翔んで風説の流布!
テーブルを囲んで買い置きの焼き菓子と紅茶を楽しんでいると、不意にアコが呟いた。
「なんだろう。うん……やっぱり……」
「ずいぶんダイナミックな独り言ですね」
とはいえ、俺も何かが心に引っかかった感覚が残っている。
「聞いてくれるかいセイクリッド?」
俺だけでなく、談笑していた一同の視線がアコに集まった。
「あ、なんか緊張しちゃうかも」
「お話ください。告解でしたら別途、懺悔室をご用意いたします」
「そ、そういうんじゃないんだ! ボクはボクらしく生まれてきたことに、なんの後悔も悔恨の念も抱いていないから! 勇者には反省してるヒマなんてないんだよ?」
ダメな勇者の自覚は即刻やめていただきたい。
生まれ変わりがあるならアコの前世は盗賊か博徒だろう。なぜ勇者に選ばれたのかは……叩きのめされても何度死んでもへこたれない、ハートの強さかもしれないが。
「では、なにが“やっぱり”なのでしょうか?」
アコの視線がカノンに向いた。
「どうしたのでありますか? 改まって愛の告白でありましょうか? みんなのいる前で恥ずかしいでありますな」
ほっぺたを包むようにしてカノンは身体をくねらせる。まんざらでもなさそうだ。リムリムに洗脳された影響か、はたまたアコのそばにずっといたからか……良く言えば柔軟になったと評価……してはならない。
「違うってばカノン!」
「そうでありますな。もう自分とアコ殿の絆ときたら、熟年夫婦の域でありますから」
「あ、あはははは! ステラさん誤解しないでね! ボクはステラさん一筋だから!」
赤毛の少女の柳眉が上がる。
「べ、別に心配なんてしてないから! それよりなにがどうしたのよ?」
「カジノで変な噂を聞いちゃってね。それからというもの、なんていうか町の雰囲気が違う? みたいな。だけど、セイクリッドの教会はいつも通りだなって……」
おかっぱ眼鏡の神官見習いは「噂話は初耳でありますが、最近は大きな町ほど暗い感じがするのであります」と、カップをソーサーの上に置いて両手のひらを胸元で合わせた。
町々を巡る冒険者にしかわからない空気感の違いというものだろうか。
取り越し苦労で済めばいいのだが、ともあれ訊いてみなければ始まらない。
「お二人とも、もう少し私たちに解るようにお願いします」
「えっとね……王都もラスベギガスもなーんか暗いっていうかさ」
しどろもどろなアコだが、カノンはうんうんと同意した。
「特にここ数日の王都は一日中、曇り空みたいなのでありますよ」
ニーナが「お天気のお話ですか?」と、俺に訊く。
「町の様子を天気に例えているようです」
「はえーニーナはまだお子様ですから、ちょっとわからないかも」
魔王城の周囲は普段からどんより曇り気味なので、幼女にはいまいちピンと来ないらしい。
勇者がビシッと魔王様を指さす。
「で、ステラさんの村はどうかな?」
油断しきっていたステラがビクンと肩を震えさせた。
「え? 村?」
地主か村長か領主かはわからないが、村の娘という設定がすっぽり抜け落ちている。
ニーナは「おねーちゃ、村って?」と、こちらもある意味危険な吊り橋の上で、不運とダンスる五秒前で。
二人が事故りそうなのを見かねたのか、部屋の壁際で置物になっていたロリメイドゴーレムが咳払いを挟んだ。
「コホン……えー、この教会の界隈では、特に変わった様子はありませんわね」
気づいて魔王様が「そ、そうそう! ずっと平和で普通よ普通!」と口裏を合わせた。
アコがそっと胸をなで下ろす。
「そっか、だよねー! へたな心配休むにニヤリってね」
「休むに似たりでありますな」
「そうそうそれそれ!」
改めてアコが俺に告げる。
「実はね……ラスベギガスの教会の神官なんて、解毒失敗呪い悪化が得意技で、ただただ陽気さだけは忘れない人だったのに、最近は大好きなワインが喉を通らないんだって」
普通に仕事ができないのだろうか。(※注意:最後の教会は立地の関係で激務なので、ごく一般的な教会とは業務体系に若干の違いがあることをご了承ください)
お前が言うなはこれにて完封だ。
「もう見られないのかなぁ……神官様の赤ワイン噴水ショー。セイクリッドは大神官だからできるよね?」
「できません。が……それはご愁傷様です」
アコは「セイクリッドにもできないことはあるんだね」と、落胆した。
人をなんだと思っているのだろう。
「だからね、紅茶を飲んでお菓子を食べて、毎日ぐーたらしながら昼寝したり本を読んだりして過ごしてるセイクリッドが、いつも通り元気で本当に良かったよ」
そこの赤毛の魔王様。プークスクス笑いをしない。
しかし……アコが俺を心配するとはよっぽどのことだ。ベリアルがなぜか「ワインが飲めなくなるとは気の毒に」と、こちらはこちらで顔も知らない別の町の神官に、なにやら思いを馳せていた。光と闇の勢力の垣根を越えて、お酒を友とするなら自分にとっても友人の友人……と、いうことだろうか?
