらいに適している時宜なのではないだろうか。子供は知らないうちに、その”何か”の存在を受け入れているのではないか。それ故に、一度怖い目に遭わされると、あれ程過剰に怖がるようになるのでは。
だから、あの日一人の男の子を見ていた視点は、僕であって、僕でないのかもしれない。僕のそれが未だに終わっていないのか、あの時僕から飛び出したものが彼なのか、もう分かる事は永遠にないのだろうと思う。
僕は、あの後どうしたのだったか。
それを思い出す事は出来ないが、僕にはもう一つ、思う事がある。
ふらりと子供が居なくなる時、その子たちが最後に見せる表情は、大抵無邪気な笑顔だ。僕は、あの男の子が浮かべていた表情が、分からなくて良かったように感じてしまう。
分かったら、悔やんでも悔やみきれないような気がするから。
もしあの男の子が本当に、客体の誰かが見ていた僕自身だった、という事が何かの拍子に分かったりしたら、僕はきっともう、自分というものが信じられなくなってしまうと思うから。
(客体・終)