信じて送り出したクラウディアが……
無事にニーナは試練を乗り越え戻ってきた。
彼女の腕に装着された魔導器の測定値は、一度急激に数値が落ちこんだものの、すぐに回復してからは戻ってきた後の方が、高い水準で精神的に安定していることが大臣によって確認された。
あくまで平常心を崩さなかったマーゴと比べると、ニーナの心の動きは不安定という判定が下されたのは、“勇”の試練が終わったあとのことだった。
問題はクラウディアだ。
彼女も独り、階段を降りて墳墓の地下へと降り立ったまでは良かったのだが――
クラウディアが王の錫杖を手にしようと棺の間の壇上に立った瞬間、ニーナの時と同じように人影が無数に彼女を取り囲んだ。
王冠をかぶりマントに身を包み、錫杖を手にした亡者たちである。枯れ木のような細い手足は今にも脆く砕けてしまいそうで、眼球を失いくぼんだ部分に闇を溜めた虚ろな瞳が、少女を取り囲み凝視し続ける。
その中にはハレム王の姿もあった。ハレム王だけは亡者ではなく、まだ生前の姿を留めている。
彼ら王たちの口が何かを訴えだした。
クラウディアは耳を覆うようにしてしゃがみこむと、動けなくなってしまった。
「そんな……わたしには……無理です……選ぶ事などできません……王国を守るために……街を一つ犠牲にするなんて……」
俺の隣でルルーナが王女の声を代弁する。
多数を助けるために少数を犠牲にできるか? というような問いかけが、今まさに行われているのだ。
“勇”の試練が見せる幻影は、候補者それぞれの心に潜んだ恐怖心から生まれるものだ。
ニーナにとっては孤独が最も恐ろしいことだった。
では、クラウディアがどうかといえば、王の地位そのものが恐怖の対象なのだろう。
王に囲まれるということが、逆説的に彼女が真剣に王の役割を考えていたことを証明した。
しかし……歴代の王が集結し新たな王の候補に対して、圧迫面接してこようとは。
クラウディアは耐えるように身体を震えさせ、目を閉じて頭を振り乱す。それでも王たちは消えることなく、取り囲んだ輪を狭めていった。
十数人の歴代王それぞれから、その王が直面した問題がクラウディアに投げかけられる。その詳細まではわからない。ルルーナは淡々とクラウディアの返答を再現するばかりだ。
返答の内容から、どの質問も解答に苦慮するものばかりであり、正解などない類いのものだと、想像するのは難くない。
この状態がニーナに起こったなら、あらゆる制止を振り切り助けに行っただろう。元々、ニーナを勝たせるつもりはないのだから。
クラウディアを助け、ニーナを敗退させてステラの元へと戻す。それならば途中で俺が乱入してでも、ニーナを救うことはありえた。
だが、クラウディアをクラウディア陣営の俺が助けに行くということは、自ら陣営の敗北を認めることに他ならない。
ここは窮地であろうとも、クラウディアの資質を信じるよりほかなかった。
「やっぱり……わたしなどには無理です……ごめんなさい……セイクリッド様」
あっ……これは……。
クラウディアは立ち上がると、金髪を振り乱して涙をこぼしながら、地上に続く階段へと駆ける。王の錫杖には目もくれず。
彼女の背後で王の幻影は脆く崩れて消え去った。
逃げた。逃げてしまった。
クラウディアは階段を駆け上がり外に出ると、地上で待っていたニーナに抱きついた。
「わっ! おねーちゃ?」
膝を着き幼女の胸に顔を埋めて、クラウディアは子供のように泣きだす。
落ち着くまでニーナは「クラウディアおねーちゃ、よしよし」と、年上の少女を慰め続けた。
普段から姉のステラにしていることもあってか、ニーナは手慣れたものだ。
そんな二人の姿が大神樹を通じて各地の芽に配信された。
クラウディアの腕に装着された魔導器は、彼女の感じた恐れや心の揺れ幅を数値化し、その変動の大きさと恐怖の値が公表される。候補者三人中、断トツの最下位だ。
点数化するなら、マーゴ100点、ニーナ80点、クラウディア-30点。非常に厳しい結果となった。
