ゆうべは、おたのしみでしたね。
「あたしのこと……好き?」
「はい」
少女のルビー色の瞳がじっと見つめる。どんな嘘も偽りも見透かされてしまいそうだ。
少女の尻尾がピンと立つ。
「人として好きとかじゃなくて……女の子としてっていう意味よ?」
「もちろんです」
「ほんとにほんと? 魔族の中では一番とかじゃなくて?」
「ステラさんは心配性ですね」
心細そうに小さな肩が震えた。
「だ、だってセイクリッドは大神官で、あたしは……魔王だもの……」
少女はうつむいて視線を背ける。
「あのねセイクリッド……ちょっとだけ話してもいい?」
「ええ、なんなりと」
「あのね……こんな夢を見たの。あたしが嘘じゃなく、本当に村に住んでるだけの普通の人間の女の子で、ニーナがいてベリアルもいて……その村の教会の神官があなたなの」
少女はおでこを俺の胸に当てる。
「ニーナと一緒に毎日教会でお祈りをするの。時々、あなたが紅茶をご馳走してくれて……」
「今と変わらないような気もしますが」
「そんなことないわ! 魔王なんてせずに、ちゃんとあたしも村のために働いて、収穫とか牛のお世話とかしたんだから! ニーナが大きくなるまでいっぱい……いっぱい……働くの」
「夢の中でもがんばっていたのですね」
「教会のお手伝いもしたわよ! そうしたら、セイクリッドともっとずっと、一緒にいられるでしょ? だけど……」
「だけど?」
「目が覚めたら、やっぱりあたしは魔王だった」
俺はそっと彼女の頭を胸に抱く。魔族の象徴たる大きな角さえも愛おしく思えた。
そっと撫でると少女の口から「あっ」と吐息が漏れる。
「失礼しました」
「ううん、いいわよセイクリッドなら」
言いながら少女が俺の胸に耳を当てる。
「セイクリッドの心臓がどくんどくんってしてる」
「生きている証拠です」
魔王様の尻尾はずっと、ゆらりゆらりと一定のリズムを刻んでいた。
「ねえ……神官って……と、特定の個人を好きになっても大丈夫なのかしら?」
「神官も人間ですから、光の神の前での平等は心がけるだけで手一杯です。それに私はエコヒイキをする未熟な人間ですから」
「そ、そういうことじゃなくて! えっと……」
「はい?」
「つ、つまり……結婚とかってできるのかなって? あ、あくまで後学のために訊くんだけどね」
座ったまま少女は膝頭をすりあわせた。
「以前は特定の個人を愛するために職を辞するものでしたが……最近は神官職の婚姻を認めるようになってきています……いや、その……こんな言い方も不適切だったかもしれません」
事務的な受け答えになってしまいがちだ。
どんな攻撃魔法よりも、今は彼女の想いを受け止めきれるか危ういのだから。
少女はそっと顔を上げて苦笑いだ。
「セイクリッドらしいわね。大丈夫……もう、慣れっこだもの」
「すみません。このような言い方しかできずに……」
「不器用なだけよ」
ついには緊張と不安に苛まれている少女に大人の俺が励まされてしまった。
「あのね……いつからか……教えて」
「いつからか……ですか?」
「あたしのこと、いつ……好きになってくれたの? なにかきっかけとかあったのかな……って」
聖堂はしんと静まり返り、まるで雪の降る夜のようだ。
「あっ……えっと、嫌なら言わなくていいの。変よね……あたし……素直になりたいのに、うまく言葉が出なくて……」
魔王でなければならないという仮面を脱ぎ捨てたステラは、どこにでもいる普通の女の子だ。
「正直に申し上げますと、私にとって魔王様はずっと監視対象でした」
「そ、そっか……あはは……そう……よね」
俺の気持ちを正直に返そう。
「それがいつの間にか、私は貴女の行動に時折ドキドキハラハラさせられるようになって、監視という意味ではなく……目を離せなくなっていたのです。いつ、この瞬間にとは申し上げにくいのですが……」
俺はゆっくり呼吸を整える。
「強いてあげるなら、今夜……今、この瞬間に私は貴女を好きなのだと、ようやく自覚することができました」
赤毛の少女の頬が紅潮した。
「じゃ、じゃ、じゃあ! あたしの勝ちね!」
「勝ち負けがあるのですか?」
「も、ももも、もちろんよ! さっきはつい、我慢できなくなって、あたしの方からしちゃって……けど、これで引き分けね!」
言いながら赤くならないでくれ。こっちも思い出すと相応に恥ずかしいのだ。