ロリメイドがエプロンドレスの裾を翻しつつ、くるっとターンしてからぴーちゃんが首を傾げる。
「よくわかりませんわね。王国では新女王も即位してお祭りムードでしたし、その反動で一時的に静かになっているのでなくて?」
アコは珍しく表情を引き締めて、一拍置いてから呟いた。
「魔王軍が攻めてくるって噂を聞いたんだ。近々、世界侵略が開始されるかもって」
瞬間、ステラがテーブルを叩いて立ち上がった。
「そ、そんなわけないじゃない!」
そりゃ寝耳に水だ。
魔王軍には進軍する余力どころか、城を守る戦力もベリアル頼みという状況である。
島を守る結界があればこそ、引きこもっていられるのだ。
アコも立ち上がった。
「だ、大丈夫だよ心配しないで! ステラさんはボクが守るから!」
実に勇者らしい言葉だが、目の前の守ろうとしている彼女こそ第134代魔王様だ。
しかし、巷ではそのような噂話が流布しているのか。
「アコさん、その噂話はいったい誰から?」
「誰っていうわけでもないんだけどさ」
少女の手がクイクイッとスロットを回す素振りを見せた。
一攫千金を夢見る冒険者にとって、カジノは社交場でもある。各地を巡った彼らが一堂に会しているのだから、各地の最新の話題も集まるものだ。
アコのカジノ好きがこんなカタチで意外な情報をもたらすとは、禍転じてなんとやら。
ただ、福が来る明るい話でなかったことは残念だ。
カノンが眼鏡のフレームを指で押し上げた。
「そういえば、ラスベギガスの町の道具屋さんでも、他の冒険者が道具の買いだめをしにきたって言ってたでありますな。心配性な冒険者と思ったのでありますが……」
人の出入りが激しいカジノの町で、噂の出所を探るのは難しいだろう。
すでに拡散しつつあるなら、もはや誰が言い出したかなど流布した人間にしかわからない。
カジノを中心に始まった情報の“感染”なら、直に世界中に広まる恐れもあった。
いや、もう水面下で根は広がっているのかもしれない。
王都の雰囲気を直接探る必要もありそうだ。
王位継承が無事終わって間もないというのに……。
「この噂を流す理由がある人間はいるのでしょうか?」
アコがテーブルを挟んで俺の顔をのぞき込む。
「セイクリッドどういうことなの? 人間じゃなくて魔族と魔王軍の話なんだよ?」
「基本的に上級魔族は拠点を中心に版図をじわじわと広げていきます。アイスバーンの城やピッグ・ミーの砂漠の海賊団のような領域を持つのです」
「う、うん……けど、魔王っていうくらいだから、スケールが違うんじゃない?」
「魔王は幾重にも張り巡らされた結界に守られし、絶海の孤島にいるという噂ですから」
今、勇者が立っているここのことだけどな。
「それが海を越えて大軍で押し寄せてくるの!?」
「さて……どこかに大軍が上陸すれば、近隣の町や村や集落に被害が出るでしょう。しかし、そういった話はまだ出ていない。潜伏し王都を奇襲するなら、そもそもこういった噂を流せば防備を固められてしまうでしょうし……」
なにより魔王本人がそんなことなどしていないのは、この目で確認済みなのだ。
俺がそれらしい理屈をこねるのも、魔王城の内情を知っているからこそである。
カノンが頷いた。
「確かに噂ばかりが独り歩きしているのかもしれないでありますな」
「そうですカノンさん。そして、魔王を目指す各地の上級魔族にとって、魔王軍の世界侵略という噂は動揺こそ誘うでしょうが、彼ら自身を益するものではないかもしれません」
どこかの絡め手を得意とする魔族が、自分の領域に冒険者の進軍をさせないよう、町に釘付けにするために流した……にしては、噂の広まる規模が大きく思えた。
魔王の名を騙る何者かが魔族とは限らない。俺はメイドゴーレムに訊ねた。
「ぴーちゃんさん、この噂を人間側が流したと仮定した場合なのですが、先日の王位継承の騒動でマーゴ一派がクラウディアへの報復として、魔王軍侵攻の噂を流したという可能性について、どう思いますか?」
ぴーちゃんも同じことを考えていたのか、即答だった。
「可能性は低いですわね。すでにマーゴの派閥に力はありませんわ」
今の段階では、誰がなんのために、しかもどうやってこうも噂を広めることができたのか、まるで見当もつかなかった。
ただ、不自然な広まり方をする情報には、必ず発信者の目的や願望が含まれる。
俺は断言した。
「ともあれ、魔王軍にやる気があるなら、とっくの昔に各地の上級魔族たちを平定しているでしょう。人間に決戦を挑むのはその後です」
アコはゆっくり引き下がると「確かにそうかも。今って、魔王になりたい強い魔族同士でいがみ合ってるみたいだし」と納得した素振りを見せた。
ニーナには難しいようでぽかーんとしたままだった。
ベリアルは緊張の面持ちながら、ずっと黙って聞いている。
ステラに至っては涙目ながらも「セイクリッドが言う通りよ!」と、濡れ衣に憤りを覚えているらしい。
ぴーちゃんから「カウンターで情報を流布するという手もありますが?」と、提案がなされた。
「実際の対処は教皇庁とクラウディア女王に任せるとして、惑わされないよう情報収集をしておきたいところですね」
アコとカノンに悪いが、魔王が白だということは、この場の他の誰もが知っていることだ。
勇者の少女がぽつりと呟いた。
「なんかセイクリッドさぁ、魔王のことかばってない?」
「いえいえそんなわけないじゃありませんか。いやですねまったく私は光の大神官なのですよ」
「どうして棒読み気味なの!?」
「はっはっはアコさんの気のせいです」
なぜかステラにムスッとした表情で睨まれてしまったか、どぅどぅあまり興奮するんじゃあない。
アコと魔王として対面するのは、もっとずっと先の話なのだ。今、ここで世界の覇権だの命運を賭けたラスボス戦など勃発させるわけにはいかないのである。
大神官の名にかけて。