それだけでは終わらない。クラウディアは王の錫杖に触れることができず、王印紋に王冠のシルエットも取り逃してしまったのである。
マーゴとニーナの王印紋はさらなる輝きと力を増したが、クラウディアのそれは今にも消え去りそうなほど弱々しい、今や消えかけの蝋燭の灯火のようだ。
二度目の挑戦を俺は訴えたが、公平さに欠くと大臣に却下されてしまった。
惨敗である。そもそもクラウディア本人が、王になることを恐れていたのを“勇”の試練は見逃してはくれなかった。
クラウディアの最終的な支持率は4%まで落ち込み、マーゴが51%と過半数を超えた。
ニーナは45%と猛烈な追い上げを見せた結果――
俺は“勇”の試練のあと、クラウディアに満足なケアをすることもできないうちに、教皇ヨハネに緊急の呼び出しを受けた。
教皇謁見の間で、ヴェールを隔てて俺は教皇の影に跪く。
衛兵やおつきの侍女に神官たちもすべて外に出され、俺は絢爛豪華に装飾の施された謁見の間で、ヨハネと二人きりだ。
凛とした、それでいてどこか冷たい声がヴェールの向こう側から響いた。
「大神官セイクリッドがついていながら、クラウディア王女を支えることができなかったことを、大変残念に思います」
お忍びで“最後の教会”に来た時のような、砕けた口振りはなりを潜めていた。
まるで大魔王に叱責される配下のように、俺は深く頭を下げたままだ。
「返す言葉もありません」
一瞬、沈黙を置いて聖下は続けた。
「これより教会はニーナ女王擁立に向けて準備を整えます」
面を上げて良いと言われてもいないのだが、俺は顔を上げた。
「本気ですか姉上?」
「無礼ですよ。わきまえなさい」
俺は今一度頭を下げた。教皇の言葉を待つ。
「それに伴い、大神官セイクリッドのクラウディア王女付きの任務を解き、ニーナについてもらいます。いいですね」
「お言葉ですが聖下。ニーナさんは今回、数合わせのために参加をしたにすぎません。それにまだ幼く、まして女王など務まるべくもないのです」
「教会が補佐します。残るクラウディアの支持も糾合し、三日後、王都の北に広がる古戦場にて行われる“力”の試練にて、マーゴ王子との決戦に臨むのです」
教皇の透き通るような声は冷たく重く、俺の心臓に突き立てられた。
最後の試練は総力戦だ。平野にて支持者を集め軍団を編成し三勢力による合戦が行われる。
数世代前までは生死を賭けた戦いだったが、近年では負傷者で済むよう武器や黒魔法に制限をかけた闘争というのだ。
王印紋の力によって候補者たちは強化されている。その紋章の力は束ねる軍団全体にも影響し、軍団は有志で集まった支持者たちによって編成されるのである。
「クラウディア王女はどうなるのですか?」
「かつて山荘で護衛についていた騎士団があたります」
いかに精鋭だろうとも、クラウディア自身の王印紋の弱体化もあっては、守り切れるものではない。
「王女を捨て石にする……と?」
「…………」
無言の返答。それがヨハネの……いや、教皇庁の意志なのだろう。
「本気ですか? ニーナさんはまだ、自分が置かれている状況を理解できておりません」
その説明を意図して怠ったという責は、誰でも無くこの俺にある。
「ニーナは王になることに意欲的だと報告が上がっています」
ただ、ニーナはみんなに応援されたからがんばろうと、それだけなのだ。
王様になればみんなが喜び、それでステラもいっしょに喜んでくれると、思ったままなのだ。
俺は再び顔を上げ、立ち上がった。
「どうか私に、ニーナさんに説明する時間をください。ニーナさんはまだ、王になるということの意味を……そこにある別れのことをよく理解できていないのです」
ヴェールの向こうで玉座のような椅子に掛けたまま、ヨハネは微動だにしなかった。
「三日後の“力”の試練では大神官らしく、取るべき行動を取ることを期待します。下がりなさい」
もはや決定を覆すことはないと、断じられてしまった。
まさか世界は……大神樹とそれに宿る光の神は、ニーナ女王の誕生を望んでいるのだろうか。