過去、幾人もの上級魔族を退けてきた俺が、今や目の前の赤毛の少女にたじたじである。
「あたしは最初に戦った時に負けてから、ずっとセイクリッドのこと気になってたもの! こんなに強い人間がいるなんて思わなかったわ」
「あの時はその……魔王様に認可していただく必要もあったのでつい……」
「死ぬかもってドキドキで心臓が胸から飛び出しそうだったのよ!」
「吊り橋効果では?」
「勘違いで始まったとしても、本当に好きにならなかったら続かないの!」
少女はぽふんと俺に抱きついた。
「そ、それだけじゃなくて! ニーナに優しくしてくれたでしょ? ベリアルだって、戦って倒すこともできたのに、あなたはそうしなかった」
「それは……」
「強いだけならきっと好きになんてならなかったわ」
「私は……ステラさんが思うほどには強くないですよ」
俺の背に腕を回して少女はぎゅっと抱きしめる。
「じゃあ、そばにいてあげる。セイクリッドのこと……守ってあげる」
「防御と回復に秀でた大神官をですか?」
「そんなことができるのは、魔王のあたしくらいでしょ?」
「これは一本とられました」
ステラは目を細めて聖母のような笑みを浮かべた。
「あたし……自分が魔王なのが嫌だったの。だけど、魔王だからニーナを守ってあげられた。魔王だからセイクリッドが赴任してきた。魔王だからベリアルがそばにいてくれる。魔王だから……アコやカノンたちにも出会えたのよね」
「私が大神官になったのも、貴女に出会うためだったのかもしれません」
「そ、そうだったら……嬉しいかも」
ステラが俺の右手に指を絡めて握り締める。
そっと握り返しながら、少女の背に左腕を回して抱き寄せると、彼女はゆっくりと体重を背中側にかけて長椅子に寝そべった。
覆い被さるような格好になって、彼女を見つめる。
熱い吐息の混ざったか細い声が囁いた。
「ねえ……セイクリッド……」
「私の負けです」
「名前で……呼んで」
「ステラさん」
「さんは余計よ」
「ステラ……」
見つめ合うとまた、時間の流れが緩やかになっていく。
二人きりの夜はゆっくりと更けていった。
――翌朝。
「セイクリッド貴様! ステラ様に危害を加えていないだろうな!」
ベリアルが教会の扉を叩き壊す勢いで聖堂に乗り込んできた。三つ叉の槍を手に、戦闘モードだ。
「これはベリアルさん。ようこそ教会へ。本日はどのようなご用件でしょうか……」
恭しく一礼する俺の隣で、ステラが困り顔でベリアルに告げる。
「だ、大丈夫よ! あたしはほら……元気だから!」
赤い敷物を駆け抜けて、ベリアルがステラの元へ参じる。
「ステラ様! ご無事で!」
同時にベリアル愛用の三つ叉が俺の鼻先に突きつけられた。
「心配しすぎよ。あたしだってもう子供じゃないんだし、前にも魔王城から閉め出されたことがあったでしょ?」
ベリアルはステラの前にひざまずいた。
「そ、それはそうですが……」
「えっと、ご、ごめんねベリアル。いつも心配かけちゃって」
「ステラ様?」
「これからはもっと良い魔王になるから」
途端にベリアルの視線が俺を射貫くように睨む。
「貴様! ステラ様になにをした!? 洗脳か!? 光堕ちかッ!?」
「光の神に誓ってステラさんに危害を加えるようなことはしておりません」
ステラが講壇を降りてベリアルに抱きついた。
「あ、あたしは大丈夫だから! そ、それにもしなにかあったらセイクリッドとこうして仲良く並んでられないでしょ? それこそ光と闇の大戦争が勃発みたいになるでしょ!?」
「なぜそのように緊張なさっているのですか?」
「え? ええぇ? あたしはいつも通りよ。もう! 心配しすぎなんだから」
ベリアルは眉尻を下げた。そのまま俺に向き直る。
「貴様を信用した訳では無いが、ステラ様がこう仰るから今回は引いてやろう」
「はぁ……」
「気の抜けた返事をするなッ! ええい、今日の貴様は貴様で張り合いがないぞ! 目の下にくまができているとは……なにをしていたのだ?」
「ですからやましいことなどしておりません。神に誓って」
「フンッ! どうだかな! 行きましょう魔王様」
「べ、べりあるぅうう~」
こうして魔王様は女騎士に手を引かれ、ニーナが目を覚ますよりも早く魔王城へと戻っていった。
あれから盛り上がってしまい一晩中魔王様とツイスターゲームをしていたなどとは、神のみぞ知るといったところだろう。




