華麗なるフォーム
慌てず騒がず、俺は水中で神官のローブを脱ぐ。その脱衣の手際の良さは、まるで白い花を湖面に開かせたかのような妙技だったと、自画自賛しよう。
ともあれ、服を着たままでは溺れてしまいかねない。
ラステが大あわてで俺に手を差し伸べた。
「ちょ! だ、大丈夫なのセイクリッド!?」
もし突き落としたのが彼なら、引きずり込んでやるところだが今回に限っては魔王様は無罪だった。
「これを頼みますね」
脱いだ服や靴は水を吸って重たいが、それを赤毛の少年に押しつけると俺は立ち泳ぎを続ける。
ひんやりとした水は泳ぐには冷たすぎるが、全身の解放感は得がたいものがあった。
まるで大自然のゆりかごに、生まれたままの姿で揺られているようだ。
と、浸っている場合ではない。ローヌ川のトビウオと呼ばれた俺だからこそ、事なきを得たのである。
王女に“見合い相手を船から突き落として興奮する性癖”があったとなれば、もうすでに何人か湖の藻屑となって消えた可能性もあった。
なるほど、だから社会的信用のある立場にありながら、なおかつ泳ぎが達者な俺に、見合いのお声がかかったというわけだ。すべて納得した。
んなわけあるか。
顔を上げて俺はクラウディアに訊く。
「まさか突き落とされるとは、正直、予想外です」
「あ、あの……セイクリッド様……お噂は本当だったんですね」
王女様は独り勝手に納得して、興奮気味にボートの縁から身を乗り出した。
ラステが慌てて声を上げる。
「ちょ! ま! 危ないって王女様! 水の中の大神官は通常の三倍危険だから。海の魔物を恐怖のどん底に沈めた海王なのよ!」
人をいったいなんだと思っているのだ魔王様は。
ただの歌って泳げる大神官なだけだというのに。
俺はボートの周囲を回遊して威圧感を見せつける鮫のように泳ぎながら、クラウディアに訊く。
「噂というのはいったい誰から……いえ、特定の個人から訊いた話であれば噂とも言えないかもしれませんが、どういった界隈でどんな話が王女様の耳に入ったのか、後学のためにもお教え願えれば幸いです」
ラステが「やだ……やだやだやだ! 食べられちゃう! あたしたち大神官の餌食よ!」と、女の子っぽい悲鳴を上げた。
オカマですかね。
王女様はラステの口振りの豹変よりも、泳ぐ俺をじーっと目で追いかけ続けた。
「ええと……セイクリッド様は脱ぐのがお好きと噂を耳にしておりまして、今日もいつ脱ぎだしてしまうのか、ちょっとドキドキしていたんです」
クラウディアは胸の辺りにそっと手を添えて頬を赤らめる。吐息も熱く呼吸は速まっていた。
「と、ととと、とても素敵な身体です」
「はぁ……恐縮です」
まさかの身体目当てである。この大神官の鍛え抜かれた肉体美を見るために、王女様は船上で危険な賭に出たというのか。
というか、噂の出所はどこだろう。先日、ぴーちゃん修理のため教皇庁を自然体で練り歩きはしたのだが、あれくらいで王室に噂が伝わるものだろうか。
あっ……俺の姉、教皇だった。本命、教皇ヨハネが1.1倍。対抗で大神樹管理局:設備開発部。大穴は神官見習いカノンの投書といったところかもしれない。
しかし仮にそんな噂を耳にしても、脱がせるために湖に突き落としはしないだろう。
幼女以外まともな女子0人説――今日こそは覆るかと淡い期待を抱いてしまった俺のバカバカバカ。
完全に油断していたが、王女クラウディアは結構ヤバイ人だったようだ。
「あ、あの! もっと見せてくれませんか? け、けけ、結婚したら……わ、わたしのことも見ていいですから」
船の縁から身を乗り出して、お尻を突き上げるようにしてモジモジする王女様に、俺は背中を向けると陸地に向けて、黙々とバタフライで泳ぎ始めた。
自由形であればクロールが最速かもしれないが、俺がもっとも得意とするのはこの泳法だ。
しなやかに、伸び上がるような両腕を使ったフォームの美しさから、人は俺をトビウオと呼んだ。
加速する俺を、小舟が追走してくる。漕いでいるのは――王女様だった。
「お待ちになってセイクリッド様! もっと筋肉について語らいましょう」
ラステはといえば、船の舳先でクラウディアをアシストする。
「ちょい右に針路それてるから修正して! そうそう! このまま追いついて全裸プリケツ大神官を小舟でひき殺してやりやしょうぜ旦那!」
ああもう無茶苦茶だよ。
小舟は王女様の細腕には見合わない速度で追ってきたが、身体能力を魔法で強化した俺のバタフライには届かなかった。
山荘近くの岸にたどり着くと――
俺は近衛の騎士たちに完全包囲されていた。全裸で。
山荘のサロンに戻った俺は、シャワーを浴びて現在、バスローブ姿である。
衣類はすべて天日干しの真っ最中だ。
再び温かい紅茶を王女様とラステと囲むのだが、クラウディアの視線につい自分の胸を腕で隠したくなる衝動に駆られた。
「王女様。あまりじっと見られると、困惑いたします」
「ご、ごめんなさい。そのバスローブの下に、あの逞しい肉体があるのかと思うと、つい見入ってしまいました」
しょんぼりと反省するクラウディアは、本当に申し訳なさそうな顔をした。
悪気はないのだろうが、いかんせん最初の印象からはかけ離れて、すっかり彼女を見るこちらの目が変わってしまった。
アコやカノンと同類だ。いっそ三人でパーティーを組んでみてはいかがだろうか。
危険物が集まってお互いを中和でき……いや、混ぜるな危険のパターンだなこれは。
すっかりしおらしくなったクラウディアをみて、ラステが俺の顔を指さした。
「王女様へこんでるんですけどー」
「どうしたらいいと思いますかラステ君?」
「脱げばいいんじゃないッスかね!」
大神官の不幸は蜜の味ですかそうですか。
さらにラステは付け加えた。
「そもそも、脱いで噂になるセイクリッドぱいせんが悪いんじゃないだろうか?」
「私は自分から好き好んで脱いでいるのではありませんよ。必要に応じた結果、たまたま裸が気持ち良い状況になってしまったにすぎません」
「いまサラリとすごいこと言った! 大神官やばすぎ!」
と、俺とラステが戯れていると、クラウディアは両手で口を覆って「うふ、あは、あははは! 本当にお二人は仲がいいんですね」と、若干涙目になって噴き出した。
ああまったく、困った王族だな。




